司馬遼太郎のレビュー一覧
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本巻ではいよいよ黒田官兵衛が織田信長を裏切った荒木村重の人質になってしまう。官兵衛の人生における痛々しい代表的シーンである。吉川英治作品とは異なり、有岡城へ到着するや否や、荒木村重に談判することなく牢に放り込まれる。このあたりの枝葉末節を他の作品やドラマと比べてみるのも面白い。大河ドラマではどう描かれるのだろうか。第3話で山賊に襲われる官兵衛を助けるというアングルを仕掛け、友好関係を築かせているため、後々の裏切りがかなりドラマチックになることは確実。
1年にわたる人質期間を経て、何か悟りを開いたような官兵衛。元々私利私欲には走らない策士という一風変わったキャラクターだったのだが、それに輪をかけたようである。自分を売った元主君の小寺藤兵衛や惨い仕打ちをした荒木村重に対して、その後攻めることなく何事もなかったかのように振る舞う…。凡人には理解しがたい境地である。
戦線復帰後は今まで通り秀吉の与力として東奔西走の官兵衛。一時的ではあるが、淡路島や四国にも赴き攻略活動を繰り広げる。そして最終巻である次巻はいよいよ本能寺の変が待っている。秀吉の名参謀がどう智恵を授けていくのか、楽しみである。
今回舞台として登場した有岡城、三木城などの城跡を訪ねてみたいな。春頃に青春18きっぷを使って。 -
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言うまでもなく、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の司馬遼太郎版。「世に棲む日々」に続く今年2作品目の長編。黒田官兵衛に関しては、大河ドラマを順調に観ているほか、「大河ドラマ・ストーリー」「黒田如水(吉川英治著)」、「新書太閤記(吉川英治著)」などを読んでいるため、流れはほぼ掴んでいる。あとは、司馬遼太郎氏なりの色付けを楽しむだけである。
本作品では、冒頭のかなりの部分を官兵衛の代よりも前の黒田家について説明がしてあり、家の成り立ちをしっかり理解出来た。その過程で、官兵衛の曽祖父高政が連歌の点者ではないかという想定で進めようとしていたところがユニークだった。根拠はまったくないにもかかわらず、近江から備前福岡までの移動について、旦那の館に泊まり、連歌の会を催し、行路も安全に次の土地へ進んだのに違いないという仮定をは半ば強引に打ち立てていく。
そして面白かったのが、足利義昭を奉じた細川藤孝に対して、たまたまそこに随行していた官兵衛が「織田どのがよろしかろう」と足利義昭の庇護先を提案するシーン。官兵衛はまだ信長に会ってもいないのである。これにより、後にそれが実現し、信長の天下取りの大きなきっかけになっていくのだ。官兵衛の先見の明を表すのにぴったりなアングルである。
以下はその他興味深かった点。
「人を罠にかけて殺す者は必ず似たような目にあう」ということを重隆はしきりに言い、人を憎むよりも憐れみをかける方がよほど身の安全になる、ということも絶えず言っていた。その重隆の性格や家訓がその後の黒田氏に重要な影響を与えることになる。
→因果応報ということである。この家訓が官兵衛を歴史に名を残しめたのだろう。
「頑健だからいいというものではない。おのれが脾弱であれば人の病弱をいたわることができ、また頑健な家来を大切にするという気持ちも出てくる。ゆらい、黒田氏の家系から頑健な者が出たことがない」
→幼少時代の官兵衛が父から言われた言葉。なるほど、物事はとらえようである。秋冬になるとかなり頻繁に風邪をひく私も脾弱なのかもしれず、ここ数年の悩みであったが、こう捉えれば良いのか。
信長は富士山に登ったようなものだという見方だろう。誰でも足腰さえ達者なら登れる。が、富士はその裾野を3カ国にまたがらせている。3カ国を平定してから登らねば、降りるにも降りられず、結局は下から槍で突き殺されるのが落ちだという。
→信長が足利義昭を奉じて京へ登った後を説明したものだが、実に巧いたとえである。 -
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三巻目になるとネタが尽きそうにも思えるが、泉のように湧きでる知識、考えた筆をとどめるところを知らないようだ。本当に歴史が好きなんだなぁと思う。
三巻で印象的だったのは次の点。
-室町時代というのは、現代にも続く様々な事柄の源流であったという。司馬は「私どもは室町の子といえる」と言っている。たとえば、書院造、華道、茶道、行儀作法、婚礼の作法、貿易...
-遷都
平城京で大寺で失敗して平安京に遷都した。このため平安京には大寺が無い。京の古刹は豊臣期、江戸時代に興されたもの。平安京時代に二つの大寺(延暦寺、金剛峯寺)これは都から遠ざけられている。
室町時代って豊かな時代だったのね。 -
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高松城水攻めの後の中国大返し、そして天下取りと官兵衛補佐の元、秀吉は天下人になる。「かれは年少のころから物事の本質を認識することが好きであった。さらには物事の原因するところと、将来どうなるかを探求したり予想したりすることに無上のよろこびをもっていた。認識と探求と予想の敵は、我執である。如水には生まれつきそれに乏しかった」と著者は書く。後年隠居し如水と名を改めて、九州に引っ込んでしまうが、関ケ原の戦いが起こると知って、、、、、元はと言えば近江から流れてきた流れ者の黒田一族にあってその知恵1つで天下取りの設計図を描く、歴史の表には立たない凄い人。
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播州を毛利と織田で取り合う様。そこには戦わずして勝つ「調落」があり、いかに敵を味方に寝返らせるかに駆け引きがある。「調落」が失敗した場合に合戦になるのであって、むやみに戦っていたわけではない。「毛利か織田か」で迷う荒木村重。本編とはほとんど関係ないが、病気で死期の迫った竹中半兵衛に関する記述がある”「人の命は短い。ようやく一事がなせるのみ。一事のほかは私はやらない」日常すべを武辺という主題に置き、その他は余事だ、、、、武辺が成功する場合、恩賞がつくその恩賞を考える事も余事であり、恩賞をあてにして武辺をなすことは武辺のけがれである” 「死もまた余事か」と官兵衛。同じく武辺の人、官兵衛の今後の活躍に期待。