司馬遼太郎のレビュー一覧
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第2巻は、官兵衛が小寺家の家老として織田方へ与するべく、その策謀の才と胆力を発揮し、時代の表へと進出する。そして、その才能においてお互いに認め合う秀吉との、心の内を読み合う記述などは、著者ならではの小説の醍醐味となっている。
著者はさらに、官兵衛になくて、秀吉にあるのが嫉妬心だと
記す。その相違が、その後の官兵衛に辛苦をもたらす。
司馬遼太郎の小説に登場する歴史上の人物は、読者にその傍らにいるかのような親近感を抱かせ、歴史上の役割以上の輝かしい存在を与えられる。
もちろん、歴史に登場する人物は、それぞれひとかどの人物であることは間違いない。司馬は、それらの人物をさらに魅力的に描いて、それが小説の魅力でもあるが。
『竜馬がゆく』の坂本竜馬など、その典型だろう。司馬の小説以前の竜馬は、幕末の志士の多数の中の一人でしかなかったはず。それが今では、幕末最大のヒーローとなっている。
本作での、黒田官兵衛もそれに類するといえるかも。 -
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司馬遼太郎さんは、僕にとっては極めて「アンパイ」な作家さん。
ほぼ、個人的には外れがないので、安心して読めます。
その代り、何しろ10歳くらいから延々と読んでいるので、若干新鮮味には欠けます。
なので、疲れているときとか、落ち着かないとき。
「読書に体力を使いたくないけれど、ちょっとした隙間で現実逃避の快楽が欲しいなあ」という季節には、とても重宝します。
2017年は、4月5月となかなか落ち着かなかったので、意図的に司馬遼太郎さんで癒されていました。
「馬上少年過ぐ」。短編集。これは、初読でした。
以下、備忘メモ(と言ってももうかなり経つので忘れていますが)
「英雄児」
長岡藩家老、河井継之助の生涯を駆け足で。
これはやがて「峠」という長編小説になります。
「慶応長崎事件」
長崎で、刃傷事件があった。
坂本竜馬の海援隊のひとりが下手人の疑いが。
結局、しらを切って逃げ切るという話になります。歴史のこぼれ話。
「喧嘩草雲」
幕末維新。小さな小さな藩の家老でもあった、絵師のおはなし。
大藩に生まれていれば、英雄になったのかも知れない。
そういうちょっとした哀愁が後味か。
「馬上少年過ぐ」
伊達政宗の人生をスケッチ風に。
細部は忘れたけれど、この人も家族のどろどろが凄いなあ。武田信玄といい、そういう人ばかりですね。戦国。
これは矢張りなかなか面白かった記憶が。
「重庵の転々」
伊予、宇和島。土佐出身の医師がふとしたことから政治に巻き込まれていく悲劇、喜劇。面白かった。
「城の怪」
大阪城の落城前後の、ぐっちゃぐちゃの牢人たちの人間模様。
なんともやるせない、乾いた男女の物語。
実はこういうの、司馬さん上手いんですよね。
「貂の皮」
戦国時代の脇坂だか、そういう小大名の奇縁の話だったような...ほぼ失念。 -
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異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。
「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。
司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。
主人公は大村益次郎(村田蔵六)。
大村益次郎さんは、百姓医者の息子。
百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。
いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。
だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。
大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。
と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。
戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。
連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。
そして、連戦連勝。
中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。
誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。
ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。
明治2年に暗殺されて死んでしまう。
でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。
という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。
#
この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。
ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。
前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。
そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。
狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。
政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。
ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。
そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。
#
それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。
シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。
「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。
司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。
(恐らく、30年以上ぶりの再読でした) -
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異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。
「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。
司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。
主人公は大村益次郎(村田蔵六)。
大村益次郎さんは、百姓医者の息子。
百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。
いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。
だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。
大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。
と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。
戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。
連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。
そして、連戦連勝。
中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。
誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。
ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。
明治2年に暗殺されて死んでしまう。
でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。
という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。
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この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。
ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。
前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。
そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。
狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。
政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。
ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。
そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。
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それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。
シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。
「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。
司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。
(恐らく、30年以上ぶりの再読でした) -
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平成29年6月
西郷の征韓論対岩倉、大久保、桂、伊藤の反征韓論
の話。
この時期って難しいよね。
明治維新を成し遂げた、薩摩、長州の幹部級の人たち。この人たちが中心になって明治政府を作り、日本を動かしていくのは、いいけど、幕府を倒すって思想は簡単で、まとまりやすいけど、倒した後のかじ取りってやっぱり、その人その人で考え方が違い、対立が生まれる。しかし、それはそれでその人たちが本気で日本を思っての考えで、答えの分かっていない明治の時では何が正しいのか分からないため、命を懸けて本気で対立する。今の政治とは違うよね~、本気度が。
その中で、今まで対して表だって来なかった伊藤博文が目を出す。
西郷を朝鮮に派遣する朝議が行わようとしている時に。伊藤は、昼夜を問わず懸けまくり、岩倉具視に世界観を与え、大久保利通を朝議に出させ、木戸孝允に大久保と手を組ませた。
この時に伊藤博文がいなければ、西郷の渡韓が行われ、戦いが始まっていったに違いない。
らしいよ。
そういう能力があるから、総理大臣になっていったんだろうな~。 -
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江戸時代に、テグスを作る技術が向上した。それで史上初めて、庶民の食事に鮮魚も出るようになった。
などなど、いちいち、衰えない「へー」度の高いエッセイ集。
#以下、本文より
日本国の通弊と言うのは、為政者が手の内、とくに弱点を国民に明かす修辞というか、さらにいえば勇気に乏しいこと。
自己を正確に認識するリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになるのです。大変な勇気が要ります。
勝者と言うのは、自分がかつて勝った経験しか思考の基礎にしない。
今、我々の足元を見ると、結局、物を作って売って国を航海させているわけですから、やはりお得意さんが大事という精神、このリアリズムだけが、日本を世界に繋ぎとめる唯一の精神だと思えてなりません。 -
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ネタバレ長幕戦争の防衛から維新の達成に至るまでの歴史の激動部を描いた最終巻。
長州を防衛したあと、長州藩は薩摩と共同し、天子を担いで鳥羽伏見の戦いで幕府と決戦する。
大村始め、戦争勝利は不可能とされていたが、なぜか勝利し、その後の無血開城へと繋がっていく。大村の仕事としては無血開城後の彰義隊との戦いであった。
戦力的にも勝利は難しいとされていたが、緻密な戦術で完全勝利となり、維新は成る事となった。
これだけの功績を納めながら、最後は元々仲間であった過激な攘夷志士の手によって暗殺されてしまう。
いずれにせよ、この花神(花咲か爺さんの意味)は明治という新時代への餞としてうまく言ってると感心しました。 -
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ネタバレ上巻とは売ってかわって、中巻以降では歴史の表舞台へ出てくる。
適塾で蘭学を極めた村田はその語学を買われ、四国の宇和島藩で召し抱えられる事になる。
ここでは時代の要請に従って、砲台の建設、汽船の開発、兵学書の翻訳と医療以外の世界にも従事し始める。そして徐々に世の中から、注目され始めていく。
そんなある日、村田蔵六は長州藩の桂小五郎に見初められ、長州藩の藩士となった。
ここでの仕事は攘夷思想の実現の為、西洋軍隊の拡充および教育であったが、時代の改革期に起こる事態ではあるが長州 と 幕府の戦争。実質的には長州 対 日本の戦争が勃発し、その作戦参謀長として村田改め大村益次郎が出陣した。
この件で感銘を受けたことは、
古老の老中達が過去の戦闘や口伝の戦術から作戦立案を推挙したが、大村はこれを却下し、誰も実戦で見たことはない、書物の中にしかない戦術を用いて作戦を指揮した。
結果、この作戦は面白いようにうまくいったということ。
このことから、未知の事柄でも内容を熟知し、運用出来るほど習熟すれば、過去の経験則を吹き飛ばす程の力を得られるということ。 -
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何度目かの再読。維新から明治新政府=近代国家成立と、安易に捉えがちだが、西郷の西南戦争ひとつを取っても内戦とは言え新政府は死力を尽くした上の薄氷勝利。廃刀令や版籍奉還・廃藩置県で武士階級を取っ払い、富国強兵の名の下、「中央集権国家」の樹立を目指し、近代国家の象徴とも言うべき「大日本帝国憲法発布」まで、維新から僅か22年。260年間の鎖国から目覚めて以降、にわかに外国語を学び会得した付け焼刃のコミュニケーションで他国の政治・経済・憲法・法律を学び、憲法という国家運営の支柱を創出した。僕はこの一連の行為に日本人として強い誇りを持つ。ゆえに改革を謳う政治家とついつい比較してしまう。時代変われど改革の対象者からの抵抗・軋轢は激しい。それに立ち向かうリーダーと推進派に一点の曇りの無い大義があれば、支持層も増えるんだろうけど。大義が安倍政権打倒では…。