ヤマザキマリのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレパンデミック前は、"旅する漫画家"だったヤマザキマリさんが、パンデミックによって日本に長くとどまったことで、見えてきたこと、考えたことなどをまとめた本。
地球上の生き物の一種として人類を見たり、予定調和に沿った生き方、発言がよしとされる日本人の特性、慣習・文化を指摘したり、パンデミックの最中、反対する声も多かったにも関わらず、オリンピック・パラリンピックを十分な説明もないまま押し切って開催する政府の姿勢に対する違和感を述べていたりと、社会や人の生き方・考え方に対する深い考察が述べられた本。
古代から何度もパンデミックが起きているが、人はそれを生き抜いてきた遺伝子を持って -
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「白鳥の群れが頭の上を飛んでいった、感動的だった。北海道って素晴らしい、やっぱりここに移住してよかったよ」
そんな時私は
「北海道、リョウコにパワーを与え続けてくれてありがとう、彼女を支え続けてくれてありがとう」
私は70歳をすぎた祖母が、中庭の梅の木に止まっていた蝉を素手で捕まえた瞬間を見たことがあるが、その時の誇らしげで嬉しそうな、少年みたいな笑顔が今でも脳裏に焼き付いている
二人でがんばりましょうね
どうぞいつまでもやさしく、可愛く、素直でいてね。
神様にお恵みを感謝します、ママはとても幸せです
なんでも許し、誰でも愛して、誰からも愛されますように(キリスト教的慈悲
ー涙腺 -
Posted by ブクログ
『たちどまって考える』があまり、でしたが、せっかくならこちらも、と思って読んだところ、ずっとよかった。
「人間というものは、『自分とはこういう人間である』と自らが思い込んでいたり、周囲から思われていたりもしますが、そういったイメージに固執する必要はありませんし、むしろ振り払ったほうがいい。そうすれば、いくらでも臨機応変に置かれている状況に適応できるようになる。」
「人間の不完全さを認識できさえすれば、欠陥や失敗すらも余裕をもって見られるようになり、逆に腹も立たなくなってきます。人間は本来ならこうでなければいけない、ああでなければいけないと、理想を盛り込み過ぎるのはストレスを溜め込む要因にな -
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あまりにも学びの多い本である
水不足問題
イスラエル側に収まるように凸凹線が引かれて
デコのところに井戸がある
イスラエルの一人勝ち
古代ローマから続いている
ヨルダン渓谷は水に恵まれた水源だけれど、
水を全部吸い上げてイスラエルのテルアビブまで送る水ビジネスをしている
この構造は、古代ローマから続いている
水源を握る=覇権を握る
ローマ人たちが水道を引いてインフラ設備という
外交を盾にローマ帝国の領土内に張り巡らせた
ローマ帝国外から蛮族がやってきたときに
まず水道を破壊した
人間と同じ、ドブネズミも水がなければ生きれない
ルーブルを訪れたわたしは、名画や彫刻の数々の中に、古今東 -
ネタバレ 無料版購入済み
非常に可笑しくて素晴らしいです
既に定評のある人気作ですが、今回が初読です。評判自体は聞いていて、阿部寛さん主演の映画もヒットしていたのも知っていましたしね。
主人公はローマ帝国の技師で、公衆浴場の建築でも良いアイディアが出ずにクビになってしまったものの、友人に誘われて入った公衆浴場の床下に潜って……なぜか日本の銭湯に辿り着き、こういう事を何度か繰り返して画期的な浴場を次々と建設しますね。
この間に色々と出てくるアイディアは現代日本ではさほど珍しくはないんですが、ローマ帝国の人からすれば未来の技術の成果ですから、有益に決まっているんですよね。
読んでいて何度も吹いてしまい、ギャグマンガとしても非常に良いですね。
章の -
Posted by ブクログ
ここしかないと思い詰めるから、
嵐が来ようが、どしゃぶりになろうが、
我慢するしか選択肢がなくなって、
つらくなるのであって、なんか違うなと思ったら
パッと離れたっていい
義理堅い人だと
お世話になった人たちを裏切るみたいで、自分だけ離れるなんて申し訳ないと思うかもしれない。でも、あなた自身が生き生きとやりたいことをやっていたら、周りも納得するはず。そうなったら、また、改めてご縁ができるかもしれない。
人間というものは、自分の価値観が全てだと思い込んでいるうちは、それ以外の価値観は間違っていると思うから、とにかく偉そうになるし、下手すると、自分が傲慢になってることさえ気づけません
人生な -
Posted by ブクログ
この本は「仕事にしばられない生き方」というタイトルから仕事に関する本だと思って読みましたが、マリさんのあとがきによると
「私がお金とどのようなつき合いを今までしてきたかという内容」だそうです。
マリさんの仕事遍歴ももちろん書いてありますが、内容としてはお金とのつき合い方だったようです。
仕事は十六歳でチリ紙交換のアルバイトを始め、十七歳で留学したフィレンツェでは、似顔絵描きのアルバイト露天商の売り子、観光客相手の店で日本人相手の通訳。
二十九歳で未婚でデルス君を出産されてからは日本に帰国してイタリア語の講師、イタリア料理の紹介など十足のわらじ。そして十二歳年下のベッピーノと結婚されてエジプ