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「苦悩こそ、まさしく自意識の第一原因にほかならないのだ。」
主人公の自意識ゆえの苦悩・思想が語られる前半と主人公が過去に経験した3つの出来事が明かされる後半という2部構成になっている本作は、社会と関係を絶ち、自ら地下に閉じこもった、小官吏である主人公の独白を通して、人間の本質に迫る。
「意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。」
何者にもなれなかった主人公は、極端な自意識という地下室から出ることはできないのでしょう。もはや出ようともしないのかもしれません。ここまで緻密に、克明に、自意識に向き合った作品はないのではないでしょうか。
肥大化する自意識に苦しむ現代人にこそ読んでいただきたい、文豪ドストエフスキーの傑作です。
Posted by ブクログ
「ロシア文学は難しそう」という先入観を持っていましたが、2部からは比較的読みやすく2日で読み切りました。
150年前の作品ですが、現代を生きる私たちの自意識を鋭くえぐってくる作品だと思います、、ドストエフスキーがなぜ世界的な文豪と称され続けるのかを心から納得しました。
主人公の屈折した自意識、他者の視線への恐怖、そして「自分は特別でありたい」というプライドと自虐の間で揺れ動く姿は、決して他人事だと思えませんでした。心理描写の解像度が「自分にも身に覚えがある」と胸が痛くなるほど高いので、精神的に余裕のある日に読むことをおすすめします(笑)
読んでいて、高校時代に衝撃を受けた『山月記』の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というフレーズを思い出しました。
また、人間は理性や効率(2×2=4)だけでは動かない矛盾に満ちた存在であるというテーマは、現代の様々なニュースや自分自身の生き方を振り返る上でも大きな気づきを与えてくれました。
自分の弱さや自意識と向き合い、他者への敬意や寛容さを持ちたいと思わされました。
久々に心にドーンと来た作品だったので、レビューを書きました。他の世界的な名著にも挑戦しようかな。
Posted by ブクログ
主人公がダサい。あまりにもダサいし、痛々しい。 働きもせず、地下室にこもり、自意識が奇妙に歪み切ってしまった男の手記。他人や社会を見下しながらも、彼はそのくせ、彼らの「生きた生活」に激しく憧れている。だが同時に、その「生きた生活」を恐れ、いざその渦中に置かれるとひどくうろたえ、面倒に思い、何もない地下室の生活へと逃げ戻ろうとする。
彼の行動は、滑稽なほどに歪んでいる。
ある日、道を通るために士官にどかされたことを、彼はひどい屈辱と感じる。復讐のために、街でその男と正面からぶつかっていこうと計画するのだが、いざとなるとビビりまくり、自分から道を譲ってしまう。何回目かのチャレンジで、ようやく肩が少しだけぶつかることに成功すると、彼は有頂天になる。自分が男と対等であることを周囲に証明できたと安心する。――誰もそんなこと、気にも留めていないというのに。
また、自ら疎遠にしていた昔の学友たちの集まりに勝手に参加し、彼らを不愉快にさせた挙句、無視されるエピソードもある。それでもかまってほしくて、彼らの側を行ったり来たり往復するが相手にされない。置いてけぼりにされた彼は、復讐を心に誓って彼らが向かった売春宿へ行くが、見つけることができず、たまたま目に入った売春婦のリーザと寝る。そこで彼は、彼女に「こんな生活はだめだ」と大説教をかまし、ひどく興奮して自分の家の住所を渡してしまう。
後日、彼に救いを求めて彼女が家を訪ねてくる。しかし、彼は自分の惨めで貧乏な私生活を見られたことに狼狽し、彼女を激しく憎む。ついには「自分は善良な人間にはならせてもらえない」と号泣しながら、自分の窮状を暴露してしまう。
ダサい。ダサすぎる。 しかし、この過剰な自意識や、「生きた生活」に憧れながらもそれを面倒に思ったり、見下したりする心理は、笑えないほど見覚えのあるものだった。
「とにかく、ぼくらは、真の『生きた生活』を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹の中では、書物式のほうがよほどましだとさえ思っているのだ。」
本で読む人間の生活には愛着がわくし、憧れもする。しかし、自分がいざその渦中に置かれると、ひどく面倒ごとに感じてしまう。
「ぼくらは人間であることをさえわずらわしく思っている。」
多くの人々が当然のように行っていること。就労、勉学、家事全般、育児、結婚、遊び、エトセトラ。これらが耐えられないほど面倒に感じ、傷つくことを恐れて、自分だけの「地下室」に引きこもる。
