あらすじ
殺人を犯した者の詳細な運命がつづられる最終巻。ラスコーリニコフをはじめ、母、妹、友人、そして娼婦ソーニャなど、あらゆる「主人公たち」が渦巻きながら生き生きと歩き、涙し、愛を語る。ペテルブルグの暑い夏の狂気は、ここに終わりを告げる……。犯罪者に救いは訪れるのか? 人間の本当の罪、本当の罰が明らかになる! 画期的新訳、ついに完結。
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Posted by ブクログ
先が、気になって気になって…仕事が手に付かない。とか言っている場合じゃ無いほど(私生活上も公の上でも)色々とあって、第3巻を読むのに少しばかり時間が掛かったけれど。
ドストエフスキーの『罪と罰』を1回読み終えました‼︎
今回は光文社版の亀山郁夫さんの訳したものを読みました。
最初は新潮社版の工藤精一郎さんから読み始めたものの、1巻目の数十ページを読み進めた時点でこちらに変更して読み直し。
「100分で名著」で『カラマーゾフの兄弟』の解説をなさっていたのを観てその熱意を目の当たりにしていたことや、光文社古典新訳文庫が行間を広くしたり文字を大きくしたりしていて、老眼には読み易かったし、言葉遣いも堅苦し過ぎなくて良さそうに見えたから。
大した理由では無かったのですが、この最高の長編小説を最後まで読み続けさせて貰えたのは訳者の亀山先生のお力も大きかったものと思います。
もちろん、再読の際には工藤先生の翻訳された背筋が伸びるような新潮社版や江川卓さんの岩波文庫版など、他の日本語訳も是非読みたいと思っております。
ラスコーリニコフはどうなるのか?ドゥーニャやソーニャは。周囲に現れてきた怪しい?人物達がどう関わって行くのか。第5部、第6部…そしてエピローグへ。
ストーリーを追うのだけで必死で、時々現れる何のために語られているのか?この場面はなぜ?とかは不思議に思うまま通り過ぎてしまった。
これでは『要約だけ読んで読んだつもりになった人』と大差ないのでは無いか…とも思うが、隅々までしっかりと読んだ自信は大きい。
感想とか読後感などと偉そうなことをまだまだ書ける段階には無いのですが、この本を読破したことで『まだどんな小説でも読めるのでは』という希望が湧いて来ました。どんどん読んで行きたい。
この後は"謎とき『罪と罰』"という岩波文庫版を訳している江川卓さんの有名な解説書を読みながら、続けてドストエフスキー?それとも別の名著の世界へ旅をしてみる?
楽しく迷いながら考えています。
名著と言われるだけで、教科書的なものへの反抗心がムズムズと湧いていたけれど、世界の多くの人々が長い間「良い」と言い続けて来たものは、やはり本当に『良い』ものでした。
Posted by ブクログ
総ページ1489ページ (読書ガイド含む)を超える超大作でこんなページ数初めて読んだ。長い人名、多くの登場人物に戸惑いながらも読書ガイド、付属の人名しおりのおかげでなんとか読み切ることができた。22日程度かかった…ラスコーリニコフが老女殺しに至った経緯、思想をようやく知ることができた。結局自分を何らか特別な力を持つ者と勘違いしてしまった青春小説なのかもしれない (怒られそう)。前二巻に比べ第三巻は場面展開が激しくどんどん読むことができた。中弛みしなかった。ポルフィーリーとラスコーリニコフのバトルは手に汗握るほど熱が伝わってきた。面白かった。スヴィドリガイロフの神出鬼没さが更なるスパイスとなっていた。最後の直前まで暗鬱な展開だったため、このまま物語が終わってしまうのかと思ったら、救済が訪れ最後の部分を読んだ時鳥肌がたった。素晴らしい。裏切られた。訳者あとがきにあるようにドストエフスキーは「一世紀先であろうと二世紀先であろうと、人間の生活の営みは根本において不変であり、常に同じ問題で苦しみ悩み続けることを知っていた作家」と書かれていたが、その通りだとおもう。150年近く前に書かれた作品とは思えないほど登場人物の悩みが切実だった。私の好きな作家太宰治、三島由紀夫、夏目漱石についても同様のことが言える。素晴らしい表現。
