【感想・ネタバレ】地下室の手記のレビュー

あらすじ

極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。

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「苦悩こそ、まさしく自意識の第一原因にほかならないのだ。」
主人公の自意識ゆえの苦悩・思想が語られる前半と主人公が過去に経験した3つの出来事が明かされる後半という2部構成になっている本作は、社会と関係を絶ち、自ら地下に閉じこもった、小官吏である主人公の独白を通して、人間の本質に迫る。

「意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。」
何者にもなれなかった主人公は、極端な自意識という地下室から出ることはできないのでしょう。もはや出ようともしないのかもしれません。ここまで緻密に、克明に、自意識に向き合った作品はないのではないでしょうか。
肥大化する自意識に苦しむ現代人にこそ読んでいただきたい、文豪ドストエフスキーの傑作です。

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Posted by ブクログ

<ぼくは病んだ人間だ。…僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えではこれが肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなどぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いかも正確には知らない。(P6)>
元官史の語り手は、おそろしく自尊心が強く、極端な迷信家で、あまりにも自意識過剰で、とても臆病で、際限なく虚栄心が強く、他人との交流もできず、心のなかで鬱屈を抱えている。
遺産によりまとまった資産を手に入れた語り手はペテルブルクの片隅のボロ家に引き込んだ。そんな生活をしてもうすぐ20年にもなる!やることといえば心の鬱屈を手記にぶちまけるだけ。
あれも気に食わない、これも嫌い、人から嫌われることばかりするのに人に尊敬されるだろうと思っている、昔のことばかりグジグジ繰り返している、この手記だって自分のために書いているけれど、世間の諸君が読むかもしれないではないか!

…という感じのグジグジぐだぐだウジウジした語りが続き、「この話全部この調子なの…(´Д`) 」とえっらく読むのに時間がかかった。
しかしその語りは最初の60ページまでだった。その次の章からは、自分の鬱屈した正確を示すものとして、まだ引きこもる前の若い頃の出来事が語られる。これが「なにやってんのーー」と、けっこう笑えてきた。

●語り手は、ある将校に無視されたことから数年に渡り一方的に恨みを持つ。いつかあの将校に自分がどんなに重要な人物かを認めさせ、詫びさせてやる!語り手は将校の後をつけて彼のことを調べる。通りでは何度もすれ違った。だが将校は自分を認識すらしない、こんな屈辱があろうか!こうなったらあいつをネタにして誹謗中傷小説を書いてやる!出版社に送ったのに無視された!悔しい!!こうなったら決闘だ!語り手は決闘申し込みの手紙を書く。我ながらなんたる美文!将校がわずかでも<美にして崇高なもの>を解する男だったら、ぼくの素晴らしさがわかるだろう!この手紙はかろうじて投函されなかった。だって何年も経ってるんだもん、さすがにわからないかもしれないよね。
それでは通りであの将校に道を譲らせてやる!それにはまずぼくのことを認識させないといけない、では身なりを整えないとな。上司に給料の前借りをして、あらいぐま…いやビーバーのコートを買って、手袋はレモン色…いや黒のほうがいいだろう。
自分を認識していない相手に何年も執着し、独り相撲して、勝手に苦しみ、誹謗中傷小説まで書き(無視されたが)、やったことは「通りですれ違う時に、ぼくの方から避けずに肩がぶつかったぞ!ぼくの勝ちだ!!」
⇒そ、そういうことにしておこうか…
 現代で言えばネットに誹謗中傷書きなぐるタイプだな、妄想の中で満足してまだ良かった。

