司馬遼太郎のレビュー一覧

  • この国のかたち(五)

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    神道や宋学についてまとめて書いてある。なので思想というものについて考えさせられた。
    宋学は宋の時代漢民族が自分は文明人(華)で、北方の異民族(蛮)に圧倒されて屈折した気分を何とか晴らしたいと考えだされた考えだったようだ。ものの考え方としては悪くはないだろう。どうせ考えるのなら気分が良くなるように考えたらいいと思うからだ。しかし、実態に合わない考え方をすると虚しい空論になる。頭の中だけが満足して生活は苦しくなる一方だから、当然滅びる。

    思想というものは気分から始まるのかもしれない。生きづらいと感じている気分をどうにかこうにか「いやこれでいいじゃないか!」にひっくり返すためになされる大変な営為なのではなかろうか。しかも、現実認識がなければその殻の中に閉じこもり窒息して滅びるであろう。時に暴発して大犯罪を犯すものも出るかもしれない。だから危険思想というものもある。

    気分を言葉にし、それを抽象化して概念を創造し、精緻に組み立てて体系化する。ご苦労なことである。こんなことができるとしたらその人は余程のエネルギーをその身のうちに蔵していなければなるまい。まず凡人には無理である。まぁ、万が一そんな心血を注いだ思想が完成したとして、その思想がその当人以外に当てはまるかどうか、役に立つのかどうかはわからない。たまたま多くの人が同じ苦しみを抱えていて、その思想によって気分が晴れる場合にのみ流行するのであろう。

    そして、流行した思想は往々にして権力者に利用される。多くの民の脳に刷り込まれ、しかも、都合のいいように若干の修正が施されて有効な支配の道具となる。いやいや権力者ばかりではない。革命にも利用されるのだから、気をつけないと誰のものかもわからない考えで凡人は操られる結果になることが多い。気をつけよう。

    鉄についてもまとめて書かれていた。もののけ姫を思い出して興味深かった。

    Mahalo

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    2014年10月08日
  • 翔ぶが如く(二)

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    ネタバレ

    征韓論前夜の一部始終の歴史物語。西郷隆盛がモンモンモンモン…悶々悶々悶々悶々…ひとりで…。


     魚釣りに出かけてる。

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    p20  尺度は人の業
     人間の相克は、利害にもよる。しかし尺寸にもよる。人間の不幸は、人によって尺度の大小異なっていることである。

    p22  西郷の尺度
     西郷は征韓論という言葉を使ったことはない。遣韓論という言葉を常用した。あくまで西郷は使節として話し合いに行く。ただ、和解は無理な協議だから、自分の死を以て日本の、ひいてはアジアのために列強に対抗するアジアの連携を達成しようと考えていた。

    p24  西郷は好戦的か嫌戦的か
     「誰が戦を好むものか」⇔「道義をまもるためにはたとえ一国が亡びようとも戦え。一国の政府たる者は戦の一字を怖れるべからず。」
     西郷の中には矛盾した思想がある。戊辰の頃には、江戸を灰燼に帰し将軍の首を撥ねて新時代の礎にする。ということを言いながら、無血開城を実現し慶喜を水戸に逃し、奥州越列藩に慈悲を与え、戦後には榎本武明ら佐幕派の者に恩赦を与えた。
     そういう、矛盾した正義をもつ熱い男だった。

    p32  己を愛するなかれ
     西郷の自己教育の精神。己への愛を忘れれば、自己を客観視できるようになるということらしい。
     甘えのない男だったのだろう。彼は子供のころに皆が嫌う算盤をあえて学んで、若いうちから藩の書記の仕事に就いて家計を助けていた。子供のころから自己犠牲の精神が強かった。そこから生まれた信条だったのだろう。

    p40 山県の考えたこと
     山県が海外留学で学んだことは、王政の斜陽と国家議会の伸長という時代の潮流である。日本では天皇という王を掲げて新政府を作ろうとしている。世界とのギャップに恐怖したことであろう。

    p44  天皇の重厚さ
     日本史における明治二十年代以降からの天皇の扱いが重厚なものになったのは山県の仕業。
     山県がロシア皇帝ニコライ二世の戴冠式を見に行って、皇帝の扱い方を学んだ。従来の天皇は人目についてはいけないものであった。それは結局天皇はあってないような存在になっており、欧州のような絢爛豪華な威信はない。ロシアのように専制権はもたない「君臨すれども統治せず」の皇帝だが、豪華さを取り入れた、象徴にふさわしい威信を天皇に付加した。

    p47 軍人勅諭は山県が作った
     司馬氏の忌み嫌う「統帥権」これの根拠となる記述がこの軍人勅諭にある。
     -「軍は天皇の威光によって召集された栄光ある集団である。」であるからして、軍人たる者、天皇の直属の臣下として崇高なる人格を持つよう努めなければならない。ー
     というような軍人の道徳書として作られたのだが、昭和の軍人によって曲解された。軍を指揮するのは天皇の権利であり、軍は内閣や国会をすっ飛ばして天皇に直接奏上し、戦争をおっぱじめられる。というように扱われ、大失敗したのだ。
     山県が悪いわけではない。が、根源はココである。

