ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
長いわ!( ゚д゚ )クワッ!!
もうね、ず〜っとほのめかしなのよ
なんか裏で進んでるな〜
なんか企んでるな〜
なんか隠してるな〜
ってのは分かるのよ
分かり過ぎるのよ
でも肝心なことはち〜っとも出てこない
引っ張る引っ張る
つか引っ張りすぎやでドストエフスキー!
もう、いらん話ばっかりやん!っていうね
そして分かり過ぎるくらい分かることがもうひとつ
みんなちょっと狂ってる!
そしてちょっと狂ってる人の中からだいぶ狂ってる人が浮かびあがってくる!
そいつこそが『悪霊』なのだ!(ババーン)
あとさー
巻末の読書ガイド、あれいらんわー
いやドストエフスキーを分かりやすくって意図は分かるんだけどさー
ついつい「そんなん言われんでも分かっとるわ!」ってなんちゃうんよ
「なんかガイド読んで気付いたみたいに思われるわ!恥ずかしい」ってなっちゃうのよね〜
いや誰に思われるか知らんけど -
Posted by ブクログ
ネンイチドストです!
2023年『罪と罰』
2024年『白痴』
ときて今年2025年は『悪霊』でございますよ!
ドストエフスキーの五大長編を執筆順に読んでいるんですねー
もちろん大好きな光文社古典新訳文庫です
全3巻+別巻という構成となっておりまして、それぞれ546頁、747頁、626頁、363頁という大長編!さすがのわいもえいや!と気合を入れてかかる必要がありますわ
エンヤ!
はい、本編
もうね、さすがに三作目ともなるとドスちゃんのやり口にも慣れてきましたよ
あっち飛びこっち飛びです
しかもですよダブル主人公と目されるニコライとピョードルがまぁ出てこない出てこない
一巻の最後の方ですよ二人が出てくるの
つか恐らく主要な登場人物が勢揃いしたのが最後の最後です
500ページくらい読まされてのやっとですよ
しっかーし!この無駄に遠回りさせられたと思わせといてーの、ほんとに遠回りだったー!てのがドストエフスキーなのよ(じゃダメじゃん)
そしてね、一巻を読み終えてわいが思ったこと言っていい?
ダメ言われても言いますけどね
最後まで読んで、あ、ぜんぜん違ったー!てなるかもしれんけど、言っちゃいます
旅の恥はかき捨てとも言うし(いつ旅立った)
『悪霊』ってタイトルが秀逸過ぎる!!!
今のところさ、悪霊感ないのよ
悪霊感ってなんなのか具体的に述べよと言われたら困るけどないのよ
まあまあ平和なのよ
だけどなんとなく不穏な空気も感じとれるのね
だけどだけどそれって『悪霊』ってタイトルに引っ張られて深読みしちゃってるだけ?なんてことも思えるのよ
いやーどっちなのー!キーっ!
やばい2巻が楽しみ過ぎてドストエフスキーの術中にはまってーる -
Posted by ブクログ
★★★★ 何度も読みたい
ロシア文学というかドフトエフスキー特有の、回りくどくキャラクターが入り乱れる作品。読み途中で数日置くと、誰だかわからなくなってくる。
主な登場人物は、おそらく主人公のアレクセイ(アリョーシャ)、その父のフョードル、そして長兄ドミートリー(ミーチャ)、次兄イワン。カッコ書きで示したのは愛称だが、この作品でも『罪と罰』など他の作品と同様、何の前置きもなく突然愛称が登場する。
さて、肝心の内容だが、金や女に汚い父フョードルと長兄ドミートリーの間で勃発した美女・グルーシェニカの争奪戦に、清廉な少年アレクセイがカラマーゾフの血の汚さに気付いていく、といった感じだと推測される。アレクセイは家族ではなく、教会で長老らとともに清楚に暮らしており、本人は他のカラマーゾフとは全く異なり、男女の関係が話題に出るだけで赤面するほどの初心だ。しかし物語中盤、長老が危篤となり、彼はこれまでの支えを失い、直接自身の出自や血筋と向き合うことになる。
正直聖職者や誠実な婚約者に対して嘲笑するような姿勢のフョードルやドミートリーに対して嫌悪感を覚える中、アレクセイの清純さが救いだった。
しかし何となくこの物語のテーマが、清純から欲望への破滅という成長なのかもしれないという気がしているので、不安。ただ最後まで読むと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレアリョーシャが好き!!上中下でしかもそれぞれページ数も多く読み始めはちゃんと読み切れるのか不安だったけど以外と飽きずに読み続けられる。下巻も最後の方にもなるとすっかりこの世界感もお馴染みになり、もうアリョーシャに会えないのかと思うと急にさみしくて読み終えたい気持ちと読み終わりたくないがせめぎ合う。スネリギョフも好き。スネリギョフが出てくる話はだいたい哀愁が漂って泣ける。
出てくる人物みな個性強くてキャラ立っているんだけど、みんな情緒不安定でヒステリック笑
