司馬遼太郎のレビュー一覧
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牢人達が大坂城に集いだすところから、冬の陣が終わって和議が成るまでの話。
上巻に続き政治的な人々の動きが中心に描かれている。
誰がどういうつもりで行動したかが丁寧に書かれており、それらの上で事態が動いて行ったのだというのが分かる。
戦のシーンは映像では見せ場として派手に演出されるが、本作ではむしろさらっと描写されている印象。が、その戦の成り行きもまた、一人一人が様々に考え動いたという視点から見せてくれる。
上巻で主人公役をしていた小幡勘兵衛は、流石に有名な牢人・大名達の前では出番を減らしていた。
意外にも牢人集の中で比較的出番の多かった真田幸村や後藤又兵衛ですら、中心的になるような描き方はされていない。家康が中心と言えば中心になっているのだが、全体的に双方を広く見ていく形が逆に馴染みやすかった。
作中で何度も「家康は悪辣だ・現代では評判が悪い」というようなことが出てくる。確かに義理や道理を無視した行いは目立つし、狸などと言われているのは知っているが、現実の実感としてそういった意識は無かった。なので、そういうものなのだろうか?と再確認するような気持で感覚を無理矢理合わせにいっている。
作者が家康を悪人に仕立てたいという訳では無かろうと思うので、となるとこれが書かれた当時家康はそんなにも評判が悪かったのだろうか…(笑) -
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ネタバレ時刻が、移った。
会議はまとまりがなく、だらだらとつづいている。
継之助はもう、議事の進行に興味をうしない、柱にもたれ、煙管のやにをとったり、ふかしたりしている。
そのうち会津藩の秋月悌次郎がやってきて、
「どうもあれだな、これはまとまらない」
と、小声でこぼした。
継之助はぷっと一服吹き、
「まとまらないんじゃないんだ。どの藩もはじめから意見などもっていないのだ」
といった。
たしかに内実はそうらしい。しかし会津藩としてはどうしても抗戦へまとめてゆきたいという願望がある。
「そのように言われちゃ、実も蓋もない。かれらはこのように集まってきている。集まってきているということ自体、大いなる情熱のある証拠だとみたい」
(情熱だろうか)
継之助は、くびをひねり、すぐ、
「韋軒先生」
と、秋月を雅号でよんだ。
「水をかけるようでわるいが、それは甘い。かれらはたがいに他藩の顔色を見るためにきているのだ。他藩はどうするか、それによって自藩のゆき方を考えようとしている。要するに顔色を見合うための会合だ」
「そうだろうか」
秋月は白皙の顔に、苦渋をうかべた。それではこまる。官軍はこの会議のあいだも、刻々と江戸にせまろうとしているのである。
「とにかく意見がこうもまとまらないと」
と、秋月がなにか言おうとしたが、継之助は言葉を奪い、
「意見じゃないんだ、覚悟だよ、これは。官軍に抗して起つか起たぬか。起って箱根で死ぬ。箱根とはかぎらぬ、節義のために欣然屍を戦野に曝すかどうか、そういう覚悟の問題であり、それがきまってから政略、戦略が出てくる。政略や戦略は枝葉のことだ。覚悟だぜ」
「そう、覚悟だ」
「それが、どの藩のどの面をみてもきまっていない。これじゃ百日会議をやってもきまらない」
「どうすればよい」
「覚悟というのはつねに孤りぼっちな者で、本来、他の人間に強制できないものだ。まして一つの藩が他の藩に強制できることはできない」
「強制じゃない」
「ことばはどうでもいい。要するにてめえの覚悟を他の者ももつとおもって、そういう勘定で事をなすととんでもないことになる」
「そうだろうか」
「史書をみればわかる。韋軒先生ほどのひとがそれがわからないというのは、一個の希望が働いているからだ。事をなすときには、希望を含んだ考えをもってはいけない」
継之助は煙管に莨を詰めた。 -