    p52  狐疑深き…
     西郷隆盛は弟:従道に対して「狐疑深き」者として記述している。従道は兄である隆盛は明治新政府を倒し第二の維新を考えているのではないかと疑っていた。ともに留学した山形有朋の影響で国権主義に傾いた。そこからすると隆盛は共和主義のようにも見え、疑わずにはいられなかった。
     ただ、隆盛を疑ったのは従道だけでなく、薩摩藩でも多くいた。というか、根本から信用しないのだ。隆盛は藩主:島津久光を裏切る形で維新を起こした。久光の周囲の人物からは決して信頼されない人物であった。
     こういう周りの見方もあって、従道は身内ながら独特の見方を持っている。征韓論についても外遊を経験した身で、西欧列強の考え方は分かっているから反対の意見を持っている。

    p70 薩摩は700年
     薩摩藩は鎌倉時代以来700年続いた、徳川家よりも歴史のある家柄である。それだけに藩士の結びつきも強い。それを廃藩置県したのである。

    p93  西郷の情報不備
     征韓論争中の西郷は岩倉具視ら参議の集合を待って自宅にこもっていた。そのとき、桐野利秋ら西郷の側近らは自宅警備として交代で西郷宅に詰めていた。そのせいで西郷は人に触れる機会がほとんどなかった。桐野らが「西郷どんの静謐を守るんじゃ」と来客をけんもほろろに追い返してしまうのである。
     そういうこともあってか、この頃の西郷は情報に偏りや不備を持つという風がある。

    p177 江戸開城
     江戸無血開城の功労者は、慶喜の側近の勝海舟である。当時の諸外国の考えとしては、社会混乱による日本市場の縮小は避けたく、新政府と幕府の江戸での内乱はやめてほしかった。勝海舟は外国公使の思惑を読み、あえて「われわれ旧幕軍が江戸で暴れれば火の海になるであろう。もし官軍が慶喜を許すというのなら江戸を開城するつもりなのだが…」と英国大使パークスにふっかけ、官軍に圧力を加えさせた。
     と、アーネスト=サトウの回想録にある。このサトウはすごいようだ。調べよう。

    p239  なぜ泣くのか
     「千絵」という章。維新で徳川の幕臣だったものは駿府へ引き上げるか、新政府の朝臣になるか、農商になるか選択を許された。芦名靭負という旗本は朝臣になろうとするが、維新の動乱で命を落とす。その子供、新太郎は彰義隊に加わり命を落とし、妹の千絵だけが生き残った。動乱で兄とはぐれ何年も兄の消息を知らなかった千絵が兄の死を知った時の一節
     -なぜ泣くのか。兄のために悲しんでいるのではなく、自分のために-
    時に涙は蜜のようで、不幸という蜜をなめて甘美に悲しんでいるのではないか

    p246  拡大資本主義ではなく
     明治初期のころ日本が外国に輸出できる産業はなかった。資本主義のための領土拡大論などというものは成立しようもない。ただ、アジアの連携による欧米列強からの防衛圏を作るのが論点である。征韓論を資本主義と絡めて考えるのはいけない。
     欧米のアジア進出も、産業革命であふれた商品のはけ口となる新たな市場をもとめて、暴力的に行われたのである。日本は違うからね。

    p254  薩摩字書
     旧薩摩藩士:高橋新吉は日本で最初に印刷された英和辞典を作った男である。

    p347  大衆は…
     大衆は明晰よりも温情を愛し、拒否よりも陽気な放漫な大きさを好み、正論よりも悲壮に憧れる。
     やがて、明晰と拒否と正論を悪とみなすようになる厄介さである。
     大久保利通はこの三つを持つ男であり、大衆に好かれなかった。そういう朴訥な男であった。その対極に西郷隆盛がいる。

    p358 山県有朋のお食事券
     山県は明治早々、明治最大の汚職事件を起こした。
     長州出身の貿易商:山城屋和助は山県の口利き(賄賂で)で兵部省の御用商人になった。そして和助は官金に手を付け生糸相場に手を出して大損をこいた。そして高跳び。山県は和助とのつながりを洗われて責任をとらなければならなくなった。
     これを機に新政府の薩長の関係にひびが入り、新体制に暗雲が立ち込めた。西郷は薩長体制を守るべく、山県を救った。紛糾する薩摩藩士を抑え、薩長体制の崩壊を防いだ。
     実際、山形有朋ほどの実務家が他におらず、彼ほどの人材を失っては出来立ての陸軍省は立ち行かなくなる。事実、一時機能停止した。その面でも西郷から見込まれており仕方なく山県は許されたのである。それゆえ、山県は西郷に頭が上がらなかったのである。

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     学校の授業では征韓論も明治維新の速い流れの中でさらっと流されていってしまう。
     征韓論っていうのは当時の列強の帝国主義とか、アジアの被植民地側の危機感とか、深いテーマなんだよな。

     この巻では征韓論の議論のテーブルに着くまでのダラダラ、グダグダ、イライラする裏工作の様が、幾度も幾度もわき道にそれて、だらだら、ぐだぐだと書き連ねてある。
     司馬先生の書き方がすごくダラダラしていて、西郷が征韓論に関して待たされている感じがよく出ている。


     それにしてもスゴイ内容の濃さ。登場人物全ての解説をしようとしているとしか思えない。

     それでいい。

     それがいい。

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    2014年10月07日
  • この国のかたち(四)

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    司馬さんは日露戦争に勝ったあたりから日本人がリアリズムを失って地に足がつかなくなり、幻想に縋って生き延びようとし始めたから、国が滅んだとおっしゃる。しかも、夏目漱石は「三四郎」なかで三十有余年前にそれを予言していたと…

