あらすじ
ヴィオラ母さん、猫、昆虫、そして老いの先人たち……
私の生き方の原点がここにあった――
コロナ禍、母の死を経て見えてきた
ヤマザキマリ流、老いと死との向き合い方。
●寿命が何歳であろうと、その時までを思い切り生きていけばいい
・なぜ人は、老いや死に対して大きな拒絶感を抱くのか?
・なぜ人は、若さにばかり価値を置きたがるのか?
・なぜイタリア人は、新車より中古車を好むのか?
・なぜ、「何者か」にならないといけないのか?
・なぜ、イタリアは老人を敬い、日本は老害扱いするのか?
・なぜ、夕焼けは雲があるほど美しいのだろう?
・人に備わる知性、感性、命の機能を十分に使いこなすには?
幼少期から老人と触れ合い、
親の介護、そして死を経験し、
多種多様な「老いと死」に触れてきた
真の国際人・ヤマザキマリが
豊かな知見と考察をもとに語った、
明るくて楽しい、前向きな人として生き方。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
羨ましい。自分の母の死に対して善い生き方を見せてもらったといえることが。自分の母はたぶん毒親だから、私の場合は決して湧き上がらない感情だ。ヤマザキマリさんを羨ましいと思うと同時に私にはできない生き方なのだと痛感した。
Posted by ブクログ
副題の、今この瞬間を生きて を実感する内容でした。ヤマザキマリさんから元気を頂きました。
私は、特に「夕焼けは雲があるほど美しい」という言葉に胸を打たれました。ノートにこの章の部分を書き写し、時々眺めて心の支えにしています。
Posted by ブクログ
著者の考え方にその都度、同調して
感動を覚えるのは同じ時代を生きてきて
世代が近いからかもしれない。
広い世界観で生きている彼女でしか分からない事、表層的な優しさしかない現代の日本、何度も読み返したい本です。
Posted by ブクログ
様々なことを経験してきたからこそ書ける内容。深みと説得力がある。
アーティストとしての感性、洞察力はさすがだと思うが、文筆家としてそれを言葉で表現する力も並外れた人だと思った。
潔い人生を、いずれ死ぬ時が来るまで生きていきたい。
Posted by ブクログ
人間も虫や他の動物たちと同じで、生まれた時から死に向かって歩いている。広い宇宙から見れば、私の命も虫の命も同じ一つの命であり、それがいつかなくなるのは自然なこと。だからこそ命は尊いものであり、今生きているのだから精一杯に生を全うしようと思えた。
大切な人との別れは辛いものだし、自分がいつか死ぬのも想像つかないが、亡くなったら結果的に宇宙の一部になるんだよなぁ…と考えると、生を純粋に受け止められたら、死についても自然に受け止められるような気がする。
ヤマザキさんの捉え方はスケールが大きくて、身近な悩みがどれもちっぽけなものに思えるから好き。読むといつも元気をもらえる。
Posted by ブクログ
手に取り、読み進み...
「なんか理屈っぽいなぁ〜」なんて思いながら読み進んでいました。
老後対策どうしようと思って読んでいるのに...
