司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ架空の人斬りを主人公に、その他の登場人物や事件などは史実に基づいた、幕末の長州を高杉晋作と共に描く歴史ロマン。
架空の天堂と実在の高杉をを駒のように配置して当時の長州の背景を邂逅していく様は、事実と創作をうまく混ぜ合っていて司馬らしくて面白い。
最後まで架空とは思えず、実在したのではと思わされる主人公の描き方も自然すぎる。
思わず試しに調べてしまったくらい。
司馬が描く人斬りは初めてだったので新鮮だったと同時に、長州には代表的な人斬りがいなかったというのは驚き。
大河「花神」に登場していたらしい。
できれば「世に棲む日日」と併せて読みたい作品。 -
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大阪で五年暮らしたおかげで、司馬遼太郎さんという小説家さんは、
「大阪人なんだよなあ。いちども東京に住んだことないんだよねえ」
という、当たり前の視点を持てるようになりました。
司馬遼太郎さん、というある意味、巨大な思想家とまで言える娯楽小説家を愉しむ上では、美味しい経験。大阪人なんですよねえ。
秀吉、豊臣、好きなんですよね。太閤さん。
そして、その反対に、大嫌いなんですねえ…家康。微笑ましいほどに…。
1964年~1966年に週刊誌連載された司馬遼太郎さんの歴史小説です。
大昔、うーん、多分30年くらい前に読みました。今回ご縁があって再読。まずは上巻。
「豊臣秀吉が死ぬ直前から、関ヶ原の戦いまで」
という時間帯を、石田三成と徳川家康、対立するふたりを中心にかなり群像劇的に描いた小説です。
いつも通り、時折作者司馬さんがエッセイ風に顔を出しながらも、1590年代の大坂伏見を歩くジャーナリストの報告を聞くかのような臨場感…。と、騙されて楽しんでいると、ぐぐぐっと大俯瞰に、歴史の、日本の姿までさらっと考察しちゃう。
そんなぶん回され方に酔いしれる、読書の快楽。
上巻は、秀吉の死の直前から始まる。
徳川家康が、秀吉の衰弱と死を見越して、虎視眈々と天下の実権を狙っている。
それを感じていても、衰弱した秀吉は、自分の一子、まだ幼児の秀頼を立てるよう、もはや祈るように頼むしかない。
秀吉の優秀な官僚であり、秀吉に拾われ、無から大名になった石田三成は、家康が憎くてたまらない。
しかし、家康は圧倒的に実績も家柄も武将としての能力も名声も、そして策謀でも世論操作でも上手。
そして秀吉が死ぬ。
家康はどんどん権力を増し、横暴を尽くす。
それは挑発である。石田三成をして怒らせ、家康に対して兵を起こさせる。
そこで合戦に持ち込んで、戦場で勝利して、そのままその勢いで幼児・秀頼から権力を奪ってしまう。
そういう青写真を描く。
それは罠。罠なんだけど、三成もまた、合戦に持ち込んで家康を倒す以外に、秀頼=豊臣家=自分自身の正義感の、立つ瀬が無い。
家康が世論を操作する。
陰謀を重ね、無いところに謀反があるように噂を起こす。
そして、自衛、復讐、正当防衛という美名のもとに、武装して強権を作っていく…
もともと、人当りにカドがある三成は、家康の策謀にはまり、首都大阪の行政官を追われ、挙兵の意を秘めて自領・佐和山へ落ちていく…。
という流れ。
実はこれ、司馬さんの嫌悪する昭和陸軍、関東軍が日本全体を戦争に引きずり込んだ陰謀に似ているんですよね。
(そしてまた…何やら2015年の日本の政治にも…?)