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ネタバレ顔を少しあげ、谷の向こうの天を見つづけている。吉沢の存在を無視していた。この男の知的宗旨である陽明学の学癖のせいか、つねに他人を無視し、自分の心をのみ対話の相手にえらぶ。たとえば陽明学にあっては、山中の賊は破りやすく心中の賊はやぶりがたし、という。継之助はたとえ山中で賊に出遭うことがあっても、賊の出現によって反応するわが心のうごきのみを注視し、ついでその心の命ずるところに耳を傾け、即座にその命令に従い、身を行動に移す。賊という客体そのものは、継之助にあっては単なる自然物にすぎない。
吉沢の存在も、自然物である。いわば、そのあたりの樹木や岩とかわらない。
眼前に難路がある。これも、継之助の思考方法からみれば山中の賊であろう。継之助は、難路そのものよりも、難路から反応した自分の心の動揺を観察し、それをさらにしずめ、静まったところで心の命令をきく。
(その心を、仕立てあげにゆくのが、おれの諸国遊歴の目的である)
武士にとって最高のモラルはいさぎよさということであり、この道徳美は自分が武士であるかぎりまもらねばならぬ。この場合、家や家禄やわが身のいのちを目方にはかって行動をきめるようでは武士が立たず、その原則から考えれば、ぬく手もみせず肥かつぎの首をはねるべきであろう。
が、そうもいかぬ。別に、それとおなじ重さの原則がある。百姓のいのちということである。当然、人間の本然のあわれみという惻隠の情というのがおこるべきであり、この情こそ仁の基本であると儒教はおしえている。武士の廉潔をまもるか、惻隠の情という人間倫理の原理にしたがうべきか、その両原則がたがいに相容れぬ矛盾としてそそりたっているだけに、この場合の判断が容易にできぬ。
「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがえるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
と、継之助はいった。即決対処できるには自分自身の原則をつくりださねばならない。その原則さえあれば、原則に照らして矛盾の解決ができる。原則をさがすことこそ、おれの学問の道だ、と継之助はいう。それが、まだみつからぬ。
「だから、おれには、たとえ汚物をかけられても、斬るべきか、生かすべきか、まだわからぬ」
説明が、むずかしい。
継之助はかれ自身、自分を知識主義ではないとおもっている。
――知識など、生き方のなんの足しにもならない。
という側の信者であった。漢学を学ぶにあたっても万巻の書を読もうとせず、博覧強記を目標ともしなかった。知れば知るほど人間の行動欲や行動の純粋が衰弱する、という信条をもっている。どの藩にもいるあの知識のばけもののような儒者どもをみよ、と継之助は平素おもっている。それら、行動精神のない知識主義者をこの男は、
――腐儒
とよんでいた。
継之助の知りたいことは、ただひとつであった。原理であった。
歴史や世界はどのような原理でうごいている。自分はこの世にどう存在すればよいか。どう生きればよいか。
それを知りたい。知るにはさまざまの古いこと、あたらしいこと、新奇なもの、わが好みに逆くもの、などに身を挺して触れあわねばならぬであろう。だからスイス人の招待を承諾した。
「いったい、なぜ」
と、継之助はことばをあらため、話題をするどくした。和泉式部はなぜそのように男遍歴をしたのか、ということであった。なぜか、なぜだろう、というのは、この男の思考癖である。ちょっと幼児のようだ。
これには織部は当惑した。
「なぜ……?」
と、つぶやいた。こまるな、とおもった。そうきまじめにひらきなおられてはこまるのである。和泉式部は男が好きでたまらない、それだけのことではないか。なぜもなにもないであろう。
「なにか、やむにやまれぬわけがあったのでありましょうな」
継之助は自分のいまの遍歴におもいあわせているのである。
むろんこの男は式部について勘違いをしている。和泉式部はあの歌――暗いところから暗いところへゆく人間のはかなさをせめては照らしてくれ山の端の月――という意味の歌を、ひどく深味のある厭世哲学のあらわれかとおもい、その根源を知りたいとおもった。
が、織部はこまった。この種の厭世趣味は平安朝の貴族たちのいわば美的生活の塩味のようなものであり、それほどめくじらを立てて考えこむほどのものではない。
――式部は王朝貴族のたれもがそうであったように享楽主義でした。
