司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ今回は大久保利通さんは、まったく出て来ず。
明治10年2月の西南戦争の状況が描かれていました。
つまり、青竹1本で落とせると思っていた熊本城を攻めて、高瀬で3回官軍と戦って「あれ?なんだか思っていたよりも苦戦じゃん!味方増えないじゃん!」って薩軍が思うところまで。
今のところ、官軍側で飛びぬけてダメダメなのが、乃木希典さん。
長州ってだけで地位を得た人で、やっぱり愚鈍でリーダーには向かない人物として描かれていました。
この巻の乃木さんは、若いとはいえ、命令されたことしかできない視野狭窄人間で、失敗すると後始末よりも前にすぐに死んでおわびをしようとする使えない困ったタイプね。
巻末に熊本の詳細な地形図がありました。
最後まで気がつかなかった!
最初からこれを見ながら読んでいくと話がわかりやすいよ。
しかし、西郷軍も無計画極まりないし、官軍は農民さんたちを鎮台兵として徴兵して、費用も結局は人民に全部押し付けだわで、苦しめているだけ。
今の財政界が明治政府の系統を汲んでいるから間違った歴史観をお役所に植え付けられているけれど、そもそも明治維新は成功していないよねぇ…。
明治維新後に構築され、内部分裂し、暴走した薩長土肥メンバーによる昭和の大きな敗戦を経て、後に戦勝国が敷いたレールを今は走っているだけなわけで…。 -
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ネタバレ幕末を舞台に暗殺者たちが主人公の物語を集めた短編集。
もちろん小説ではあるのだが、こんなにも暗殺者のエピソードがあるのは驚き。
井伊しかり、龍馬しかり、大久保しかり、幕末の動乱の側には必ず暗殺者が付いて回ることを実感させられる。
筆者は暗殺が人のかざかみにもおけぬほど嫌いと言っているが、だからこそ暗殺者たちのことを良く理解し明らめ描いたのだろうか。
倒幕派、佐幕派、どちらにもそれぞれの言い分、正義がありそれを信じて動いた結果が暗殺という形に現れた訳で仕方のない必要悪とも言えるのかもしれない。
大河のような表舞台の歴史エンターテインメントだけでなく、このような歴史の裏の顔もまた面白いものだ。 -
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ネタバレいよいよ物語は明治10年。
西南戦争の年に入りました。
西郷隆盛さんの暗殺を指示されたと思われる薩摩出身の政府方密偵が複数鹿児島に現れたことや、白中に運搬することを決められている火薬を太政官政府が夜間にこっそりと鹿児島から運び去ったことを引き金に、私学校の一部の後先を考えないタイプが政府の火薬庫を襲撃。
ついに西郷さんも動かざるを得なくなってしまいました。
薩摩藩士はお隣の熊本と違って議論をする文化があまりなく、とにかく勢いのあるヤツ、何かあったら命を顧みずに討って出るタイプが好まれる傾向があったそうだけど、それが結果的には知識のない感情優先タイプを量産したってところがあったように思う。
明治維新以後、特に西郷さんが征韓論で下野して以降は、多少物事を客観的に見るころができて、大局を論じられるタイプが中央に残り、薩摩には視野狭窄の田舎者タイプの感情組しかいなかったような感じ。
そういった周囲のメンバーに恵まれなかった西郷さんが、最後はそういったヤンキー軍団に持ち上げられ、説得することも逃げることもできずに、その身を差し出したってのが西南戦争だったのかな~って思いました。
西郷隆盛さんが主人公のように見えて、けっこう大久保利通さんアゲの物語っぽい気がしてきたぞ(笑) -
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愚直で正直者の伊右衛門が軍議での功を讃えられ土佐一国を食む。運もあるがやはり千代の存在が大きい。残念ながら24万石はその器量には大きすぎたらしく、種崎浜の悲劇となる。史実は少し違うようだが、この逸話で物語全体の印象か大きく変わります。千代が察知して悲劇を未然に防いてくれると願いつつ、はらはらしながら読み進めました。その後何事も無かったように“あとがき”は進みますが、これを境に一豊と千代の確執が深まったことでしょうね。
今回も戦国武将の逸話が散りばめられ濃密て読み応えがありました。知的好奇心を存分に満たしてくれる作者の作品を貪り読みたくなる衝動に駆られます。 -
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著者が大阪外国語大学の蒙古語学部出身というのは有名な話だが、本書は1992年刊行だから著者にとって最晩年の作品と言える。司馬さんはなぜ、数々の日本の歴史小説を書き終えた末に、遊牧民の文化を切り取る紀行文に取り掛かったのか……?