閑話休題それはさておき。
この小説が、強烈に悪役・家康の強大さを描きます。
蟷螂の斧のような三成。
滑稽なまでの負け犬。
その負け犬の意気地を描きます。
なんというか…
「スター・ウォーズ エピソードⅠ~Ⅲ」のような。
あれも、実は結局、悪役パルパティーンが正義の騎士たちに、陰謀を重ねて勝利して天下を取るまでのオハナシなんですね。
壮大な、悪漢小説。ピカレスク・ロマン。
ただ…司馬さんには、とことん、家康への愛は無いですねえ。
家康が、あるいは徳川の子孫の人たちに気の毒なくらい(笑)。
確かに、陰湿だとは思います。
だって、天下取ったあと、秀吉の墓、「豊国神社」まで破壊しちゃうっていうのはねえ。すごいですねえ。
やっぱり、天下を
家康=江戸=現東京=役人(武士)の町、
に奪われた、
関西=大阪=秀吉の足元=商家の町、
としては、生理的に本能的に、ダメなんでしょうねえ。家康。
で、この小説が実はきわめてエンターテイメント。
言ってみれば、高倉健さんヤクザ映画パターンなんですね。
悪役の狡さ、強さ。
かなわぬまでも刃向う者たちの美学。
強烈に散るカタルシス。
なんだかんだ、散文的に、客観的に語っているようで、「関ヶ原」「城塞」という、
「作者が大嫌いな家康の勝利を描く作品」
は、どちらも家康を憎みストレスをためながら、最後に、その家康にあと一歩とせまりながら散っていく男たちの姿に酔いしれる興奮なんですね。
前回読んだ時、そんな印象を子供ながら持ちました。
今回、再読では、作者のそこに向かって行くエンターテイメントの手管に感心しながら、先が愉しみ。
上巻は、コトの発端から、高倉健映画的に言うと。
とにかく悪玉が強くて悪くて、善玉(とその仲間)が、徹底的にヤられ、嬲られ、耐えて苦しむ時間帯でした。
さあて、中巻はどう愉しませてもらえるか。
司馬さんのいつものパターン、
「序盤にお決まりのように架空の美女キャラが出てきて、主人公と恋仲及びエッチな場面を演じる」
という王道もご愛嬌。
(恐らく、週刊誌連載という形式上、ともあれツカミのための一つ覚えなんでしょうかね…(笑))
たいてい、こういった場合は中盤から終盤にかけて、燃えるごみを捨てちゃうみたいにそのキャラが忘れられてしまうんですけどね。
そんな破綻をものともせずに、力技で押しちゃうんですよね。司馬さん。 -
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高野山、上田などを訪れるご縁があったので、購読。
1971年から1996年まで長期連載された、司馬遼太郎さんの紀行エッセイ。その第9巻。
司馬さんだから、歴史のオハナシが当然多いです。
そうなんですが、今回読んでみて、思ったことは、2重の意味で歴史のオハナシである、ということ。
というのは、例えばこの巻で言うと、発表が1976年1月なんですね。
執筆は1975年でしょう。
2015年から考えると、40年前のことです。
だから、歴史の話題が多い紀行エッセイなんだけど、同時に、「1970年代の日本の地方についての、貴重な見聞録」でもある訳です。
内容は、
①新潟県に、水田稲作の姿を見て、農業中心の共同体を訪問。
②兵庫県の揖保川沿い。龍野など。
③高野山を訪問。
④長野県佐久平、上田など
という旅です。
当然、エッセイですから、基本は「とりとめもないオハナシ」なんですが、当然、司馬さんの感じ方が好きなヒトなら、それなりに面白いです。
ある種の文明批評であり、思想であるところ。
備忘録に何点かだけ記します。
①新潟の農村の、60年代を経た風景から、「日本の、土地の価格への執着、土地の利益使用への公的な制限の無さというのは、世界的に見て非常に珍しいこと」という話。
それが1975年時点での観察であるところも面白い。
対比的に、中国のことなどがちょっと出てきます。
すごいなあ、と思うのは。
