司馬遼太郎のレビュー一覧
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前半生をうすく語ると、
幼少の頃より天才の誉れ高く、讃岐の人々の期待を背負い、上京、大学入りするもすぐ中退。
20代のほとんどを仕事もせず山中をプラプラするか寺に引き篭るかして過ごす。
30ぐらいの時「口の中に明星が飛び込んだ!」と大騒ぎ、出家する。
その後「わが国に真の密教をもたらす」と唐への留学を決意。
地元の名士、奈良仏教界の大物達をたらし込み、留学資格と20年分の留学費用を捻出させる。
※とにかく達筆で文才があったので、ここ一番は口八丁ならぬ、筆八丁で難局を乗り切る。
しかし、留学するも20年分の滞在費をたった2年で使い切り、本来20年間の滞在期間を筆八丁で屁 -
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徳川方の間諜、勘兵衛を通して大阪夏の陣のドタバタ劇を描く。関が原では石田三成の西軍に味方した大名は領地を奪われることになる。だが、大阪城には淀殿と秀吉の子、秀頼が公家化した様子で侍女と生活をしている。将来にわたり火種になり得る秀頼を、亡き者とする計画を立てる家康であった。
難航不落の大阪城の堀を埋める過程では、大阪側の軟弱化した様子とは対照的に家康の執念が凄まじい。二代目将軍秀忠の凡庸さにあきれる家康と、実は愚鈍ではない秀頼の対比が面白い。家康も高齢のため徳川幕府の将来を憂い、本当の敵はいつ尽きるともしれない己の寿命であると言い切るところがブラックジョークである。 -
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戦国時代の土佐の武将、長曽我部元親を主人公とした歴史小説。
上巻は織田信長との衝突、間に入って苦闘する明智光秀を描えたところで終わる。早、下巻が楽しみ。
土佐藩の勤王志士が山内家(上士)から蔑まれていた長宗我部一派(郷士)から出ていることは有名であり、今一度、理解を深めてみたい。
以下引用~
・・・このとき元親がおもいついたのは、のちに長宗我部軍の戦力の中心になり、日本史にその特異な名をとどめた一領具足の制度である。一領具足とは、屯田兵のことである。
・・・
後世、この階層が郷士になり、幕末この階層から土佐藩の勤王奔走の志士のほとんどが出たことを思えば、元親のこのときの発想は日本史的な事件で -
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最終巻。北条早雲が伊豆に入り、小田原を手中に収めるまでを描く。最終巻では、関東での三浦氏、大森氏等との争いが舞台となり、読んでいても小気味よい。
早雲は時間をかけてでも自分の目指すところを実現し、その実現の過程で軸(「義」なのであろう)を貫き通す。
「あとがき」にもあるように、早雲が「領国制」という戦国時代に先駆けての新たな行政区を作ったことが歴史的にも意義のあることであり、その意味でも歴史上、押さえておくべき人物なのであろう。
以下引用~
・早雲は、やれようがやれまいが、四公六民ばかりはつらぬかねばならないと思っていた。
・戦国とは、百姓をじかに支配しない守護が消え、代わって大名とよばれ -
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ネタバレ(上巻に記載したものの続きです)
小説版は、ドラマ版と違って「あるじは持たない」と言っていた才蔵の主義を変えさせた(かに見えた)幸村とは、最後の挨拶を交わすシーンも無し…。(又兵衛とのそれっぽいシーンはありまするのに…)
小幡勘兵衛のエピソードを入れるくらいなら、その辺をちゃんと書いて欲しかった気が…。
まぁ、情緒に流れず、独特の『軽ろみ』とドライ感があるのも司馬作品の特徴なので、ウェットなシーンはあえて省いているのやも知れませぬな。(第一、『成長物語』というつもりでお書きではないのでござりましょうし)
たぶん原作では、佐助もどこかで生きていることでしょうし、孫八さんに至っては伊賀で悠々自適 -
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ネタバレ今回の再読で改めて気が付いたのは、原作の才蔵が、物語の始まりと終わりとで、人間的にあまり変わっていない…ということです。
(以下、TVドラマ版との比較が入った感想文です。数年前の過去ブログからの転載です)
物語の骨子としては『惚れた女を追いかけているうちに徳川Vs豊臣の戦に関わり、栄達等は得られなかったものの、かけがえのない恋人を得る…』というものですが、ドラマ版の才蔵は、その過程で大切な人とのつらい別れを幾たびか経験します。
己の才を恃み、自由気まま、無邪気で無鉄砲に世の中に飛び出したドラマ版・才蔵、いろいろな人々と関わるうち、人間的に『何か』が少しずつ変わっていくのが伝わって参ります。 -
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中巻では早雲が京を離れ駿河に下り、今川義忠の嫡子・竜王丸を後見し、とうとう今川新五郎を討つ。討伐の舞台設定も興味深い。
当時の加賀藩の政情の考察は、当時の権力構造の一端を知ることにもなり、早雲の治世のヒントを窺うことができる。
最終巻が楽しみだ。
以下引用~
・それまでの城といえば山城で、山塞というようなものにすぎなかったが、江戸城は平地に設けられたという点で画期的であり、かつ自然の地形と人工の堀を掘り、土居を築き、さらには複数の郭を組み合わせることによって、防御力の点で従来の居館とはまったく異なる土木を独創した。
道灌の名声の何割かは、かれが設計した斬新な構造をもつ江戸城が負っている。