という意味のことを織部はいった。現世を謳歌し、性のたのしみを香しいものとして嘆美するためには厭世主義――いのちはこの世だけのもの、楽しまばや――という、いわば慢性のやけっぱち精神がうらうちされていなければ享楽が美しさと輝きをおびて来ない、式部の場合もそういうことではなかったでしょうか、と織部は小くびをひねりながらいった。
「おのれの好むところのみをおこない、好まざるところをおこなわず、ひたすらに避ける、という河井氏の態度や生き方はどうでありましょう」
「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざるところを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」
「怠け者の耳に入りやすいお言葉ですな。それでは、良薬ハ口ニニガシ、とか、艱難ナンジヲ玉ニス、という諺はどうなります」
「貴公は、諺で生きているのか」
と、継之助はふしぎそうに相手の顔をながめた。そういう人間の単純さのほうに興味をもったらしい。
「いくつくらいの諺を、頭にのせて生きている。二十ほどか。それとも百もあれば安心するのか」
「ばかな」
相手は怒りだした。しかし継之助はしゃらりとした顔で、
「諺なんざ、死物だぜ。世界中の諺を万とあつめたところで、どうにもならぬ」
「話は百姓仕事のことです。諺のことではありませぬ。なぜ先生の開墾を手伝われませぬ。それでは方谷先生を愚弄していることになる。――いったい」
と、若い内弟子はひらきなおった。
「河井氏は方谷先生を尊敬なさっているのでありますか」
「あたりまえだ。尊敬もせずにはるばる越後から来れるか。しかしながら尊敬するのあまり、おれのきらいな百姓仕事まで手伝うとなれば、これはおべっかさ。尊敬はあくまで醇乎たるべきものであり、おべっかがまじっては相成らぬ」
ちなみに、日本人はずいぶんの昔から身につけている思考癖は、
「真実はつねに二つ以上ある」
というものであった、これは知識人であればあるほどはなはだしい。
たとえば、
「幕府という存在も正しくかつ価値があるが、朝廷という存在も正しくかつ価値がある」
そういう考え方である。神も尊いが仏も尊い。孔子孟子も劣らず尊い。花は紅、柳はみどりであり、すべてその姿はまちまちだがその存在なりに価値がある、というものであった。
一神教を信じている西洋人ならばこれをふしぎとするであろう。かれらにすれば神は絶対に一つであり、自然、真理も真実も一つでなければならない。
が、日本人は未開のころから、山にも谷にも川にも無数の神をもっていた。どの神もそれぞれ真実であったが、そこへ仏教が渡来して尊崇すべき対象がいよいよふえた。さらに儒教がそれにくわわり、両手にあまるほど無数の真実をかかえこみ、べつにそれをふしぎとしなかった。
しかも無数の矛盾を統一する思想が鎌倉時代にあらわれた。禅であった。
禅は、それらの諸真実を色(現象)として観、それらの矛盾は「それはそれで存在していい」とし、すべてそれらは最終の大真理である「空」に参加するための門であるにすぎない、だから意に介する必要はない、とした。
右は物の考え方のうえでのことだが、現実の暮らしのなかでも日本人は多神教的な気楽さとあいまいさを持ってきた。
たとえば幕府や諸藩の役職は、かならず同一職種に二人以上がつく。江戸の施政長官である町奉行は南北二人存在し、二人が交代で勤務する。大阪の町奉行も東西二人であった。すべてが二人以上であり、その点で責任の所在がどこかでぼやかされていた。
公務のための使者というのもつねに二人であり、二人でゆく。このため、幕末にオランダに留学した幕府の秀才たちは、むこうで子供からさえ軽蔑された。
「日本人はいつも二人で歩く」
それがよほどめずらしかったのであろう。そういうからかいの唄まで出来、子供たちは日本人のあとからついてきて囃したてた。
が、継之助はこの点で異風であった。
「御老中にお就きあそばすことは長岡藩の自滅を意味します。断乎、なりませぬ」
と、殿様の忠恭に説きつづけるのである。
忠恭は最初、
(へんなやつだ)
とおもっていたが、次第に接触するにつれてその論旨が高層建築のように土台があり、力学があり、層々として組まれていてもゆるがないものであることを知り、その「断言」に惚れるようになった。ついで継之助のことばの絶対的な響きに一種の信仰を感ずるようになり、