まっ最後まで読んで見るか...って感じで読み進みました。
賢く理論的な展開で進みます。本人の実体験から構成されています。
「年老いること」を前向きに捉え、今まで読んだ「老後の・・・」etcとは全く別物のように感じました。
メメント・モリ(死を思え)&カルペ・ディエム(今この瞬間を生きて)
この二つの意味がとても善く理解できた。
(彼女の周りのエピソードから)
自分を肯定して老人力を身につけ逞しく生きるぞ!みたいな気持ちになります。
いい本でした。
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんの家族の話を混じえた老いることや死についてなど、わかりやすい内容でした。
老いを感じ始めた40代の私ですが、
老いていいんだ、と思えてこれからの人生を受け入れることができそうだなと、本当に読んでよかったです。
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんのエッセイ。
とても読みやすいものでした。
ヤマザキマリさんと言えば、テルマエロマエの作者で
少し前までは漫画家さんだと思っていましたが、歴史を取り上げたテレビ番組でお見かけして
こんなに知性があってこんなにしっかり話される聡明な女性なんだと驚きました。
この本でその聡明さの理由がとても良くわかりました。
この本の内容はヤマザキマリさんの生い立ちから現在までにも触れつつ、ビオラ奏者のお母様の旅立ちを通してその死生観や生きる事生活する事を綴っています。
この本を読んで今まで以上に、ヤマザキマリさんに好感を持ちましたし、またこうして絵以外のものも世に出してお考え拝聴したいなと思いました。
Posted by ブクログ
◯愛する人たちの死を避けたい、考えたくないという思いが私にある。
しかし、自分の死については悲しいものだとか怖いものだとは思わない。
なぜかと言えば、それは自分の命を大切に思っていないのとは違って、生まれてから今までを十分に生きた、生かされてきたことに喜びや感謝の気持ちがあるから。
自分のこれまでの生き方に全て満足はしていないし、全て肯定できるものではないけれど、私なりに一生懸命生きてきたからだ。
私の愛する人たちも私と同じように、それ以上に精一杯人生を楽しみ、苦労して生きているし、そうやって生きてきたのは確かだ。
それなら、愛する人たちの人生も生から死に至るまでを丸ごと愛おしく、ありのままを大切に受け止めたらいい。
この本を読んでそう思った。
◯人間以外の生き物は遺伝子を残すために生を受けた瞬間から死に向かってただ潔く生きている。
人間は他の生き物にはない知恵や感情を持つけれど、人間だから尊いという驕りなく、地球に生きる上では、〝生きるということ〟は人間もあらゆる生命体と同じだという意識を持つことも大事なことだと思った。
◯人生のどの時期もがとてもかけがえのないものという価値観と、地球の贈り物を一つひとつ感じながら味わって〝今この瞬間を生きる〟生き方の大切さをこの本を読んで身にしみて感じた。
ありのままの姿に自信をもって年齢を重ねていくことが、私はやはり美しいと思った。
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんが、有名なヴィオラ母さんの死をきっかけにして、死について、歳を取るという事を否定してはいけないという事を書かれています。
イタリアにもよく馴染みのあるヤマザキマリさんですので、イタリアでの家族、老人達へのいたわりという事が書かれてあり、とても印象的です。
Posted by ブクログ
老いと死との向き合い方について書かれていました。
「何があろうと自分たちは所詮地球の上にいて、大気圏内で呼吸ができているのだからいいじゃないか、と思うと案外平気でいられます。」
と書かれていたのが参考になりました。
Posted by ブクログ
今春より 感ずることがあって山崎さんのエッセーを仮名りょんで来た。
当然、重複する箇所も多く、この版では大半既知内容だった。
が最期に掲載されたリョウコさん手書きのノート等の写真は初めて目にする。
誰しも子を持つことによる意識の高まりは同じ・・若い頃の必死さが目に浮かぶ様な。。そんな数葉のショット。
幾冊が読んでくると、どなたかが、どこかで述べられていた「外国に長い時間いたから」日本の文化には相容れないことを意識外に置いている・・と言う感覚がちょいちょい湧き上がってきているのは事実。
ましてマリさんは私より4歳下。
歩んできた人生街道で吸った空気、腹に入れた食べ物、感じた文化など街道筋のソフト面から受けた今が少し崩れるのが当たり前・・かと思っている。
まして、今の夫とそれに繋がる身内は今後良くも悪くもイタリア式となっていくことは本人も述べているように、一通りではない。
それは本人の選択の結果であって、腹をくくっている感が伝わってくる。
ノマドの空気はシニアまでで終えたと自覚している。
今はその後続くであろう「カルペディエム」
いい言葉を頂けた。
Posted by ブクログ
年を重ねること、生きることを楽しむイタリアの在り方は羨ましいし美しいなと思う。死に対しても、日本のお葬式は悲しみの共有、そしてそれを強要する傾向が強いので、私も子供の頃から嫌だった。喜びも悲しみ方も人それぞれなのに。マリさんのお母様のリョウコさんの追悼コンサート。舞踏会の美女から始まり威風堂々で締める、こんな幕引き最高すぎますね!