ずっと読みたかった作品であったために読み終わり達成感がすごい。そのページ数で物語の細部まで表現されており、ドストエフスキーの小説をVR体験と称したツイートを見たがやっとその意味が理解できた。面白かった。
最後に自分の貧弱な読解力では理解できなかった部分をまとめる。
・ラスコーリニコフはソーニャへの愛で再生できたが、家族(ドゥーニャ、プリヘーリヤ)への愛との差は何か。
・物語を通して伝えたいメッセージは愛がなければ罪は償えないということか?そんな単純なものではないと思っている。
・ソーニャは踏み越えた→家族のため自分の尊厳を捨てることができたという解釈で合っているのか。
Posted by ブクログ
ここまでの長編小説、しかも古典的な海外文学を読んだのは初めてだった。1回目では登場人物や起こった出来事を把握しきれず、2回通り読んだ。
1番の感想としては、人間は極貧、劣悪な環境の中でもここまで意思を持ち、強く生きていけるのかと、元気づけられた。逆に言えばここまで劣悪な環境だからこそ意思を持てるのかもしれんけど。
個人的に面白かった場面が3つある。
・予審判事ポルフィーリーとの攻防
ポルフィーリーが恐ろしいほどにラスコーリニコフの心の内を読み、追い詰めていくのにはハラハラさせられた。まさに宿敵って感じかと思ったら最終的にはラスコーリニコフの罪を軽くしようと自首を勧めるっていうのには驚いた。俺が思うにポルフィーリーも以前はラスコーリニコフと同じ思想を抱いていたからこそ、その心理が分かるし、何かしらの情けも生まれたんだと思う。
・カテリーナの悲惨な死
このシーンは読んでて臨場感満載で心が痛くなった。夫はろくでなしで有り金を全部酒に注ぎ込んでしまうし、子供も4人いて、長女はお金を稼ぐために娼婦になるしかなかったし、カテリーナ自身も生まれの良さ故のプライドを捨てられず身の丈に合わない言動を繰り返して家主に追い出され、最期はヒステリーを起こして奇行に走り、持病の結核のため血反吐を撒き散らして死ぬ。彼女の裕福だった昔を思うと辛くてしょうがない。
・ナスターシャの存在
ラスコーリニコフの下宿の女中で、たまに出てくるとなんか和む存在。おてんば娘なイメージ。結構大事なシーンにもしれっと入り込んで話聞いてたりする野次馬感が面白い。あと、ラスコーリニコフは家賃を払ってないのにも関わらず、出てくるたびにご飯食べさせてあげようとしてるのが健気で可愛い。
Posted by ブクログ
1巻と2巻は2週間くらいかけて何とか読み終えたけど、この3巻は朝から晩までかけて1日で読み終えてしまった。
今さっき読み終え、まだ虚無感が残っている。今まで読んだ本の中でトップクラスに心にズシンと来る1冊だった。
色んな知識人がこの作品をべた褒めしてるから、そのバイアスがかかってるとは思うけど。
登場人物が全員好きだった。
ルージンも勿論悪役で性格も悪いんだろうけど、動機はどうであれ、主人公と揉めなければいい人で終わりそう。現実世界でいい人だと思われてる人でも、ルージンみたいな人沢山いるんだろうな。心では相手を見下してる人。
スヴィドリガイロフもいいキャラしてた。突然現れた謎の人物。心の魂胆を見抜かれ主人公と対立するけど、最終的にはドゥーニャに拒絶され自殺。小さい子を助けたりしてる描写から、ルージンみたいな心からの悪人では無いんだろうね。
本当に妻を毒殺したのかどうか、彼の自殺に至るまで心理プロセスなど、まだまだ読み取れてない部分も沢山あるので、時間と気力があればまた考察してみたい。多分しないと思うけど。
結局ナポレオン主義は間違ってたのかな?それとも間違ってる間違ってないとかの次元の問題じゃないのかな?
