国盗と言う位置ゲームに現れた果心居士と言う歴史上の人物に関心を持ち、確か司馬遼太郎さんが書いていたと思い出し本屋で探しました。異色作を集めた短編集です。
果心居士の幻術、飛び加藤は、何も超能力を持つ忍者、または婆羅門の幻術士。前者は秀吉(和州大峰山の修験者 玄嵬)に、後者は武田信玄に殺される。
壬生狂言の夜は、新選組隊士、柔術師範頭松原忠司の心中の物語。惚れた女の亭主を暗殺し、助ける風情でその女を我が物とする。女もそれを察しながらその外道の愛を入れる。凡そ人の道の外にその心中が成る。
八咫烏は人の名前である。大和朝廷成立前、海族(わだつみ)と出雲族の混血児が、その二つの種族(歴史の流れ)の葛藤と統一に立ち会う瞬間を描いている。初めての混血故に、どちらの社会にも属せず、その埒外から人間を俯瞰する。
朱盗は藤原広嗣の太宰府におけるクーデター未遂と、異形の人間、穴蛙の出会い。百済の移民の子孫で太宰府郊外に住み、親子三代の事業として貴人墳墓の朱の盗掘の為に生きている。個人は消滅し種族の生命を生き、結果、穴蛙は人の歴史の埒外に呼吸している。
牛黄加持は若き法師義朗を主人公とする。醍醐理性院の賢覚僧都のもと真言密教の法義を学ぶ。俗世の外に生きる努力と、その為故の人の俗性の強調をそこに見る。
山崎正和氏の君子が怪力乱神を語るときー と言う解説に全作品をつなげて腑に落ちる見方を学ぶ。(それ程うがってつなげる必要もないが。)
全て人としての歴史の時間の、外に生きるしか無かったもの、その業により出てしまったもの、出自により出されてしまったもの、その中を知らないもの、出る為にあがいているもの。
司馬遼太郎氏自身が歴史、完結している人生を俯瞰する所行を続けるが故に、時に自身を歴史の部外者と感じぜずにいられなくなる、その辛さが耐え難く嵩じた時に、歴史の支配する世界の外へと失踪する。失踪せざるを得なく成る。その隠れ家としての歴史の外に生きた異形異能の人々の修羅場。
以前から常々思うこと。司馬遼太郎さんはスケベであると。人間のその本能と業はとても深いものであるという事?それを認めているということ?不思議な横の感想です。