●ぼくはあらゆる空想をする。自分自身が空想の中ではあまりにも素晴らしく幸福の絶頂を味わい、全人類と抱きあいたいたい気分になる!!そこで学生時代の友人を訪ねた。
そこではかつての学友たちが集まっていたんだが、語り手の姿を見ると明らかに嫌そうな雰囲気になる(語り手の一人称だが、それがわかる)。学友たちは、遠方に将校として赴任するもう一人の友達ズヴェルコフの送別会を計画していた。このズヴェルコフは語り手は全くタイプが違い、出世街道に乗り、女を口説き、仲間と酒を飲み明かす生活を楽しんでいる。
そんなズヴェルコフの送別会なので当然語り手は招かれない。そこで語り手は「ぼくを忘れちゃ困る!!ぼくも彼の送別会に行く!!」と突然のアピール。あっからさまに嫌がる学友たち。うん、気持ちはわかるぞ!!
⇒現代で言えば「自分だけ同窓会に呼ばれない」エピソードですね(;^ω^)

●送別会では自分の偉大さを認識させてやる!…と、乗り込んだが誰もいない。そう、時間変更していたのに知らされなかったのだ。

●それでもみんなもやってきてズヴェルコフの送別会が始まる。あっからさまに無視される語り手!それでも現代の待遇を馬鹿にされたり、嫌味丸出しのスピーチをして場を険悪にする。元学友たちに完全に無視された語り手は、送別会の三時間の間部屋を有るき回る語り手!ずっと無視される!だが語り手は「自分の存在はみんなに刻み込まれたはずだ」とうそぶく。

●送別会の二次会で娼館にしけこもうという元学友たち。語り手は「ぼくも行くぞ!金を貸してくれ!!」あまりのみっともなさに、学友の一人が「恥知らず!」と投げてよこした金を手に取り娼館へ向かう。道中でも頭の中では「あいつらに思い知らせてやる!」などと考えているが、この勇ましい言葉も有名ロシア文学からの受け売りでしかないんだ。

●娼館でも取り残された語り手は、残り物の娼婦のリーザと部屋へ。事後のベッドで語り手はリーザ相手に御高説をぶちまける。
 娼婦の君の人生とはなんだ!?きみはこの仕事と魂を引き換えにしたのさ!
リーザは答える。「あなたの話って、本を読んでいるみたい」そう、語り手がどんな演説しようとも、受け売りが見透かされてしまうのだ。それでもリーザは我が身を振り返り号泣する。

●娼婦リーザは、自分が娼婦と知らない男からもらった手紙を語り手に見せる。自分をちゃんと扱ってくれる男だっているのよ、という拠り所だった。
⇒リーザは見かけとしては可愛げない様子だが、この大事な手紙を語り手に見せる場面はとてもいじらしい。

●語り手はリーザに自分の住所を教えて「訪ねてこいよ」なんて言う。しかし帰ってから後悔する語り手。本当に来たらどうしよう、リーザは自分が語った言葉を聞いて、自分が崇高な人間だったと思ったに違いない、だがこんなボロ屋見せられないし、事後でもないのに格好いいことなんて言えない。リーザのところに行って「やっぱり来るな」っていおうか、いやそうもいかない、うぎゃーーーーー、と葛藤しまくる語り手。

●語り手にはアポロンという中年召使いがいる。非常に態度がデカいらしいが、読者としてはそりゃーこんな雇い主だったらばかにするよねとは思う。このアポロンに月給を渡さなければいけないんだが、「アポロンが自分に『給料をください』と平身低頭しないのがムカつく!!!」と、金は用意するが渡さない。しかしアポロンに舌打ちされたり睨まれたりすると「待て!!金はあるんだ!支払ってくださいと頼め!!」とか言ってますますバカにされる。