    わたしが、社会に出て悩んだことの一つに、自分の給料や仕事のリアリティーを感じるのが難しいということがあった。「こんなんで生きていていいのだろうか?」ずっとそう思っていて、今でもそう考えることがある。もしかすると、いまでもほとんどの日本人は幻想に縋って生きているのではないだろうか。リアリティーは脳が創るものだから、それも当たり前といえば当たり前かもしれないけど…あまりにも浮ついた存在になってしまっているような気がする。これが「脳の中の現実」か…

    おそらく、早晩日本はまた滅ぶのではなかろうか?もう、それは止められそうにないからどんな滅び方をするのかを考えてそれに対して心構えをしておいたほうがいいのかもしれない。ちょっと暗い気持ちになった。

    Mahalo

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    2014年10月04日
  • この国のかたち(三)

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    どんどん面白くなっている。とまらない!もっともっとと読みたくなる。
    多分、司馬さんの文章を読み慣れてきたせいだとは思う。しかし、それにしてもわたしはものを知らない。特に字を識らない…とは言いながらもズンズン読んでいこう!

    昔の偉い人がたくさん出てくる。偉い人ってほんっとすごい!例えば東京帝国大学の土木工学の初代日本人教授だった古市公威という方なんかはとんでもない勢いで勉強されたみたいである。留学先のフランスでそのあまりの勉強ぶりに下宿の女主人があきれて、“公威、体をこわしますよ”と忠告すると、「わたしが一日休めば、日本は一日遅れるのです。」と言ったそうである。全開フルスロットルで生きていたのだろうなぁ~もちろん日本の近代化にさぞや貢献されたことだろう。

    こういう良い話がたくさん出てくる。こういう話しは読んでいて感動し元気が出てくる。何しろ彼らは身体を張っているのである。その当時の世界という舞台でとんでもないダンスを踊っていたのが司馬さんの文章から伝わってくるのである。これは村上さんの文章を読みんで得られる快楽とは、また、異なる快楽である。

    Mahalo

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    2014年10月02日
  • この国のかたち(四)

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     歴史的事実の本質とは何か、明治維新など・・・一般的な解釈を検証しつつ司馬遼太郎の独特な視点で示してくれる。

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    2014年10月01日
  • この国のかたち(二)

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    やはり、読後に中身が思い出せないが読んでいる時は大変興味深い。どこかに残っているといいな。
    あっ!フランシスコ・ザビエルがバスク人だったというのを今思い出した。そんなことも書いてある本。
    そういう意味では縦横無尽が鍛えられる本でしょう。達人は融通無碍か?凡人には縋る縁が捉えられず記憶に留められない。係留できる私の脳内の体系が狭すぎるため。

    Mahalo

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    2014年09月28日
  • 街道をゆく 40

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    50年間日本に実行支配されたにも関わらず、台湾には親日家が多いのは何故なのか。という素朴な疑問があり手に取った一冊。

    大きな歴史的な流れはもちろん、ミクロな視点で台湾の歴史が、人々の言葉を通して語られているのが印象的だった。

    面白いのは、この紀行文が連載された当時、台湾はまさに歴史的な局面を迎えていたことで、巻末の当時の国家元首李登輝氏との対談もとても興味深い内容だった。

    司馬さんが、好意的な印象で綴る人物像は、読んでいて気持ちが良い。

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    2014年09月28日
  • 菜の花の沖(一)

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    2014.9.27
    高田屋嘉兵衛。爽やかな主人公。権力で圧迫感のある陸とは異なる、自由な海。権力構造から抜け出し、自由な海を舞台に、嘉兵衛が成長していく。
    司馬遼太郎が描写する青年の恋模様は、秀逸だね。淡い青春という感じがします。

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    2014年09月27日
  • この国のかたち(五)

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    ネタバレ

    オケラもカエルもアメンボもそしてヒトも等しく生き物である。しかし歴史の中に生まれてくるのは人しかない。だから先生は歴史を書く。


     歴史というのは人間特有の文化なんだな。言語を持つ生き物だから、時間を超えた人間同士の交流ができる。司馬先生は未来の人と繋がるべく、歴史を書いている。そう悟った。

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    p16  八幡神社
     八幡神社は大分の宇佐に総本社がある。祀る八幡神は自然と一体になった日本の神と一風変わっている。巫女に憑依し託宣し、人間の世に口出ししてくる。八幡神は朝鮮から渡来した秦氏の住む地で祀られた。
     八幡神は仏教が日本に流行ると「私は昔インドの神だった。今は日本の神をやってます。」とシャーマンを通じて託宣した。この神の発想から本地垂迹説ができた。この発想から、日本の神々が仏教を習合して、信仰を復活させた。

    p48  役小角(えんのおづぬ)
     修験者の祖。「続日本紀」にでてくる。修験道は仏教に属するが神道的要素がとても強い。役小角は孔雀明王の呪術を学んで、天狗のように山をかけたといわれる。

    p60  源氏meets八幡神
     頼朝の五代前、源頼義が鎌倉の地に八幡宮を奉じた。現在鎌倉の材木座にある元八幡がそれ。(鶴岡八幡の南、元八幡というバス停もある)
     頼義が八幡神を氏神にしたため、八幡神は武の神になる。頼義の子は奥州安部氏と闘った前九年の役・後三年の役を戦った八幡太郎源義家である。
     時代は下り、頼朝が鎌倉に幕府を開いたのも、この地に源氏の氏神が祀られていたからである。しかし、元八幡は社も小さかった。なので頼朝は鶴岡八幡宮を新規造営し、そこを中心に都市建設をした。