(他の者はあいまいである。継之助は頼りになる)
と思い始めた。 -
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2巻の筋は、なんと西郷の征韓論をめぐり逡巡する人物達を描くのみで少しも進んでいない。故にあまり楽しめる内容ではないが、それでも興味をもって読み進める。
作者が、物語というより、維新後に活躍した人物像をその行動を元に推察した歴史と人物研究の書という体です。
歴史を動かした人物とて、思想の微妙な違いでの好悪により派閥が出来、暗殺等手荒で確実な方法を望んだり、武力で脅す強硬派や温厚で協和を好み時間をかけて和をなす穏健派が出来、今の政治情勢と何ら変わらないものが根底にあると思う。
作者の緻密な取材とそれを元に人物像をその背景と照らし合わせて作り上げ、表現していく粘り強さにあらためて敬服する。
以下
登場人物のごく一部です。
長州藩
木戸孝允
井上馨
山県有朋
大村益次郎
伊藤博文(木戸孝允と反目)
福沢諭吉
薩摩藩
西郷隆盛
西郷従道
大久保利通
大山巌
東郷平八郎
島津久光
桐野利秋
篠原
村田(試作銃)
川路利良(としよし)
高崎正風(生麦事件、和歌)
岩倉具視(公卿) -
ネタバレ 購入済み
長編にならなかった伊達政宗
司馬遼太郎が短編の筆を折ったのは、作家デビューして10年が過ぎたころ-その後3編の例外はある-、同じころに「街道をゆく」が始まる。『馬上少年過ぐ』に収められた7編のうちの4編はそうした昭和43年から45年に書かれた。残りの3編は、同じ新潮社から以前に出た『鬼謀の人』からの転載である。
短編集の表題となった『馬上少年過ぐ』は隻眼の武将伊達政宗の晩年の漢詩の第一句から取られた。司馬は政宗を詞藻の豊かな武人と言いながら、その凄絶な生い立ちを語っている。それは24歳の政宗が実弟の小次郎を刺殺するところで途切れ、死の前年の歌の「千々に心のくだけぬるかな」に寓意があるとして締めくくった。
ところが、司馬の言いたいことはむしろ文庫本のあとがきに表れているように思える。四国の宇和島伊達家の庭園「天赦園」の名が政宗の漢詩に由来することが政宗に対する関心の発端であるという。しかしながら、政宗を主人公とする長編を執筆するに至らなかったのは「政宗の生涯は、悪謀と譎詐、華やかながらも見えすいた自己演出に満ちている」という評から察することができよう。
ともかくも司馬が示した「独眼竜」などのイメージとは遠いところの政宗像は一読の価値はあるのではないだろうか。
ほかの短編も人物伝というものが多く、それらを盛るのに『街道をゆく』のような媒体に移行していったことが自然な成りゆきだったと考えさせられた。
『貂の皮』の脇坂甚内も『重庵の転々』の山田重庵も奇体なところをもつ者として司馬作品らしいユーモラスな味わいに描かれている。
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歴史は倫理ではなく感情の結果として成るという形容のままに、維新前後に現れた天才達の心理描写を深く描いている。
坂の上の雲でも描かれた郷土意識なくして明治時代は語れないようです。
主な登場人物を整理して読むと理解しやすい。
〈備前佐賀〉
江藤新平
大隈重信
大木
〈薩摩〉
大久保利通(日本最大の策士)
東郷平八郎
島津斉彬
島津久光(保守主義)
川路利良(警視総監)
〈公卿〉
岩倉具視
三条実美(さねとみ)、新国家の首相
〈土佐〉
板垣退助
坂本龍馬(既に死せる)
〈長州〉
木戸孝允(たかよし、桂小五郎)
井上馨(かおる)
山県有朋
大村益次郎(首相、暗殺)
高杉晋作(既に死せる)
伊藤博文
副島種臣
桐野利秋(陸軍少将)
氏の作品らしく、その他多くの人物が登場して知的好奇心を十分に満たしてくれ、この時代に大いに興味を掻き立てられる。
しかしこの流れで10巻もあるなんて、しかも維新成立後からの物語とは。。 -
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ネタバレ京都を出発するとき、京における長州代表の広沢兵助が、
「西郷にはくれぐれも気をつけよ」