1975年であれば、ある種の非自民党的な知識人の中では「共産党中国はスバラシイ」というのが、ある種常識、モードだったはずなんですね。
紐解けば、「2015年現在で考えると、非常に恥ずかしいというかミットモナイ」と思われるような、共産党中国礼賛の文章を、「え!この人が?!」という人が書いていたりします。
(まあ、情報が今に比べるとあまりに少なかったということと、公害やベトナムをはじめ、60年代のアメリカ資本主義的なぶん回しの横暴さが、21世紀の常識を超えていた、ということを踏まえて考える必要がありますが)
ところが、中国に造詣が深いはずの司馬さんの文章は、そこンとこ、やっぱり理性的だなあ、と思いました。
②日本の風景が変わったのは、応仁の乱前後(農業技術の改革)と、高度成長期だ、という話を思い出しました。
③ところが後年になると、変化を嘆いていた70年代は、まだまだ高度成長以前の風景が地方に行くと潤沢に残っていた。実は暮らし方考え方含めて、大変化が起こったのは80年代だ、という話もありますね。
④歴史話で、徳川家康が若い頃に三河の一向一揆で大いに苦労した、と言う話は実はあまり知らなかった。へーっと、思いました。やっぱり苦労してるんだなあ、家康さん。
⑤平安時代までの律令制度を「地方の農作物を京都の貴族が搾取するシステム」と。なるほど。バッサリ。
⑥兵庫県、播州龍野。童謡「赤とんぼ」。詩人、三木露風。なんだか童謡の風景が浮かぶような素敵な文章でした。男はつらいよシリーズでも、恐らく筆頭の名作「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」も、播州龍野が舞台だったなあ、と。2015年現在、どういう風景なんだろうなあ、と思いました。
⑦浄土宗と浄土真宗、法然のオハナシ。
⑧九度山は高野山の避寒地だった。
⑨高野聖という、スピンオフ的な庶民向けの宗教家。念仏聖へと変化。そもそも真言宗自体が仏教なのか?というオハナシ。
⑩性交を崇める、「立川流」という流派。後醍醐天皇などが熱中。一時大流行。
⑪長野で真田家話。「みんな源氏か平氏に系図を書き換え」という話が面白かった。渡来系がいなくなる。
⑫商業主義は良いのだけど、モラルが必要、と。マーロウみたいな司馬さん(笑)。 -
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得てして人は歴史上の人物を経営者に例えたがる傾向にある。はてこの伊勢新九郎、小笠原家、今川家とならぶ行儀作法の家元の伊勢家の傍流ではあるが出自は怪しくない。後の早雲庵伊勢宗瑞、そうこの北条早雲はどうであろうか。
応仁の乱の最前線で生き、戦国時代の幕を切って落とした男と言われる早雲の評価は、彼の当時における一国の統治方法の大胆な価値観の変革であろう。
現代の経営に置き換えるなら、『会社は人に有りき』と言えようか。社員に如何に社長である自分を信じてもらえるか、社長を信じてこそ社員は全力で仕事にぶつかる。そう、どこぞの経営方法論何ぞ読んで人心掌握した気分で偉ぶるより歴史上の人物を掘り下げた本を読んだ方が経営者にとってきっと為になると、俺は思うが。 -
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激動の時代に大いなる功績を残した人物の足跡を辿る。松本良順がそうした幕末小説のテンプレートに沿ったキャラクターとするならば、伊之助は独特の立ち位置に存在する男だ。目をみはる栄達をしたわけではないし、書き連ねられるのは、社交性に著しく欠けるため相手を苛立たせるというエピソードばかり。そんな伊之助も、歴史のうねりの中で、何がしかの役割を果たしている。作中で痛快なことを成し遂げるわけではないが、何だか自分の周りにももしかしたらいそうに思えて、伊之助のくだりになると少し和んだ気にさせられた。
