【感想・ネタバレ】カラマーゾフの兄弟(中)のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年03月09日

いよいよ中巻。

この巻で特に印象的だったのは、泥棒と卑劣漢の対比に表されているように、高潔たろうとすること、名誉、恥辱なのではないかと思う。あるべき姿、ありたい姿が自分の中で明確になっていないとこういった考えや感情は湧いて来ないと思うので、やはりこの本の登場人物たち、特にミーチャは自分をしっかり持...続きを読むっている人なのだと思う。

私自身は、高潔、名誉、恥辱という言葉は普段は使わないものの、誠実でありたいとは思うし、自分の信念に反することをしたら落ち込むし、人からの評価を気にするし、、ともっと身近な言葉で置き換えて行くと、登場人物たちの考えや気持ちが少し身近に感じられた。


加えて、赦しという言葉も印象的だった。他人に対してどれだけ寛容になり、愛することが出来るか。『カラマーゾフの兄弟』全体を通して、さまざまな対象に対しての愛が語られていると思うが、赦しも愛の一つの形だと思う。

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Posted by ブクログ 2024年01月25日

「兄弟たちよ、愛は教師である。だが、それを獲得するすべを知らなければいけない。なぜなら、愛を獲得するのはむずかしく、永年の努力を重ね、長い期間をへたのち、高い値を払って手に入れるものだからだ。必要なのは、偶然のものだけを瞬間的に愛することではなく、永続的に愛することなのである。偶発的に愛するのならば...続きを読む、だれにでもできる。悪人でも愛するだろう。」

 聖人だと周りから思われている人であっても、過去に大きな罪や過ちを犯していることもあるし、善良でないと思われている人であっても、とても純真で高邁な一面をもっていることもあり、人を簡単に白黒判断することはできないし、人は多面的であることに改めて気づかされました。
 中巻では、ゾシマ長老の青年時代のお話が好きです。

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Posted by ブクログ 2022年08月12日

大審問官への反論としての「ロシアの修道僧」。ガリラヤのカナをアリョーシャが幻視する場面、聖書の朗読と幻が絡み合う叙述が素晴らしい。この場面が、書かれなかった続編のアリョーシャの「闘争」の伏線だったのかな。中盤以降はミーチャの独壇場。金をめぐって東奔西走、セッターやホフラコワ夫人とのやりとりは爆笑必至...続きを読む。童の夢は全能の神が創ったはずの世界になぜ不幸や悲しみが存在するのか、という問い。この世界の不完全さを愛や善によって埋めていくのが人間の務めだと目覚めた彼は悟る。枕の挿話は感動的。

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Posted by ブクログ 2022年01月26日

フョードルの好色さと似通った性質を父が持っていて辛い。
ドミートリーがあれほど父親を嫌悪するのは、結局のところ自分が父親と似ていることを心のどこかで自覚しているからじゃないのか…この二人からは、自分を大切にしようとしない人間を見たときの不愉快な印象をいつも受ける。

ゾシマ長老の説教は、この物語の中...続きを読むで数少ない美しい章だ。

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Posted by ブクログ 2022年01月15日

遂に待ち望んだ《物語の加速》が!欲と高潔にまみれた三兄弟の運命の歯車が廻転し始める。これは狂気なのか、それとも狂気の衣を纏った悲劇なのか。それにしても、長男ミーチャの超合金的自意識の硬さは目を見張る。飲み込まれそう。