●三日後にリーザが来るが、語り手は非常に悪い態度を取り、ひどい言葉を浴びせる。リーザは、語り手に握らされた金を拒絶して去っていくのだった。

…ということで、「現在でもいるよね」とか、「ここまで極端でなくても気持ちはわかる部分もある」とか、「こんな奴に関わった周りの人のうんざりさがわかる」などと言う気持ちになってなかなか楽しめた。
語り口は、引きこもり男が勝手にグダり続けだけなんだが、これが小説として読めるものになっているのがさすがの大文豪だよなー。今でもこんな事を考えている人はたくさんいて、たまたま誰かがそんなことを言っているのを聞いてしまったり、ネットでうっかりそんな人の文章を読んでしまうこともある。そんなときはかなり嫌な気持ちになる。
しかしこの小説ではそのような嫌な気持ちにはならず「あるわー」「なにやってんだーーー」と、語り手と、語り手の周りの人双方の気持ちがわかりながら読んでいけるんだ。その意味では実に面白い小説だった。(最初の60ページ以降は)

語り手は自分のような人間は自分ひとりだと思っている。<だれひとりぼくに似ているものがなく、一方、ぼく地震も誰にも似ていない(…略…)ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる。P70>というわけだ。
だが語り手のような考えを持つ人間は当時も、今も、世界中にたくさんいる、ある意味人間の心の普遍的なものでもあるだろう。この「自分は孤独だ!」と思っていても、周りから見たら「たくさんいるよ」という感覚もいつでもあるものだ。

なお、語り手は読書について<ぼくの内部に煮えくり返っているものを外部からの感覚で紛らわしたかったのである。(P75)>と言っているのだが、ドストエフスキーの考えでもあるのかな。この読書への取り組みは何となく分かるんですけど。頭が混乱している時にも読書ってしますよね。するととっちらかった脳を一つに収集するのがなんだか分かったりして。

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2023年12月05日

Posted by ブクログ

巷にあまたの自意識コンテンツがあふれかえる現代だけれどもとうの昔にこれだけのことがやってのけられていたのだからひとまずはこれを読めばいい

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2025年08月12日

Posted by ブクログ

テスト期間終わって、久しぶりに読書した。
最初読みにくかったけど、めっちゃ面白かった。
難しかったからまた読み直したい。

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2025年08月10日

Posted by ブクログ

人間の意識について考えさせられる。
手記の著者、すなわち主人公は、自意識が過剰と言うべきか、自己から少しだけ離れたところから自己を見つめていて、恥ずかしさにまみれている。その恥ずかしさのために、他者に対しても憤怒の連続(他者からすると、本当に訳が分からない)が沸き起こっている。
この主人公のように顕著な行動に出る人は少ないかもしれないが、自意識が過剰なための恥辱は、ごくあり触れると思うし、そこに苦しむ人も少なくないように思える。

また、自己を少し離れたところから客観的に見ていると思いきや、感情的に湧き起こるものに支配され、全く理路整然としていなくて、いつのまにか意識は自己の中にあって、突拍子もない事をしでかす。
それが、合理主義と反して、自由な事なんだ!とドストエフスキーが訴えているわけではないのは、訳者江川卓氏のあとがきを読めばわかります。

病的とも言えるレベルの振る舞いをする手記の主人公ではあるけど、程度の差はあれ、似たような事は自分を含め、周囲にもあるかもしれないと、無視はできない。

地下室に籠って、ねちねちと自己から少し離れたところから、けど離れきれないところで、自分を辱め、他人を敵視し続けるのは、全く幸福ではないと思う。手記の主人公はそれをやりすぎた。

自己から離れず、自意識を感じないような、動物的とも言える時間、あるいは自己から大きく離れて、他者によく傾聴する時間、はたまた、禅的に無になるような時間。そういう時間ももっと過ごすべきで、地下室に籠りすぎだ。

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2025年07月04日

Posted by ブクログ

圧巻。手放したくない1冊。表面的な美しさや謎のステータスとやらに踊らされているこの社会に、この本を突き刺してやりたい。

刑事裁判を彷彿させるシーンもあれば、AIを彷彿させるシーンも。150年近く経つけれど、この本が問うていることや描かれていることは、色褪せない普遍的なテーマで、我々人間は、人間の愚かさや汚さ、そして不合理さをしっかり理解した上で、拗らせながらも自分なりの幸せを見つけて生きていくことが大切なのかもしれない。