司馬遼太郎も、書き進めるに従って伊之助に最も感情移入したのかもしれない。『国盗物語』で一番人間味を感じたのが、私にとっては道三でも信長でもなく明智光秀だったように、本書では戦と聞いただけで震えてしまう伊之助に最も親近感を覚えた。まあ実際、あんな人間が近くにいたら、手ごたえがなくて、始終イライラさせられるかもしれないけど…。 -
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ネタバレグダグダの台湾出兵。第二次大戦の軍部の暴走はこの時に倣っているようだ。歴史に学ばないとこうなるのだ。
台湾出兵は秀吉の頃とあまり変わらない海外遠征で、つくづく征韓論は時期尚早だったとわかる。
学校の教科書だと、台湾出兵なんて2行程度で、薩摩士族への申し訳程度の出兵だとしか書いてない。もちろん興味もわかない。こんなにもグダグダだったなんて、この本を読まなければ一生知ることはなかっただろう。サンクス。
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p28 佐賀の乱は大久保の餌食になった
江藤新平の起こした佐賀の乱は、政府の根幹を揺るがすどころか、却って政府の結束を強めることになった。この乱のために、臨時的に明治政府の権力が集中し、来る西南戦争へ予行演習になった。
p35 独裁官だな
佐賀の乱において、大久保は独裁のごとくになった。軍事統帥権のほか、行政権・司法権の一部を委任された。その結果、佐賀の乱の戦犯の裁判は大久保のために厳粛に行われ、明治新政府の独裁性が強まった。
p38 大久保の戦略
大久保は佐賀の乱に対して驚くほど迅速な対応をした。その結果、佐賀の乱を挑発して導くことができた。実質、大久保の掌の上で踊らされた形になった。
p53 庭役
西郷は斉彬のもとで、藩士としてではなく、庭役として雇われた。それは、当時の封建制のしきたりで藩士は格式ばった形でしか面と向かって話すことができなかったからである。庭役だからこそ自由に話し合いができ、斉彬の教育を受けられるというわけである。
当時の庭役は庭の手入れだけでなく、密偵などの役も仰せつかったある種特別な存在だった。
p68 実話
佐賀の乱で配送した江藤新平が西郷のもとに救援を求めにやってきた。しかし、西郷はこれを拒否する。
この密談は西郷が宿泊していた宿で行われたが、そこのおかみさんが長命で、当時の西郷の声を聴いている。
「わたしのいうようになさらぬと、当てが違いますよ。」と西郷が怒号をあげたらしい。西郷はあくまで反乱を起こす気はなかった。なのに勝手に佐賀では反乱を起こし、それが破れたら私を担ぎに来るなんて、当てが違うということである。
p102 私学校を作ったわけ
佐賀で沸き立っている壮士たちの怒気を抑えるために、収容所のようなものか?
p125 集成館
薩摩の最新式工場。当時すでに薩摩は小規模な産業国家を形成するだけの力があった。ガラス工場や反射炉による製鉄工場もあった。が、斉彬の死後、これらは廃止された。藩財政の圧迫ということだったが、斉彬ほどの人物がいなければ運営できない代物だった。
p130 兵農不分離
西郷は商業志向を嫌い、あくまで農業志向の国家観を持っていた。「武士は百姓になっても商人にはなるな」
武士の源流は平安時代の農民である。商業は武士の精神を失わせるという。
p138 ビスマルクの器
西郷曰く「西洋人と言っても何も違ったことはあるわけではありません。聞くところによると、ドイツのビスマルクなる者は豪傑で、何の技能もない男であると申します。」西郷は君子器ならずという。君子は道具ではない。道具のような技能はない方が良い。君子は偉大なる徳だけがあればいい。そういう意味でビスマルクを喩えている。
p140 小人は…