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Posted by ブクログ 2020年11月13日

物語が一気に進む。
二つの死と三兄弟の人生の変わり目が見応えだった。
上巻と同じで非常に読みやすかったし、分かりやすかった。
早く下巻を読もう。

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Posted by ブクログ 2020年07月21日

死の床につくゾシマ神父の回想と垂訓が2部の最後を締めるが、少し長すぎて要点が絞り込めていない。ここでこの大長編を読むのをやめた人は多いと思う。(わたしは二人知っている。)アリョーシャが物語の前面に出てくるが、ドストエフスキー作品中最も人気のあるキャラだけあってやはり好ましい。(ただしわたしはソーニャ...続きを読むの方が好きだ。) 天性の人徳と優しさを持ちながら、妙に現実的で、異教徒に対する偏狭さに狂信的なものを感じるときがあるところも魅力だ。
信仰の揺らぎに直面した状態で“カナの婚礼”の説話を聞きながらアリョーシャが霊感を受ける場面はこの作品中で一番渾身の場面だと思う。
ちなみに女性の美徳は男のアリョーシャに独占されているせいか、とんでもない性格の女性ばかりでてくる。悪女の筆頭のようなグルーシェニカだが、彼女が語る“ネギの話”はやはりいい話だ。彼女とドミートリイの乱痴気騒ぎの後、ドラマは法廷へと移る。 わたしはフョードルが気の毒だと思うが彼に同情する読者は少ないだろう。

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Posted by ブクログ 2020年05月27日

父フョードルが殺害され、長男のドミートリイに嫌疑がかけられるあたりからは本当におもしろい。
カテリーナから盗んだ3千ルーブルの内の半分、1,500ルーブルを袋に縫いこんで、それを胸にさげておいたという《恥ずべき》秘密の告白の場面は最高!
「僕は卑劣漢だけれど、泥棒じゃない」と訴えるドミートリイの...続きを読む心理描写のうまさに舌を巻いた。

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購入済み

神の存在意義からミステリーへの

2020年05月16日

前半は、(前編)最終部の「大審問官」から続く神の存在についての考察が続きます。それは、アリョーシャが慕うゾシマ長老の死によって、さらに問われることに。この部分を読み進めるうちに、遠藤周作さんの名著「沈黙」を思い浮かべました。神への信仰が深まるにつれ、本当に神は存在するのか…。永遠に解決されない課題な...続きを読むのでしょうか…。
一転、後半からミステリー調の流れになって、現実に引き戻されます。そして、ついにその時は訪れるのです。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2019年01月24日

誰が父親を殺したのか?スピードが上がってきた!個人的には、ミーチャには隠し事してほしくないけど、でもついうっかり事実に反することを口走った、みたいたのはありそう(笑)3000ルーブルのトリックには驚いた。そして、グルーシェニカを最後に振り向かせた熱意とタイミングはすごいな、と。散財っぷりも気持ちよい...続きを読む。ロシアの人ってそんな感じなのか?

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Posted by ブクログ 2017年07月30日

(01)
解法をほぼ無限に有する傑作なテクストで、テーマとモチーフ、ドラマとロマンス、エピソードとアレゴリー、ミステリーとヒストリー、コミカルとシニカル、どうつまんでもおいしいのが本書である。
さしあたり人物の魅力ということなら、兄弟の主人公たちはともかく、いつも泣いたりへらついたりしているけれど漢...続きを読む(おとこ、そして無頼漢)な一瞬がキラキラしているスネギリョフ、悪意のない虚言で煙に巻きなんだかコロコロしている住所不定のマクシーモフ、カテリーナやリーザへと達する兄弟の恋路にいつも関門の様に立ちはだかりしかし自分の恋路にはキチンと段取りを踏むホフラコワ夫人などなど、登場するたびにしでかしてくれそうで嬉しくなる人物にも事欠かない。
沸騰し狂騒し罵声する声たちがありとあらゆる場面で登場(*02)し、それはポリフォニーとも評されるが、情景を口やかましく彩る様を読んで見つめるとき、読書することの幸福を感じるとともに、発せられ読者に読まれてしまった、声、セリフ、一句、一語、それらのいちいちが、登場人物ではないかという眩暈にあてられてしまう。その意味で無限の解法がここにある。