この物語の最後で、男は一番見下していたリーザの前で取り繕うこともできず、号泣して自分の窮状をぶちまけた。 これは、彼にとっての「救い」ではなかったか。 どんなにダサくても、みじめでも、彼は生身の人間と泥臭くぶつかり、這いずり回ることができたのだ。自意識の殻を破り、「生きた生活」の渦中に、彼は確かに立っていた。
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの『地下室の手記』を読み終えた。読んでて気が滅入ったりもしたけど、それも含めてけっこう楽しめた。
俺なりに内容をまとめると、社会に溶け込めない孤独なオヤジが、自分自身と他人とに向けた恨みつらみを代わる代わる書き連ねるだけで一冊終わる本。
主人公である書き手は臆病さと高慢さを兼ね備えた性格の悪い男で、社会とうまくやっていくこができない貧乏な役人。
こういう、性格や色々がズレてるせいで孤独に暮らしてる狂人を主人公とした作品として、俺はやっぱり映画の『タクシードライバー』を連想するんだけど、本作の主人公は『タクシードライバー』のトラヴィスと少し違うところもある。
トラヴィスは「腐った世の中で唯一、まともで正義を背負ってるのは自分一人だ」というような独善性を最後まで掲げて振る舞うけど、本作の地下室のオヤジは、他者を見下す一方で、自分自身の下劣さも同時に強く自覚して、ひっきりなしに自己嫌悪に陥ってる。
このオヤジの言動が、読み手の側からしたら時々滑稽なくらい高慢かつ卑屈で、空回りなことばかり繰り返す無様を目で追いながら、笑っちゃうようや落ち込んじゃうような気持ちになる。
例えばオヤジは、ある夜に盛り場の通路みたいなとこで、自信満々な若い軍人に押しのけられる。軍人は別にオヤジの知り合いでも何でもなく、貧相な身なりの通行人(オヤジ)を、通るのに邪魔だからと乱暴に横に追いやって通っていっただけ。そりゃオヤジじゃなくても、押しのけられた側はムカッとはするだろう。それでも、たったそれだけの3秒の出来事。軍人は振り向きもせずスタスタ歩いていく。人を押しのけたことすら意識してないオラついた若者だと思う。
ところがオヤジは、この3秒の出来事を2年も引きずる。その2年の間に、軍人への復讐の計画を練って恨みの炎を燃やすわけ。復讐と言っても、道で再び会って今度は道を譲らないで踏ん張ってやろうと企むだけの話なんだから、セコくて笑える。2年の間に軍人にこっそり付きまとって、よく通る道を突き止めてタイミングを狙ったり……威厳ある復讐に相応しい服装をするために、わざわざ借金までして新しい外套を揃えたり……。
そんな風に何ともこせこせした、陰気で卑屈な言動の数々のせいで他人とトラブルばっかり起こしている地下室のオヤジの姿を読んで、俺たちは哀れめばいいのか、嘲笑えばいいのか。
あるいは読者によっては、「この醜い無様な狂人こそ、俺の姿だ……」と自認する人もいるんだろう。そういう人は、痛い傷をわざと触ってみるような、マゾ的な自傷の喜びに悶えながらこの本を読み通すのかな……。
書き出しからしてキラーフレーズすぎる。〈僕は病んだ人間だ……僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。〉小説全体が、この最初の一行をまるまる一冊分まで拡大しただけみたいなものだと思う。
なんだか「臭いと分かってるものの臭いをわざと嗅いでみたくなる」みたいな感じで、不思議な吸引力を持っていたので結局最後まで読んじゃった。明るいところがひとつもない悲惨な小説だった。
Posted by ブクログ
<ぼくは病んだ人間だ。…僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えではこれが肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなどぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いかも正確には知らない。(P6)>
元官史の語り手は、おそろしく自尊心が強く、極端な迷信家で、あまりにも自意識過剰で、とても臆病で、際限なく虚栄心が強く、他人との交流もできず、心のなかで鬱屈を抱えている。
遺産によりまとまった資産を手に入れた語り手はペテルブルクの片隅のボロ家に引き込んだ。そんな生活をしてもうすぐ20年にもなる!やることといえば心の鬱屈を手記にぶちまけるだけ。
あれも気に食わない、これも嫌い、人から嫌われることばかりするのに人に尊敬されるだろうと思っている、昔のことばかりグジグジ繰り返している、この手記だって自分のために書いているけれど、世間の諸君が読むかもしれないではないか!