Posted by ブクログ
静かな本という印象。死との向き合い方、死生観に心を揺さぶられた。『メメント・モリ』いつか必ず死ぬことを忘れないで、「善く」生きるとはどういうことか、考えながら過ごして生きたい。
Posted by ブクログ
あまりにも自分とかけ離れたタイプの方とお見受けするので余計に憧れる。
テルマエロマエの人,くらいにしか知らなかったけどEテレの読書の森へで拝見してから、そのきれいなお顔とドスの効いた声(笑)とサバサバした物言い、猫をかわい〜という笑顔、などなどにすっかり魅了されてしまった。
メメントモリ 死を思え
カルパディエム 今この瞬間を生きて
胸に刻む。
Posted by ブクログ
老いや死について、ぼんやりとは考えていた。
老いや死は、避けたいし、受け入れられるのか不安があった。
この本を読み、枠にはめずに淡々と、できることをしながら生ききることが大事だと思った。
この本に今出会えて、よかった。
Posted by ブクログ
作者はイタリア生活の中で食卓に誘われると祖父母をまで一緒に連れて行き、ごく自然に迎えるホスト。「老害」などと言われる日本のそれとは大きな違いを感じた。核家族で普段から老人をみないで葬式でしか死に立ち会え無いと生まれてくる老人に対する全く違うだろうと想像出来る。
最後のお母様の北海道での生き様をみるとこの本がお母様へのレクイエムだったのでは無いだろうか。そしてこの素敵なお母様あっての作者ヤマザキマリさんの才能が開花したのでは無いだろうか。
Posted by ブクログ
読んで、おだやかな気分になれる本だった。死とか老いとか、わりとネガティブに遠ざけたくなることがらについて、たんたんと受け入れるというかなぁ。正直、最初のうちはなんとなく読みづらかったんだよ。なにか、読み進めるのに抵抗があるというか。ひっかかる気分について、自分のなかでためつすがめつしてみると、内容に対して表現が直球で向かってくる気がして、鼻白んでいたのだろう。読みながら、もう少し迂回した言い回しって、できないものか、なんて自分の中で思った後で、あぁ俺はこういう話はもっと遠回しに行ってほしい、って思っていたことに気づいたんだね。でも、内容自体がべつに迫ってくるような激しさがあったわけじゃない。むしろ穏やかな筆致ではあったのだ。だから、内容なんだね。
読み進めていくうちに、老いや死に限らず、自分の身の回りの変化や、仕事や趣味でうまくいかないこと、思い通りにならないことについても、同じような姿勢で向かえばいいんじゃないかな、なんて元気な気分になった。
Posted by ブクログ
読んでいて穏やかな気持ちになった。
マリさんも母リョウコさんも、エネルギーに溢れた生き方をされているのに、それを読むと明日への活力をもらえるというより、老化も死も避けられないものなのだから、抗わずにそのまま生きてよいのだと安心感をもらえる。
自分の存在価値など求めずに、ただ生を全うするだけでよいと言ってもらえ、肩の力が少し抜ける。とは言え、家の外に出るとまた力が入ってしまうのだろうけど。
小学生の頃、母や妹相手に、身近な親戚のお葬式を振り返ったり、死について話すと縁起でもないと嫌がられたことを思い出した。
人間はいつかは死ぬもの、どうやって死ぬかはどのように生きるかと同義だと思っていたし、どう弔ってほしいか考えるのは自然なことだと考えていたけど、日本は(わが実家は)避ける傾向にあるのかな。
読後は、死について語ることはタブーでも不謹慎でもなく、人生観を語ることと同じだとストンと落ちた。
Posted by ブクログ
「老い」や「死」について考えさせられる。
ヤマザキさんのようにはできないと思うけど。
「あたかもよくすごした1日が安らかな眠りを与えるように、よく用いられた一生は安らかな死を与える」
そもそもよくすごした1日というものがあまりないのでそこからか。
良き人生を。
Posted by ブクログ
人は誰でも必ず老い、死に至る。平凡な人生なんて一つもない。だから誰の人生でも、数奇な人生なのである。
著者のマンガ作品は読んでいるが、エッセイを読むのは初めて。
これだけ特徴的な人生を送っている著者ならではの死生観が表れている。
人は人生の経験が深みとなって、言葉に重みを加えていくのだと改めて感じた。
著者の若い頃の体験も記載があったが、なかなか普通の人生ではない。
今となればマンガで成功した大先生と言えるが、経歴からすれば遅咲き。
決して若いとは言えない年齢での成功だった。
つまり、この成功を掴むまでは、相当な苦労をしたのだと思う。
こういう人生を送っていること、そのものを運命と言ってしまってよいものか。