と、注意したが、蔵六はいっこうに表情も変えず、返事もせず、ひどく鈍感であった。広沢のいうところでは、西郷の衆望は巨大であり、一人をもって一敵国をなすほどである。西郷自身は稀世の高士であるにしても、そのまわりにあつまっているのは愚かな物知らずばかりで、江戸へゆけばそういう愚物どもに気をつけよ、といったわけであったが、しかし蔵六は鈍感であった。蔵六にいわせれば、
「衆望を得る人物」
という種類の存在が、頭から理解できないところがあり、それどころか、そういう存在は一種のゴマカシです、としかおもっていない。さらにいえば一人の魅力的人物を押しあげているそのまわりの「衆」というものが、この男にはまるで理解できなかった。そういう魅力的人物とそれを押したてる「衆」が大きな政治勢力になり、ときには歴史をもうごかすということは頭で理解しているものの、しかしかれ一個のモラルでは、
――それは世の中の害です。
というぐあいにその門人に言っていた。要するに、感動的な人間集団というものがよくわからないたちの男なのである。こういう傾向は長州人に共通しているともいえる。かつての長州藩の代表的人物だった高杉晋作や、いまの木戸などが、みずからの人間的魅力をもって衆をあつめようとしないのは長州の風であり、蔵六はその点では極端に長州人であった。
村田蔵六などという、どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間のなま臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物をどう書けばよいのか、執筆中、ときどき途方に暮れたこともあった。
「いったい、村田蔵六というのは人間なのか」
と、考えこんだこともある。
しかしひらきなおって考えれば、ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀感など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ消え失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。
つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした。ごく一般的に人生における存在感が、男の場合、家庭というこの重い場にいる女よりもはるかに稀薄で、女のほうがむしろより濃厚に人生の中にいて、より人間くさいと思ったりした。その意味ではナマ身としての蔵六の人生はじつに淡い。
要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。 -
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ネタバレ「しかし私は先刻、自分で名乗っております」
「それは間違っている」
と奥山静寂はいった。
「自分で名乗ったからといって、私は信用しない。私の目で人相風体を見、これならたしかに洪庵先生のいわれり村田蔵六にちがいないと推量がついたうえで当人にたしかめてみるのだ。それが物事の窮理(科学)というものである」
「お前さんも頓狂な男だな」
敬作は、蔵六の人柄が、一見したところまったくちがっていることにちかごろ気づきはじめていた。敬作は
「頓狂」
ということばがすきで、ふだんしきりにつかっている。オッチョコチョイというほどの意味だろうが、敬作の妙なところは、親に孝、君に忠という倫理綱目と同列くらいの美徳にそれをあつかっているのである。
「人間は頓狂でなくちゃいけないよ」
これが、口ぐせだった。敬作は、まじめくさった大人くさい、事なかれの常識的慎重さ(それが封建的徳目なのだが)だけで生きている連中が大きらいで、
「人間、ゆかなくちゃならないよ」
と、つねにいう。どこへゆくのか、それはわからない。敬作が、深夜三里の峠をこえて炭焼小屋の急患の元に行ってやったりするのも、頓狂の心であろう。イネのことを想うと不安と悲しみで身も世もなくなるのも頓狂の心かもしれない。常識人はけっしてそうはならないのである。
「西洋の文明を興したのも、頓狂の心だ」
と、敬作はいう。