    p93  藩の制度疲労
     江戸時代の大名は土地や人民の所有者ではなかった。将軍から支配権を委託された徴税人である。
     明治維新で大名は東京に集められ、永世俸禄を賜る存在になった。廃藩置県という領地の召し上げが実現するのは驚異のことである。それが成功したのも、藩という仕組みの特徴と大名にとって藩の維持が困難であり、江戸末期に制度疲労を迎えていたからであると見れる。

    p102  鉄の専売
     古代製鉄は戦争のように人を要した。燃料の森を開くもの、鉄鉱石を採集する者、冶金するもの、労働者の生活物資を売るもの、製鉄は巨大な経営体を形作った。それが国家に反旗を翻すようなことがあったら、為政者はそれを恐れた。漢の武帝は製鉄業を官営にし、専売制をしいた。鉄というのはそういうものだった。

    p114  森と文明
     製鉄には莫大な燃料がいる。古代ギリシアは冶金と農業のため森を失い、土が乾き、文明が衰えたといわれる。
     日本の鉄文化の導入は弥生時代(BC3c~AD3c)と言われる。稲作の時代である。製鉄となると古墳時代の5~6cであろうと思われる。中国・山陰地方で製鉄が始まったが、これは朝鮮からの技師が移住してきたからだろうと考えられる。それらの人々も故郷の森が枯渇したため日本に来たのではと司馬先生は考える。
     日本のモンスーン気候では気は30年で再生産される。日本は恵まれた気候のおかげで製鉄技術を衰退させることなく発展していった。

    p125  加賀の鉄
     平安時代、関東八州に強力な武装集団ができた。それらは土地の灌漑工事を主導し、人々の先頭に立った。彼らが灌漑工事をできたのも10~11世紀に鉄の値段が安くなったからである。安くなった鉄を大量に買い、農器具を改良できたものが力をつけることができ、武士になった。
     加賀は武士ではなく庶民が力を持った土地である。13~14世紀に庶民でも買えるまでに鉄の生産が発達していたのである。彼らは浄土真宗に帰依し高い「同朋」意識のもと自治を形成した。1488年に守護の富樫氏を民が滅ぼして以降100年、加賀は「百姓ノ持つタル国」になった。鉄の生産量増加によって関東では武士政権ができ、加賀では百姓の国ができた。
     
    p182  光圀が湊川神社をたてた
     神戸の湊川神社は楠木正成が祀られている。神ではなく個人が神格化されるのは菅原道真など怨霊信仰に通ずるものでもみられる。光圀が楠木正成を崇めたのは、水戸学からである。光圀は亡明の朱舜水を自藩で保護した。彼は日本の南北朝動乱について、南朝が正統だという、それは北朝は武士である足利尊氏が作ったものだからである。天皇に忠誠をつくした楠木正成を崇めることで水戸学(宋学)の象徴を作ろうとした。

    p192  正成と統帥権
     正成は後醍醐天皇の側について足利尊氏と闘った。正成は天皇を比叡山に逃し、籠城戦に持ち込むことを上申した。しかし、天皇の側近坊門清忠は敵前逃亡は天皇の名に泥を塗ると大義名分論をかざし、正成に懲罰的な戦いに臨ませた。その結果、正成は湊川で敗死した。
     司馬先生はこの坊門清忠の行いに、昭和の統帥権と同じにおいを感じた。陸軍参謀が国会や内閣に申告せずに、直接天皇に上申できる「帷幄上奏」これを用いて戦争を起こした。現実よりも思想をもって戦争をさせていた清忠から学んでいなかったのだろうか。

    p208  道元と老僧
     13世紀に若い道元は禅の修行のため宋へ渡った。民州の河港で停泊中の船の中で、道元は「シイタケはないか」と謎の老人に尋ねられた。老人は近くの禅寺で典座(てんぞ:炊事係)を務めているらしく、道元は老齢でもまだそんな下っ端を務めていることに驚いた。老僧は「外国の好人よ、まだ何もわかっていない。これが禅なのだ。」そう笑っていった。
     このストーリー好き。他の司馬作品でも見たな。

    p210  蕃書調所
     蕃というのは中華思想で言うところの外国である。朱子学を国学に指定した江戸時代は外国を野蛮な蕃国として扱った。だから幕末の洋書翻訳機関は蕃書調所だった。のちに東大の前身、開成所に改名された。明治維新で朱子学思想から脱却していくところである。

    p211  藤原惺窩(ふじわらせいか:1561~1619)
     日本の儒学者の最初の人。戦国時代という野蛮人が世を支配する時代に生まれて、朝鮮にあこがれながら憤懣の人生を送った。

    p218  藤原五摂家
     武士の時代、平安の貴族だった藤原五摂家は、近衛、九条、一条、二条、鷹司という通称を用いていた。(そのなかであえて藤原惺窩は藤原性を名乗り続けた。それほど野蛮人にへりくだるのを良しとしない、誇りがあった。)

    p221  劉邦meets儒教
     漢帝国を興した劉邦は野人であり、頭でっかちな儒家は好かなかったようである。ある時試しに儒者の進言を採用して文部百官の儀典を取り仕切らせたところ、荒くれた将軍たちもおとなしく皇帝に拝礼するようになり、劉邦を驚かせたとか。「わしは今日初めて皇帝の貴さを知った。」とこぼしたとか。

