司馬遼太郎のレビュー一覧
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石垣島、竹富島、与那国島と黒潮文化を南下することにより、原日本人(原倭人)のルーツを探ろうとした紀行文
朝日文芸文庫 司馬遼太郎 沖縄 先島への道
「 街道をゆく 」の面白さは、著者の豊富な知識と現地で見聞きした情報が組み合わさって、著者の歴史ロマン的な妄想が出てくる点にある
「本土では千年も前に滅んだかもしれない古代が、このあたりでは民俗の中に息づいていて、神々が暮らしの文化の中で舞い立ったり、舞い降りたりしているような感じがある」
「沖縄の神々は、海から来る〜神聖者が渡来するには、出発する島が要る。南波照間島は、そういう理由で幻の出してきたものであるかもしれない」
「日本の島々に住む者には、黒潮とモンスーンが生活を決定しているのではないかと改めて思ったりした」
「モンスーン地帯に生まれたわれわれは〜草木な簡単に繁茂するため、樹木が都市にとって重要であることがわかりにくくなっている」
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ネタバレ唯一人の長州人、という異常な緊張感と寂寥感が、どう屈折してそうなるか、晋助に自由を与えた。
自由とは、こうである。
晋助の隣りに、他家の娘が臥ている。その娘の脛を晋助は白々とめくった。
(おれは何をしようとしているのだ)
と、驚いて自問したときには、自分の中に皮膜を破りちらして別の自分が誕生していることを知った。
(かまわぬ)
傲然と答える自分が、である。浮世の道徳法律(とりきめ)などはなんであろう。法律的には自分は朝敵であり、道徳的にはすでに殺人者であり、しかもなおその殺人は主義で正当化され、道徳的な罪悪感はない。さらに、
(この焼け跡の都で、おれ一人が人間の外だ。おれはただひとりで生きてゆかねばならぬ)
ということがある。正体が露顕すれば当然殺されるし、殺される前に当然、相手を斃さねばならぬ生活人である。もはやこの過酷な生存条件のなかでは、道徳も法律もない。すべての人間を縛っているそれらが、晋助の心から解け去っている。
小栗は、いった。
「わしは手練手管を好まない。婦人に好かれる言葉も持たぬ。おまえが好きだと思ったから、唐突にここへよんだ。よく来てくれた」
これが、小栗の睦言らしい。 -
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ネタバレ「わからないけど」
と、つぶやいた。おのうが言うところでは生きる甲斐もなくきていて、たまたま晋助という男を知り、ごく自然に身をまかせた。いずれは離れてゆく男だということはわかっているが、こうして一緒にいるあいだだけでも亭主だと思いたい。幻覚かもしれないが、この幻覚を自分は楽しんでいる。亭主が長州の間者ならばそれはそれでおもしろく、自分も間者の女房としてあぶない瀬を踏んでみた。やってみると結構たのしくもある。この幻覚のなかでたとえそのために死んでも自分に悔いはない。というのである。
(そういうことかな)
と、晋助は自分の身に引きかえておのうという女と、その言葉を想った。この女は幻覚こそ生き甲斐であり、そのために死ねるという。人の一生はそういうことかもしれない。
「おれのやっていることも、おまえよりもすこし大きいだけの幻覚かもしれぬな」
と胸中のつぶやきを、つい言葉に出した。この幻覚を吹き入れてくれたのは高杉晋作であった。幻覚からあやうく醒めようとする晋助を、高杉はややあわて、ふたたび別な操作で吹き入れた。 -
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幕末に起こった暗殺事件を題材にした短編小説集。
ワザワザ小説集と言うような書き方をするのは、事件自体は本当に起こった出来事であり、歴史的検証や登場人物の後日談等も丹念に綴られている為うっかりすると史実かと思ってしまう程臨場感タップリのお話ばかりである。
もっとも幕末の諸藩の立場や個々の事件に関しての予備知識が無いと読んでいてもつらいかもしれないマニアックな事件が多い。
筆者自らあとがきで「歴史書ではないから、数説ある事柄は、筆者が、この方が真実を語りやすいと思う説をとり、それによって書いた。だから、小説である。」とあるので史実とは多少違うところも有るだろうし、登場人物の人間関係や心の動きなどはかなりの部分筆者の推測が入っているだろう。
恥ずかしながら、司馬遼太郎さんの作品は初めて読みました。
やはり日本を代表する作家の文章は上手い。物語にぐいぐい引き込まれます。
個人的には短編集の前半の方が好きかな。登場人物もどこかしら凛としたところが感じられます。
後半の主人公達(特に幕末を乗り切って明治まで生き延びた人達)には今ひとつ感情移入が出来ませんでした。
なにはともあれ面白い本でした。