エピローグの疫病の話から読み取れるように、みんなが皆ラスコーリニコフみたいな考えになったら世界は崩壊する。
選ばれた人間というものが神様によって明確に教えられていれば、このシステムは正しく働く。
でも功利主義的な考えが常に正しいとは限らないし難しいね。
ラスコーリニコフが警察署で自首するシーンが自分の中でピークだったから、エピローグは個人的に蛇足だった気がする。自首するシーンで心臓バクバクだったのに、心が安らかになっちゃった。
まあ主人公の再生のの気持ちが見れたのは嬉しいし、あった方が作品として綺麗に終わるのは分かるけど。
他にとカテリーナさんの発狂シーンや、ラスコーリニコフの「協同組合」の看板のシーン等々お気に入りのシーンが沢山ある。
付箋を貼っておいたのでそこだけでもまた読み直したい。
Posted by ブクログ
最高だった。
人生のうちで何度でも読み返したくなるであろう一冊。
正直作者が描いた世界が深すぎて、一読では理解しきれてない部分、把握しきれてない部分はあると思うんだけどそれでも十分面白かった。
なにより亀山郁夫さんの訳が素晴らしい。
ここまで読み切れたのも読みやすい訳があったからこそだと思う。この「罪と罰」は1ページ1ページがドラマの連続で、どのシーンも本当にすごいんだけど、一番忘れられないのがラスコリーニコフが自首する前にドゥーニャとソーニャに向かって自分の思いをぶちまけるシーン。
「血なんてみんな流してるだろ。この世界じゃ、滝みたいに流されているだろ、これまでだってずっと流されてきただろ、シャンパンみたいに流されてきただろ。(中略)このおれだって、人々のためになることをしたかったんだし、何百、何千という善を成し得たかもしれないんだ、あのひとつの愚行な行為の代わりにさ」
一人の人間が逡巡の末に罪を犯し、自らの罪を正当化する姿勢などを見せながらも、結局は自首し、(法律面と精神面での)罰を受けていく、という過程を見る中で本当にさまざまなことを考えさせられた。人を殺すという罪はどれくらいのものなのか。戦争では人を殺すということが正当化され、多く殺したものは英雄視されるのに、なぜ一人殺すと犯罪者として裁かれなければいけないのか。そう簡単に答えが導き出せる問いではないし、この本の中にわかりやすくその答えが提示されているわけでもない。でもその問いを、ここまで素晴らしく、ある意味美しく、ラスコリーニコフの物語に乗せて描き出せるドストエフスキーは本当にすごい。また必ず読み直したい。
Posted by ブクログ
面白かったなー!
分からないところもあった
率直に言ってたくさんあった
でも面白かった、かなり面白かった
どうせ難しいだろう、理解できないだろうという思い込みで世界を閉じずに、これからも色んな古典に挑戦していきたいと思いました
改めて目を見開かせられた転機の一冊になりそうですね
日本の古典も読み直したいと思いました
夏目漱石とかね
さてドストエフスキーに話しを戻して自分なりの解釈というかそんなんを書き綴ってみたいと思います
なんかてんで見当違いなことを言うかもしれませんが、多くの研究がされつくしているこの名著に果敢に挑むど素人の姿勢を評価してほしい
今は甘やかす時代なのです
またこの先幾ばくかのネタバレも含まれておりますが、この世界的古典の名作にネタバレもないよなという思いからこのまま行きます
やはり『罪と罰』ですから、何が罪で何が罰かってところだと思うんですね
まずは裏の主人公とも言えるスヴィドリガイロフですが、なんとなく妖しい、女たらしで主人公の妹ドゥーニャにしつこくつきまとい、妻を殺した疑われていますが、実はこの人確定的な「罪」は 何ひとつ語られていないんですね
しかもピストル自殺の直前には娼婦のソーニャとみなしごとなったソーニャの妹弟にお金を渡すという善行も行っており、ラスコーリニコフの「罪」についても結局告発せずに死んでいきます
実は善人だったのでは?なんて陳腐なことを言いたいのではありません
めっちゃ悪人だったのだと思います
事実偶然知ったラスコーリニコフの「罪」を利用してドゥーニャを脅したりしてますからね
だけど悪人であることを自覚しつつも、そんな自分に 嫌気がさしていたんじゃないでしょうか
生まれ変わりたいと心のどこかで思っているのに自分ではどうしようもなく同じことを繰り返してしまう
どうしていいか分からなくなったときに純潔なドゥーニャと結ばれることが自分の「再生」の道と信じたのではないでしょうか
そしてドゥーニャに はっきりと拒絶されたことで自分の思う「再生」の道が絶たれたと絶望したのではないか
そして自分の生き方に「罰」を与えたのではないでしょうか
そして主人公ラスコーリニコフです
物語の最後まで定まらず、思考も評価も大きく振れまくります
彼の「罪」とは何だったのでしょうか
もちろん2人の女性を非常に身勝手な理由で殺害したことは大きな「罪」ですが、ドストエフスキーが彼に背負わせたかった「罪」はそれだけだったのでしょうか?
