司馬遼太郎のレビュー一覧

  • 功名が辻(二)

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    女性目線でかかれた戦国もの、時代を問わず賢い妻というのは彼女のような女性なんだなあ と反省(笑)
    4巻の最後は、登りつめた先に見えた空虚感に切なさが漂う。現代のサラリーマン事情に通じる
    司馬 遼太郎の作品は相変わらず軽快、痛快

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    2016年03月12日
  • 馬上少年過ぐ

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    ネタバレ

     龍野藩の家祖、脇坂安治のことを知るために収録の「貂の皮」を再読。当時豊臣秀吉の家臣であった安治が丹波で400年続く名門で、丹波の赤鬼と恐れられた赤井直正の護る黒井城へ、降城の使者として単身乗り込む。説得は失敗するが、直正が安治の勇気に感じて、奇瑞をもたらす家宝の雌の貂の皮を贈る。しかし貂の皮は雌雄あったため、安治が雄も所望すると、力づくということになり、翌朝、貂の皮の指物をした直正が城門を開いて討って出た…。
     非常におもしろい作品。でも黒井城の地元の資料では直正は病死となっています。司馬遼太郎のねた本は江戸時代に脇坂家が安治の宣伝として作成したようです。しかしその後安治は大名となり、子孫も明治まで続きます。貂の皮の加護はあったようです。尚、貂の皮は地元の龍野神社で年に一回のお祭りで公開されるとのこと。

     その他の作品も一級品揃いで大変面白いですが、司馬遼太郎の短編集は統一性が無いように思います。やはり読者としては時代は同じ方が良いのですが。

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    2016年02月15日
  • 馬上少年過ぐ

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    ネタバレ

    ・幕末の長岡藩で非凡の才を発揮しつつも時勢を見極められずに散った河井継之助を描いた「英雄児」
    ・英国人殺害事件に関与した海援隊隊士菅野覚兵衛と佐々木栄を中心に幕末の日英関係を描いた「慶応長崎事件」
    ・江戸末期から明治初期を生きた、非凡の才を持った血気盛んな絵師、田崎草雲の生涯「喧嘩草雲」
    ・奥州の覇者正宗が歴史に残した足跡を、彼の持つ非凡な詩歌の才と共に描いた「馬上少年過ぐ」
    ・一介の町医者の身から伊予宇和島の命運を握るまでに栄達し、数奇な人生を送った山田重庵を描いた「重庵の転々」
    ・大阪の陣の後に武士になることを嘱望した大須賀満左衛門の奮闘を描く「城の怪」
    ・賤ヶ岳七本槍の武将として武名を轟かせた脇坂甚内(安治)の生涯を描いた「貂の皮」


    「英雄児」…長岡藩家老河井継之助
    情景は江戸古賀茶溪塾での、無隠鈴木虎太郎の出会いの場面である。未だ穏やかな江戸の空気が懐かしさを醸し出している。やがて継之助はその凄まじい才能を発揮して藩政を指導し、強大な長岡藩軍を作り上げ、凄惨な北越戦争を戦う。藩は焦土と化し、多くの民衆が斃れ、継之助もまた戦傷死する。その墓碑は幾度も毀たれたという。著者の評言『英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい。』に大いに首肯する思いがする。

    「慶應長崎事件」…土佐藩海援隊士菅野覚兵衛。
    慶應3年7月6日夜、長崎で起こった英海軍イカレス号水兵斬殺事件の顛末である(イカレス号事件)。嫌疑が海援隊に懸かった為、英国、幕府、土佐藩の三者が折衝したが、大政奉還直前の幕末の最も煮えつまった時期に当たり、『歴史はこの間、停止したといっていい。』という著者の評言通りの無用の摩擦であった。アーネスト・サトウの観察眼が非常に興味深い。

    「喧嘩草雲」…足利藩士田崎芸(絵師草雲)
    幕末の奇士の逸話である。喧嘩で鳴らした絵師草雲(梅溪)は、宮本武藏の画幅に出会い心を改めた。ところが幕末の風雲は彼を措かず、小藩足利戸田家一万石の宰相の様になってしまう。やがて戊辰戦争が始まるや、機知を以て藩を救う。乱世に生まれた者の変転を考えさせられる。

