ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
要するにあれでしょ?頭のおかしい親子が、バタバタ暴れ回って周りに迷惑かけまくる話でしょ?
はい、三行
どうだドスちゃん、三行でまとめたったでw
もうとにかく長い
無駄に長い
本作は主人公アルカージーの「手記」とい形をとっているのだが「…について簡単に述べる」「…についてまとめる」「…については書かない」とか言った後が長い
なんの前フリやねんってくらい長い
そんなに長いこと喋る人いねーよ!とか突っ込みながら読む
だがしかーし!
それがドストエフスキーなのだよ諸君
そしてなんかこの無駄に長いのは原稿料をたくさん貰うためだっとたという話があったりする
まぁ、ドストエフスキーと言えば金にだらしないおっさんとして有名だからね
なんだかよくわからなかったけどなんだか面白かったよ『未成年』
さぁ、いよいよネンイチドスト来年は五大長編最後を飾る『カラ松の兄弟はおそ松、チョロ松、一松、十四松、トド松』じゃなかった『カラマーゾフの兄弟』だ!
とりあえず来年まで生きる! -
Posted by ブクログ
ネンイチドスト『未成年』の第二管区海上保安本部違う第二巻である
ヤバいちょっと第一巻から間空けすぎたニコフ
というわけで混沌としてきました
人間関係が複雑すぎる
意地悪か!そんな意地悪したいかドストエフスキーさんよ
誰がいい人で誰が悪い人なのか全くわからん
いや人間なんてそんな綺麗にいい人悪い人分けられまへんでっていうことなのか
誰がお馬鹿なのかもぜんぜん分からん
いや全員お馬鹿ってことなのか
そうなのかドスちゃん
なんか手揉みしているドスちゃんが目に浮かびます
いつから大阪商人に?
そしてなにかしらの秘密が明かされるたびに「えー!」ってなる
「聞いてないよ〜」ってなる
ずるい
ずるいよドスちゃん
そりゃそうなるわなってなる
さぁ主人公アルカージーはいい子なのか悪い子なのか、それとも周りの大人たちにただただ翻弄されるだけのお馬鹿さんなのか
答えは最終巻にアルカージー!(上手い) -
Posted by ブクログ
「地下室の手記」を面白く読めたので、「罪と罰」に再チャレンジ。かなり夢中になって読めたかも。
世の中には凡人と非凡人がいて、非凡人は大衆のより良い未来・革命のために法を破る権利を持っているという独自の理論を携え、それなら自分という将来有望な若者が貧困に喘いでいるのではなく、金を持っている害悪な老婆を殺したって何の罪がある?と考え、青年ラスコーリニコフは実際に殺人を犯してしまう。(150年以上前の小説だから書いてもいいと思ったけど、ネタバレになった方いたら申し訳ない)
警察ポルフィーリィとの会話は探偵小説のようだし、ソーニャとのやりとりは(だいぶメンヘラな)恋愛小説のようだし、全体感としては病的な思想を抱えた人間の心理観察をしているような感覚にもなる。
超一人称なのに、常に発狂寸前の緊張感の中にある登場人物がいかれすぎてて共感しようもなくて第三者の視点になる。
ドストエフスキーの凄さって一言で言えるものじゃないけど、精神状態が言葉と行動に現れる時の描写の緻密さだなあって思う。
自分自身でも自分の言動に説明がつかない精神を病んだ人間が、自分なりに納得するために辻褄の合わない意味づけをしたり、思いこみを事実と信じ込んでしまった時に、どんな言葉を発してどんな行動をとってしまうかっていう心理描写や仕草の描写がリアリティありすぎて、本人も近しい経験ないし心理状態になったことがあるからこそ書けるんだなって思う。
ドストエフスキーと太宰治について何作品か読んで、彼らは内省で起こっている複雑な現象をその瞬間の感情の発露ではなくて、文章で、しかも時系列で外在化させることができるのが異質なんだなって思った。
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Posted by ブクログ
1部と2部をそれぞれ1日ずつ、2日で読み切りました。
1部はなかなか理解が進まず、始めのうちはあー、うん、なんとなく分かる。って感じなんですが、ページを跨ぐとちんぷんかんぷんだったりと、あれ?俺読んでるけど読めてなくね?って感じでした。
2部は物語となり、おぉ、これこれ、これが見たかったんだと言わんばかりの長広舌が繰り広げられていました。地下室の男には何度ツッコミを入れたくなったか、、、