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を読み、ドストエフスキーにハマった。『地下室の手記』は彼の転換点とも呼ばれている本だったため、手に取ってみた。
まるで主人公を実際に見ているかのように引き込まれた作品だった。ぶっちゃけるととてもクズな主人公だと思うが、その中にも共感した部分はたくさんあった。し、文中でも触れられていたが、クズでない人はいないと思う。

腹を立てる理由など何もないと、自分で承知しながら、自分で自分をけしかけているうちに、ついには、まったくの話、本気で腹を立ててしまうことになるのである。

この部分が好き。幼少期に悲しいふりをしていたら、実際に泣いてしまったことを思い出した。

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2025年02月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ネガティブな人はきっと好きだと思う
でも、社会不適合者じゃない大多数の人にこそ読んで欲しい

安っぽい幸福と高められた苦悩と、どっちがいいか?
ぼくらは死産児だ
のところ、僕もずっとそんなことを考えていたんだ!って泣きそうになった。
ずっと考えてた人に言えないモヤモヤを言い当ててくれたみたいな清々しい気持ち
ありがとう

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2024年05月04日

Posted by ブクログ

書いてる言葉や言い回しは分かりやすいんだけど、話が重く、感情が生々しいせいで読むのにかなりの体力を消費した。しかしその分主人公の気持ちに感情移入出来て、読み終わったあと大きな満足感を得ることが出来た。

呼ばれてもないパーティーに無理やり主人公が参加するシーンは読んでて凄くムズムズした。共感性羞恥というか、、、

苦痛で死んでしまいたいという絶望の中に快楽がある~みたいな話はめちゃくちゃ共感した。そこそこの気分の時に、中途半端に失敗して落ち込むのが1番嫌なんだよね。

何もかもが決定された世界では人間は生きる意味を見出すのだろうか?意外とそんな世界でも楽しくやって行けるものなのかな?

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2023年03月15日

Posted by ブクログ

何とも心にずっしりと重い。その重さの原因は、まるで自分自身の事を誇張して語られているような主人公の語り。自分が何故苦しみながら生きないといけないのか?知能が低い故にその苦しさに気付かない人たちは羨ましい。自分は優れているが故にその苦しみに気が付いてしまう、というのが主旨かと思うが何か共感できる。

このような面倒くさい主人公に共感できてしまう事は何とも心地悪いが、そういえば『賭博者』でも賭け事好きな人の心理を極限まで突き詰めたような感じだった。人の心にあるドロドロした部分に焦点をあてた内容は通じるものがある。

今はまだうまく咀嚼できてないけど、心にズーンと来るものがある小説には中々出会えないが、これは言葉にできないインパクトがある。キューブリックの映画を映像でしか伝えられないものがあると感じるが、ドストエフスキーは小説でしか伝えられない何かがあると思う。

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2023年02月04日

Posted by ブクログ

「 たまたま何かのきっかけで勇気をふるうことがあったとしても、そんなことでいい気になったり、感激したりしないがいい。どうせほかのことで弱気を出すにきまっているのだから。」

「 だれかに権力をふるい、暴君然と振る舞うことなしには、ぼくが生きていけない人間だということもある……」

「 安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」

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2022年02月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

主人公は無職の中年男性で、かつては役人として勤めた。現在、彼は一般社会とは交わらず、地下に籠った生活を送る。しかも彼は自意識過剰なため、周囲に対して斜に構えた見方をしており、年齢の割に痛い。このように、本作は彼の言動を追い、人間の実存について迫る。

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2025年10月26日

Posted by ブクログ

まだ読んでる最中だけど先に感想。
内容は光文社読んでるので分かってはいるものの、翻訳者が違うと「こうも違うか!!」というぐらい読みやすいです。
初心者には江川さん訳がおすすめな気がします。