    「馬上少年過ぐ」…仙台藩主伊達政宗。
    奥羽の雄政宗の、主に少年期から、家督を相続する前後に焦点を当てて描く。奥州の土俗と、稀代の没個性人の父輝宗を詳しく描写し、その特異性を述べるが、表現や推察にやや筆が走り過ぎ、著者の作品群の中では異質な位置を占める。

    「重庵の転々」…伊予吉田藩家老重庵山田仲左衛門。
    伊予吉田藩分封直後に起こった所謂「山田騒動」の顛末である。重庵は史実では「文庵」。長曾我部牢人重庵は寒村の村医であったのが、次第に重んじられて遂には家老に迄栄達する。藩政改革に苛烈極まる施政を行い庶人の反動を受け、遂には元の重庵に戻り仙台で余生を送る。著者の云う『侍の家にうまれれば温和で無能であることがのぞましかった。最大の不幸は有能にうまれつくことであった』の言葉その儘に、泰平の世で無く、戦国・幕末等の乱世に生まれていれば稀代の英雄と成り得た人物であった。末尾に語られる著者の前に現れた仙台の老人の挿話が何とも不思議である。非常に秀逸な短編。

    「城の怪」…下総牢人大須賀万左衛門。
    元和偃武の後、松平忠明治下の大坂城下。仕官を夢見る牢人、仕官の望み得ないと思う足軽物頭、嘗て豊臣家に使えた女、の三者が織り成す江戸初期の市井の風景。

    「貂の皮」…龍野藩主脇坂安治。
    賤ヶ岳の七本槍の最年長者で、播州龍野5万5千石脇坂家は大名になった七本槍では唯一、維新まで家を保った。その馬印は世に珍しい雌雄一対の貂の毛皮の槍鞘である。此れに纏わる奇瑞と安治の数多い戦場往来の逸話を絡めて描くのだが、その中でも大変興味深い丹波の豪族、赤井悪右衛門直正から貂の皮を受け継ぐ有名な逸話は、残念ながら史実では無い。

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    2016年02月12日
  • 世に棲む日日(三)

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    「藩の天地は俗論が満ちている」と、晋作は言い、いきなり「やるかね」と、言った。人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきをみるだけである。
     山県は、天性、農民のように自重ずきで、軽快な行動力をもっていない。かんじんの軍略の才も二流で、志士であるために多少は必要な教養も歌学のほかになく、さらに歴史像をみる目も聴衆の未来を洞察するような目もなかった。ただ一つ、かれは人事の才があった。自分の隊内権力を安定させるための配慮はじつにみごとであり、この才があるがために隊士も自然この軍監こそ奇兵隊秩序の中心だとおもうようになっている。
     この時期、奇兵隊氏は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争ができるとはおもっていなかった。山県は、そのことを言った。
    「なるほど」晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割りきっている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、
    ーー死に物狂いでやってみましょう
    と、気を動かせば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみせるつもりはあった。が、あきらめた。

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    2016年01月10日
  • 国盗り物語(三)

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     信長には、稀有な性格がある。人間を機能としてしか見ないことだ。織田軍団を強化し、他国を掠め、ついには天下を取る、という利ぎすました剣の尖のようにするどいこの「目的」のためにかれは親類縁者、家来のすべてを凝集しようとしていた。かれら――といっても、彼等の肉体を信長は凝集しようとしているのではない。かれらの門地でもない。かれらの血統でもない。かれらの父の名声でもない。信長にとってはそういう「属性」はなんの意味もなかった。
     機能である。
     その男は何が出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜擢し、ときには除外し、ひどいばあいは追放したり殺したりした。すさまじい人事である。

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    2020年11月04日
  • この国のかたち(五)

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    色々な…自然だったりタイミングだったり…それはもう一言では言い表せない事柄がつなぎ合わさって、歴史がある。
    教科書の歴史ってのは、ものすっごく薄切り状態なんだけれど、興味を持つきっかけになればいいと思う。あとは自分次第でどんどん本を読んでいったり、大学を目指してみたり。

    この年齢まで読んでいなかったこと、この年齢でようやく読んだこと、何かあるのだと思っている。

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    2015年12月30日
  • この国のかたち(四)

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    だんだんと…巻が進むにつれて、同じことを繰り返し始めたかなって気がしなくもないけど、新しい発見というか、目からうろこみたいな新鮮さもあって、やっぱり楽しい。