天才とは頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛し、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人をきらうから遅れたのだ、という。シーボルト先生も頓狂人だからはるばるヨーロッパにとって、未知の日本にきたのだ、という。なるほどそういえばそのようでもある、と蔵六はおもうのである。
(鳥がいる)
と、おもった。しかしもう一度この啼き声がきこえたとき、それはブリッジから海をのぞきこんでいる殿さまの笑い声だとわかり、貴人というものはああいう声をたてるのかと思った。思いあわせてみると、蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島候の背後に侍立できる身分にまでになった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。
(妙なものだ)
と、蔵六はそのことを考えた。
船が、うごいている。海が背後に押しやられ、へさきに白波が湧いている。平素心鬱なばかりの家老松根図書までが子供のような燥ぎ声をあげ、
「村田、すすんでいるではないか」
と、ふりかえって叫んだ。が、蔵六は悪いくせが出た。
「進むのは、あたりまえです」
これには、松根もむっとしたらしい。物の言いざまがわからぬのか、といった。蔵六は松根からみればひどくひややかな表情で、
「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」
と、いった。この言葉をくわしくいえば、技術とはある目的を達成するための計算のことである。それを堅牢に積み重ねてゆけば、船ならばこのように進む。進むという結果におどろいてもらってはこまるのである。もし進まなければ、はじめて驚嘆すべきであろう。蔵六にいわせればそういうものが技術であった。
(ああ、ひよこの羽毛のようにやわらかそうなまつげだな)
と、蔵六はぼんやりおもった。
蔵六の息が乱れている。蔵六はそれをこの期におよんでも整えようとした。かれは意志力の賛美者であり、自分を自分の意志で統御しきっていることに誇りをもち、快感をすら感じていた。同時に、人間関係における主題主義者であった。ということはたとえば、
「殿さまはえらいものです。学者は学問をすべきです。イネは弟子です。イネは一般論としては女性ではあるかもしれないが、私にとっては女性でも男性でもなく、弟子という存在です。師弟という関係以外の目でイネを考えることは、余計なことです。余計なことは自分はしません」
というような信条をもつ男で、この信条をくずさずにいままで生きてきた。一見平凡なこの男が、ひょっとすると突っ拍子もなく風変わりな男であるかもしれぬ点は、このあたりであった。 -
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司馬遼太郎の長編時代小説の4巻目
竜馬は勝海舟とともに着実に海軍学校の立ち上げを進めていく。一方で、武市半平太は土佐藩を裏で操っていたが、長州藩の京都での失脚を機についに山内容堂に動きを抑え込まれてしまう。4巻の1番の読みどころであろう、武市らの処刑は本当に切なくて、無念だと感じた。
夢が進み続ける者と夢がついえる者、失脚し再起を図る者と色々な人物・組織の変化が読み取れる今作であった。
主人公の竜馬は、天命に全うすべく自分がすべきことを着実にこなしており、その姿は脚色があるといえ立派だなと思う。また、色恋ともいえる、さな子やお田鶴様、おりょうとの関係の深まりも別の緊張を与えてくれる。
明治に向けてどうなるのか気になり続きが読みたくなる1冊でした。 -
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恐らくいずれも初期の(梟の城の頃の)作品でしょうね。当然ながら、再読(何回目でしょうか)です。
名前のように最初の三篇がこの時代に流行った忍者物。いささか古臭さ(荒唐無稽さ)は感じさせますが、なかなかです。「外法仏」は密教の修法を題材にした作品で、ある意味忍者物に通じるものがあります。「天明の絵師」「蘆雪を殺す」「けろりの道頓」はいずれも実在の人物をベースにした歴史物です。
何れにせよ、司馬史観などという物が入らない、純粋な物語としての面白さを目指した作品です。若さゆえの粗さもありますが、後期の長大な作品のような説教臭さがない分、読みやすい作品です。