気持ちがコロコロ変わるので次の瞬間にはどんな行動に出るか予想がつかない。アリョーシャは唯一まともかと思いきや女の子に告白されるとなぜか使命を感じて急に結婚申し込んで相手にドン引きされたり、信仰心強すぎて地面にキスしながら泣いたりとやっぱり予測できない情緒…。素直で純粋な性格だけに、シンプルに実は一番やばい人なんじゃないかとも思えてくる。実際未完のこの作品の続きは父親殺しの真犯人は実はアリョーシャで、その後テロリストになるって説も多くあるみたい。
やかましく永遠にしゃべってる登場人物たちの話を聞いてあげるのは確かに気合いがいるけど読んだ後は人間の多面性が強く印象に残り、善悪で人を決めつけない見方を鍛えられる作品だと思う。読んで良かった。
世界の多くの人はキリスト教という作り話(信仰していない者からしたら)をなぜそんなに大切に信仰しているのかとずっと疑問だったが、そういう根本的な様々な疑問に関してもドストエフスキーの答えと哲学が記されている。
次は悪霊、白痴なども挑戦したい。
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Posted by ブクログ
6章までの展開がわずか2週間の間に起きた出来事だなんて信じられない……ラスコーリニコフの混乱と狂気、罪の意識が次々と押し寄せ、大洪水を起こすネヴァ川のような勢いで濃密な読書体験に読者を巻き込んでいく小説でした。
正直6章まではとにかく陰鬱な小説で私の好みでは無いかもしれないと思って(やや渋々読み進めて)いましたが、エピローグを読んでこれは紛れもなく「愛(と信仰と自由)」についての作品なのだと気づいてから、作品の見え方が一変しました。それだけラスト、ソーニャとラスコーリニコフが互いの愛を感じ、蘇るシーンに強く心を打たれました。この瞬間のための1〜6章つまり「罪と罰」だったのですね。
ただ、ふたりの人間を殺めた自分勝手で傲慢なラスコーリニコフへの減刑については(そのほかにどれだけの善行を積んでいようとも)、本当にそれでいいのだろうか、と引っかかるものがなくはありません。でもそう感じるのは、そこまでしないと愛や信仰の力を知ることができなかったラスコーリニコフと異なり、私自身が幼い頃から「たまたま」両親や周囲の大人から愛情を受け、食べ物にも住む場所にも教育を受けることにも何不自由ない社会的環境に育ったからだとも思えるのです。ここには見えないスタート地点の大きな格差があり、私が私の人生観にのみ照らして簡単にジャッジできない要素を含んでいるのだと思います。
この問題については、またいつか偶然「罪と罰」に再会したときに考える問いとして残しておこうと思います。 -
Posted by ブクログ
法廷劇だ。こういう小説だったのか、とびっくりする。父フョードルを殺したのは誰か。前巻までの流れで読者は一応の犯人がわかっている。でも、流れはドーミトリィ=ミーチャの有罪に向かう。それが、弁論の展開で大きく揺さぶられ、そういう方向にいくかぁと思ったら、さらにひっくり返る。このあたりの展開は、確かに1巻よりあとは一気呵成、といわれるのもなるほどと思う。
これを書いている段階で、光文社版の最終巻は読み終えているんだけどさ。さらにエピローグが一冊あるのかぁ、と読み終えて、ちょっと先にいくのを躊躇した。それくらい、嘆息する終わりだったんだけどね。実際のところ、最終巻はほとんど解説で、エピローグは普通に短かった。
文学作品としては高峰に位置づく本作だと思うけどさ。面白さはマニアックではなく、俺みたいに万人に通じるものだと思う。読み進めればね。 -
Posted by ブクログ
三島由紀夫、小林秀雄、村上春樹、平野啓一郎、…
ドストエフスキーを読んで人生が変わった、影響を受けた、と随筆などで書いている作家や著名人を今に至るまで、本当に多く見かけてきた。
時代に関わらず普遍的なメッセージがあるんだろうなぁ、とは思いつつ、これまで何度もトライしては挫折している。
まず、本筋から外れるエピソードが多い。今時のストーリーを追うものではないと分かってはいるが、それにしても話が進まない。
また、登場人物の名前が分かりにくく、同じ人が複数の呼び名で登場する。
齋藤孝氏は、登場人物の個性的なところにも注目すると良い、などと著作の中で触れていたので、今回はそういうところを含めてじっくり時間をかけて読んでいこう、と思い再トライ。普段は上下巻になっている場合、下巻を読み終わってからまとめて感想を書くが、今回は忘れないうちに、と思い現時点の感想を。
一つは、酒、そしてそれによる酩酊状態の場面が多い。ロシア人はウオトカを日常的に大量に呑み、アルコール依存が社会問題になっていると聞くが、それはここでもベースになっているのではないか。
また、上巻後半までは冗長な表現が多く、読み進めるのになかなか忍耐力が求められたが、ラスコーリニコフの書いた論文のくだりに入って、それまで感じていた「なぜラスコーリニコフが殺人を決意したのか?」というモヤモヤが晴れて、一気に引き込まれた。
下巻が楽しみだー!