…という感じのグジグジぐだぐだウジウジした語りが続き、「この話全部この調子なの…(´Д`) 」とえっらく読むのに時間がかかった。
しかしその語りは最初の60ページまでだった。その次の章からは、自分の鬱屈した正確を示すものとして、まだ引きこもる前の若い頃の出来事が語られる。これが「なにやってんのーー」と、けっこう笑えてきた。
●語り手は、ある将校に無視されたことから数年に渡り一方的に恨みを持つ。いつかあの将校に自分がどんなに重要な人物かを認めさせ、詫びさせてやる!語り手は将校の後をつけて彼のことを調べる。通りでは何度もすれ違った。だが将校は自分を認識すらしない、こんな屈辱があろうか!こうなったらあいつをネタにして誹謗中傷小説を書いてやる!出版社に送ったのに無視された!悔しい!!こうなったら決闘だ!語り手は決闘申し込みの手紙を書く。我ながらなんたる美文!将校がわずかでも<美にして崇高なもの>を解する男だったら、ぼくの素晴らしさがわかるだろう!この手紙はかろうじて投函されなかった。だって何年も経ってるんだもん、さすがにわからないかもしれないよね。
それでは通りであの将校に道を譲らせてやる!それにはまずぼくのことを認識させないといけない、では身なりを整えないとな。上司に給料の前借りをして、あらいぐま…いやビーバーのコートを買って、手袋はレモン色…いや黒のほうがいいだろう。
自分を認識していない相手に何年も執着し、独り相撲して、勝手に苦しみ、誹謗中傷小説まで書き(無視されたが)、やったことは「通りですれ違う時に、ぼくの方から避けずに肩がぶつかったぞ!ぼくの勝ちだ!!」
⇒そ、そういうことにしておこうか…
現代で言えばネットに誹謗中傷書きなぐるタイプだな、妄想の中で満足してまだ良かった。
●ぼくはあらゆる空想をする。自分自身が空想の中ではあまりにも素晴らしく幸福の絶頂を味わい、全人類と抱きあいたいたい気分になる!!そこで学生時代の友人を訪ねた。
そこではかつての学友たちが集まっていたんだが、語り手の姿を見ると明らかに嫌そうな雰囲気になる(語り手の一人称だが、それがわかる)。学友たちは、遠方に将校として赴任するもう一人の友達ズヴェルコフの送別会を計画していた。このズヴェルコフは語り手は全くタイプが違い、出世街道に乗り、女を口説き、仲間と酒を飲み明かす生活を楽しんでいる。
そんなズヴェルコフの送別会なので当然語り手は招かれない。そこで語り手は「ぼくを忘れちゃ困る!!ぼくも彼の送別会に行く!!」と突然のアピール。あっからさまに嫌がる学友たち。うん、気持ちはわかるぞ!!
⇒現代で言えば「自分だけ同窓会に呼ばれない」エピソードですね(;^ω^)
●送別会では自分の偉大さを認識させてやる!…と、乗り込んだが誰もいない。そう、時間変更していたのに知らされなかったのだ。
●それでもみんなもやってきてズヴェルコフの送別会が始まる。あっからさまに無視される語り手!それでも現代の待遇を馬鹿にされたり、嫌味丸出しのスピーチをして場を険悪にする。元学友たちに完全に無視された語り手は、送別会の三時間の間部屋を有るき回る語り手!ずっと無視される!だが語り手は「自分の存在はみんなに刻み込まれたはずだ」とうそぶく。
●送別会の二次会で娼館にしけこもうという元学友たち。語り手は「ぼくも行くぞ!金を貸してくれ!!」あまりのみっともなさに、学友の一人が「恥知らず!」と投げてよこした金を手に取り娼館へ向かう。道中でも頭の中では「あいつらに思い知らせてやる!」などと考えているが、この勇ましい言葉も有名ロシア文学からの受け売りでしかないんだ。
●娼館でも取り残された語り手は、残り物の娼婦のリーザと部屋へ。事後のベッドで語り手はリーザ相手に御高説をぶちまける。
娼婦の君の人生とはなんだ!?きみはこの仕事と魂を引き換えにしたのさ!