その意図を正確に知ることはできないが、刊行された90年代初頭はちょうど世界中で社会主義政権が求心力を失い、西側のライフスタイルが世界中に広がっていこうとしていた時代。そこで司馬さんは、そこから失われていくであろう「人間の美徳」を、かつて猛威をふるいながらも時代に消えていった遊牧民の歴史を振り返ることで、私たちに示したかったのではないか。
寡欲であること、モノに執着しすぎないこと、自分が生活するために必要な物事を知っている、足るを知ること。ひとときメディアをにぎわせた「ミニマリズム」とは決して「文明の到達点」などではなくて、太古の草原に既に存在していたということを。
草原に暮らす民に無意識に宿る生活哲学、そして生きるために発達した強じんな身体性は、世界で他に類を見ないような独特の文化に昇華されているようにも見える。そんな彼らを隅へと追いやる私たちの文明を、いったい歴史はどう評価するのだろうか。
「チンギス・ハーンの後継者にオゴタイがなった。オゴタイは「財宝がなんであろう。金銭がなんでえあろう。この世にあるものはすべて過ぎゆく」と、韻を踏んでいった。この世はすべて空(くう)だという。
この当時、モンゴルにはまだ仏教が入っていなかったから、この言葉はモンゴルにおける固有思想から出ているといっていい。この草原には、古代以来、透明な厭世思想がある。
オゴタイは続ける。「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である。栄華も財宝も城郭もすべてはまぼろしである。重要なのは記憶である」。オゴタイにすれば、自分がどんな人間であったかを後世に記憶させたい。それだけだという。
オゴタイ・ハーンほど、モンゴル的な人物はすくなかった。かれの寡欲に至っては、平均的モンゴル人の肖像を見るようである。むろん、寡欲はどの民族にとっても美徳である。しかしながら、世界史の近代は物欲の肯定から出発したため、やがてモンゴル近代史にとって、この美質は負に働いてゆく。
つまり、物欲がすくないために家内工業もおこらず、資本の蓄積も行われない。結局はそれらを基盤とした「近代」がこの草原には生まれにくかった」 -
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上巻で主役となっていた庄助が、この下巻では歴史の一点景の様に後方に退き、恰も歴史そのものが主人公の様相を呈する。
著者の巧まざる手練手管に、歴史は華々しく躍動し、読者はその渦の中に放り込まれ、時代の空気を共に呼吸するかのよう。
教科書などでは、元―明―清と中国史を教わるが、実際は明と清との間に「順」という王朝が「三日天下」のように存在したことを、この作品で知った。
さらに、順王朝の崩壊には、明の武将の帰趨がキーポイントとなり、その動機が女だったとは。
歴史の「おかしみ」に思いを新たにしたこともこの作品の効用?
それにしても、このころの中国民族(漢人、女真人など)の何と美しく、なごやかなものだったことか(著者特有の小説上の美化かもしれないが)。
そして、現代の中国・中国人に目を転じるに、その頑迷固陋さ、礼節の衰退に今昔の感が一層強まる。民族に成長・進歩という概念があるとすれば、どう表現しよう。
あるいは、これも毛沢東の功罪の一方、罪の一典型かもしれない。 -
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竜馬小説の傑作
坂本竜馬の物語として、これほどの傑作小説はないであろう。幕末時代に竜馬のような異端者がいなければ、今の日本の形は大きく様変わりしていたかもしれない。一人の男としてこれだけの働きをやってのけただけの活力や行動力は常々見習いたい。
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船乗り高田屋嘉兵衛が幼少の頃から話は始まる。当時の船事情、江戸の文化を細かく描写、成長・成功していく主人公を追うのは楽しい。途中、4巻、5巻では「 高田屋嘉兵衛」が殆ど出てこなくなり、ロシア事情、当時の日本との交流が書かれる。そして最終巻でゴローニンの話。結局著者は「ゴローニン事件」を扱いたかったのだなと分かる。
他の作品より物語性が弱く、その代わり時代背景・文化事情が多く語られている点では違いを感じる。(私も物語らない4巻、巻は読むのが辛かった)
一代で繁栄を築いた男の強さを感じる。
【学】
要するに生産性の面での江戸の能力の低さが菱垣廻船を発達させた。江戸初期から中期にかけて菱垣廻船の繁栄は100年続き、中期に樽廻船現れ、菱垣廻船の栄を奪った
清酒も豊臣期の末か江戸初期に伊丹付近で発明されたと言う。それまでは、酒と言えばどぶろくであった。
戦国期は兵農未分離で農民が武器を持てば士であり、裕福な農民は郎党を率いる騎乗の士になったし、抜きん出れば侍大将にもなれた。豊臣期の刀狩りよって農兵は分離され、江戸期にはそれが身分として固定された
函館の起源を喜兵衛と考える人もいる
能登半島昔の船乗りにしては、夜は恐怖という感覚は、言われてみればそうだが、なるほど&ビックリ!