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2025年10月25日

Posted by ブクログ

罪と罰を読んだ時はずっと鬱屈とした感じやどうしようもない主人公にイライラしっぱなしだったけど、今回は読み方がわかったのか楽しめた。気分が健全な時に見ても一切共感できなくてイライラするばかりだけど、落ち込んでる時に見るとかなり共感できて救われた気持ちになる。この滑稽なまでの自意識過剰と空回りと孤独。孤独の裏返しである頑固。誰にでも精神的にマウントを取ろうとする臆病さ、特に同級生とのパーティーでの描写はリアルだった。

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2025年05月29日

Posted by ブクログ

自意識過剰に見える男の物語。かなり難しい。人間ってなんなんだ、愛ってなんなんだと考えさせられる。死ぬことを意識したことのある人間と、生きることを楽しむ人間と、真に生を知るのはどちらだろうか?

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2025年05月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分を受け入れてほしい崇拝してほしいという気持ちをもうやめてくれと思うくらい爆発させる。そうでない自分を受け入れる事がどうしてもできない。見ててやめた方がいいのにと思っていると鬱屈した思いは弱者へ向けられる。自分も若いころよく知りもしない男性からこんな態度をとられたことがあるような気が。。嫌な男だと読んでいたら最後の言葉で自分を振り返る事になった。

いつかまた時間がたったら読み直したいと思った。ドフトエフスキーは面白い。

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2025年02月28日

Posted by ブクログ

久々の再読。
ドストエフスキーって、ホントしつこいというか、まあ最初の「地下室」で今時の読者は挫折すると思う。地下室に引きこもっている40代の語り手が、とにかく俺はこう思うって話を、情景描写も人物描写もほとんどなく、延々と熱く鬱陶しく語るんだから。もう、うんざりという気持ちにほとんどの人がなると思う。しかし、ここは我慢して読む。
次の「ぼた雪にちなんで」になると、彼が24歳の時のエピソードとなり、他の人物も出てきて読みやすくなる。彼がなぜそうなったのかが徐々にわかってくる。
しかし、貧しく、見た目も悪いだけでなく、自意識過剰でプライド高く、あらゆる人をバカにしているので、決して読者が好きになれるタイプではない。自分より弱い立場の人には教養とプライドをひけらかし、強く人にはなんだかんだで反抗できないいやらしさもむかつく。
語り手とぶつかりそうになっても決してどかない(というか語り手がびびってどいてしまう)将校に対する恨み、誰も彼を友人と思っていない連中の集まりに呼ばれもしないのに参加してぼっちにされ、内心怒りまくる話、どれもまあ酷くて、こんなやつにロックオンされた人たちは本当に気の毒だと思う。最後の、貧しさから親に売られた売春婦リーザとのエピソードがとりわけひどい。
が、しかし、彼の主張に真実がないとは言えない。彼の言っていることを自分が言っていない、思っていない、やっていないとも言えない。語り手にうんざりしながらも、自分の中にも彼と同じものがあることを認めないわけにはいかない。そこがこの本の面白さじゃないかと思う。
とにかく愛すべき点が全くない人物で、同じ自意識過剰でも太宰治なんか本当に可愛いと思えるくらいである。しかし、一人称で書かれ、いかにも作者と似た人物と思わせながら(実際そうだろうとは思うが)、そこを突き放して嗤っているのも、彼の末路を冷静に見ているのもまた作者なのである。それができるかどうかが、作家と一般人を分けるものではないかという気がする。
最初の「地下室」をじゃあ「ぼた雪にちなんで」の後に持ってきたら良かったかというと、それは違うと思うし、やっぱりこの形しかないのではないか。
現代の作家なら、読者に配慮して40代の地下室の語り手の視点を混ぜながら20代のエピソードを展開して行くだろうが、ドストエフスキーはそんなことはしないのである。そこが彼の作品の読みにくさでもあるが、魅力でもある。ここまで一人語りで暴走していながら、読者に深い感慨を与えるのは、誰にでもできることではない。
いい作品は、我慢して読んでも必ず報いられる良い例である。

