ヤマザキマリのレビュー一覧
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・芸術との向き合い方
今まで義務教育を通して勉強してきた「芸術」。正直、必要ないものだと考えていた。学びたい人だけが学べば良い、などという碌でもないことを考えていた。
しかし今ならはっきりと、それが間違っていることが分かる。芸術が必要ないなど、あり得ない。芸術には様々な国の言語、歴史、文化、価値観が現れており、それが今現在も時代を超えて我々に形を持ってその意味を伝えてくれている。それが人類にとって(少なからず私にとって)必要なものではない、などと考えていた自分が情けない。芸術はその時代の人々を映した「鏡」である。それがたとえ美しいものでも、醜いものでも。「人間」という生き物を知るには最良である。今後自分が専攻したいと考えている言語と繋がるところがたくさんあることに気付かされた。
再度、謝罪の意を込めてはっきりと述べる。「芸術」は人間にとって必要不可欠である。
・西洋と日本
正直、今まで日本の様々な部分に西洋化による悪い影響が及んでおり、「西洋中心主義」は悪だと考えていた。
しかし、実際は西洋化することが悪いのではなく良い部分と悪い部分を見極めることなく、ひっきりなしに西洋の文化を取り入れてしまうことが悪いのではないかと感じた西洋と日本では言語や文化、価値観の何から何まで異なっている。それは至極当然のことである。その中で、他国を尊重して良い部分を取り入れながら、かつ日本独自の文化をしっかりと理解した上で上手に融合していくことが大切だと感じた。
そのためにも、その国に住む人々の考え方や言語性、文化が現れやすい「芸術」にはしっかりと触れておく必要があると感じた。自国についてしっかりと理解するためにも他者を理解するためにも。
・今現在生きている人間社会
自分が生きている現代社会において、私は自分を見失っていた。自分の中で作り上げた社会の偶像に怯え、理想像と比較しては落ち込み、虚像と戦って生きてきた。
しかし、ヤマザキさんの「人生なるようにしかならない」という考え方は衝撃的だった。所詮人間は高尚な生き物ではなく、歴史を振り返ってみても碌でもないことばかりしている。そんな人間に期待をしなくなれば、もっと気持ちが楽になる。これらの考え方は、私を救ってくれた。世の中の常識やら同調圧力というものに恐怖していた私を救ってくれたのだ。
さらに、ヤマザキさんは決して人間に対して悲観的になって絶望しているわけではない。達観して物事を客観的に捉えている。その姿はとても力強く感じられた。 -
Posted by ブクログ
『ただ、時々こういった人間社会を俯瞰で考察した寓話や小説を読んで、現実の正体を確認しておくことも必要だと思っている。政府やメディアの報道や宣伝を鵜呑みにしてしまうような脳にならないようにするためにも、こういう作品を読んで我々が生きる社会に対する猜疑心を機能させておいたほうが、よほど自分を救うことになる』―『第三章 「革命」の壁―『飢餓同盟』』
日本放送協会の「100分de名著」で「砂の女」を取り上げていたのを見て、何故ヤマザキマリなのかと思ったけれど、この一冊を読んで得心した。ここには如何に彼女が安部公房を読み込んできたかが縷々綴られている。そしてその読みも確かなものだと思う。その読みは、研究者が作品を細分して顕微鏡で観察するような読みではないし、批評家が行うある意味俯瞰した立場からの洞察のようなものでもない。そんな風に作品を観察対象として少し離れた対象物として観るのではなく、ヤマザキマリは作品と共に生きてきたという読みを披露するのだ。それは切実で、そして現実的(実存的)な読みでもある。
自分もたいがい天邪鬼なので、ヤマザキマリが今の時代こそ多くの人が安部公房を読んだ方がいいと推してくる意図は共感できるような気もする。確かに安部公房の本は読者が勝手に想像するような物語を提供しない。そこに予定調和のようなものはないのだ。言ってみれば「その後のシンデレラ」のような話ばかり。現実なんてこんなものだ、と否が応でも見せつける。そのことの意味をこの作家の生い立ちや思想遍歴に照らし合わせて読み取ってみせるのは、著者独自の解釈という訳でもないが、作品の寓話性も含めて分かり易く解説している(つまりはそこに物語性を導入することに成功している)。しかし、既に著者も気付いているように、この作家の非予定調和には最終目的地がある訳ではない。「こうだ」と思ったものに辿り着いた瞬間からその場所が曖昧になる、「これこそが正義だ」と思った思想が社会に流布した瞬間からそれが悪夢となる、という構図をこの作家が繰り返し描いているのと同様に、作家自身が自分らしさというものを見出し得ない(作品から安部公房とはこういう人だと読み解いた途端に俺はそんなものではないと反証して見せるように自己否定を繰り返す)というホムンクルスの無限退行する構図に捉えられてしまっている以上、ヤマザキマリの読み取った安部公房もまた内部からじわじわと崩壊する定めにある。そんな風に作家を突き放してしまうと批評家的な読みに傾いてしまうけれど、作家自身が作品の内在する矛盾の構図の中に棲むからと言って作品が訴えかけることの意味や真実味が毀損される訳ではない、ということがヤマザキマリの主張なのだろう。それは確かにそうだと思う。