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Posted by ブクログ
ネタバレ本作は最初から最後まで貴族社会を描いた物語であるということである。その前提がないままに読みはじめた私は、 デ・グリューが「僕」の見分けがついていない意味も、「ぼくが同じテーブルに勝手に顔を出したので、将軍はいかにも不満げに僕を見やった」意味も 理解できなかった。
上記のような仕打ちを受けて、僕が特に憤慨したり傷つく様子がないことも相まって、よほどこの主人公は捻くれ者なのか、 或いは将軍との間にどんな因縁があるのだろうかと勘ぐりながら読み進めることになった。
だが、ここが19世紀欧州の貴族社会であることを理解すれば、 単なる家庭教師である僕が、決して貴族たちと同等の扱いを受けられるはずがなく、また、彼がそれを受け入れていることにも合点がいくのである。
そういう意味で、貴族社会に縁のない私にとっては非常に興味深い作品に感じられた。
例えば、本作には以下の様な記述がある。
「こういう人物と並木道を散歩するのは、べつに問題ないどころか、かりにこういう表現が可能だとして、人物証明の代わりになる。」
「将軍としてももはや、こうした風変わりな女性の姻戚関係で、一般客たちの間に自分の名が穢されるのではないかなどと恐れてはいなかった。」
これは、貴族社会の狭さを象徴している。それは、まあ当然の話だろうが上流階級の数は限られているだろうし、それも名門になればなるほど名が 知れ渡っているだろうから、彼らはその一挙手一投足に気を遣わなければならないのである。
その様は、皮肉にも社会階級で言えば真逆の小さな村社会のような状態であったのだろう。
他にも、執事や小間使いがそもそもカジノに入れなかったり、「温泉地では、〔.....〕ホテルの支配人や給仕長が部屋を客人に 割り振るさいに指針とするのは、客の要求や希望よりもむしろ、客人にたいする彼らなりの個人的な目である。」というように、 本作では至る所で当然の様に貴族社会が、つまり階級差別が描かれている。 -
Posted by ブクログ
ギャンブルの怖さがよくわかる小説。ドストエフスキーが、債権者である出版人に苦しめられて、わずか27日の口述筆記によって完成。そのため、とっ散らかった序盤の読みづらさや、登場人物によっては行く末が尻切れトンボな人もいますが、著者のギャンブル経験あっての迫真な賭けのシーンは十分楽しめました。
あらすじ:
家庭教師のアレクセイ・イワーノヴィチは、金策にパリなどを駆けずり回り、南ドイツのカジノがある観光地に滞在している雇い主の将軍一家に合流します。この将軍、借金だらけで、フランス人債権者のデ・グリューに首根っこを抑えられている始末。頼みは、危篤状態の資産家のお祖母さんの遺産。それが手に入れば全額返済しても余裕な莫大な金額なため、遺産を手にマドモアゼル・ブランシュとの結婚を考えていたのでした。一方、将軍の義理の娘ポリーナに恋焦がれるアレクセイは、遺産がポリーナに与える影響をフランス人債権者のデ・グリューとの関係を勘ぐってヤキモキします。そんな折、お祖母さんが皆の宿泊しているホテルに現れて、亡くなるどころか健在ぶりを披露。アレクセイを伴ってカジノに行き、ルーレット勝負に大金を賭けはじめて…。
ギャンブルではアルアル話しの心理面の変化が、著者自身も賭博者だけに、なんとまあリアルな書きっぷり。賭けにハマって行く過程やスリル、そして運に見捨てられて破滅に至る終局や、勝っても負けてもお金に群がる人たち…そんな悲喜交々がドキドキしながら味わえました。やっぱりギャンブルは胴元が儲かるようにできてるんですね。読書中は某有名通訳もこんな感じだったのかなと脳裏をよぎったのでした。