そして解説ではその時のロシアの状況であったり、思想や哲学についての説明だったんかな。正直前知識がなかったので、難しかっです。
「裕福=幸せ」を2×2=4のような理屈上での幸せだとして、
「貧乏で幸せ」も良いのではないのか、という理屈で説明がつかない2×2=5の幸せも、自由である。 -
Posted by ブクログ
直前に読んだ太宰治の「人間失格」の中に以下の一文があったのをきっかけに読みました。
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罪と罰。ドストエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニム(※類似語)とは考えず、アントニム(※反義語)として置き並べたものだとしたら?罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。
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自意識過剰と一般社会からの隔絶といった共通項を持った作品として「地下室の手記」を次読むことにしたんですが、どんな言葉でもうまく表現できない超新感覚の読書体験でした。(新感覚と言いつつめっちゃ古い本だけど…) 「地下室の手記」は二部構成になっていて、第一部は「地下室」(文字通り部屋ではなくて概念)に引きこもって毒づいている40代の男性の独白。第二部は彼が24歳の頃のエピソードで、過剰なほどの自意識過剰ゆえに友人も女性も使用人も周りにいる全ての人間を激しく拒絶したかと思えば、関係の回復を衝動的に望んだりかなり頭のいかれた挙動をしている話。
これを書いた当時のドストエフスキーの実体験や、ロシアの情勢を事前知識として読むと、単純に「頭のいかれた男の話」で片付けることができない作品だって納得する。人間という生き物が自身について善悪の決着がつかない以上一生読み継がれて当然の傑作だって思った。
ドストエフスキーは42歳でこの作品を書いたんだけど、この「地下室の手記」以前と以降で価値観が転換している。以前は人道主義的だったけど、思想犯として4年間のシベリア流刑(極寒の地での重労働の服役)を経験し、その中で銃殺執行直前の臨死体験をした。当時のロシアでは西洋合理主義が取り込まれていて、みんなが自身の合理的欲求を追求すれば調和と幸福が得られるという思想が主流だった。それに対してドストエフスキーは強烈な違和感を持って、手記の中で何度もシステムや数学(科学的ルール)に服従してたまるかといったことを苦しみながら訴えている。素直にこの小説を読むと半端なく頭のおかしい社会不適合者だけど、この主人公がずっと争ってるのは規範化された社会なんだって読み方をするとすごく腑に落ちる。彼から見ればむしろ何も考えずに社会の仕組みに従ってる人間の方がおかしいという主張になる。
人間らしさを失うことを恐怖しながら、自我を守るために他人を傷つけることしか手段を持たない人の話だって解釈しながら読みました。
(引用)
二二が四がすばらしいものだということには、ぼくにも異論はない。しかし、讃めるついでに言っておけば、二二が五だって、ときには、なかなか愛すべきものではないのだろうか。 -
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ネンイチドスト2026年は『未成年』です!(ババーン)
いやー相変わらずひたすらにまわりくどい
ことごとくまわりくどい
だが、そのまわりくどさがドストがドストたる所以
ページ数の無駄遣いが延々と続くのでつらい
でもがんばる
そして主人公の未成年アルカージーは拗らせている
ドストの主人公はだいたい拗らせてるが、アルカージーもひどい
そしてこの拗らせがなんだか良くない方向にアルカージーを進めているのがなんとなくわかる
そっちへ行ったら名古屋城やで!ってそれは拗らせの行き着く先じゃなくてゴジラの行き着く先(いらんやつ)
でね、このお話はどうやら父と息子の物語なのよ
子の持つ父への鬱屈した思いが、拗らせの原因でもあるんだけど、この父が謎すぎて、やっぱドスト分かんね〜と叫びたくなる
で、一巻の最後はどうやら妹の朗らかさに救われてアルカージー軌道修正!なんか良さげで終わる
で、恐らく2巻の最初でまた元に戻るんだなきっと
要するに全員考えすぎw -
Posted by ブクログ
上巻だけでも中々面白かった罪と罰の下巻!