    p248  革命の3Steps
     革命初動期:詩人的預言者(佐久間象山、吉田松陰)
     革命中期:精力的活動者(高杉晋作、久坂玄随)
     革命後期:事務処理担当(伊藤博文、山形有朋)
    ①思想があって②情熱をもって実行して③ドタバタを落ち着ける。ここまでできて初めて革命は成る。この手の役者がそろっていたのが長州の松下村塾である。
     今の世の革命(主に中東だけど)③がどうしてもうまくできないと思う。自分たちで事後処理をしたくても、口うるさい先進国グループが利権を絡めてきて③をさせてくれないのである。悪ければ代理戦争になる。明治維新は列強が入る前だったから、本当にギリギリの時代だったと思う。

    p249  中江兆民meets竜馬
     兆民は高知出身で幼名を篤介という。彼の幼いころ、帰京した坂本竜馬に出会っていた。子供たちは英雄である兄貴分が大好きである。竜馬もそのころ10余歳離れたガキどもの英雄であった。竜馬は群がるガキの中から「中江ノオニイサン、タバコヲコウテキテオオセ」と半敬語で篤介に頼んだ。この出来事を兆民は生涯覚えていたようだ。その後の町民の思想には、竜馬の魂の一部が含まれていたように司馬先生は考える。
     幕末の人のつながりの面白さよ。

    p257  彰義隊
     江戸に残った反新政府集団の彰義隊を殲滅させたのは大村益次郎である。江戸は戦後に新政府の拠点にするため無傷で手に入れることが至上命題であった。ゲリラ的に暴れる彰義隊が各地で蜂起し、江戸の町を壊さないよう上野の寛永寺に彰義隊を集め一気に叩いた。これを実現できた大村益次郎はとても偉大な人物である。みんなにしってほしい。


    _______

     全6巻だからもうすぐ終わり。ちなみに6巻途中で司馬先生が死んだから、あとがきが書いてあるのはこの巻が最後である。
     と思ったら、あとがきがこの本の核心をまとめていてビビった。
     人にだけ歴史があるという考え方はとても大事である。みんなも歴史の価値を知ろうぜ!!

     このエッセイの始めの方は各章が単発の話題だったけど、前巻くらいからタイトルがシリーズ化している。書きなれてきたから止まらないんだろうな。そういう感じが出ていて、読んでいておもろい。

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    2014年09月23日
  • 豊臣家の人々 新装版

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    源頼朝、足利尊氏らは源氏の宗主であり、それぞれに鎌倉、室町幕府を開く。幕府を開くためには征夷大将軍でなければならない。しかし、源氏でなければ征夷大将軍は宣下されないのだ。秀吉は源氏の姓を得ようし、足利義昭に乞うてその養子になろうとしたが承知されない。なので、秀吉は人臣最高の職である関白という資格をもって天下を治めようとした。関白は藤原氏でなければならないという。秀吉は近衛家の養子になり藤原秀吉を名乗ることで無事に関白の資格を得るに至る。

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    2014年09月19日
  • 新装版 播磨灘物語(4)

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    以前読んだ記憶があったが、どうも勘違いだったようだ。中国大返し以降の叙述が簡素になっていくのが、大河ドラマとの違いかな。本作品とは関係ないが、徳川家康役の寺尾聰が腹黒そうで好き。ルビーの指環歌ってたんだよなぁ。

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    2014年09月17日
  • 新装版 播磨灘物語(4)

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    前半に官兵衛の人となりを記述するのに筆を多く使ったためか、それとも秀吉の寵愛を受けている時がピークだからなのか、山崎の戦い以後がかなり短くまとめられている。

    それ以後もドラマは多く、宇都宮氏との戦いや、関ヶ原前後の動きなど、書くべきところはかなりあるはず。司馬遼太郎の官兵衛像からはみ出る部分が多いからかとも思えるが、それも含めた人物の解釈をしてほしかったところ。

    ただ、やはり司馬遼太郎が書く官兵衛は魅力的。

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    2014年09月14日
  • 新装版 播磨灘物語(4)

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    中国大返しの後、秀吉が天下を取った後は、官兵衛の人生のピークを過ぎたのだろう、以後はごく短く書かれている。
    官兵衛の交渉、秀吉との関係、等非常に面白かった。サラリーマンと代わりないんだなと。
    作者が言う通り、とてもいい男でした。

    読んだあと、小早川隆景が印象に残っている。
    あの戦国時代、中国を守るため、拡大方針はとらなかった。それを金科玉条とした。もし、昭和に彼が政治家としていたら?

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    2014年12月24日
  • 新装版 軍師二人

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    後藤又兵衛と黒田長政って敵対したんだな。。大河ドラマ見てると仲良いのに。これからわかるか。楽しみだ。
    真田幸村より又兵衛のほうが軍略に優れている書かれぶりは初めてでした。あとは短編の中に女性物が複数。

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    2014年09月03日
  • この国のかたち(四)

