ヤマザキマリのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この『オリンピア・キュクロプス』は、中学校・高校の図書室に置いて欲しい漫画である
青春真っ盛りの十代にも、自分の才能と向き合う意義、夢の為に頑張る意味、自分らしく生きる意志、それを考えるためにも読んでほしい漫画だからこそ推薦するんだが、それ以上に読んでほしいのは、漫画を読むと馬鹿になる、と思っている大人だ
確かに、世の中には漫画を一度も読まずに、努力し続け、成功した大人もいる事にはいる
そういう立派な大人が、漫画は害悪だ、と言うのなら、そこには相応の説得力は生じるだろう
けど、そんな偉い大人の圧に屈さず、今日まで、漫画がこの世から消え失せていないのは、漫画は害悪などではなく、読んでも馬鹿にならない証明になるんじゃないだろうか
漫画には、人へ今日も生き、明日を掴む、その気力を与える力があるはずだ
だからこそ、多くの人に愛されているんだ
漫画が害悪などではなく、その漫画から得られる力を正しく受け取れず、自分の犯した罪の理由に挙げる奴が愚かなのだ、と私は言いたい
ちょっと熱くなりすぎた事は反省するが、この『オリンピア・キュクロプス』を学校の図書室に置いて欲しい、って意見は撤回するつもりはない
人間、生きていれば、何枚も、高さや厚さが異なる壁にぶつかる
壁にぶつかるのは、その人が目標を持ち、それに対し、真摯な努力を積み重ねているのだ
壁にぶつかって苦しむくらいなら、頑張らない方が良い、って意見もあるだろう
努力しない事で、つまらなくなるのは、その意見の持ち主の人生なので、好きに生きればいい
主人公・デメトリオスは女々しい性格ではあるが、決して、壁から逃げない強さがある
悩み、憂い、哀しみ、無力感に苛まれながらも、自分で、しっかりと答えを見つけて、前に走り続けている
そんなデメトリオスの強さを、学生にも感じ取って欲しいのだ
もちろん、彼のように、上手い具合に壁が乗り越えられるようになる訳じゃない、この『オリンピア・キュクロプス』を読んだとしても
けど、読んだ学生は、何かは得られるはずだ
この(2)には、漫画の礎を築いたと言っても過言ではない、手塚治虫先生に、デメトリオスは出会う事になる
実に漫画的な展開だからこそ、一線を越えた面白さを読み手に感じさせてくれるのだ
手塚治虫先生の、漫画家として生きる姿に感銘を受け、人間的に成長したのも束の間、デメトリオスは新たな壁にぶつかる
そして、大きな悲しみを、永遠の別れで味わうことになってしまう
それでも、彼は道半ばで倒れた、立派な英雄が自分にくれた物を大切に抱え、自分を更に成長させるべく、行動を起こすのだった
納得のいく壺絵を描く事、楽しく走る事、どちらかを取るのではなく、どちらも諦めず、両方を持ち続ける事で、互いの良い変化を促していく、と決断したデメトリオスが目指す新天地は、アテネ
アテネで、彼はどんな人物に出会い、どんな問題に直面し、そして、タイムスリップした東京で、どんな経験をするのか、楽しみだ
私なんぞが言うまでもない事だが、この『オリンピア・キュクロプス』の良さを支えているのは、意外にも、村長じゃないだろうか
嫌なキャラではある。けど、この村長がデメトリオスに、現実の厳しさを突きつけ、感情任せに恫喝するからこそ、デメトリオスは成長に必要な壁にぶつかれる
現実にも、村長のような父親や教師、上司はいる
そんな人間の言葉なんて、聞く必要はない、と思っている若者もいるかもしれないが、そういう人間の言葉にこそ、自分を変えるチャンスが秘められているもんだ
自殺を考えたくなるまで我慢しろ、とまでは言わんが、少しは耳を傾けるのもアリじゃなかろうか
この台詞を引用に選んだのは、さすが、漫画の神様、と感服したので
実際、私が尊敬している、藤田和日郎先生や羽海野チカ先生たちも、漫画だけじゃなく、様々なカルチャーに触れている、と聞く
漫画だけに「好き」を注ぐのではなく、自分が気になるもの、世間で人気なものへ、積極的に触れに行く事で、人間性を成長させる
そして、その経験から出来た、新たなエネルギーを、漫画へ詰め、もっと面白くする
私も、小説家として世に出たいのなら、漫画や小説だけでなく、他の文化も、もっと勉強すべきなんだな
「マンガを描くには、まず、何を人に伝えたいのか、それをはっきりさせること・・・いいマンガを描きたいのなら、マンガからマンガを学ぶな!よい音楽、よい文学、よい映画、様々な文化に触れることが大事なんだ―――」(by手塚治虫) -
Posted by ブクログ
ハドリアヌス帝に反感を抱く元老院は、民衆の支持を落とすため、ハドリアヌス帝お抱えの浴場技師であるルシウスの存在を抹消しようと策を凝らします。彼らは、ハドリアヌス帝の命令だと偽って、ルシウスを山賊たちの暮らすヴェスビオス火山の裏手の地方に派遣します。さっそく任地に赴いたルシウスは、山賊たちの襲撃を受けますが、そこにはすばらしい温泉が湧き出ることを知り、山賊たちの協力を取り付けて、温泉街の設立を開始します。
さらに、遠征の途上で風呂に入れないことに不平を唱えるアエリウス・カエサルのために木桶の風呂を作って送る話や、現代日本で成金の設計に不満を鳴らす若い日本人の浴場設計師のためにローマ風の浴場設計の手助けをする話が収められています。
表紙のイラストのインパクトが抜群です。 -
購入済み
掲載誌の廃刊で...
