司馬遼太郎のレビュー一覧
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江戸時代後期に活躍した廻船業者、高田屋嘉兵衛の生涯を追った作品。
随分前に全巻を読んだのですが、新たな気づきもあるかと思い、再読することにしました。
場所は淡路島。
収入が少なく兄弟が多い家で育った、嘉兵衛少年。
隣の集落の、親戚の店を手伝うことになった11歳の場面から、物語は始まります。
第1巻では10代から20代前半までの、嘉兵衛の日々が描写されていきます。
自分が生まれた集落ではなく、隣の集落で若者が暮らす。
21世紀の現代から見ると、なんら問題はないようなことに感じられます。
しかし社会の制度が定着した江戸後期という時代に、それがどれだけ辛い結果を招くことだったのか、理解す -
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この「国盗り物語(三)」は織田信長編ということで、今までの二巻は斎藤道三が中心に描かれながら物語が進んでいたが、この三巻は織田信長中心。…と言っても、明智光秀を配して描かれている。
お勝騒動、そして道三が義竜の反乱に敗れるところ、本当にドキドキしながら…なんとか道三生き残ってくれないか、なんて、破れることはわかってるのに、そんなことを祈りながら読み進めました。
光秀がお万阿と会い、道三の死を知らせるところ…ぐっときました。
私の頭の中に出来上がった(勝手に作り上げた)斎藤道三にとても惹かれていたせいか、道三が亡き後の物語は……なかなか先に進めることができず……でした。笑
織田信長、明智光 -
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読んでから行ったわたし、もちろん観光旅行
司馬さんの『台湾紀行』が書かれたのは1990年代だけれども
内容はちっとも古びていない
その通りな印象で
司馬さんのテーマ「国家とはなにか」を
いかほどか理解したか、おこがましいが
興味深い島(国)であった
日本と国交がないことになっているのに交流がある国
異国情緒のただよう母の思い出話で懐かしい島
母方の祖父 が海軍人で、軍艦に寄港地になり
母は小学生時代を過ごした
バナナが食べ放題の話、牛に追いかけられた話
このたび「新竹」のビーフンが台湾の名産と知り
そういえば母の作るビーフンは美味しかったなあと思いだし
間接センチメンタル -
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司馬遼太郎の長編時代小説の5巻目
幕末の暗いところが印象的であった.
特に池田屋事件・蛤御門の変がこの巻で触れられるが、幕末志士の想いを果たせずして命を落とす姿がとても悲痛であった.
長州藩はこれを機に佐幕論が中心となり、薩摩藩は西郷隆盛が幕府のフィクサーとなり激動という言葉に拍車がかかったように思えた.
竜馬自体も神戸海軍操練所を解体することとなり、株式会社を作る転機となった.各々の幕末志士が世を変えるためにあれやこれや画策する姿、大志を抱いて行動に移す姿に自分もそうできるか?できているかを思わず自問したくなった.おそらく文字通り命懸けで事をなすことはまずないと思うがそれくらいの鬼気迫 -
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斎藤道三が第3巻で最期を遂げた後は、信長と明智光秀がバトンを引き継ぐ。光秀の生涯は不明な時代もあり、大河ドラマ「麒麟がくる」とは異なっている部分が多いのも仕方がないところ。司馬遼太郎の本は面白く、多くの日本人の歴史認識に影響を与えていることを実感する。第4巻での、信長と光秀のやりとりが楽しみ。
「麒麟がくる」では、信長に重大な影響を与える人物として濃姫の存在が大きくなっており、川口春奈が好演している。これまで大河ドラマの中で様々な女優が濃姫を演じてきたが、「徳川家康」の藤真利子以来の存在感を示している。彼女の活躍にも期待しているが、コロナで収録ができず、しばらく放映が休止されるのがもどかしい。 -
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日本史、特に戦国時代の歴史にとても疎かったため、少しでも知りたいと思い読み始めた本。
この時代の歴史に興味を持ったキッカケは、大河ドラマ「麒麟が来る」でした…
「麒麟が来る」は明智光秀が主人公のため、ドラマが始まった時点での斎藤道三は既に成り上がった後でした。油売りの成り上がり、斎藤道三がどのように美濃の国盗りに至ったのか、その過程の前半の物語。
歴史というものは、人によっても書物によってもいろいろな解釈があると思います。多少の脚色、そして事実との相違もあるのでしょうが、わたしのような歴史に疎い人間にとっては、そんな細かな部分はどうでもよく、楽しく歴史を学べて、そしてもっと先や奥を知りたくな -
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文久2年(1862年)ポンペは日本を去った。松本良順もその年西洋医学所(東京大学医学部の前身)へ移る。着任早々今までの学制を廃止し長崎医学伝習所の制度をそのまま持ち込んだために守旧派の伊東玄朴によって追い詰められていた。しかしある失態から玄朴が罷免されため良順の西洋医学所は玄朴の拘束から解放された。
元治元年(1864年)孝明天皇が将軍家茂、一橋慶喜、その他公卿、大名たちを小御所にあつめ、「横浜を鎖港するように」という詔勅を発した。良順も奥医師として慶喜に従い京都に滞在している。この間面識のあった新撰組詰所の衛生指導や隊士の健康診断をしている。
慶応2年(1966年)第二次長州征伐において -
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戦国時代に油商人から大名にのし上がった斎藤道三が主人公。第2巻では、美濃を手中に収めるまでの過程が、面白おかしく描かれている。国を盗んだというよりも、人の心を盗んだ結果と言えるだろう。新しい戦法を導入して、戦に強かったことも魅力である。大河ドラマ「麒麟がくる」とは異なった部分もあるのが気になるが、この本が出版された後にもいろいろな歴史的な書物が発見されているので、仕方がないところかもしれない。いよいよ信長も登場してきて、ますます楽しみである。
コロナで外出ができない中で、親しい友人が突然亡くなった。葬儀にも参列できず、喪失感がつのる。もっと一緒に酒をのみ、ゴルフをすればよかったと、今更ながら -
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1857年(安政4年)長崎海軍伝習所でポンペは松本良順、伊之助ら14名の学生に医学の講義を始めた。
安政5年咸臨丸で勝海舟を船長格として練習航海のため薩摩を訪れ島津斉彬と会う。
この年コレラが日本国中を震撼させた。良順も罹患するが一命を取り留める。
安政6年長崎海軍伝習所は突如廃止となり海軍教育も医学教育もやめる命令がでたが井伊直弼の機転のより医学教育は廃止を免れる。
コレラ騒動の年からポンペと良順は病院建設に奔走する。「オランダの市民社会から成立した病院は病人を病人として見る。原則として病人の身分の高下や貧富は病院の門を入ればいっさいその優性、劣性の効力を失う。」身分制を基本的に成り