自分は 「人間」そのものを代表させたかったのではないかと思うのです
人間というのはとても謎の多い種だと思うんですよね
人間の持つ身勝手さというか、揺れまくる思考とか、あととんでもなく残酷なことを正義と信じこんで実行しちゃうところとか
もういろんな、なんでそうなるの?って同じ種でもてんで分からんし、言ったら自分のこともよく分からんし
人の持つ罪深さというか、不安定さみたいなんをラスコーリニコフに背負わせたかったんかなぁと思いました
では、「罰」は?
それはもうずばり「愛」だと思うんですよね
「本当の愛を知る」瞬間が「罪」を犯した後のラスコーリニコフの身に訪れることは、とんでもなく残酷な「罰」だと思うのです
このことが真の意味での「罰」に気付き、自身がいかに身勝手な存在だったかを突きつけられ、そこに「後悔」が生まれます
なぜあんなことをしてしまったのか、あんなことさえしなければもっと彼女と一緒にいられたのに、彼女を苦しめることもなかったのにと
そして「再生」を目指す彼の新たな人生は、これまでの反省もせず、まわりを見下したままの人生に比べればそうとう苦難な道のりになるはずです
今までの自分を全否定するところから始めねばなりません
でもその道を進んだ先にしかソーニャと添い遂げる未来はないのです
それに気付くことが「罰」なのですきっと
やっぱ愛だぜ
Posted by ブクログ
再読
エピローグでのソーニャの存在が際立っている
エンディングもとても良くて、訳の良さなのか全体を通じて小難しい文学という感じではなく、物語にしっかり入り込めた
自分としては、罪と罰は、この光文社版が一番好き
Posted by ブクログ
圧巻の最終巻。真実が次第に漏れていく中、愛する者たちに困難が降りかかる。犯罪者の苦悩と決断に感動は必至!
分厚いが一気に読める500ページ。ヒロインふたりに襲いかかる危機に白熱。ドラマチックな展開に夢中になるあまり、ラスコーリニコフの心理的な変化を見落としがちだった。なし崩し的にあの結末に向かうが、彼の信念そのものには変化がないことに不安をおぼえる。しかし、ラザロの復活を暗示するラストシーンに希望の兆しをみて感動。筋書きの面白さに駆け足で読み切ってしまったせいで、細かい考察はできていない。普遍的な内容を持つ本作は、まだまだ深掘りする価値があると思った。魅力的な登場人物たちは深く心に残る。
おもしろかった
半分も理解できてないだろうけど
ともかく読み終わった。おもしろかった。
なぜそうなったのかと思うところもあるが
世の中理屈で割り切れるものではないということからすると
とても現実的な物語なのかもしれない。
気力があれば読み返してみたいところだが
今はちょっと無理。
Posted by ブクログ
さて、この複雑で面白いたくさんの登場人物たちとラスコーリニコフというトンデモ青年の物語を読み終わって、思い上がり青年の無謀な殺人は、本人の罪だけでなく、家族はもちろん、周りの人たちをも否応なく巻き込む複雑なストーリーになるのだなあ、と。(名作なれば)世界中の読者も「これは何なのか!あれは何だったのだ!」と懊悩するのだよ。
主人公の名前ラスコーリはロシア語で叩き割るの意味だそう。さすが主人公…、名に恥じない!?
似たようなことは現実世界にもあった、ありますね。それを19世紀に予言したドストエフスキーは偉い。
トルストイもそうだけど、その他大勢のロシア近代文学者の作品はとても奥深くすごい、近代文学の祖ですよ。その発祥の人々の国!!
と言っていてもしょうがない。
物語のご本人さんが反省したのだから、その後どうなるのはわからないけど、一応終わったと思いたい。
しかしこの作品、読みどころが多くてね、3回ぐらいでは読み切れないのもほんとう。
Posted by ブクログ
『罪と罰』に関して備忘録的に箇条書きで残すこととする。
・この小説にはモデルとなったゲラシム・チストフ事件というものがある。
・主人公ロジオーン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(POIMOH POMaHOBHY PACKONBHMKOB)は頭文字がPに揃えられており、3つのPを反転させると666、すなわち「ヨハネの黙示録」(13章18節)に示される獣の数字が現れる。
Posted by ブクログ
ソーニャを陥れようとしたルージンの負けっぷりに喝采する。もっとやれ。
ソーニャの義母カテリーナの発狂の描写が凄まじい。巻末読書ガイド3「年金制度のモチーフに隠された何か」を読むと、悲しみは疾走し、涙はそれに追いつけない。
ラスコーリニコフの母プリへーリヤも静かに発狂する。わが子への盲愛が胸を打つ。
Posted by ブクログ
最終巻。もう出だしからめちゃくちゃ面白い。ルージンがうまく立ち回ろうとして逆にやられちゃうという。レベジャートニコフグッジョブ!気持ち良かった!!