掲載誌『新潮45』が、LGBTへの差別的エッセイの掲載から批判と攻撃を受け、早々に廃刊を決めてしまった。
社内他誌への引越し等して、絶対に存続させて頂きたい。
個性豊かな登場人物、描き込まれた絵、史実の研究、有事の古代人の行動...全てが想像を掻き立てる。良い作品。 -
Posted by ブクログ
ワンパターン、そう揶揄する人もいるだろう
確かに、前作『テルマエ・ロマエ』と被っている、古代から現代日本へのタイムスリップって展開が
けど、それの何が問題だ?
他の漫画家がやったならアウトだけど、ヤマザキ先生本人が新作に、そのネタを使っても、全く問題はない
それどころか、『テルマエ・ロマエ』に負けない面白さが凝縮されているのだから、逆に、ヤマザキ先生の実力の高さを賞賛すべきだ
前回の『テルマエ・ロマエ』のテーマが、心身を癒す象徴である入浴だったからか、この『オリンピア・キュクロス』は運動、しかも、オリンピックが土台になっている、をメインに持ってきている
既に、映画化の話が動き出していても驚きはしない
ただ、内容はともかく、競技者は時代的に真っ裸で運動するのが当たり前なので、その辺りが障害になりそうではある
また、古代ギリシャ人たちが登場するので、キャストを用意するのも大変そうだ
さすがに、再び、阿部寛さんに主人公のデメトリオスを演じてもらう訳にはいくまい。阿部さんの身体能力を疑う訳じゃないが、やはり、素っ裸で運動させるってのはマズかろう
まぁ、映画化云々は、その辺の決定権を抱えているお偉いさん方に任せるとして、この(1)の本編について語ろう
先にも触れたが、古代ギリシャ人であるデメトリオスが日本にタイムスリップし、そこで日本人の感性や文化に触れ、驚かされる。そして、その衝撃を元の時代に持ち戻り、新たな文化を生み出している
『テルマエ・ロマエ』と同じく、読み手に歴史が狂うんじゃね、とツッコませるストーリーであるが、この『オリンピア・キュクロス』は面白い、と感じさせる大きな理由は、彼がやってきてしまう時代が1964年ってことだ
そう、東京オリンピックに沸いている頃である
大戦の傷から立ち直りつつある日本人の熱に触れる事で、身体能力は優れながらも、他人と競う事に抵抗があったデメトリオスは、運動の楽しさに気付いていく
あくまで、素人の印象だけど、『テルマエ・ロマエ』を描いている時よりも大変なのではないか
何故って、ヤマザキ先生は古代ギリシャの事だけでなく、1964年の日本・東京についても、綿密な取材をせねばならない
ただ、大変な分、描く面白さは『テルマエ・ロマエ』の時よりも強いのかも
デメトリオスが本物の古代ギリシャ人である事を信じ、彼に真理を説く巌谷先生も良い味が出ている。この人が、古代ギリシャに行っちゃうってパターンも今後、あるのかな
どの回も、ヤマザキ先生のポリシーがひしひしと伝わってくる。その中で、私が最も衝撃を受けたのは・・・・・・次回予告だ
恐らくだが、他の漫画読みも、この次回予告に「マヂか!?」と驚いたんじゃないだろうか
あの人は、例え、後ろ姿であっても正体が何となく判ってしまう者だ
果たして、あの人との出逢いは、デメストリオスにどんな変化を齎し、古代ギリシャに何を起こしてしまうのか、ワクワクするような、ドキドキするような
この台詞を引用に選んだのは、本気の言葉だな、と感じられたので
ヤマザキ先生が、心の底から、観衆に多くの感動を与える運動や選手に尊敬と感謝を抱いていなきゃ、ここまでの説得力は生じない
相撲やアメフト、ボクシングと、ここ最近、次から次に問題ばかりが起こっているけど、一心に頂点だけを目指して、人生を懸けている選手らの努力だけは邪魔しないでほしいもんだ
