ヤマザキマリさんの前向きな考え方には目から鱗のところが多かったです。
非常事態の時どのような行動をとったかなど、参考になりました。
世界的視点で今回のパンデミックを見ているところもヤマザキさんならではだと思いました。
普通に考えたらただの困難な道も独自の打開策は必ずあるからあきらめずに思考すること
...続きを読むだと思いました。
何か、他の御著書で読んだことがある気がするのですが、一番参考になったヤマザキマリさんのエピソードを以下に抜粋します。
(P221より)
日本でアニメ化もされた19世紀イギリスの児童文学を私に読ませた母の目論みは、絵描きになりたいと言い出した娘を思い直させようというものでした。ご存知の方も多いと思いますが、あの物語は実に悲しいクライマックスを迎えます。画家になる夢をもった牛乳運びの貧しい少年ネロが、極寒のなか、大聖堂のルーベンスの祭壇画の前で愛犬パトラッシュと絶命してしまいます。アニメ放映の最終回では大概の人が「かわいそうに」とその死に涙しました。今でも思い出すと泣けるという友人もいます。母も最後のぺージをじっと見入っている私に、兼ねてから準備していたと思しき言葉を掛けてきました。
「ね?かわいそうでしょ?絵描きさんになるということは、そういうことなのよ」
しかし、物語を読み終えた私には、ネロをかわいそうだと思うことができませんでした。
そこへ至るまでの彼の煮え切らない態度に何か納得のいかないものを覚えていたので、「ネロは勇気がなかったからこんな目に遭ったんだ」と受け止めたのです。誰かが自分の絵を認めてくれるのを待っている姿には、謙虚さよりも「驕り」すら感じました。誰かの助けを当てになどせず、いざというときには知恵を狡猾に駆使すればいいだけのことだったのではないか、運河に停まっている船にでもこっそり乗り込んで、もっと暖かい地域に行っていれば、犬まで道連れにして死ぬようなことはなかったのでは、と考えたものです。
当時、私が『フランダースの犬』と共に読んでいたのが、『シンドバッドの冒険』と『ニルスの不思議な旅』でした。二つの物語に共通するのは、主人公が困った状況に陥っても、より広い世界に目を向けて冒険に乗り出すという点です。「才能があるのにそれを発揮することもなく、誰にも認められないまま死んでいくのね。かわいそう」という慈愛の倫理よりも、私にはシンドバッドのずる賢さのほうがずっと魅力的に思えてなりませんでした。
フランダースのネロも、外に目を向ければ逃げ道がたくさんあったと思うのです。目の前の環境だけでなく、地球全体を見るつもりで、自分なりの価値観を築いていけば生きていくこともできる。実際、ちょっと後ろを振り返るだけでも、「なんだ、あっちにもこっちにも道や扉がたくさんあるじゃないか」と違う進路が見えてくる。事実、私はそうして17歳のときに、絵の道を選ぶことが推奨されない日本を飛び出して、未知の国イタリアへ行ってしまいました。