その後はカテリーナの場面でしんみりして、推しのスヴィドリガイロフの退場シーンでは息をのんだわ。やっぱりドゥーニャが忘れられなかったのか……。
もう、めちゃくちゃストーリーが面白いんですけど!! ドストエフスキー先生最高っす!!
ラストもいいよね。ラスコーリニコフにちゃんと未来がある感じがいい。この展開で読後感がいいのスゴイよな。
いやぁ、罪と罰、めちゃくちゃ楽しかったです。全3巻十日ぐらいかけて読んだんだけど、めちゃくちゃ濃い十日間だった。
Posted by ブクログ
エピローグの最後の段落を何度も読み返してしまった。
世界的名作。読み応えがとてつもなかった。
余韻がすごい
「読書ガイド」・「訳者あとがき」も良かった
Posted by ブクログ
初のロシア文学。やはり世界に名だたる最高文学だけあって読み応えが半端じゃなかった。困窮した生活や屈折した感情が起爆剤となり殺しに手を出してしまう主人公。時間が経てば経つほど罪の意識が重圧となり正常な状態ではいられなくなっていく。個性激しい数多くの登場人物との交際を通じて変転しゆく精神の有り様。しかし大切な人々へ向けられた愛は決して変わることがない。のっぴきならぬ状態まで追い込まれた果てに導き出される境地に見事感じ入ってしまった複雑な人物図や小難しい背景知識が根底にあるために所々で混乱をきたすが、それでも最後まで心を掴まれた。重厚な筆致で描き出されたある夏の出来事。罪を犯してしまった者の内面描写、周囲の外的要因が掘り下げられ、我々読者の常識をも覆す概念の数々が露わとなる。厳かで神聖不可侵、それでいて途轍もない面白味を兼ね備える。これをマスターピースと言わずにはいられない。ドストエフスキーが手がけた史上最も素晴らしいテクスト。ロシアへの教養を深めた上でこの先何度でも読み直してその真髄を噛み締めていきたいと思えた。
Posted by ブクログ
最後の一文で鳥肌が立ってしまった。
なんか、気のせいか分からないけど、3巻だけ一気にいろんな感情が押し寄せる。1巻2巻は、ラスコーリニコフの陰鬱とした心の中での戦いがメインだったのに、3巻に入ると今まで出てきた人達が伏線を回収するかのように一気に押し寄せる。
ラスコーリニコフの弱さ、独白のシーン。わかる気がする。
弱くて仕方ない自分をどうにかしたくて、それで一歩を踏み出したくて、それが殺しの方向に向いてしまった。
そしてソフィアに独白するシーン、良い。不幸な1人の女に縋り出す感じが、凄くいいし、初めは崇高な目的の元に独白していたはずなのに、自分の弱さをどんどん曝け出していくシーンが心を打つ。なんか、悪人って映画を観た時もそんな感情になった。そしてシベリアまでついてくるソフィアが、救いになるのも綺麗(?)な終わり方だなと。
スヴィドロガイロフの醜悪さ、なんで自殺した?と思ったが、ラスコーリニコフと対比させてるのだと解釈。ラスコーリニコフは自首という道を選んだが、救いが差し伸べられなかったスヴィドロガイロフは死ぬ道を選んだのだろう。
初読のため、かなり浅学で感情的な感想を書き連ねてしまったが、読み込めば読み込むほど裏に込められた意図が現れてくるのだとも思う。だから名作なのだと感じる。
Posted by ブクログ
辛いときには幸せな物語を読むより、同じように辛い物語を読む方が救われたりするので一気に読んでみました
ラスコーリニコフの考えは完全に理解するのは難しいけど、似たように苦しんでる立場だったりするとポルフィーリーに追い詰められる辛さや、大切なのに疎ましく思ってしまう家族や友達への感情は痛いほど理解できた
それにしても彼はあれで救われるのでしょうか?