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2024年12月29日

Posted by ブクログ

ロシア文学特有のはじめのまどろっこしさは否めないが、そこを乗り越えれば終盤に向かってどんどん面白くなるところ。
ダメな主人公の描写が秀逸で、さすがドストエフスキーだと思った。

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2024年11月04日

Posted by ブクログ

肥大化した自意識と逸脱者の自覚に苛まれる苦悩が徹底的に描かれている特異な名作。どこまでも内向的で否定的でありながら、超然と構えることもできず、外界の些細な出来事に惑わされ、人間関係において言動のすべてが裏目にでてしまう様は、読んでいてヒリヒリする。思考にほとんど飲み込まれながら現実の肉体や情念がそれに抵抗し、退屈や人恋しさ、屈辱に耐えられない。そんな齟齬の内に懊悩する様子は、積極的価値をどこにも見出だせない消極的な否定性の恐ろしさをあぶり出す。
主人公が縁のあった娼婦と感情をあらわにしあう劇的なクライマックスさえも、もつれきった否定的性格ゆえにカタルシスに昇華することのできない「どうしようもなさ」が辛かった。
思考を披瀝するだけの前半にしても、見てられない失敗を回想する後半にしても、やや誇張が過ぎる気もするが、自らの中にいくらかのアウトサイダーの意識がなければ書くことのできない小説だと思う。この主人公にリアリティを全く感じない人があれば、その人は幸せなんだろう。そして、本作自身が、自らが単なるヒューマニストにとどまらないことを示す、ドストエフスキーの自己顕示にも思われる。

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2024年01月29日

Posted by ブクログ

自分の中に主人公がいるし、主人公の中に自分がいる……、、。
個人的には1週回って笑えた所もあった。
同族的な所も勿論感じるが、新しい感覚というか、考え方、そういうものにも出会えたと思う。
読んでよかった。

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2023年10月03日

Posted by ブクログ

虚栄と自己正当化を極めたことで生まれる他者への敵意(そこはかとない同族嫌悪も感じる)、なのに湧き出る人恋しさ。極端ではあるけど、たぶん多数の人が通ったり留まったりしている心理状態だと思うんだよなあ。自分を顧みるきっかけにもなったし。書き手自身が鬱屈した自分を客観視して分析している描写もあるのが面白い

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2023年08月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

地下室の住人の捻くれたものの見方への嫌悪感と尊大な自尊心への共感性羞恥に心が掻き乱された。
ただ、リーザと夜を共にしていながら「こんな世界にへたばっているんだな」と講釈を垂れる男の存在はは現実世界の夜の住人からも聞くし、この地下室の住人が特別醜い人間というわけでもないのでしょうね。
それにしても、リーザがどうにも従順すぎると感じたのはこの本が随分前に書かれたものだから?

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2023年05月01日

Posted by ブクログ

地下室:この手記の筆者も「手記」そのものも、いうまでもなく、フィクションである。
始:ぼくは病んだ人間だ…ぼくは意地の悪い人間だ。
終:しかしわれわれもまた、もうこのあたりでとめておいてよかろう、と考えるものである。

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2023年03月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ


生きづらさを抱える主人公が孤独に耐えきれなくなって、親しかった同級生を訪ねるが、歓迎されず、それでも同級生たちの集まりに誘われてもないのに参加する場面。主人公は仲良くなかった同級生たちを見下しながらもわざわざ参加する。
だが、待ち合わせの時間に行っても誰も来ず、あとで時間の変更を知らされてなかったことを知る。その後も職業を訊かれ、答えたら給料が少ないのではないか?とバカにされる。
屈辱を受けて怒る主人公。
この集まりに参加しなきゃよかったのにって思ったけど、それ以外につながりがなくてしょうがなかったのかな。今はインターネットでいろんな考えの人を知ることができるけど、昔はもっと閉ざされていて、生きていくには狭いつながりの中でうまくやっていかなきゃいけなかったのかと思うと、主人公が病むのもわかる。

