司馬遼太郎のレビュー一覧
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戦国時代に油商人から大名にのし上がった斎藤道三が主人公。第2巻では、美濃を手中に収めるまでの過程が、面白おかしく描かれている。国を盗んだというよりも、人の心を盗んだ結果と言えるだろう。新しい戦法を導入して、戦に強かったことも魅力である。大河ドラマ「麒麟がくる」とは異なった部分もあるのが気になるが、この本が出版された後にもいろいろな歴史的な書物が発見されているので、仕方がないところかもしれない。いよいよ信長も登場してきて、ますます楽しみである。
コロナで外出ができない中で、親しい友人が突然亡くなった。葬儀にも参列できず、喪失感がつのる。もっと一緒に酒をのみ、ゴルフをすればよかったと、今更ながらに思う。できる時にやりたいことをやった方がいいと、今更ながらに思う。読みたい本もたくさんある。これからも読書を楽しみたい。 -
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1857年(安政4年)長崎海軍伝習所でポンペは松本良順、伊之助ら14名の学生に医学の講義を始めた。
安政5年咸臨丸で勝海舟を船長格として練習航海のため薩摩を訪れ島津斉彬と会う。
この年コレラが日本国中を震撼させた。良順も罹患するが一命を取り留める。
安政6年長崎海軍伝習所は突如廃止となり海軍教育も医学教育もやめる命令がでたが井伊直弼の機転のより医学教育は廃止を免れる。
コレラ騒動の年からポンペと良順は病院建設に奔走する。「オランダの市民社会から成立した病院は病人を病人として見る。原則として病人の身分の高下や貧富は病院の門を入ればいっさいその優性、劣性の効力を失う。」身分制を基本的に成り立つ江戸体制とは相入れないので病院建設には強い反対があったが紆余曲折をへ文久元年(1861年)養生所は完成した。
一方伊之助は「七新薬」という本を書く過程でポンペに破門され医学伝習所を出て行く。
伊之助が長崎から平戸へ向かう件は司馬さんの「街道を行く」を片手に西彼杵半島を旅する気分で楽しい。ただ伊之助は平戸で婿養子になってこれからどうするのだろう -
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「三国一の何々」という「三国」とは(近隣国では)
「唐天竺(中国インド)」と日本の中で一番だということで
「韓」というものがふくまれていないのだった
と、司馬ワールドではいう
古来、朝鮮という半島は国家については地理的位置が近接しすぎており、
しかも人種までが類似し、このため厳密な外国意識をもたずに数千年経てきている。
から
含まれなかったのはあまりにも近縁で他国視できなかったのであろう。
と
今読んでいる司馬遼太郎『歳月』(江藤新平栄光と転落の生涯)にある文章で
これ、わたしは「ははーん」と思ったことだった
おもしろいものだ
いまではとても同じ人種と思えない気質なのにね
でも、むかしからお互いに尊敬しあってないのだからね
この小説の舞台時代
(西郷隆盛を中心に「征韓論」が起こった一件に関係して江藤新平は転落していく)
明治初期のまだまだ政府の屋台骨があやふやな時
近代化しようとしている日本が近隣国(ロシアや清国)を意識し
富国強兵に進もうと、どこの国でもあるように、外に目を向けた
そして冒頭の日本の側の意識!