(02)
場に登り、場に発せられたものは何なのか、という前にそのものがどこから生まれたかを考えてみたい。
セリフの過剰に隠れてはいるが、地の文として目に飛び込んできて印象的なのは、口づけと笑いである。口づけの多様と作用、笑いの矛盾と唐突には、いつもいつも驚かされる。このキスとラフは、口の方法と形であって、長広舌を補いつつ、饒舌に対しての反射の様に現れる。
この口、人間の顔面の下部を占め、食べると飲むに欠かせない機関として働き、言語の様な意味から悲鳴の様な無意味までの音声を発し、臭い息やスカトロジーなどに暴露され機関的な意味での内面の昇降口ともなる、口が問題の端緒でもある。
目の描写についても冴えをを見せており、太陽が映りこむ水玉などのアレゴリーも豊富ではあるが、本書においてやはり問題となるのは、顔の穴としての口腔ということになるだろう。それは人格の欠格にも対応する。スメルジャコフが向かったのが料理であったこと、その名が放つ異臭は、ゾシマ長老の腐臭とも共鳴しあうこと、これら悪臭の避けられなさは鼻孔という穴に由来している。
もちろん、19世紀ロシアはヨーロッパの先進性に対し後進性を見せており、その後進は、著者によって、ロシア性、カラマーゾフ性などとしてからかわれながらも引き合いに出され、批評にさらされた。つまりは文明の突出に対するヘコみとしてのロシアであり、大陸的な穴や欠損が卑しくも意識されていた時代であることは見逃せない。
また、ミーチャの蕩尽は痛快であるが、読者は、それぜったいだめ、という世話焼きな半鐘を鳴らす一方で、頁を隔てた向こう側で使われるルーブル(*03)は読者の財産ではないため、どんどん使っちゃえ、という焚き付けに加担もしている。このミーチャの行動は、ポトラッチとして理解される。つまり、蕩尽による名誉の保全であり、近代的には人格的な欠損を金で補い、箔を付ける実践として理解される。穴埋めというなら正しくその通りであり、彼はいつも埋めなければと切迫している穴を(好んで?)抱えている。
地獄や悪魔は穴の内容であり、ヒステリーやアフェクトは穴の修繕あり、扉や封筒は穴の容態であった。口、穴あるいは孔のアレゴリーには事欠かないが、ミステリーの肝となる、誰がフョードルを殺したか、という穴はエピローグの円団の時点でどのように満たされたであろうか。
本書の卓抜は、この作劇上の要点となる犯人は誰という穴に、神の不在というという問いを掛け合わせた点にある。やったのかやらなかったのか、いたのかいないのか、いるのかいないのか、曖昧をさまよう譫妄状態(*04)や、不問に付される情況、フィニュッシュの直前にある寸止め状態に、この作品の命脈を賭けたこと、そこに現れた深淵は尊い。

(03)
財産の保管と宗教の保護とに関わる土着性という点でも本書は興味深い考察となっている。ヴェーバーがプロテスタントと資本主義を考察するのは、本書ののちの話であるが、蓄財と散財とが先述の先進と後進とに対応し、ミーチャの散財や、カテリーナの善行と金銭に現れた感覚をロシアやカラマーゾフの美質として、プロテスタントのけち臭さに対置させたところは、面白い。
ほぼ同様な構図が、医学、心理学、細菌学、法学、神学に対する著者の見地にも現れている。啓蒙的な近代の学問をセットで小馬鹿にしており、在来の神秘や土着を踏まえたところに新時代の精神を築こうとしている。この文学的で政治的な態度は日本の近代化で現象されたことと比較しうる。

(04)
読み返すと、ありとあらゆる文脈に伏線や複線が張られていることが分かる。どうとでも読める、どちらとも読めるという具合に。それはリニアなのか、非リニアなのか。
しかし、明らかに回収されていない伏線というのもある。有名なのが、13年後(*05)を描いた第2の小説の件である。
感触として、第1の小説が余した残り半分を示唆しつつも、結果的にはその後半を欠損としたことに著者の最大の遊びがあるようにも思われる。書かれそうで書かれなかったところに、読者を置き去りにしてしまった(*06)こと、本書のテクストを読む限り、この欠損は意図的であったという感触を持っている。その理由は既に記すことができたようにも思う。
謎めかすこと、おそらくドストエフスキー以降は、映像文化の台頭とともに、文字による物語はやや衰退していくが、その文字文化の精華として本書が示した謎めかしは、今後まだまだ楽しく読み解かれるだろう。
報道マニヤ、事件マニヤが本書にも現れはじめ、マスコミの予感がしている。この20世紀を圧倒する情報社会の前夜において、書かれたもの、報じられたものどもが、神に対したときに、とてもじゃないが信じられたものじゃないことを、とっくに、そして遠くに著者は見抜いていた。