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2022年09月11日

Posted by ブクログ

最初から最後までインターネットにいるキッッッッッッッッッッショい自我の話が繰り広げられていて、ここまで普遍的な実存の苦しみを、「エッセイ」じゃなくて「小説」として書けるドストエフスキー天才か?となった。今まで読んだドストエフスキー作品の中で一番楽しめたかもしれない。
自分以外の全ての人間が鈍感で野蛮に見えて、まともな人間はこの世で自分だけなんだと思ってんだけど、そういう風にしか他人を見られない自分のことが惨めでたまらなくて、さらにここまでの思考の道筋を他人の視線に目配せしながら曝け出してしまうの完全にTwitterにいる人(私含む)じゃん…「かくして意識は、二枚の合わせ鏡に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動をくり返し、ついになんらの行動にも踏み出すことができない」(解説より)耳が痛すぎるだろ。たぶんオーパーツなんじゃないか、この小説は

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2021年09月28日

Posted by ブクログ

ロシアの文豪・ドストエフスキーの、
五大長編へ続くターニングポイントと位置付けられるような作品。
人間は不合理な本性を持つものであることを暴くように描いています。
著者は、ゆえに、理性できれいに作られる世界なんて絵空事である、
というようなことを第一部では主人公に語らせている。

人の不合理性と世の中が合理性へと進んでいく、
その齟齬を見つめているところは、
現代の僕らがあらためてなぞっておいたらいい。

また、私欲とか理性のくだり、
人間の行動原理についてのところですが、
著者と議論したかったなあと。
<人間は自分にとっての善しか行わない(それは周囲からしたら悪だとしても)>、
<悪だとわかるには無知を克服していくことが必要>、
<人は他律性を嫌う>、
それら三つをドストエフスキーにぶつけてみたいと思いました。
きっとスパークするものがあったはず。
というか、僕のこういった思考の源泉、基盤となっているものの多くには、
たぶん以前読んだドストエフスキーの五大長編があるのでしょう。
だから、彼に育てられて、後を引き継いだところはあるのだと思います。

この『地下室の手記』を書いたドストエフスキーの年齢と、
それを読む今の僕の年齢がいっしょ。
だからこそ、わかる部分や響く部分ってあるかもしれない。
でも、僕も著者くらいわかっていることはあれど、
彼ほどうまくプレゼン(独白調文体でのだけれど)はできないかな。
すごく饒舌なんですよね。
私語を慎みなさい、と口を酸っぱくして言われ、
それに従わなきゃと、自分を抑えて大人になったぶん、
そういった「饒舌の能力」は育ちがよくなかったです。

言葉の巧みさと、
パソコンでたとえるならメモリの容量の大きさ、
そこが強いと思いました。
また、「地下室」のたとえも、
「こういうことなのか」と読んでわかると、
村上春樹氏が地下室のさらに地下みたいなことを言ったその意味が、
より確かにわかってくる。

それにしても、主人公の自意識がすごいのです。
自意識のすごい描写や独白部分を読むと、
自分の自意識の強い部分が刺激され、
いくらか客観的といった体で知覚されて、
恥ずかしくなります。
小さくなりたい、自分もバカだ、と思い知るような読書になりました。

第二部では、主人公の青年時代の回想になります。
バランスを崩しながら、
そのバランスをうまく平衡状態にもどすことができずに(いや、しようともせず)、
そのまま生きていくことで、
雪だるま式に不幸と恥を塗り重ねていくさまを読み、たどっていきます。
著者は「跛行状態」と書いていますが、
跛行ってたとえば馬の歩様がおかしいときにそう表現します。
なんらかの肉体的なトラブルを抱えてしまった時なんです。
それを、人生が跛行している、というように形容するのは、
バランスを崩している、というよりも上手な表現だなあと思いました。
もう、醜悪で、みっともなくて、性悪で、露悪的で、
どうしようもないアンチヒーローな主人公なんですけども、
それこそが人間だろう、とドストエフスキーは言っているんじゃないかな。