反対に朝鮮半島では中国の属国のような庇護を受け、かさに着ていて
朝鮮半島は中国の姓名を使ってるのに、日本は独特の苗字を名乗り
儒教という中国の文化も影響少なく、八百万の神を敬う
倭の国(日本)を尊敬していなかった
とある
まあね、お互い、これじゃねえ
この本の上巻、一章「征韓の一件」はおもしろかった
ところで、最近、天竺(インド)とは仲良くしようとしているね -
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江藤新平という法律立法における天才といわれた人物と
大久保利通という日本初の宰相(松本清張の『史観宰相論』より)
のことがよくかわかる小説であった
江藤と大久保は似た気質であるという
司馬さんの文章にこうある
「人間の才能は、大別すればつくる才能と処理する才能のふたつにわけられるにちがいない。」
明治期、このつくる才能に恵まれたふたり
他の維新の面々が封建制を倒したのはいいが
日本国創造の抱負も実際の構想も持たなかった時
ふたりは才能を発揮し、がちんこしたのである
江藤新平には政治力がなく、うかつな性格、うぶな一面
大久保利通には冷たいまでの狡猾な理知があったという
こういうスタンスで紆余曲折の最後
大久保利通は江藤新平を「さらし首」という江戸時代に戻ったような刑にする
この『歳月』の結末を読んで大久保利通ってやな奴!どんな奴
と、わたしの好きな松本清張さんの『史観宰相論』をひもといてみた
清張さんの史観は
なんといっても「明治期を通じての大宰相であり大政治家だった。」
良くも悪くも日本の官僚制度をつくった張本人でもある
と認めている人物なのである(あたりまえである)
日本がたどってきた道を小説なり随筆で観るのはおもしろい
功罪あいなかば、好悪、結論は出ないのである -
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【感想】
ついに倒幕の大きな推進力となる薩長同盟を実現させるに至った坂本竜馬。
坂本竜馬ひとりの力で功が成ったとはさすがに言い過ぎだが、やはり坂本竜馬なしでは同盟の締結なんて無理だったんだろうな~
温故知新というか、功を焦らず機が熟すまでじっくりと待つことの大切さ。
あと、それぞれが持つ背景をきちんと捉えた上で、「理」だけでなく各々の「情」も汲んで事を進める点は、現在にも通じる交渉術だなぁと思いました。
面白い本ではありますが、前巻同様で、おりょうとのラブストーリーの箇所が要らないなと個人的には思います(笑)
【あらすじ】
幕府を倒すには薩摩と長州が力を合せれば可能であろう。
しかし互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。
奇蹟を、一人の浪人が現出した。
竜馬の決死の奔走によって、慶応二年一月、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟は成った。
維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。
【メモ】
竜馬がゆく 6
p28★★
西郷は沈黙した。竜馬が意外な情報通であることに驚いている。
竜馬の特技といっていい。この若者は、物怖じもせずひとの家の客間に入り込む名人と言ってよかった。
相手もまた、この若者に惹かれた。惹かれて、なんとかこの若者を育てたいと思い、知っている限りの事を話そうという衝動に駆られた。
竜馬には、それをさせる独特の愛嬌があった。
どんな無口な男でも、坂本竜馬という訪客の前では情熱的な雄弁家になる。
竜馬は、異常な取材能力を持っており、それゆえに自然と抜群の国際外交通であった。
p40
竜馬の理想は、幕府を倒すということでは西郷と一致している。次の政体は天皇を中心にするというところでも一致している。
しかし西郷の革命像は、天皇を中心とした諸藩主の合議制であり、その下には士農工商という階級がつく。
その点、竜馬は違っている。
一切の階級を雲散霧消させることであった。
大名も、公卿も、武士も、一切の日本人を平等にするということであった。
竜馬はにこにこ笑って言わない。言えば西郷に危険視される事を知っている。
事実、西郷は明治になってから武士の廃止に反対する薩摩士族団にかつぎあげられて明治10年に西南戦争を引き起こした。
p116
「よく考えてみれば、この下関で西郷がきて君と握手し、いきなり薩長連合をとげる、というのははじめから無理さ。その無理を承知でサイコロをふったわけだが、思うような目が出なかった。
世のことは偶然を期待してはいかん。桂君、君もそうやたらと腹を立てないほうがいい」
薩長連合ひとつにしても、主義をもって手を握らせるのではなく、実利をもって握手させる。
ひどく現実的な回天の方式なのである。
「思想さえ高ければ、商人の真似をしても構わない。むしろ地球を動かしているのは、思想ではなくて経済だ」
p214
藤堂は近ごろ思想的に動揺していた。
近藤・土方とともに新撰組を結成した結党以来の古参であるが、池田屋の変以来、新撰組が攘夷結社の性格を失い、純然たる幕府の走狗に成り果ててしまったことに激しい不満を感じている。
また、新撰組幹部は近藤勇、土方歳三をはじめ、武州多摩地方の天然理心流の出身であり、創立以来の同志とはいえどこか近藤らは自分に他人行儀である。
藤堂はすでに隊に新加入してきた千葉門の先輩らと共に脱退を決意していた。