(05)
ある階段の13段目にいるミーチャのはるか下、アリョーシャはまだ1段目にいるとされている。主人公であるアリョーシャは、ありとあらゆる場面に存在しなくてはいけない。場面とは事件のある場であって、事件の場には必ず癖のある人物が配置されている。主人公であるアリョーシャは、神がかり行者ともされるから、彼の業や修行は、このあらゆる場面に立ち会わなければならないことにある。
したがって、アリョーシャは忙しい。事件の前後となるとなお忙しく、彼が歩き回る場面場面で次々と業が課せられるから、タスクは累積的に彼の背にのしかかる。だから、特に前半の場面転換では、次なんだっけ、今なにしてたっけ、という健忘がしばしばともなわずにはいられない。彼が階段を上れずに踏みとどまっていること、それでもこの物語の中で数段は上れたかもしれないこと、これは西欧のビルドゥングスの伝統を踏まえた上で、どのように考えるべきであろうか。
おそらくアリョーシャは、物語の中で一度も汽車や馬車を利用していない、メッセンジャーや代理人にはなるが彼自身が誰かを使役することはない。そこにこの天使の踏みとどまりと善の理由がある。疾走する馬車や突き進む戦車は、太陽にも絡んで、物語中で重要なアレゴリーとなるが、天使の羽が、彼にのしかかる厄災をいくらかでも軽くしてくれていることを祈りたいものである。

(06)
「私」という審級が問題になる。マンの「魔の山」の「私」は超歴史的な存在ではあった。カラマーゾフの「私」は誰なのだろうか。カラマーゾフ家、特にアリョーシャを讃える伝記作家のようでもある。特に「誤審」の法廷では、この作家も傍聴していたようでもある。「私」は、カラマーゾフ家と同じ町に住み、周辺の人々のその後にも精通している。
この「私」のほかにも、超時間的、メタ的な存在をほのめかす記述が散見される。不思議な場面で、その人物がのちのちまで覚えていたとする説明がなされるときがたまにある。それは過去に遡る視点が目指すべきタグやポイントになっており、複線の交点のようでもある。逆デジャヴとでもいうようなこの表現は注目に価する。

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Posted by ブクログ 2019年01月16日

イワンは何かから逃げるようにモスクワへ旅立つ。ゾシマ長老の死去とともにアリョーシャの心に何かの変化が表れる。そして自暴自棄になったミーチャはついに。。検事の取調べで身も心も丸裸にされたミーチャの心情描写がリアルで、実は本当は殺していないのか?とすら思わせる。

3人の兄弟がどういう形で再会するのか。...続きを読むすべてを見通していたかのようなスメルジャコフはどう絡んでくるのか。下巻が楽しみだ。

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Posted by ブクログ 2023年08月16日

ゾシマ長老の記録はまたぜひゆっくり読み返すとしても、何だって自ら破滅に向かうのだ、ドストエフスキーの登場人物は!

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Posted by ブクログ 2023年03月31日


『カラマーゾフの兄弟』(中編)ドストエフスキー
深淵に脚を踏み入れ2/3まで読み進んだ。
ゾシマ長老が亡くなってからの前半と、ドミートリイが父親殺し(してないって言ってる)をして、最愛の(というか狂愛している)グルーシェニカに愛を表現しまくってる最中に警察に殺人罪で連行さえるまでの一巻。
上巻はロ...続きを読むシア文学表現に慣れなくてなかなか進まなかったけど、中巻はテンションに慣れて一気に読めたしめっちゃ面白かった。

グルーシェニカがガチで悪女(そして悪女であるに相応しい美人)すぎて老人は殺されるし、周りの人も血を流すし、息子は正気を失って完全にアカン人になっちゃってる。
たまたま今日読み終わって、愛をテーマに作品集めたルーブル展にもいって、この前エーリッヒフロムの「愛すること」も読み終わって、なんかやたら愛について考える最近。
愛は目に見えないので、みんなが共通認識していると思っている愛はきっと少しずつか、あるいは完全に違ったものを指しているかもしれないってホラーすぎる。いつの時代も、1500年代の絵画も1800年代の小説も、愛をテーマにしたなんかに取り掛かるにはこれだけまわりくどく、象徴的で、婉曲的で、帰納的にしか表現できない複雑な概念。
カラマーゾフの兄弟のどこかで、「神を直接描写することはできない。神でないことを挙げ続けることでしか神を表現することはできない」って言ってて、似てるなって思った。