問題を起こす輩どもは全員、スポーツの楽しさを忘れちまった可哀想な奴らなんだろうな -
Posted by ブクログ
『テルマエ・ロマエ』とプロットは同じだけど、
テーマがまったり系の「風呂」じゃなくアッパー系の「運動」なので、
これはこれでおもしろい。
草食系主人公デメトリオスの活躍が、尚武的で闘争的な古代ギリシャ人
(ポリスの正規メンバーにカウントされない女性と奴隷は除く)の体育観、
身体観にどう影響していくか、興味深い。
それと古代ギリシャといえばパイデラスティア(衆道)、この習俗を
どう取り入れるのか、なかったことにするのか、さらに興味深い。
町の体育場に集う十代男子をおじさんが入り待ち出待ちストーカーするのは、
史料によればふつうにあったことのようだから、
避けて通るのはもったいないw気がする。
それとスパルタでは女子にも運動が奨励されていたから、
腹筋割れてるラケダイモン(スパルタ)女子も見てみたい。 -
Posted by ブクログ
古代人がとあるきっかけでタイムスリップしてしまい、
タイムスリップ先の日本で見聞した事を活かして自分もまわりも変わっていく……。
この仕立は『テルマエ・ロマエ』と変わらない。
今回の主人公は古代ギリシアの壷絵師である。
ギリシアの美しい壷は、誰でも、美術の教科書や歴史の教科書でお馴染みではないかと思う。
綺麗ですよね。
私もあの画像が大好きだった。
柄も彫刻も、独特の、写実的でありながら一定のスタイルがあり、それが繊細な美的感覚で息づいている。
……但し主人公は壷絵師としては落第すれすれのへたくそだ。
ところが、稀代の臆病者で競争ごとが大嫌いなくせに、雨同能力「だけは」人並み優れているのだ。
主人公がその運動能力を村長に認められて、村を活かすための競技会に出場するよう求められるのだが、競争ごとが大嫌いな主人公は悩んでしまう。
大きな壷に隠れて頭を抱えていると……、
がーん!
いきなり壷が雷に打たれ(主人公が祈ったゼウスのみわざであろうか)、なんと1964年の日本に飛ばされてしまうのだ!
そう、飛ばされた先の日本は戦後の復興を賭けた東京オリンピックが始まるところだった。
ここで見た日本の文化や、日本人が思うオリンピックを見聞きして、ギリシアでもそれなりに実行しようとした主人公が周囲に投げかける波紋は!
このあたり、『テルマエ・ロマエ』より更に面白いと言える。 -
購入済み
ヤマザキマリさんにしか描けない
彼女の日本人でありながら欧米人の感性と画力、これらがないと日本風なキャラクター重視の漫画になってしまうから描けない話だったでしょう。
作者の特徴が出るキャラしか描けない日本人漫画家には無理です。全てが映画を見ている様でした。
あの改革期を見て来た世代の、今のスマホが当たり前に世代にワクワク感は分からないだろうな。
iMacが出た時、お洒落感覚で部屋のインテリアが可愛くなるからと欲しくなった気持ち。
iPodが出た時、当時は説明書がない、は画期的ではなく不親切で見様見真似で操作に苦労し、使えた時初めて便利性を理解し自分を誇りに思った気持ち。
シャッフルが出た時、どう曲を選べばいいか分からず、その時初めてPCがメインの機械なんだと頭ではなく感情で理解した日。
昔アメリカでたまたまレストランで知り合った人が、恐らくiPhone関係の開発者で「こんな電話ができるんだ!世界中の人とタダで話せる!凄い時代が来るんだ!」と教えてもらったのに、当時は信じてなくて、10年経って今思えばこの話だったんだと理解できる時代が来たこと。
いろいろ懐かしくなりました。