p219
・藤堂について
「人の運命はわかりませんな」
「それは違う。人の運命は、九割は自分の不明による罪だ。何にせよ、藤堂平助などは、今となっては道を引き返すわけにはゆくまい」
p239
桂というひとは、維新後になってからもこの粘っこい拗ね者の性格が直らなかった。
革命家らしい理想家肌をもっていたため、維新後も自分の手でつくった政府に飽き足らず、絶望と不平と不満を蔵しつつ人に接し、ついにはその門を訪ねる人も少なくなった。
p245
・薩長連合
当時、薩長連合というのは、竜馬の独創的構想ではなく、すでに志士達のあいだで常識となっていた。
「薩摩と長州が手を握れば幕府は倒れる」というのは誰しもが思った着想である。
しかし所詮は机上の論で、冷戦時の「米国とソ連が握手すれば世界平和は今日にでも成る」という議論とやや似ている。
竜馬という若者は、その難事を最終的には一人で担当した。
すでに薩長は歩み寄っている。あとは感情の処理だけである。
p417★★★
長州人は、たった五百人の兵で上陸している。奇兵隊が主力だから、元々の武士ではない。町人、百姓の子弟である。
それが半洋式化された小倉藩の武士団を押しまくっているのだ。逃げるのは、大名の家柄を誇ってきた小倉小笠原家の藩士である。
「長州が勝っちょりますな」
「いや、長州が勝っちょるのじゃない。町人と百姓が侍に勝っちょるんじゃ」
たった今、竜馬の眼前で、平民が、長いあいだ支配階級であった武士を追い散らしているのてまある。
「天皇のもと万民一階級」
というのが竜馬の革命理念であった。
平等と自由。言葉こそ知らなかったが、竜馬はその概念を強烈にもっていた。
「あれが、俺の新しい日本の姿だ」
竜馬は自分の理想を、実物をもってみなに教えた。
竜馬の社中が掲げる理想が、単なる空想ではない証拠を眼前の風景は証拠だてつつある。 -
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徳川家康の悪役扱いは皆様も書かれている通りです。
ただ、落城後の家康の描写には考えさせられるところがありました。数百年の太平のために徳川家康という人間を守り、表現しなければならなかったのか、という感想を抱きました。
また、豊臣家の自害を迫るシーン、あれは徳川のせめてもの温情なのでしょうか。それとも武士たちの憐憫の想いからでしょうか。何よりあの豊臣家を憐んでいたのは著者ではないかなと思います。
各陣営の心境にここまで丁寧な描写があるのはさすが司馬遼太郎氏です。本多忠朝や松平忠直の逸話もしっかり加えており、昔の大河ドラマで言われていた毛利勝永陣営の暴発についても丁寧に記述されていました。ただ、彼特有の余談、も多くありましたが・・・。 -
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文庫本での最初の二巻は斎藤道三が主人公だったが、この第三巻の前半では主人公は織田信長に移る。斎藤道三はむしろのし上がってきた悲劇の老体となる。斎藤道三と比べて、織田信長は最初からお城の若様として生まれたので、一からの立身出世ではなないので、道三編とはまた違った物語の進み方になる。そして後半の主人公は明智光秀に移り、この実力を持った武将が何を考えて戦国の世で活躍してゆこうとしているのかが描かれる。今まで明智光秀は、最後の織田信長を裏切るところばかりしか知らなかったから、こうして織田信長に使える前の様子を知ることで、本能寺の変も違ったように見ることができそうに思う。
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ネタバレ堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。
「学問は、したくてするものです。学問であれ遊芸であれ、人間の諸道は、たれのためにするというものではない。自己のためでもない。ただせざらんと欲してもしてしまうという衝動が間断なくおこるという生れつきの者がついに生涯学問をやりつづけてゆくということであり、それ以外になんの理屈もつけられませぬ。…」 -
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ネタバレ作者が乃木希典を題材にここまでの長編を書くからには興味をそそる要素があったからであって、それはやはり明治天皇の後追い自死があったからであり、しかも妻も含めてとなるとその人間性を詳しく探求したくなったのでしょう。
第一部は「坂の上の雲」でも詳細に描かれた旅順攻略を中心とした、司令官として害をなすほどの極まる無能さで、作者も憤りを隠さず描いており、読み手にもその悪手に憤りを感じる。犠牲になった当時の兵員達のことを思うと悲痛です。
第二部は割腹自殺にいたる動機を作者の想像を交えて描かれる。昭和初期の人物、山鹿素行を崇拝し、その図書「中朝事実」を将来の昭和天皇に強要するほどの熱の入れよう、それはやはり異常に偏った考えであり、儒教に傾倒した極めて純粋な、軍人としては最悪の志向の主となった故、という掘り下げに納得感がある。
終盤の切腹シーンは妻、静子の心理も含めとても詳細に語られているが、とても尋常ではなく、心を揺り動かされる。その自殺を世界は驚嘆とともに評価されていることも驚きで、アメリカ軍での模範とされているのもある意味アブナイ話ではある。
自死の朝の写真の不可解さにも一層興味をそそられる。