司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ堪えることの意味や内容、あるいは理屈などはない。元来、人間の行為や行動に、どれほどの意味や内容、あるいは理屈が求められるであろう。なぜ親に孝であり、なぜ君に忠であるのか、と問われたところで、事々しい内容などはない。うつくしい丹塗りの椀の中に、水を満たそうと飯を盛ろうと、また空でそこに置こうと、丹塗りの椀の美しさにはかわりがないのである。孝や忠は丹塗りの椀であり、内容ではない。蔵六は堪えしのぶことによって、自分のなかに丹塗りの椀をつくりあげている。丹塗りの椀の意味などは考えておらず、ただ自分は丹塗りの椀でありたいとおもっているだけである。
「学問は、したくてするものです。学問であれ遊芸であれ、人間の諸道は、たれのためにするというものではない。自己のためでもない。ただせざらんと欲してもしてしまうという衝動が間断なくおこるという生れつきの者がついに生涯学問をやりつづけてゆくということであり、それ以外になんの理屈もつけられませぬ。…」 -
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ネタバレ作者が乃木希典を題材にここまでの長編を書くからには興味をそそる要素があったからであって、それはやはり明治天皇の後追い自死があったからであり、しかも妻も含めてとなるとその人間性を詳しく探求したくなったのでしょう。
第一部は「坂の上の雲」でも詳細に描かれた旅順攻略を中心とした、司令官として害をなすほどの極まる無能さで、作者も憤りを隠さず描いており、読み手にもその悪手に憤りを感じる。犠牲になった当時の兵員達のことを思うと悲痛です。
第二部は割腹自殺にいたる動機を作者の想像を交えて描かれる。昭和初期の人物、山鹿素行を崇拝し、その図書「中朝事実」を将来の昭和天皇に強要するほどの熱の入れよう、それはやはり異常に偏った考えであり、儒教に傾倒した極めて純粋な、軍人としては最悪の志向の主となった故、という掘り下げに納得感がある。
終盤の切腹シーンは妻、静子の心理も含めとても詳細に語られているが、とても尋常ではなく、心を揺り動かされる。その自殺を世界は驚嘆とともに評価されていることも驚きで、アメリカ軍での模範とされているのもある意味アブナイ話ではある。
自死の朝の写真の不可解さにも一層興味をそそられる。 -
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「内助の功」ってコウなのか?
10年ほど前に大河ドラマで放送されていたのを初めて知った。やはりNHKは豪華キャストで、顔ぶれをしみじみ見てしまった。
安土城に行ったこともあってこの本を読んでみることにした。
ぼろを着てやせ馬に乗った一豊のところに千代という美しい嫁が来た。
父が討ち死にしたので叔母の元で育ったが、可愛がられて、叔父が持参金として大金の10両をくれた。
これも千代の人徳か。
鏡の裏に隠していたのは有名な話。
千代は純朴な一豊に功名を立て、出世して一国一条の主になることを約束させた。目端の利く千代はそれとなく信長に仕官することを勧め、そこで秀吉に目をかけられるようになる。
合戦で手柄を立て次第に家禄も増えてくる、不相応に家臣を雇ったので生活は苦しかったが、千代はそれとなく誉め、自信を持たせる。一豊も千代にのせられているように思うが、何事もそつなくこなす千代を信頼している。
二人の郎党、五藤吉兵衛と祖父江新右衛門の働きも、一豊の人柄を認めて親身になっている。時に導き、助けていく。
伊賀者の忍者が住み着くところなども面白い。
安土城を築城することになり、そこで「馬ぞろえ」をすると言う。一豊の老馬はいかにも情けない、千代は鏡の裏からヘソクリを出して、馬市で家臣が手を出せない名馬を買う。一豊は信長の前で大いに面目を施し、評判が上がる。
一巻はここまで。
愉快な話だった、戦国大名の駆け引きや戦いで滅びた名将の話ではなく、実際に土佐四十二万石の主になっていく功名話は面白い。もちろん内助の功が今でも伝えられる千代の優しいほのめかしや、励ましが、こううまくいくというのは並みの人ではないようで。
我が家の割れ鍋にとじ蓋夫婦とはまた一味も二味も違う。戦うサラリ-マンを夫にしてもなかなかこうは真似出来ない。
千代は戦場にいる秀吉にまでこまごまといたわりの手紙を書いている。
千代を信じて奮起する一豊も頼もしい。良妻賢母の鑑といわれるが、司馬さんは、今に残る遺品や、歴史の背景など挟みながら、講談のような言葉使いで書いていく。
愉快な展開も気持ちよく、読みは速い。
四巻ある、続きはまた読もう。 -
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10日ほど前、インフルエンザに罹患。もともと、4歳の娘がインフルでした。一方こっちは風邪が酷かった。保育所に復帰する為の治癒証明を貰いに行った小児科で、「一応自分も」と、検査したところ、陽性。(ちなみにその小児科は、人に薦められて行きつけにしているのですが、大変に優秀で親切です。堪らず大人も行きつけにしてしまっているくらい。東横線横浜よりゾーンの方は是非お薦め)