著者に倣って自分自身の記憶を振り返って見ると、安部公房との出会いは十代前半の頃に読んだ「鉛の卵」。親の所有する本の中に収められていた一篇だ。それは日本放送協会が少年ドラマシリーズで「「タイムトラベラー(時をかける少女)」や「つぶやき岩の秘密」(何故かこの時の主題歌の一節が未だに脳内再生されることがある。歌は石川セリ)などを映像化していた頃で、無知な自分は、筒井康隆は小松左京(その頃「日本沈没」が大流行)と同様の空想科学小説家だと思っていたし、「つぶやき岩の秘密」の新田次郎も同じ分類の作家だと思っていたので、「R62号の発明」「鉛の卵」の作家安部公房も彼らと一緒くたに考えていた。ただ、安部公房の「鉛の卵」は、どこか星新一に似ているようで、それでいてもっとひんやりとした感じのする小説だと思ったというぼんやりとした記憶がある。それらの本や眉村卓の「ねらわれた学園」、光瀬龍の「夕ばえ作戦」などのジュブナイルSF小説と呼ばれる単行本を町の本屋を巡って買い求めた頃の話だが、その頃に読んだ安部公房の文庫本の幾つか(今思えば、少しばかり読むのが早過ぎたのかも知れない)の印象は「鉛の卵」程良くはなかった。それらの本は既に散逸してしまったけれど、何故か今でも「榎本武揚」(函に大江健三郎の推薦文あり)と「砂の女」(ヤマザキマリが言及しているように、函に武田泰淳と三島由紀夫の推薦文あり)は書棚にある。
『そんなアナーキーなたくましさと、いっそ馬賊になってやろうとか、風呂場でサイダーを作って売るようなサバイバル能力も、私にとって安部公房という人物の魅力である。私は生きるスタイルに囚われない傍若無人で気骨のある人に強いシンパシーを覚える。(中略)私はたとえば村上春樹の小説のように、小洒落た固有名詞が頻繁に用いられ、みっともなさや情けなさですらスタイリッシュに回収されていくような文学が苦手だ。人間を特別視しているような文字の羅列に、浮薄で脆弱なものを感じてしまう』―『第一章 「自由」の『砂の女』』
ヤマザキマリの言いたいことは理解できるようにも思うけれど、表現者(そしてそれは人間の逃れようとしても逃れられない業)として、著者が否定的に捉えている「承認欲求」あるいは「自己肯定感の希求」に根差しているものである点で、安部公房も村上春樹も同根で有るとも自分は思う。敢えて言うなら安部公房の作品の方がむしろどこか捻じれた自己肯定感のような粘度を感じさえするのは、自分だけだろうか。更に言うなら、自分は村上春樹の熱心な読者ではないが、この稀有な作家のやっていることもまた、人間の心の内に巣食う薄暗い感情(あるいは怪物)を暗い穴の底を覗き込むようにして暴いている行為であって、ヤマザキマリが描写する安部公房の仕事と似た動機をそこには感じる。また承認欲求という文脈で言うなら、ヤマザキマリが安部公房の読みを通してやっていることもまた、一つの「自己肯定感」を求めての行為であることもまた否定できないのではないかとも思う(それが全てではないにせよ。ただ、そういう読みをその行為から読み取れと安部公房なら暗に言いそうな行為である)。決して本書を否定しているつもりははないのだが、安部公房を読み解くことによってついついそんなことを考えてしまうことに思考が傾倒していくようになる。つまり、安部公房を読み解くとは、腐敗していく自分自身の五臓六腑を腑分けしていくような作業なのだ。
本書は安部公房の伝記ではないし(伝記なら山口果林のことも書いて欲しいと思ったり)、作品論を語る本でもない(著者の作家に対する熱が強すぎるので作家を語っているのか作品を語っているのか判らなくなったり)けれど、この本を切っ掛けに安部公房を読む人や、自分の頭で考えることを志向する人を生み出す切っ掛けを与える力のある本であることは間違いない。 -
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ネタバレパンデミック前は、"旅する漫画家"だったヤマザキマリさんが、パンデミックによって日本に長くとどまったことで、見えてきたこと、考えたことなどをまとめた本。
地球上の生き物の一種として人類を見たり、予定調和に沿った生き方、発言がよしとされる日本人の特性、慣習・文化を指摘したり、パンデミックの最中、反対する声も多かったにも関わらず、オリンピック・パラリンピックを十分な説明もないまま押し切って開催する政府の姿勢に対する違和感を述べていたりと、社会や人の生き方・考え方に対する深い考察が述べられた本。