リーザは答える。「あなたの話って、本を読んでいるみたい」そう、語り手がどんな演説しようとも、受け売りが見透かされてしまうのだ。それでもリーザは我が身を振り返り号泣する。
●娼婦リーザは、自分が娼婦と知らない男からもらった手紙を語り手に見せる。自分をちゃんと扱ってくれる男だっているのよ、という拠り所だった。
⇒リーザは見かけとしては可愛げない様子だが、この大事な手紙を語り手に見せる場面はとてもいじらしい。
●語り手はリーザに自分の住所を教えて「訪ねてこいよ」なんて言う。しかし帰ってから後悔する語り手。本当に来たらどうしよう、リーザは自分が語った言葉を聞いて、自分が崇高な人間だったと思ったに違いない、だがこんなボロ屋見せられないし、事後でもないのに格好いいことなんて言えない。リーザのところに行って「やっぱり来るな」っていおうか、いやそうもいかない、うぎゃーーーーー、と葛藤しまくる語り手。
●語り手にはアポロンという中年召使いがいる。非常に態度がデカいらしいが、読者としてはそりゃーこんな雇い主だったらばかにするよねとは思う。このアポロンに月給を渡さなければいけないんだが、「アポロンが自分に『給料をください』と平身低頭しないのがムカつく!!!」と、金は用意するが渡さない。しかしアポロンに舌打ちされたり睨まれたりすると「待て!!金はあるんだ!支払ってくださいと頼め!!」とか言ってますますバカにされる。
●三日後にリーザが来るが、語り手は非常に悪い態度を取り、ひどい言葉を浴びせる。リーザは、語り手に握らされた金を拒絶して去っていくのだった。
…ということで、「現在でもいるよね」とか、「ここまで極端でなくても気持ちはわかる部分もある」とか、「こんな奴に関わった周りの人のうんざりさがわかる」などと言う気持ちになってなかなか楽しめた。
語り口は、引きこもり男が勝手にグダり続けだけなんだが、これが小説として読めるものになっているのがさすがの大文豪だよなー。今でもこんな事を考えている人はたくさんいて、たまたま誰かがそんなことを言っているのを聞いてしまったり、ネットでうっかりそんな人の文章を読んでしまうこともある。そんなときはかなり嫌な気持ちになる。
しかしこの小説ではそのような嫌な気持ちにはならず「あるわー」「なにやってんだーーー」と、語り手と、語り手の周りの人双方の気持ちがわかりながら読んでいけるんだ。その意味では実に面白い小説だった。(最初の60ページ以降は)
語り手は自分のような人間は自分ひとりだと思っている。<だれひとりぼくに似ているものがなく、一方、ぼく自信も誰にも似ていない(…略…)ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる。P70>というわけだ。
だが語り手のような考えを持つ人間は当時も、今も、世界中にたくさんいる、ある意味人間の心の普遍的なものでもあるだろう。この「自分は孤独だ!」と思っていても、周りから見たら「たくさんいるよ」という感覚もいつでもあるものだ。
なお、語り手は読書について<ぼくの内部に煮えくり返っているものを外部からの感覚で紛らわしたかったのである。(P75)>と言っているのだが、ドストエフスキーの考えでもあるのかな。この読書への取り組みは何となく分かるんですけど。頭が混乱している時にも読書ってしますよね。するととっちらかった脳を一つに収集するのがなんだか分かったりして。
Posted by ブクログ
自意識過剰で地下室に引きこもる男の独白
主人公が笑えるレベルで偏屈、序盤から笑ってしまった
歯が痛くなり弱気になる、はわかる。しかし普通
歯が痛くなり、なんと痛覚に憎悪、悪態をつく
おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある
おれはおまえたちを悩まし、気分をかきむしり、家中の者を眠らせないでいる
それなら、おまえたちも、いっそ眠らないで、おれが歯が痛いんだということを、四六時中感じつづけるがいいさ
天才でござる
昔、成長痛で似たようなことを考えたような気がする。文章で見るととっても笑えた
この悪態っぷりや偏屈思考が主軸なので古びる要素なぞまったく無く、コノヤロコノヤロ…みたいなのを読めるだけで価値がある
熱風邪って弱気になるけど痛い系の病気ってイライラのが強いのはなんでだろか。今度歯が痛くなることがあったら文章に起こしてみたい、どれだけの悪態が思いつくのか
そんな気になった
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