早期発見のおかげか、あまり高熱が出ず、暢気な療養でした。インフル休暇のお陰で、「しばらくは仕事が慌ただしくないのでゆっくり読書もできるな」、と色々考え「カラマーゾフの兄弟」の再読を年末年始の楽しみにすることに。長らく買ったまま手を触れていなかった、光文社古典新訳文庫の亀山訳です。
亀山訳は「罪と罰」の再読で経験済み。嫌いでは無かったです。30年くらい以前に新潮文庫版を読みました。
かなりわくわくしつつ、まずはインフル休暇初日に準備運動として亀山さんの「100分de名著 カラマーゾフの兄弟」を購入し半分くらい読みました。「後半は、カラマーゾフを読み終えてから、読む方が楽しめそう」と、半ばで中断。本丸に入ろうと思ったのですが、ふと。
「司馬遼太郎の”ロシアについて”を買ったまま放置していたな」と思い出し。19世紀ロシア世界にどっぷり遊びに行こうとしている今よりも、良いタイミングは無いのでは。
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「ロシアについて 北方の原形」司馬遼太郎。文春文庫。恐らく1986~7年くらい、あるいはもう一寸以前に、文藝春秋に連載されたものです。
つまり、もう35年くらい前の文章です。
でも、古びないですね。
1985前後のソ連について言及されている部分もありますが、基本は「坂の上の雲」「菜の花の沖」を書きながら、ロシアについて考えたことをまとめておきたい、という意志から書かれたそうなので、目先の政治現象についてではなく、歴史を遡りながらロシアについて考えた、という一冊。
司馬遼太郎さんと言えば「日本史」なんですが、ここ何年か、司馬遼太郎さんが「日本以外の国」について書いたものが、面白くてたまりません。個人的に世界史というのが日本史よりも隔靴掻痒なんですが、司馬さんが解説してくれる世界史は、冷たい肉に忽然と熱い血が流れ迸る如く分かりやすく面白い。
この本は、「ロシアについて」なんですが、実は半ばは「モンゴル草原の騎馬民族だとか匈奴だとか呼ばれる人々について」だったりもします。そして、後半から終盤は、ロシアに対して、日本がどういう顔をしてきたか、という、「ポスト日露戦争の、日本の歩み」という色合いもあります。ちょっと、奇妙な本です。
ただ、ロシアが持っていた特異性、農奴制と日本の封建制の異質さだとか、シベリアという特殊領域の性質が、これでもかと分かりやすく語られ、それはとっても面白かった。つまり、黒貂の毛皮をパリの人が買わなければ、ロシアのシベリア進出は無かった。風が吹けば桶屋が儲かります。
至極簡単に言うと、シベリアでは毛皮が取れる。取った毛皮はパリを筆頭に西欧文明先進国で、高く売れる。ほぼ国策として、その利を求めてシベリアに進む。ところがシベリアでは、人を養いうる農作物つまり食べ物が栽培できない。食べ物が足らない。毛皮で外貨を稼ぐために、毛皮を採取する人々を送り込む。そしてその人々の食料をひたすらに送り込まなくてはいけない。
その「面倒くささ」が、歴史を動かします。
日本の鎖国の扉をロシアがたたいたのは、「ここで、シベリア用の食料を買えるのでは。あわよくば毛皮も売りさばけるのでは」という欲望。
これ、実はアメリカ(ペリー提督)もほぼ同じなんですね。
当時は鯨の脂っていうのが、ランプなどの照明に大変必要だったそうなんです。アメリカの人々は大いに捕鯨していました。捕鯨船の太平洋での補給基地が欲しかった。そのために、業界団体が、首都ワシントンで政治工作して、政府を動かした。それくらい、捕鯨業界は強く、お金があったんですね。
動かされた政府は、ペリー提督を派遣した。と、いう筋書き。
(話は逸れますがそういう過去を持つ人々が、「鯨を捕って食べるなんて、なんて野蛮なんだ」って言っていたりするんですね。おかしい、と思わない方が不思議)
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司馬さんは、北方領土の問題にも触れています。
さすがのリアリズムと客観性。
要するに、「北方領土は日本の領土である」と主張は大いに続けるべきである、と。だけど、実際問題、「そうかそうか、返します」となるわけが無い。そうなるわけはないけど、主張は続けた方が良い。
ただ、国際政治と領土問題のリアリズムで言うと、返還を実際的に求めても、意味が無いんです。だから、北方領土の問題を、国内のナショナリズムを煽ることに使うのは、絶対に良くないよ、と。
「それはそれ、これはこれ」で、北方領土問題で、対外的な経済や親睦に水を差しては、元も子もない訳です。
これは確かに、世界の領土問題の歴史を見るにつけ、そうなんだろうな、と思います。
さて、いよいよ、カラマーゾフ。