殺人を犯したラスコーリニコフが捕まるか捕まらないか。一体どういう結末に持っていくのか。
事件と直接かかわりがなことから、本筋と関係ないと感じていた様々な登場人物が、序盤では「脇道にそれてばっかりで本筋が薄まるな」と感じていたが、下巻から次々と関わっていって、なるほど、そう絡んでいくか、と話の攪拌の仕方の妙に感心してしまう。ペトルーヴィチ、マルメラードワ夫人、そしてスヴィトリガイロフ。
良い物語は、ひとつのストーリーでも複数の読み方が出来るものであるという。
この各登場人物の絡まり方が、まさ複数の読み方をなさせるコツなのだろう。
最終章まで中々立ち位置が謎だったソーニャが特に味わい深い。
なぜラスコーリニコフがずっとソーニャに絡んでいくのか、そして独白したラスコーリニコフに対するソーニャの対応も中々不可解だった。
最後に一気にラブストーリーのような分かりやすい愛の話でまとまるが、重要なのはソーニャの信仰心なのだと、あとがきを読んで理解した。
ここの部分、おそらく多くの日本人にはピンとこない部分じゃなかろうか。
ロシア正教なりキリスト教に通じている必要があるのだと思う。
宗派によって違って告解だとか痛悔だとか言われるが、懴悔と言えばイメージしやすい。
神との関係が幼少期から染み付いている人は、その罪の意識によって苦しむ。
そこで罪を独白し赦しを乞うことで、その苦しみから解放されるのである。
法によって裁かれるのはその次という精神性がそもそもある。
徹底して神との関係性を重視しているソーニャは、罪を独白し、また自らの過ちについて苦しんでいるラスコーリニコフを見捨てず、信仰心を復活させ、自らの人生で以て導くという使命を感じたのである。
信仰がない私としてはそこに気付くまでにかなり時間がかかった。
が、理解すると、タイトルが罪と罰というのにもより説得力が増してくる。
最近、ドストエフスキーの生涯に関する本を読んだ、
ドストエフスキー自身がギャンブル依存に苦しみ、お金使い尽くし系であり、そこから抜け出した経験を持つ。
この実体験が、どうも一般読者としてはここも共感しがたい、上巻のセミョーン・マルメラードフの自白に繋がっている。
そしてドストエフスキーの最後の妻の一面が、ソーニャに投影されていると想像が容易い。
自らの人生を投射した作品、さすが重厚で、読んで良かったと心から言える作品だった。 -
Posted by ブクログ
かつて20歳頃に一度読んだのだが、その時は「手記の中で社会を断ずるイタい引きこもりおじさん40歳」という感想だったと思う。
なんとなくみすぼらしさや不潔さを感じていたような気がする。
もう20年も前だからそんな程度の記憶しかないのだが、奇しくももこの「イタいおじさん」と同じく、自分も今年で40歳になる。
果たしてこの度読んだ感想といえば
「あれ、自分もこのおじさんと同じ人種になってないか?」だ。
いや、当然、時代も文化も環境も全く違うし、この手記の中で語られるあらゆる面で自分と同じではないのだが、かつて20歳のときに読んだ時と今回読んだ時とを比べると、あきらかに自分がこの「イタいおじさん」に近づいているのだ。
20年前の感想からすれば、自分自身がみすぼらしく不潔な人間になっていることを示している。
もっとも地下室の手記は自分にとっては難しい本だから当時は全然読めてなかった可能性もあるし、読書を積み重ねた今だから読めた部分もあるのかもしれない。
いずれにしても20年越しの感想がこんな形で刺さってくるとは思いもしなかったし、この20年の間で価値観がしっかり変わっているということに気付かされた読書体験だった。