基本的にお母様の死について記した本書であるが、まさにこの母にしてこの子あり。
子は、親の影響からは逃れられないものだと改めて思う。
お母様の子育ての影響が、著者の人生を形作っているのは間違いない。
全員が全員そうではないかもしれないが、お母様の著者への愛、そして著者のお母様への愛が溢れていて、読んでいてすごく心地が良かった。
「この親の子どもに生まれてよかった」
そう思える人生を送りたいし、自分の子どもにも少なからずそんな風に思ってもらえると幸せだろうと思う。
人は必ず老いて、そしていつか死ぬ。
人間とはそういうものなのだから、拒絶感を持つことは間違っている。
若者は老人を敬えばいいし、老人も節度を持って、人生を送ればいい。
なぜ日本人は老人を老害として扱うのかという記述があった。
これは単純に日本では老人の人口が増え過ぎているという問題もある。
誰だって好き好んで他人に迷惑をかけたい訳じゃない。
しかしながら、人は一人では生きていけないのが本来なのだ。
野生動物には老いがないのに、人間にはある。
野生動物は、死期を悟ると群れから離れ、一人静かに死ぬという。
人間と言うのは、そういう意味では、動物の中でも特に不便な生き物であると言える。
だからこそ、自分も50代になって感じるのだが、「善く生きる」という意識が大切なのだろうと思うのだ。
日々を一生懸命生きればいい。
楽しく、朗らかに。
そして、清く、正しく、美しくか。
「夕焼けは雲があるほど美しい」
夕焼け空を見ただけで、感動したり、生きていることを実感したり、そういう人生を送れれば良いのだと思う。
何歳になっても、今この瞬間を一生懸命に生きることが大切なのだ。
(2023/8/12土)
Posted by ブクログ
老衰は個体差がある
まさに!
自分の母が老いている様子は
なんか甘えてるみたいで
ヤキモキするけど
元気だせとか頑張れとか
言わずに
まあ年だからねぇと
明るく受け止めてあげる事が
大事なんだと
あらためて自戒しました
Posted by ブクログ
本の中で3人くらい、見かけを含めこんなふうに歳を取りたいなとヤマザキさんの憧れている女性が紹介されていたが、私にとってはヤマザキさんこそ、年をとってますます美しいなと思う存在です。色々でてくるエピソードは今までに読んだことのある内容が多かったので新鮮味はなかったけど、この本をよんで思ったのは、見かけを若作りすることに必死になったりせず、抗わず、歳をとった分だけ、自分のどこかに何か素敵な要素が加わったと思える生き方をしたいなと思った。
Posted by ブクログ
ヤマザキマリさんのエッセイ。漫画「テルマエ・ロマエ」の作者。
「老い」と「死」について。死生観。
「老害」という言葉が示すように、歳をとることが悪であるかのように捉える日本人に、一石を投じる。
一石といっても、綿雪のような包み込む柔らかさで…
ヤマザキマリさんの人生をこの本ですこし知れたが、一般的な日本人とはかけ離れている。
シングルマザーの母はヴィオラ奏者。なにより音楽が最優先、エネルギッシュな人。子供時代のマリさん姉妹は知人や教会に預けられたりしていた。母とは親子の愛情はあるがつかず離れずの関係。
そして彼女は画家をめざしイタリア留学、現地で結婚し暮らして10数年。そのほか海外での暮らしも多く経験している。
イタリアでは親、祖父母、子どもという3世帯での同居は一般的。なので、祖父母の物忘れや好き勝手な言動も、お年寄りはそういうもんという諦観があるそう。
彼女は昆虫や動物が好きで、それらは生存競争に残ることはあっても、老いに争うことはしないという。
ただ生まれ、食べ、子孫を残し、死ぬ。
そのままを受け入れ、次の生へ繋ぐ。
日本人のもつ、死を「穢れ」とする感覚は彼女の中にはないという。
死は当たり前にやってきて、当たり前に受け入れる。
歳をとればできないことが多くなり忘れることが増えていく、それも受け入れて死ぬまで生きていく。
この本の最初一文にあるように、
「あたかもよくすごした1日が安らかな眠りを与えるように、
よく用いられた一生は、安らかな死を与える」
と、レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引用している。
人生を自分で納得して生きてきた人には、死の時を迎えることができる、そんな意味にとれた。それをマリさんの母ショウコさんが実践されたのを見てきたからだろう。
穏やかに語られる話に心が動かされもするが、そんな簡単に人は変われない。
死は怖いし、老いも恐ろしい。
それでももう少し素直に受け止める心の余裕をもっていきたい、そう思えた。