古代から何度もパンデミックが起きているが、人はそれを生き抜いてきた遺伝子を持っているから、今回も大丈夫だというイタリア人の(ヤマザキさんの舅の)発想を含め、個人的には共感することが多かった。
特に次の点は今後も意識していきたいと思う。
・「常識」ではなく「良識」で生きる。
・Keep moving: 常に好奇心と感性を動かし続けろ。
・「パブリックイメージという予定調和」を過信しない。(パブリックイメージには予定調和的な期待が込められていることが多いので、鵜呑みにするのではなく、本質を見るようにしたい。) -
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『たちどまって考える』があまり、でしたが、せっかくならこちらも、と思って読んだところ、ずっとよかった。
「人間というものは、『自分とはこういう人間である』と自らが思い込んでいたり、周囲から思われていたりもしますが、そういったイメージに固執する必要はありませんし、むしろ振り払ったほうがいい。そうすれば、いくらでも臨機応変に置かれている状況に適応できるようになる。」
「人間の不完全さを認識できさえすれば、欠陥や失敗すらも余裕をもって見られるようになり、逆に腹も立たなくなってきます。人間は本来ならこうでなければいけない、ああでなければいけないと、理想を盛り込み過ぎるのはストレスを溜め込む要因になると思います。」
前著では、イタリアの家族とかなり密に過ごされているような印象を受けましたが、実は、義両親の家に毎週会いに行くのはわずらわしかった、ともあり、コロナで気づけたと思えば、悪いことばかりでもなかったと思えます(まだ完全に過去形にはできませんが)。
イタリア人のご主人が、「精神を宗教的な倫理で拘束されていない日本人を理解できないところがある。」など、日本人の根底にある考えにも気付かされます。
「シングル3つ」の距離感もいいなあと思いながら、同じ家の中でヤマザキさんの家族より多くの時間を一緒に過ごしているはずの自分の家族の方が、気持ちの距離は離れているような気がしたり…
また、何度か読み返したいと思います。
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Posted by ブクログ
あまりにも学びの多い本である
水不足問題
イスラエル側に収まるように凸凹線が引かれて
デコのところに井戸がある
イスラエルの一人勝ち
古代ローマから続いている
ヨルダン渓谷は水に恵まれた水源だけれど、
水を全部吸い上げてイスラエルのテルアビブまで送る水ビジネスをしている
この構造は、古代ローマから続いている
水源を握る=覇権を握る
ローマ人たちが水道を引いてインフラ設備という
外交を盾にローマ帝国の領土内に張り巡らせた
ローマ帝国外から蛮族がやってきたときに
まず水道を破壊した
人間と同じ、ドブネズミも水がなければ生きれない
ルーブルを訪れたわたしは、名画や彫刻の数々の中に、古今東西の画家たちの生き様を絵で生きる覚悟を強く見た
プリニウスは、虫の記述について誤ってるところがある。虫については、やっぱり最初にきちんと見たのはファーブルです。
アミーカ アミーコ
男女複数アミーチ で誤魔化す
日本 自白が証言、証拠
感情と言葉が一緒になっているから
西洋 自分の心と言葉は離れている
関節があるため真っ赤な嘘がつける
気持ちと言葉を切り離そうとすると、官庁用語や軍隊擁護になるけれど気持ちがこもってないから
土下座しろってなる
アメリカでコンピュータが生まれた理由
日本では生まれなかった理由
ぶれない説得力のある人体描こうとすると解剖学を知っていないとかけない -
ネタバレ 無料版購入済み
非常に可笑しくて素晴らしいです
既に定評のある人気作ですが、今回が初読です。評判自体は聞いていて、阿部寛さん主演の映画もヒットしていたのも知っていましたしね。
主人公はローマ帝国の技師で、公衆浴場の建築でも良いアイディアが出ずにクビになってしまったものの、友人に誘われて入った公衆浴場の床下に潜って……なぜか日本の銭湯に辿り着き、こういう事を何度か繰り返して画期的な浴場を次々と建設しますね。
この間に色々と出てくるアイディアは現代日本ではさほど珍しくはないんですが、ローマ帝国の人からすれば未来の技術の成果ですから、有益に決まっているんですよね。
読んでいて何度も吹いてしまい、ギャグマンガとしても非常に良いですね。
章の合間に作者のコラムが入っていて、作品用に日本国内の温泉地を取材したり、ローマ帝国当時の諸事情を調べたりで……まぁ傑作なのは間違いないです。
全6巻ですし、別途ちゃんと単行本、買うつもりですよ。