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    ネタバレ

    親の昔の写真を見ると、少なからず驚きがある。予想できるだろうに「かたち」が違うと驚く。この国にも昔のカタチがある。同じような驚きがきっとある。

     そういえばプラトンのイデアも「形」が語源だったな。

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    p21  足利幕府の無能
     足利幕府は235年も続いたが、先代の鎌倉幕府のような威厳もなく、後代の江戸幕府のように巨大な行政機構も財力もなかった。義満の全盛期も金閣寺を作ったくらい。領国統治なんてしないし、だから地侍衆が力を持つようになる。それでいて文化や農業は最高の発展を遂げ、現代の日本の原型になっている。


    p45  士農工商は中国語源
     紀元前の中国に「士農工商」という四民の分け方があった。江戸の世を見て中国では「兵農工商」があるといった。中国では士とは学者階級であり、卑しい武士に当てられるのを嫌悪した。


    p58  佃島
     東京都中央区佃(隅田川の下流)は江戸時代の初めにできた。江戸を築くにあたり、大阪の佃村から漁師33人を移住させ、江戸の人口を支える漁業を担わせた。彼らが東京湾の漁業の礎を築いたのだ。


    p75  稲と松が日本の象徴
     瑞穂の国の日本の象徴と言えば稲だろう。五円玉にも描かれている。それと同時に山に生える赤松も瑞穂の国の象徴になる。
     弥生式稲作農業は里山に依拠している。山から運ばれる腐葉土がなければ田んぼは枯れてしまう。腐葉土のなくなった乾燥した山には赤松が台頭する。赤松が山で崇められるのは、米の豊作が願われるからである。


    p86  招魂社
     靖国神社は戊辰戦争の戦没者を祀る招魂社が素である。発案者は大村益次郎。藩社会の終わりの象徴として建てようとしたのだろうが、それに反感を買い暗殺されることになる。(海江田信義が黒幕か)


    p98  統帥権の根拠
     明治憲法第三一条「本章(臣民権利義務)ニ掲ケタル條規ハ戰時又ハ圀家事變ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」という。臣民権利義務とは国民の所有権の不犯、居住移転の自由、信教や言論の自由などをさすが、ここでは国家に大事があればそれを制約できるということである。明治憲法を作った者たちは西南戦争のような国家危機に値する内乱などに当てはめるつもりだったのだろうが、昭和の参謀本部はこれを用いて統帥権を三権に超越させた。
     『統帥綱領』『統帥参考』に記述がある。緊急時には軍が国民の先頭に立てるというのは、古代ローマの独裁官のような発想なんだろうが、間違いなく歴史上の悪い利用例である。


    p106  清にアヘンを持ち込んだ野郎
     1832年、東インド会社の船医あがりのウィリアム・ジャーディンが清国でアヘンの密輸を初めて巨利を得た。いわば、こいつが日本開国の根源だ。


    p137  軍人勅諭
     初期の明治新政府には直轄軍がいないという不思議な事態があった。戊辰戦争で戦った薩長らの寄せ集め軍隊は、戦後崩壊した。(西南戦争)西南戦争後には恩賞への不満から竹橋事件というクーデタ未遂がおきた。新政府軍には近代軍隊のモラルがなかった。そこで山形有朋は「軍人勅諭」を作成し、天皇のもとに軍の統帥権はあると定義し、軍人の倫理規定がまとめられた。(西周が作った)フランスのお雇い外国人ボアソナードはこれに反対した。憲法体系に例外を作らない方がよいと主張したが、明治の文人はきちんと管理できていたから大丈夫だった。
     これを間違って扱うやつらが出てきたから駄目だった。2014年、安倍政権が自衛隊の集団的自衛権の解釈を変更しようとしている。安倍さんたちならちゃんと管理できるかもしれないが、もし政権交代が起きてその解釈を悪用するような事態が起きたらどうするのか。そこまで責任が取れないのだから、危険を冒すべきではない。


    p144  美濃部達吉事件以後
     美濃部達吉の天皇機関説事件が起きた。東大法学部教授の美濃部達吉は天皇は法人である国家の機関の一部であり、あくまで最高権限は国家という法人にあると述べた。
     しかし、右翼系議員により糾弾され、著書の発禁、貴族議員辞職、議会での天皇機関説の否決がされた。これにより天皇の統帥権が絶対的なものになり、日本は統帥権国家になった。いや、なってしまった。


    p150  縄文天国
     縄文時代は豊富な動植物に囲まれた狩猟天国だったといわれる。その時代から漆は使用されていた。福井県の鳥浜貝塚遺跡では縄文時代の漆容器などが出土した。

    p154  根来の二男三男
     室町時代の紀州にいた根来の集団。彼らは僧兵として砲術に優れた。同時に武具を作るための工芸にも優れた。漆の什器も根来のものが有名である。


    p166  自伝の歴史
     自伝というのは意外に歴史が浅い。西洋で自伝が書かれるようになったのは、カトリックの拘束からプロテスタントが解放されたときからである。聖職者を介さず神に祈るようになったプロテスタントは、自省のために自分の記録をつけるようになったと言われる。そこから宗教色が薄れ始めて、自伝という形になった。自伝という言葉が使われるようになったのも19世紀に入ってからである。中国でも近代以前は自伝というものがほとんどなく、列伝ならあった。自伝よりも詩が尊ばれたからかもしれない。
     それに対し日本では平安時代の日記文学から種々の自伝的作品が見られる。キリスト教的自省の観念があったわけでもないのに、自分を振り返る文化があったのは興味深い。

    p178  対馬は日朝の両属
     日本と朝鮮の橋渡しを担った対馬藩は江戸幕府から一万石の食禄を貰っていた。山ばかりで米作りに適さない対馬ではこれに頼るしかなかった。同時に朝鮮からも米百石の官職を得ていた。正式に両属ではないが、ほとんどそういうものだった。現代の領有権問題ではこういうことが全く言われていないね。


    p193  福沢諭吉「そんなこと知っているわ」
     幕府の咸臨丸で留学した福沢らはサンフランシスコで現地の工場を見せてもらった。現地人からすれば東洋の未開人に最先端技術を見せてやった気であったのだろうが、蘭学でほとんどその知識を持っていた留学生らは退屈していたらしい。それほど幕末の知的好奇心は強く、質も高かったということである。

    p205  落首
     時代劇で河原に立札に風刺的な狂歌が匿名でたてられるシーンがあったりする。これは実はとても優れていたりする。こういうのは「御坊主」と呼ばれる城に仕える頭を丸めた給仕の仕業だったようである。
     例えば、田沼意次の次に大老になった松平定信の緊縮政治に対して、