小人ほど才芸があって便利なものである。これは大いに用いなければいけない。しかし、長官に据えて重職を授ければ、必ず邦家を覆す。これは薩摩藩の斉彬の後継者争いで感じたことだろう。
p142 斉彬の家督騒動
斉彬は42歳まで藩主でなかったのは、父である斉興が家督を譲らなかったからである。それは斉興のブレーンであった調所笑左衛門の手回しによる。笑左衛門は茶坊主あがりで、藩財政の立て直しのため家老に大抜擢された男である。彼は大阪の借金凍結やサトウキビ貿易と中国密貿易など無理をして財政を立て直した有名な男である。
西郷に言わせれば、調所に家老という役職の褒美を与えたのがいけなかったという。褒美は物の褒美を与えればよかったのだ。
調所は財政力という技能を持っていたため、政治にそれを用いて失敗したという。調所は斉彬の開明的政策を財政ひっ迫になるとして強く反対した。それゆえ斉彬はなかなか藩主に慣れなかった。しかし、時勢を見れば斉彬が正しかったはずである。技能があると小手先に囚われ、対局が見れなくなる。そのため、政治には不向きなのである。
これが西郷の理論。斉彬が藩主になれなかった理由。
p156 沖永良部
おきのえらぶ島は西郷が二回目の島流しにあった場所。1862年に西郷は久光に「浪士を煽って武士社会の転覆を腹に含んでいる」という嫌疑で島流しにされた。
p171 空っぽの西郷、春日潜奄を訪ねる
大隈重信は西郷や板垣を馬鹿と思っていた。実際西郷は維新後の世の中で路頭に迷っていただろう。
西郷の新時代観は「堯舜のようなもの…」ていどのふわふわしたものだった。だから、勉強のために部下の村田新八を遣わした。
p173 横井小楠
この時代の新国家観の持ち主は、横井小楠、勝海舟、福沢諭吉、この程度だった。横井小楠は有名でないから調べたい。
p178 薩長の対比
長州は江戸時代から藩主を端に機関として扱い、君臨すれども統治せずを実施していた。
対して薩摩は、藩主がすべてを仕切っていた。「島津に暗君なし」といわれる奇跡の国家だった。
ゆえに西郷には天皇の存在がうまくつかめなかったようだ。
p191 西郷VS大久保 対立の原点
廃藩置県がその原点。大久保は廃藩置県を推奨したもののそれを決して表には出さないようにした。薩摩藩士でそれを唱えれば、殺されることは必至であった。木戸孝允ら長州人たちにこれを推進させ、島津久光の怒りはほとんど西郷にかぶってもらった。
このやり方から、二人の決別は始まった。
p222 台湾出兵
「薩摩の沸き立つ壮士たちが喜ぶであろう」という子供だましのために起こした対外戦争。
沖縄の漁船2隻が難破して台湾南部に漂着した。漂着者たちは高砂族に襲撃され66人中54人が虐殺され。残りの12人は中国の福州に逃れた。これに対する報復戦争である。
p224 尚氏は源氏、対馬氏は平氏
日本の武家らしく、源流を名乗っていた。
p229 鄭成功
鄭成功は日本の平戸藩の藩士の娘を母とする混血児で、明が清(ヌルハチら遊牧民族)に滅ぼされそうになった時に抵抗を続けた武将である。その対清の拠点としたのが台湾である。この当時の台湾はオランダの東インド会社に占拠されていた。鄭成功はゼーランディア城を奪取し、拠点を得た。
鄭氏の台湾は21年間続いたが、清の追討軍により破れ、清の植民地になった。
p233 グラント大統領はだめだった
アメリカ南北戦争の北軍の将軍グラントはアメリカ大統領になった。しかし、グラントは史上もっとも無能と言われるほどだった。
p243 客家
中国でも不思議な存在である客家。唐末の黄巣の乱の際に華北から南下した連中を祖先に持ち、そのうち全土に散った。常に反政府的気分を持っており、太平天国の乱なんかも彼らの仕業で、洪秀全なども客家だった。
p252 革命のエネルギー
革命のエネルギーは正義とか人権擁護とかキレイごとは並べていても、結局は殺意と反逆心のエネルギーでしかない。このエネルギーは革命が収束したら消えるというものではない。歴史ではしばしばそのエネルギーは外国に向けられる。