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Posted by ブクログ 2021年12月30日

ついに親殺しの場面。
ドミートリィには不利な状況証拠ばかり。でも、ドミートリィが犯人であるという確たる証拠はない。
これから、どう展開するのか。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年08月30日

20代の時に読むが、文字やストーリーが重厚。
想像力を必要とする。

30代以降で再読を試みるも難しい。
こういう本はホント若いうちだけだなと思った。

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Posted by ブクログ 2021年01月27日


ネタバレ有かも…
ご注意ください

さて中巻は見習い修道僧であり、愛されキャラ三男アリョーシャがお世話になっている修道院の長老であるゾシマが瀕死状態になる
ここでゾシマ長老の過去の回想(伝記)及び法話と説教など…(か、かなり長い)

今でこそアリョーシャをはじめ、民衆から尊敬されるゾシマ長老(その...続きを読む民衆らの信仰ぶりは遠方からはるばるゾシマ長老に一目会いにくるなど、上巻たっぷり記載されていた)だが、若い頃は結構平凡で普通の青少年だ
ポイントとなるエピソードは3つ(個人的見解です)

■エピソード1
(ん?スターウォーズ⁉︎)
お兄さんの精神世界の変化
ゾシマ長老は精神的にアリョーシャと自分の兄がそっくりだと言う
17歳まで全く神を信じていなかった兄、無口で癇が強く、孤立していた
しかし結核を患い余命半年から1年くらいから教会へ行くようになり、精神的にすっかり変わる
思いやり、感謝、幸福の喜びを知り、死ぬ直前まで喜びで満たされていた

■エピソード2
ペテルブルクの士官学校にて
善良だったが素行は悪く、若さゆえに享楽の生活にのめり込むゾシマ君(笑)
そんな折、若く美しい令嬢に想いを寄せるが、後に彼女が他の男性と結婚したことを知る
うぬぼれに目がくらんで、気づかなかったことにショックを受けるゾシマ君
憎悪をおぼえ、復讐心、憤り、見苦しい愚かな人間になりさがる
そして恋敵に決闘を申込む
自分は堕ちるところまで堕ちてしまったのだ!
しかし決闘前日にある宿命的なことが起こる
この時、亡き兄を思い出しの自分の罪深さに気づき、決闘を取り下げてもらうようプライドを捨てて頭を下げるのだ
周りからは大ブーイング
全てを受入れ、深く反省し、退役
修道院へ入る決意をする

■エピソード3
さらにこのエピソードは興味深い
新たに出会った年輩の人物
それは有力な地位の皆に尊敬される裕福な慈善家
この50歳くらいの紳士はゾシマ君(この頃もまだ若僧)を信頼し、何度も話すうちにお互いに信頼関係ができ、年の離れた親友となる
実は、彼は14年前、フラれた腹いせに女性を殺害した殺人者であり、それを誰かに打ち明けたかったのだ
その白羽の矢が立ったのが信頼関係を築けたゾシマ君
そして今度はこの罪の告白を愛する家族をはじめ、皆にもしようとするのだが、これがなかなかいざとなるとできない
ゾシマ君は、告白すべきだと説得を続ける
この立派な紳士の罪を泣きながら聖母マリヤに祈るゾシマ
しかしこの紳士はだんだんゾシマに会うたび「まだ告白していないのか」というゾシマの無言のプレッシャーを勝手に感じ精神的に追い詰められていくのだ
結局この紳士は勇気を出して告白するが、ゾシマを激しく憎むようになる
「今やあの男(ゾシマ)だけが、俺を束縛してわたしを裁いている…」
そう、ゾシマを殺そうとするほど激しく憎むようになる
紳士は精神錯乱し、死んでしまう
誰もが彼の罪を信じず、亡くなったことを嘆き、若僧ゾシマを白い目でみるように
しかしながらやはり真実を信じる人が増える 
そうすると今後は好奇心から、例の紳士のことをあれころゾシマに尋ねだす始末
彼は一切を沈黙した
「人間は正しい人の堕落と恥辱を好むものだ」と納得の上、ゾシマはこのエピソードが、自分の道を主が思し召してくれるのを強く感じるのだ
そうこれらのエピソードからゾシマは修道僧となるのだ
(教訓としては傲慢さを捨て、常に謙虚であれ…かな?)