でもどんな状況になっても少しは希望は見えるものなんだなぁと思った
最後の一行は私も気に入ってます
(2023/10/25:再読)
Posted by ブクログ
第三巻 (収められているのは第五部 第六部 エピローグ)
巻末に読書ガイド ドストエフスキー年譜 訳者あとがき
第三巻 色んなことが起こりすぎてエンタメ感満載
ルージンがソーニャに窃盗の濡れ衣をきせるとか
カテリーナ(マルメラードフの妻)が狂い死にとか
ラスコとポルフィーリーの口合戦(自首をうながされる)とか
スヴィドリガイロフ(ソーニャに老女&妹リザヴェータの殺害を打ち明けてる時に隣の部屋で盗み聞きしてたので)と話し合うけど決裂とか
ドゥーニャもスヴィドリガイロフと会うけど彼の愛を拒否ってピストルで撃つとか
失意にスヴィドリガイロフはピストル自殺とか
後半はエンタメ感に驚いた
エンタメが面白くて
で、ラスコは老女たちをなぜ殺して、どう自首に至ったのかがよくわからないままになってしまった
で、結局また読んだ
殺害の動機
生きるべき人間とそうでない人間、自分は殺す資格のある側の人間だと思い、それを試してみたかった、自分がその資格のある特別な人間だと
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殺害後は
良心の呵責には悩んでない
罪の意識には悩んでない
捕まるのを恐れ、社会に自分がしたことが明るみにでることを恐れてる
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予審判事(刑事的な人)ポルフィーリーに自首したほうが得だと言われ、自首しようかそれとも自殺しようかと考えだす
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老女たちを殺害した自分を社会は許さないが、ソーニャはラスコを受け入れる
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自分はソーニャ、母親、妹を愛し、そして愛されていたことを感じ始め、自首を決意する
《それにしても、あいつら、なんだってこうもおれを愛するんだ、おれにそんな値うちなんてないのに!そう、もしおれがひとりきりで、だれもおれを愛してくれなかったら、そして、このおれもだれひとり愛することがなかったら!こういうことは何ひとつ起こらなかったろうに!》
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8年間シベリアで徒刑を受けるも自分の運命に投げやりな気持ちをもち、ソーニャに対しても無関心で無愛想、そして自分の罪を悔いてはいない
↓
やがていつも寄り添うソーニャを愛していることに気づく
お互いの心の中に、相手の心に命を与える、尽きることのない泉が湧き出て⋯心が通い合うことを知る
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ソーニャを愛す感情、ソーニャから愛される感動を知ることで、ラスコは改心しようという気持ちが芽生え始める
↓
あと7年の刑期が残る
「新しい生活は、ただで得られるものではなく、それははるかに高価であり、それを手に入れるには、将来にわたる大きな献身によって償っていかなければならない⋯」
ん?「罪と罰」
愛によって人は変わるって物語でもあるんですか?
愛し、愛され、罪を認識し、再生しようとする、生き直そうとする
やっと人間ぽくなる
そして、殺していい人間なんていないということに考察しだす⋯予定?
三巻めが一番面白かったけど一番難しかった
Posted by ブクログ
初めてのドストエフスキー。
登場人物の名前が最初は覚えられずにネットにあった相関図と睨めっこしながら読み進めたが、最後には随分と理解できるようになった。
全てを環境のせいにし、自分を正当化して身勝手な罪を犯したラスコーリニコフ。
彼は自分自身や自分と近い人には優しくできないのに、そうではない人に対しては優しさを持てるところに共感した。
自分も、家族や友達には「俺はこんなに不幸なのに」と当たる時もある。
でも、顔も知らない人のために募金をしたり、道を教えてあげたりする。
誰にでも「いい人」と見られたいという欲求が確かにある。
そんな中で出会ったソフィアを通して、本当の愛というもの知ることになったラスコーリニコフ。
罪というものは、こういった突っ走った考えから生まれてしまうものなんだろうなと考えさせられた。
Posted by ブクログ