中国がいい例である。中国で国号が変わる革命が起きたのち、その強大な軍隊を解散させるわけにもいかず、北方遊牧民族などの外征や防衛などに用いられ、中央から遠ざけられることも多かった。ナポレオンの対外戦争もフランス革命のエネルギー発散だったということもできよう。
p254 台湾へぶつける
台湾出兵の理由。①出兵の兵を募れば、薩摩藩士の気も紛れるだろう ②台湾に出兵することで政府が外国に対して弱腰ではないということを示すため
結局、台湾はとばっちりを受けただけなのである。
p257 清ならまぁいっか
征韓論はダメで、征台論が良い理由。挑戦を打倒した後に出てくるのはロシアである。しかし台湾ならその後に出てくるのは清である。この時期、日本はロシア帝国に勝てる軍事力はない。しかし、清ならまだ何とかなるという希望があった。
p261 毛利元就から始まる長州の気質
元就は輔佐政治という家憲を残した。元就亡き後、輝元を支えるため、二人の叔父である吉川元春と小早川隆景が「毛利の両川」として本家を護るために補佐官に徹した。
この精神が長州藩の法人的国家観を生んだ。
p285 西郷の台湾出兵の反応
木戸孝允は「政府は征韓論を押した江藤新平を処した。それなのに、台湾出兵をするという。これは理に合わない。本来ならば、江藤をして台湾出兵の総大将にすべきである。」といって矛盾をついた。
しかし西郷は、「それはよろしい」と従道に言った。
p317 当時の明治政府軍の程度
台湾出兵と言っても猪狩りのようなものだった。日本の持つ銃器は火縄銃で、高砂族の者たちは日本軍が追えば山林に逃げ、それを追い落とす程度のものだった。
日本軍はマラリアでひどい被害を出し、それを含めれば日本人の方が被害が大きかった。
p319 台湾出兵の異常さ
台湾出兵は日本史上の珍事件と言える。兵三千以上の軍隊を国民に開示することなく、夜盗のようにこっそりと出兵するという近代国家にあるまじき一大事であった。そして、それは現代に至っても日本人に馴染むことのない不思議な事件である。
この台征に際する大久保の所業は詐欺まがいと言っていい。太政大臣の三条実美と岩倉具視の勅命だけで出兵の許可を得て、早々に西郷従道に出発させて既成事実として作戦を進行させた。ゴリ押しにもほどがある。
このやり方はのちの軍部のクセになる。このせいで昭和の大失敗が起きた。その起源とも言えそうである。
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この巻の中心は台湾出兵であるが、ここにも昭和の軍人の思考を絡めてくるところがさすが司馬遼太郎だ。
しかし、まだ4巻。半分いかない。スゴイ読みごたえを実感している。 -
Posted by ブクログ
…巨星、堕つ。1996年2月12日、十年間続いた『文藝春秋』の巻頭随筆「この国のかたち」は、筆者の死をもって未完のまま終わることになった。…
電車に乗って「さぁ最後の完だぞ!」と本書を手にとった瞬間に飛び込んできた文字列。裏表紙に記載されていた。とてもショックだった。司馬さんが亡くなられていたのは知っていたが、この本が絶筆になっていたとは…とても悲しくなった。呆然とした。なぜだか…
1996年2月といえばわたしが役人を辞めて一年ほどフラフラして退職金を使い果たしてやっと仕事を始めた頃であった。それから18年。全く何をやっていたのか?ただ、生きてきた。ずいぶん思い悩んだが、まぁそれでよかったのだろう。生命というのは生きることがその本質であろう。まちがいなく生きてきた。
言語についてとても興味深いことが書かれていた。話し言葉と文章の言葉とは違うのである。耳はバカだから。目はそういう訳にはいかない。目は厳しい。しゃべりは適当でもいいが、書いたらそうはいかない。もう少し書けるようになれたらいいな。
Mahalo