周りの人と比較してつらくなる。熱中できる何かを見つけ、個人的な幸福感を得ること。じっとしていないで、旅に出るなど行動を起こしてみる。
同僚が嫌い。人に性格を変えてもらって自分が楽になる、という考えは諦める。なすべきは自分が苦境とどう向き合うか。
人のことなど気にしなくなる耐性を身につける。坐禅や瞑想を通じて全く怒らなくなった夫。
厄介な人間一人に精神力を費やすのは本当にもったいない。自然とか、次元の違うものを見た後なら、そんなやつのことなど、もうどうでも良くなっているかもしれない。
嫌な人がいる?そんなやつのことで悩んでるのが勿体無い。
使える考えは、違う世界があるってことを知ることか。
苦しい時。自分を労るために、精神的な栄養補給は欠かさないように。今の状態だとゆとりを捻出するのは難しいと思いますが、読書でも映画鑑賞でもいいから、何か自分を楽しい気持ちにさせてくれるものを見つけることです。苦境と向き合う人こそ、自分を労るために精神的な栄養補給を欠かさずに。
自分がもっとできる人間だったらと言う理想を抱くのをやめる。自分は一つのことを覚えるのにそれなりに時間がかかる、特段凄くもないと言うことを認める。理想に圧迫されるから辛い。生きるために仕事を学んでいるんだから、人の目やひんしゅくなんて関心がない。わからないことはわかるまで周りにとことん手伝ってもらい、失敗も苦悩も涙も糧にして努力しているあなた。責める人がいれば、その人の個人的な問題だと思うくらいの勢いで。
人間とはどうしても周りの人がかたどる自分を自分自身だと思い込みたい、他者による承認欲求が強い生き物。社会において人の態度越しに自分を見てしまうのは避けられない。ただそれだけが自分を認識するための唯一の術ではない。
体裁の上では立派そうに振る舞いつつも、自らを俯瞰できない人がやたら目につくご時世に。あいつは自分を俯瞰できているのか?
何か嫌な人がいる。嫌なことがある。例えばお料理でも運動でもいいので、その人へ向かいそうになるエネルギーを他の方向に費やすことをお勧めします。何か別の熱中できることに意識をシフト。
目標に向かってやってきたけど、それが達成されなかった。新年や目標を持つことはあくまで自分勝手な行為であり、思い通りにならなかったことへの落ち込みの責任は、その他の可能性と向き合おうとしなかったあなたにある。
でもそこで失意に落ち込むおかげで、右や左、後ろを振り返り、そこにどれだけ広い空間があるのか知るチャンスをもらえた。他にも道はある?
世界が自分に都合の良いようにはできていないことは若い時分から十分承知済みであり、他人と自分を比較するのがことごとくナンセンスだということも、世界の広さに教えられました。
実は無愛想な人にもそれなりの信用や信頼が置かれるのは、彼らが心を偽っていないからでしょう。
あなたのそばにも友人や家族がいるのなら、彼らは心を偽らないあなたの真の理解者なのだと私は思います。
読書に没頭できるかは意気込みと努力次第。
とりあえず自分と周りの人の生き方を比較するのはやめましょう。色んな仕事をしたけど、その経験がなかったら、本当に自分に合うと思う仕事にも辿り着けなかったでしょう。
あなたがいま感じている自分への漠然とした絶望は人間にとって必要不可欠な要素です。全てが思い通りで浮かれて生きていると、いざという時に太刀打ちができなくなる。苦悩と向き合い、乗り越えてこそ精神は鍛えられ、多少のことでは挫けなくなる方が健全です。絶望を抜群の栄養素にしてしまいましょう。
自分が生まれてきたことに、何か特別な意味を見出さなければと思うのは、人間という生き物の悪い癖です。他の動物はそんなこと一切考えていません。理想の抱きすぎは自分を窒息させてしまうことになりますから、もっと気楽に人生を捉えてください。
地方には地方にしかない美徳がたくさんあることもお忘れなく。田舎を知っている分だけあなたは視野が広い。
おとなしくても、しっかり日々の生活や社会と向き合ってさえいればおのずと自信はつくものです。他者に応えて自分を変える必要なんてない。
理想や目標という言葉は立派な響きを持ちますが、等身大に合っていない無理をすると必ずどこかで限界が来ます。社会の基準や評価ばかりを意識し、自分に不向きな仕事を強いて心身がボロボロになったところで、世間はあなたを労ってくれるわけでもなく、責任を負ってくれるわけでもありません。目標や理想という妄想から一旦気持ちを離し、負担を感じないでできる仕事をいろいろ経験しつつ、あなたが等身大で頑張れそうなものを焦らずに探してみてはどうでしょうか。
赤塚不二夫が手塚治虫に、どうしたら面白い漫画が描けるか?質問した。それならいい小説を読みなさい。いい音楽を聴きなさい。いい映画や演劇を見なさい。漫画から漫画を学ぶな。
あなたが職場で人と闊達に交流ができる術をこれかれ身につけても、それは演技のようなものでしかありません。私たちの本質は、私たちの意識以上に、自らに適した振る舞い方というのを知っている。
何より、あなたがありのままの自分でいられる家族や友人がいるのであれば、もうそれで十分じゃないかとも思う。