    「白川の清き流れに魚住まず、濁れる田沼今は恋しき」とか「孫の手が痒いところに届きかね、足の裏まで掻きさがすなり」などという風刺の狂歌が作られた。


    p224  白砂糖は黒砂糖から作られるのだ
     坂の上の雲で主人公になった秋山真之は海戦戦術を学ぶために瀬戸内の能島水軍の兵術書を読んだ。洋書で学ぶのが主流だった明治中頃、それをからかわれたりした。しかし、真之は上の言葉を返したという。


    p230  弱みを見せる
     明治の軍人は日露戦争で見れば、日清戦争の勝利に酔ったとはいえ引き際では弱みを理解していた。勝てない戰を終わらせるよう動いたのである。
     昭和の軍人は弱みを決して見せなかった。その点、戦争にリアリティを欠いていたと思われる。戦争は国の主権を勝ち取るという目的を達するための手段である。しかし、昭和の軍人は手段が目的になってしまった。愚かである。


    p236  ハル・ノートを受け入れていたら
     日中戦争の一連の軍行を調査し、撤兵を示唆したアメリカの最後通牒。これを受けていたら日本は太平洋戦争に走らなかったか。と問われれば、そんな単純なものでもない。当時の日本の情勢からいえば、弱腰外交をした政府は倒され、軍がクーデタをおこし、結局日本という国家は爆発していただろう。
     

    p239  大東亜共栄圏は石油が欲しかっただけ
     日本は石油が出ない。しかし近代兵器には石油が必要である。そうなれば石油を確保しなければならないからインドネシアあたりを獲得しなければならない。そうなるとアメリカのフィリピンやイギリスのインドなども同時に統治しないとならない。日本が独り立ちするにはアジア全部が必要なのである。
     石油が欲しいだけなのに、地理的要因でどうしても話が大きくなり、征服者にならなくてはならないのである。バカな話だ。

    ____

     この巻は興味深いところが多かった。

     シリーズが進んで、統帥権にかんする司馬先生の感情が高まってきた。だいぶ踏み込んできているので、専門的な知識が得られる。

     昭和の一時代というのは、本当に異形だったのだろう。国家としてありえない「かたち」を経験した日本。そういえば前の巻で日本がドイツをお手本にしたといったが、あの国も仲良くありえない「かたち」をとったよね。

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    2014年09月03日
  • 新装版 播磨灘物語(4)

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    司馬遼太郎は黒田官兵衛が好きだから播磨灘物語を描いたとあとがきで書かれているがこの作品の中では官兵衛を少し軽視している描き方だなと感じた。官兵衛が中心に行ったとされる備中高松城の水攻めや中国大返しなどは秀吉の案として描かれている。真実はどうにせよ個人的にはそういったエピソードが読みたかった。黒田官兵衛が好きなだけにこういった見方でも描けるのかとも思いました。

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    2014年08月27日
  • 花妖譚

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    【本の内容】
    清の八十翁・松齢の庭に突如咲いた一茎の黒い花。

    不吉の前兆を断たんとしたその時に現われたのは(黒色の牡丹)。

    人間稼業から脱し、仙人として生きる修行を続ける小角がついに到達した夢幻の世界とは(睡蓮)。

    作家「司馬遼太郎」となる前の新聞記者時代に書かれた、妖しくて物悲しい、花にまつわる十篇の幻想小説。

    [ 目次 ]


    [ POP ]
    本の帯に<幻の初期短篇、初の文庫化!>とあるが、文春文庫が、司馬作品を「幻」と銘打って出すのは初めてではない。

    2001年刊の『ペルシャの幻術師』は<幻のデビュー作>、03年刊の『大盗禅師』は<幻の司馬文学、復刊!>。

    「幻」をうたうことで読者の目をひこうとする商魂が見え見えとはいえ、今回の「幻度」は高い。

    収録作品は、司馬が1960年に『梟の城』で直木賞を受賞する以前、本名・福田定一で雑誌「未生(みしょう)」に連載したもので、まさに作家・司馬の誕生する以前。

    しかも、作品は花にまつわる10の幻想小説である。

    堂々の「幻」だ。

    愛やエロスをロマンチックに描くウブな作品もあり、清新さにあふれる。

    自らの故郷に近い奈良の葛城山で育った役(えん)ノ行者を描く「睡蓮」には、すでに司馬節が健在。

    <美しいものへ放心できるこころ、これこそ世尊の説く正覚というものではあるまいか>

    「竜馬がゆく」を髣髴させる明朗でおおらかな語りが魅力だ。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2014年08月24日
  • 新装版 軍師二人