    まぁ昭和の軍の話はちょいちょい「?」みたいなところがあるんだけれどもね…好き嫌いが出るのは仕方ないけれど。
    ホント司馬さんは好き嫌いが分かりやすくて。
    それにしてもこれだけの知識と、それらがまたつながっている思考がすごくて。
    私が書きものを趣味としてやっているのは間違ってなかったわと思う(笑)

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    2015年12月28日
  • この国のかたち(三)

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    自分の思考の根っこを探るように読んでいる。

    国民性はそんじょそこらじゃ変わっていかないというけれど、これからどうなっていくのか、この本を読んで探っていきたい。

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    2015年12月21日
  • 翔ぶが如く(十)

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    全十巻を読み終えた。
    実をいうと今回は初読ではなく再読である。
    日本の歴史の中でも最大の転換となった明治維新を成した傑人たち、そしてその当人たちが意識せずに起こした維新の幕引きとなる西南戦争を描いた、この「翔ぶが如く」。
    この作品は「小説」というだけではあらわし切れないものがあると感じている。史実、そして登場人物の機微、著者の所感と探究心。いってみれば「小説」でもあり「随筆」でもあり「歴史書」でもあるのではないかと感じてしまう。
    このあたりが司馬さんの描いた「翔ぶが如く」のスケール大きさ、また、ちょうど良い細やかさなのだろう。
    西郷隆盛、大久保利通、その他の登場人物の「己の正義」に心がつき動かされる思いがするが、それ以上に司馬さんの素晴らしさが感じられる。

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    2015年12月07日
  • ペルシャの幻術師

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    司馬先生は、モンゴルと坊様の煩悩がお好きらしい。

    とび加藤と果心居士という幻術的忍者の話は面白い。

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    2015年12月07日
  • 翔ぶが如く(九)

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    激戦を極めた田原坂の戦いも終わり政府軍の圧倒的物量によって、薩摩軍の先行きも暗くなってきた。
    西郷その人の心境も気になるところであるが、桐野利秋の心持ちは如何であっただろうか。
    維新に大功ある薩摩旧士族達がこれだけ固陋な思想以外は受け入れずに西南戦争を戦っていたことが驚きである。
    維新は成し遂げたが、彼らの中では旧幕時代の薩摩の気色が尊ばれていたのだろう。
    薩摩の中でも開明を良しとした者達も、この頃には負けると分かって薩摩武士として戦う以外になかったのだろうか。

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    2015年12月03日
  • 翔ぶが如く(八)

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    西南戦争が始まったが、「太政官軍対反太政官軍」の図式という以外に何もなく、薩軍も本来の目的が何であるのか忘れてしまっているようだ。
    「敵を叩く」ことに終始しており政略も戦略もなく、維新の功高い薩摩壮士とは思えない戦いだ。
    西南戦争については一般的に「明治の初期頃に政府と西郷率いる薩摩を中心とした不平士族の内戦」というくらいの認識しかない。
    この「翔ぶが如く」を読んで、その歴史の前後関係や対外情勢、思想気分などをつぶさに観察してみると維新〜西南戦争の姿がよくわかる。

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    2015年11月29日
  • 翔ぶが如く(七)

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    ついに薩摩勢力が蜂起となった。
    果たして西郷という人はどのような人であったのだろうか。
    薩摩勢力を蜂起させ政府と戦争をするということは西郷の本意でなかったことは事実なのだが、維新を終えてしまってからは西郷という人物としての塊が見えてこない。
    まるで空想上の偶像のような感じさえしてしまう。
    いずれにしても事態が「薩摩勢力蜂起」となり、今後の方向性は一本道となってしまった。
    各々の正義が刃を交えるしかなくなったのである。

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    2015年11月24日
  • 街道をゆく 43

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    読書の秋なのに、移動も多いのに、モチベーションがあがらなかった。ずっと頭と心が疲れてる感じ。そういう時は紀行文。紀行もののある種の代表も言えば街道をゆくシリーズだが、司馬遼太郎の逝去によって最後の紀行は未完のまま。それがこの「濃尾参州記」。殆ど終わりだけで終わってしまっているが、司馬遼太郎が描こうとした名古屋が垣間見えて面白い。三河、そして美濃のことは、存命であればどう描いただろうか。さ、また本を手に取ろう。