長大な物語を饒舌な会話の力で一気に押し切るという本作の技法は、現代のエンターテインメントにとっても参考になるだろう。読者にとっては、程よい長距離走のような読書体験であり、読後には大きな達成感が得られる。
ただし、「殺人」というテーマの是非については掘り下げがやや不十分かもしれない。ソーニャへの悔悟に関しても、まだその入口に立ったに過ぎない。
Posted by ブクログ
6章までの展開がわずか2週間の間に起きた出来事だなんて信じられない……ラスコーリニコフの混乱と狂気、罪の意識が次々と押し寄せ、大洪水を起こすネヴァ川のような勢いで濃密な読書体験に読者を巻き込んでいく小説でした。
正直6章まではとにかく陰鬱な小説で私の好みでは無いかもしれないと思って(やや渋々読み進めて)いましたが、エピローグを読んでこれは紛れもなく「愛(と信仰と自由)」についての作品なのだと気づいてから、作品の見え方が一変しました。それだけラスト、ソーニャとラスコーリニコフが互いの愛を感じ、蘇るシーンに強く心を打たれました。この瞬間のための1〜6章つまり「罪と罰」だったのですね。
ただ、ふたりの人間を殺めた自分勝手で傲慢なラスコーリニコフへの減刑については(そのほかにどれだけの善行を積んでいようとも)、本当にそれでいいのだろうか、と引っかかるものがなくはありません。でもそう感じるのは、そこまでしないと愛や信仰の力を知ることができなかったラスコーリニコフと異なり、私自身が幼い頃から「たまたま」両親や周囲の大人から愛情を受け、食べ物にも住む場所にも教育を受けることにも何不自由ない社会的環境に育ったからだとも思えるのです。ここには見えないスタート地点の大きな格差があり、私が私の人生観にのみ照らして簡単にジャッジできない要素を含んでいるのだと思います。
この問題については、またいつか偶然「罪と罰」に再会したときに考える問いとして残しておこうと思います。
Posted by ブクログ
150年以上前の作品だが、古典的名作として読み継がれ、いまなお色褪せないのは本作品は人間の本質を描いているからであろう。ルージンがソーニャを責問する場面やカテリーナが狂乱し召される場面は心がきゅっとなる。犯した罪を軽視しながらも罪の意識に苛まれ強迫観念に駆られ続けたラスコーリニコフ。最後の終わり方が緩やかな光と希望に包まれたものであるもの良い。
Posted by ブクログ
5よりの★4つです!
もー、あれやこれや事件が多く起きすぎます!
ただ③巻は「あっ!」という間に読み終えてしまいました。。咀嚼できるだろうか。
『罪と罰』通してのヒットワードは“しらみ”です。
Posted by ブクログ
太宰治もそうですが、世間が言うほど別にさほど暗くはない。
大学の授業で「ドストエフスキーなんて読んでいる学生はこの中にいないと思いますが...」とか教授が言っているのを聞きながら読んでいました。
翻訳本に不慣れなときに読んだため、当時大分骨を折って休み休み読みましたが、ラスコーリニコフの心理描写は面白いです。彼の一見非常に矛盾した行動の数々を見ると、善人も悪人も大した区別はなくひとりの人間の中にどちらも同居しているのが普通なのだろうなと感じます。
結末が若干納得できておらず....直前まで神も信じず罪に対する反省もなかったラスコーリニコフが、ソーニャを愛し、神を愛したという結末になるのがどうも腑に落ちていません。後半息切れして読んだ私の勘違いなのか........機会があればもうすこし調べるなり読み返すなりして考え直したいです。
Posted by ブクログ
1人の青年の破滅と再生を描く作品 「優れた人間が世のために行う殺人は正当化されうるか」というテーマを取り扱っている。 ドストエフスキーの作品全般に言えることであるが、とにかく登場人物のバラエティの豊かさに驚かされる。 どんな作品でも、登場人物は大なり小なり作者の影響を受けるため、なんとなく共通した雰囲気を持つキャラクターで構成されることが多いが、これほどまでに登場人物の個性が独立しているのは、ドストエフスキーが天才と言われる理由の一つだと思う。
Posted by ブクログ
“すべては、人間がどういう状況にあるか、どんな環境にいるかにかかっています。すべて、環境しだいなんですよ、人間それじたいは、何ものでもない。”(p.29)
“要するに、変にこざかしく考えないことです。あれこれ考えず、人生にすなおに身をまかせることです。心配はいりません。岸までそのまま運んでくれますから、二本足で立たせてくれますから。どういう岸、ですか? いや、それはわたしにもわからない。”(p.250)
“すべての原因は、自分のおぞましい環境にあった。それは、極貧と、すべてからの孤立であった。”(p.430)