利己的だったり支配的だったりするし、
また、他律性を嫌っているのだけれど、
かといってそれを自覚できていないから、
心に引っかかるものがある状態でうらぶれる。
そして、うらぶれていると癪に障ってくるので他人を攻撃しだす。
そうすることでしか、自分を確かめられなくなっている。
つまり、それが、さっきも書いた「跛行状態」なのでした。
自律に失敗している。
自制がきかない。
そこまでバランスを失ってしまった人間が、
たどり着いてようやくなんらかの安定を得たのが、
「地下室」でもあったでしょう。
それは醜悪な自分を許容することで
入室することができた地下室だったのではないかと思います。

第一部は思想をぶちまけていて、それはそれで面白いのですが、
第二部の後半への、一気に膨らんで破裂するような、
物語がほとばしる感覚、そこはすごいなあと感嘆しましたし、
エキサイティングでした。

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2025年07月18日

Posted by ブクログ

よく分からなかった、というのが正直なところ。人生、誇り、愛憎に対する屈折した感情が描かれているが、自分はそれを理解できるだけの人生のステージに達していなかった気がする。

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2025年06月14日

Posted by ブクログ

第一部は難しくて途中で挫折しそうになった。でも歯痛の話は笑った。
第二部はずっと面白かった。コントみたい。でもこの捻くれすぎた主人公にイライラすることもあった。ってことは私はそこまで捻くれてないのか?と思わせられた(笑)
ドストエフスキー3冊目だけど、今まで全部面白い。

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2025年05月04日

Posted by ブクログ

自分の世界に閉じこもってしまうことの気持ち悪さを感じる反面、自分にも全くそんなことがないとは言い切れないような気持ちを呼び起こされて終始読み進めるのがしんどかった。
最近内面的世界に向き合うことがとても大事であると思っていたが、そのことに入り込みすぎてしまうことがないようにしなければ、この主人公とおなじような境地に至ってしまうに違いない。

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2024年03月10日

Posted by ブクログ


「おそらく他者を、さらには他者の意識に映る自己を意識していないような文章は、一つとしてないだろう。かくして意識は、二枚の合わせ鏡に映る無限の虚像の列のように不毛な永遠の自己運動をくり返し、ついになんらの行動も踏み出すことができない」

 解説のこの文章が「地下室の手記」の形式の面白さを的確に説明している。「諸君ははこういう反論してくるんだろう?」という前置きの頻出が、主人公の自意識過剰さの特徴であり、そんな性格が「不毛な永遠の自己運動」としての鬱々とした精神世界に彼を引き摺り込んだのである。自分は頭でぐるぐる巡らしているだけで、行動していく他人が無神経に見えるという捉え方が、彼の自尊心を肥大させ、「自分は知的」という傲慢さを生み出した。しかしそう思ってしまう気持ちは共感できる。このような人間の詳細な心情が文学というジャンル以外で表面化することは絶対にない。彼のような人間を社会と一番下から掬い上げて世間の目に晒したドストエフスキーの功績は大きい。


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2023年01月29日

Posted by ブクログ

なんか、めっちゃ共感性羞恥を煽ってくる。
ビリヤードのところのちょっと邪魔者扱いされただけで、ストーカーして個人情報集めて道端で肩ぶつける為に良い服用意して、そんでようやく肩ぶつける事が出来て満足してるとこ、もう哀れ過ぎて涙出てきた。
でも文章はユーモア?というか、面白くてめっちゃ読みやすい。
プライドエベレスト超えて大気圏突破してるとことか、苦笑い溢れるけどまぁそれはそれで楽しめる。
いじくり回した思考回路も、興味深いなぁって思いながら読んでた。

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2023年01月08日

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