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    2015年11月24日
  • 翔ぶが如く(六)

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    神風連が決起し事が起こった。
    いよいよ西南戦争に向かって動いてゆく。
    反太政官思想の波が大きくうねり出したと言って良いだろう。
    歴史的には西南の役が大きく取り上げられるが、その前夜、反太政官思想の有志たちがどのようにしていたかなどがよく分かる。
    後の日露戦争などで後世に名を残す、児玉源太郎や乃木希典、野津道貫の兄、野津鎮雄の名前なども出てくる。
    神風連の決起が西南戦争への弾みになったことは確かであろう。

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    2015年11月20日
  • 翔ぶが如く(五)

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    在野の不平分子を考慮した事実上大義のない征台を実施する。
    しかし撤兵するためには、この征台を義のあったものと清国側に認めさせ、しかも派兵のための賠償金を清国側から出させるという力技をもってして外交に臨んだ大久保は、ある程度満足のいくかたちで終結させた。力技を建前上だけでも成功裡に導いた執拗さと周到さは見事といってよいだろう。
    この明治がはじまって十年と経たない頃は、果たして維新の本来の目的は何だったのだろうかとも思わせられる時代だ。
    国家が大きく動こうとするとき、大きく進歩しようとするときの舵取りは後の時代になってみないと正解は分からないのかも知れない。いや、もしかすると後の時代になっても分からないのかも知れない。

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    2015年11月11日
  • 国盗り物語(一)

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    人生に目的を持とう。目的のために生きよう。
    斎藤道三、織田信長の生き方からこんなに学ぶものがあるとは思わなかった。過去から学び、そして実行すること。


    乞食になっても、将来に望みをもって生きる

    自ら考え、工夫する。戦術転換をしたものが必ず勝つ

    野望があるためだ。男の男たる所以は、野望の有無だ。

    人の世は明日がわからない。というが、こういう、わけのわかったようなわからぬような、その実、生きるためになんの足しにもならない詠嘆思想はない。あす、何が来るか、ということは、理詰めで考え抜けばわかることだ

    小九郎の人生には目的がある。目的があってこその人生だと思っている。生きる意味とは、その目的に向かって進むものだ。

    人間の動きというものには、心理の律がある。この律の勘所さえ握ってうまく人の群れをあしらえば、労せずしてこうなるものだ。

    事が起こるのではなく、事を起こす

    人間、大事をなすには義が肝要

    義と信

    人生、自分の才能を発見するほどの愉悦はない

    人の君主たる者は、家来に物の好きこのみを見せてはならぬ

    人間五十年
    下天の内にくらぶれば
    夢幻のごとくなり
    ひとたび生をうけ
    滅せぬもののあるべしや

    死なうは一定
    忍び草には何をしよぞ
    一定語りおこすよの

    暗夜に霜の降りるが如く静かに自然に引き金をおとせ

    自分の先例を真似ない

    運はつくるべきものだ

    何を好む?

    英雄とは、我が食禄を思わず、天下を思うものを言うのだ

    人はわが身の生まれついた性分性分で芸をしてゆくしか仕方がございませぬ

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    2021年12月21日
  • 翔ぶが如く(四)

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    西郷隆盛という人物その物が英雄視され思想となって、どれだけ強力な渦を巻いていたかがよくわかる。しかしこれは西郷が望んでそうなったのではないだろう。自分では望まなかった強烈な吸引力は、やがて西郷の最期へと向かってゆく。
    この巻では、そのようなことに焦点を絞って書かれているような気がする。

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    2015年10月30日
  • 翔ぶが如く(三)

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    ひとまず征韓論の是非に決着がつき西郷は野に下る。この決定こそが日本の今後の運命を決める一つであったかもしれない。
    主要な登場人物について細かく考察されており、その人物の思想や大義、正義の背景なども少しはわかってくる。
    江戸幕府が瓦解し明治は緒に就いたばかりであるが、自国の未来を創るという一人ひとりの正義が強く渦巻く時代であったのだと感じる。

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    2015年10月27日
  • 新装版 箱根の坂(下)

    購入済み

    描写が優れている

    いつもながら、司馬遼太郎の歴史的背景、人物観察の描写が極めて優れていると思います
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    2015年10月27日