Posted by ブクログ
殺人を許される人がいるというか、大義のためには誰かが死んでも仕方ないだけなのでは。勧善懲悪は好きだから主人公には少し同意した、デスノートも同じ系譜なんだね。でもその大義っていうのも一方向的な価値観だから傲慢な勘違いの可能性もある、結局結果を出した人の行いが正当化されるって事なのかな、世知辛い。
Posted by ブクログ
先に『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたので、比較的読みやすかった。
内容としては、様々な「罪」と「罰」が登場し、罪とは何か?罰とは何か?を常に考えさせられる作品。
俗世界における「罪」は、ラスコーリニコフが犯したような強盗、殺人といったものが先行するが、作中においては、キリスト教や聖書の中での「罪」も登場する。
ラスコーリニコフは殺人を犯すが、強奪した金品には一切手をつけることがなかった。殺人を犯した瞬間から精神に異常をきたしたためであるが、良心の呵責に苦しんだというよりも、罪の露呈を恐れたというふうに見える。ラスコーリニコフの罪は、アリョーナを殺したことよりも、リザヴェータを殺したことにあるように思われる。
ラスコーリニコフの主張では、天才がその才を発揮するための犠牲として行われる殺人は不可抗力であり、許されるべきであるというものだが、アリョーナを殺すことで得られる三千ルーブルの言い訳としては通っても、リザヴェータを殺したことの言い訳としては通らないだろう。リザヴェータの殺人は全くの偶然であり、目撃者の隠蔽に過ぎないからである。このことから、ラスコーリニコフの苦しみの原因は強盗殺人そのものではなく、リザヴェータ、つまり罪のない命を不必要に奪ってしまったことに起因するのではないだろうか。
ソーニャに罪を打ち明けたのも、ソーニャがリザヴェータと親しい仲にあったことを知ったことが大きな影響を与えたのではないだろうか。リザヴェータの代わりに、ソーニャに赦してもらうことがラスコーリニコフにとっては重大な意味を持っていたのではないかと考える。
その他、スヴィドリガイロフの死も、強烈な印象を与える。ポルフィーリーとスヴィドリガイロフはどちらも、ラスコーリニコフの殺人を確信しており、それぞれラスコーリニコフに迫るが、スヴィドリガイロフのそれは一種の下心を纏っている。ドゥーニャと結婚するための脅し文句として殺人の秘密を仄めかすのである。スヴィドリガイロフといえば、妻のマルファを亡くしたばかりであるが、マルファの死にも疑問が残る。殺人ではなく自然死とされているが、スヴィドリガイロフが殺したのではないかと疑わせる要素がふんだんに撒き散らされている。何かを手に入れるための手段として殺人を選んだという点でラスコーリニコフとスヴィドリガイロフは同類と言え、ラスコーリニコフにとってはそれが恐ろしく思われるのである。
ドゥーニャから拒絶されたスヴィドリガイロフは自殺してしまうが、これはスヴィドリガイロフの「罪」に対する「罰」なのだと考えられる。ドゥーニャを手に入れるために罪なき命であるマルファを殺したスヴィドリガイロフが、ドゥーニャと結ばれる訳にはいかないのである。
ラスコーリニコフはかなりの情状酌量を得て服役囚となるが、彼が苦しむのは肉体的刑罰ではなく、自分自身のプライドに対する苦しみである。そんなラスコーリニコフを救うのがソーニャであり、ソーニャへの愛によってラスコーリニコフは救済を得る。スヴィドリガイロフとラスコーリニコフの違いは、罪の告白と懺悔の有無なのか、ラスコーリニコフとソーニャはこれから幸せな7年間を過ごすかもしれないということが仄めかされて、物語は終わる。
最終部で突然登場したウイルスの存在はかなり異質であり、目を引くところであるが、ウイルスによる疾患が人々の思想を左右するというところがSFめいていて面白い。いかにもロシアらしいような気もするが、ウイルスによって人々が選別され、ウイルスに感染しなかった一部の人間だけが正しい思考を持ち続けるというところは、ラスコーリニコフの主張する一部の天才に権利が与えられるというものを彷彿とさせる。
本作においては、神を信じるもの全てが救われるというカトリック的なキリスト教ではなく、ロシア正教会におけるキリスト教のあり方が支持されているのだろうか。キリスト教に馴染みがないため分からないが、ドストエフスキーの思想を一部垣間見たような気がする作品であった。
Posted by ブクログ
難しい。正直あまり理解できなかった。
とても悔しいのでまた読み返したい。
ラスコーリニコフが自首した理由がよくわからない…。皆何を考えているかイマイチ良く分からなかった。