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    ネタバレ

    司馬さんの短編は、さらりと読める。ただ、関ヶ原と大坂の陣に関係する話(この短編集にもあり)は、こんな時だけ、関西人の血が騒ぎ、冷静に読めなかったりする。一度、真田幸村の大阪夏の陣の行動通り歩いてみるなんてのもやってみたいような気もする。こんなおじさん、すでにいっぱいいるんだろうなあ。

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    2014年08月23日
  • この国のかたち(三)

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    ネタバレ

    symbol(象徴)はギリシャ語のsymbolon(割符)から来ている。司馬先生は我々に文章によって知識の割符を与えてくれている。
     読者はその割符の対を自ら用意しなければ、その知識を得たことにはならない。そう先生は後語っている。
     まさにこの本はそんな感じ。非常に興味深い内容なのに、もう半分足りていない。読者の向学心を刺激してくれる。
     
    ________
    p26  ドイツも後進国だった
     明治新政府がお手本にした外国が、蘭・米・英・仏でなくドイツだったのはなぜなのか。それは日本とドイツが似た境遇だったから。ドイツはヨーロッパの中では後進的で、明治新政府ができたくらいの普仏戦争(1870)に勝利し、ドイツ帝国として近代化した。この後進的な国が自由の国フランスに勝利した衝撃は日本にとって魅力的だったのだろう。ドイツ式の軍隊は日露戦争に生きたが、第二次大戦のドイツとの枢軸同盟は、、、

    p39  society=社会 と訳したのは福地桜痴
     「社」という言葉は、中国の周代の村落における祭礼の場を表す。つまり、人が集まる場である。
     この社という言葉があったから、外来語の訳語が助かった。社という字は、社会にも会社にも神社にもなる。

    p42  日本人は室町の子
     今の純日本文化というのは、室町時代が基礎になっているものが多い。日本建築の書院造や華道や茶道もこの時代から始まったものである。
     農業技術が飛躍的に発展したこの時代は、余暇の発現という文化のターニングポイントになったのである。

    p63  船の規制
     江戸幕府は大名の強大化を恐れて、船の造りにも制限をかけた。それは商船にもかけられ、帆を一つしかつけられないとか、致命的な規制だった。それでも江戸時代は北前船の活躍だとか、海運業が発達して富を築いた。江戸の発展は多数の沈没船の犠牲の上に成り立っていたのだろう。

    p87  肥料の争い
     山が神聖視されるのは、山は養分の宝庫だからである。平野の田んぼには山から集めた腐葉土を撒いたりして養分補給をした。山のない平野では、そこいらに生える雑草すらも、肥料の材料として争奪戦になった。例えば佐賀平野には「佐賀者の歩いた後は草も生えぬ」という言葉が残っているが、人々の性格というよりは、その土地の性格を表している言葉である。
     このように山から腐葉土を持ち出すことが多くなった弥生時代以降、肥料用の山では乾燥した山が多くなり、環境に適した赤松などが多く生えるようになった。日本の山に赤松が多いのはその名残である。

    p161  律令=ニガリ
     律令導入以前の日本は諸豪族のゆるいつながりでできていた。そこに律令という法律が導入され、日本は天皇のもとで一つの国に固められた。異国文明である律令は国を作るニガリになったのである。
     これと同様なことが明治維新でも起きた。近代化という新しいニガリ、いや、ラクトースかな?

    p186  前島密が東京を首都にした!?
     新政府がなぜ幕府の都を首都に引き継ごうと思ったのか。先に占領した京都や大阪ではなくなぜ。
     当初は大阪首都計画があったが、手狭であるということや陰謀などいろいろ面倒だった。しかし、大久保に前島来助から東京遷都の構想を受け取り、それに感服して決定された。その前島こそ郵便制度の親、前島密である。

    p199  くだらない話
     江戸時代、天下の台所擁する上方の食べ物は江戸よりも優れていた。酒も同様、技術と水の差で上方の酒が喜ばれた。
     上方から江戸へ下ってくる酒は喜ばれ、江戸で作られた下りものでない酒はないがしろにされた。

    p200  まともな話
     船の船尾のことを艫という。帆船がまっすぐ進むには船尾からまっすぐ風が吹いてくれなくてはならない。真っ直ぐ艫に風が吹いてくれることが「まとも」なのである。

    p211  宋学はイデオロギー
     中国の宋という国は、北方騎馬民族に北中国を占領されて、漢民族のアイデンティティの最大の危機の時代だった。そんな中で生まれた宋学は、蛮族の侵略に対抗するための思想であり、学問というよりは正義体系(イデオロギー)である。例えば大義名分論とかね。

    p237  甲冑の縅
     平安後期の甲冑は、小札を紐で綴って作られていた。緒通しという意味でこの紐を通すことを縅というが、鮮やかな色の紐を用いた美しい縅は、敵を脅すという意味がある。このほうが平安時代っぽいよね。
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     この巻もよかったです。

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    2014年08月21日
  • 新装版 播磨灘物語(1)

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    大河ドラマが急に面白くなってきたので、見始めたところ、書店でたまたま見つけた作品。

    室町という中世的な旧体制が少しずつ壊されていく過程。それは、キリスト教と茶の湯に代弁されている身分の相対化が物語っている。そして、その象徴ともいえるのが信長だったのだろう。門閥に囚われない、人物徴用。これに魅了された官兵衛。

    戦国時代の外交、処世術もなかなか面白い。

    司馬遼太郎が好きそうな主人公である。

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    2014年08月17日