エピソード後は、ゾシマ長老の長い説法
修道僧とは、修道僧の偉大なる仕事とはから始まり、精神的な人の対等とは、また祈りと愛の大切さ、地獄の考察など…が長々と続く
ここは上巻のイワンの「大審問」に対する場面では!?
イワンとゾシマ長老の正反対(しかしながらそう簡単ではないのだが)の話しを聞いたアリョーシャである(この場面は宗教色が強く、しっかりと理解するのは難しかった)

これほど人々に尊敬され、愛されていたゾシマ長老の悲しい死
ここできわめて異様で不安な思いがけない事態が起こる
ゾシマ長老の棺から腐臭が立ち上り始め、それがあっという間に強烈になっていったのだ
当然不信者たち(修道院内にも派閥があるのだ)は大喜びしたが、信者の中にも興奮し喜ぶものも多数いた
これはまさに「人々は心正しき者の堕落と恥辱を好む」ということなのだ

そしてこの出来事でアリョーシャまでが動揺してしまう
この物語の語り手である「わたし」に言わせると
アリョーシャはゾシマ長老の奇蹟が起こらなかったことに対する失望ではなく、「正義」が起こらなかったことに対する動揺だという
全世界のだれよりも高くたたえられるべき人が、おとしめられ辱められたのだ
彼よりはるか下に位する軽薄で嘲笑的な、悪意にみちた愚弄にさらされたことを、悔辱と憤りで耐えられなかった
無垢なアリョーシャの心を苦しめた

そのアリョーシャをラキーチン(同じ修道院の神学生、なかなかいけ好かない奴)がグルーシェニカ(ある老商人妾であり、おとんフョードルと長男ドミートリィが取り合っている女性)のところへ連れていく(連れていくその理由が最低なのだが省略)
ここでグルーシェニカがアリョーシャに出会ったことによる二人に相乗効果が発揮され、彼らに変化が起こる
グルーシェニカがアリョーシャを憐れむことで、アリョーシャはグルーシェニカの愛に満ちた魂を見いだす
善が悪に染まるのはハイウッド映画でよくあるが、ここはアリョーシャの勝ち!
グルーシェニカが精神が、心が開花される
これまた不思議な因縁である
そしてアリョーシャも心が救われる
その後アリョーシャは僧庵に戻り不思議な神秘的な体験をする
大地をに接吻し、歓喜し、揺るぎなく確固とした何かがアリョーシャの魂の中に下りてくるのを感じたのだ
アリョーシャはこの体験をきっかけに立派な精神的な意味で修道僧になったのではなかろうか

さて
グルーシェニカ(ある老商人妾であり、おとんフョードルと長男ドミートリィが取り合っている女性)には過去に愛する男性がいた
彼は他の女性と結婚してしまったが、奥さんが亡くなり、グルーシェニカの元へやってくることに
気を高ぶらせて彼との再会を待っている
グルーシェニカにしてみれば、老商人もフョードルもドミートリィもぶっちゃけどうでもいい存在
彼女は傲慢、利殖の才にたけ、ケチで金儲けにしわい性悪女なのである


一方長男ドミートリィ
そんなグルーシェニカに身を焦がし、彼女との新しい生活を勝手に夢見てお金の調達が必要なんだ!とまたも思い込む
おとんだけをライバルだと思い込み、お金させあればうまくいくと思い込み、東奔西走し出すことに
先走りと思い込みの激しさがもう何とも痛々しい
相変わらずすぐカッカするし、口は達者(方向性が間違っているが)、調子が良すぎて破天荒
雲行きが怪しくなってくる

ある村の宿場で、グルーシェニカ、グルーシェニカの元カレ、ドミートリィ…他面々がそろう
ドミートリィはヤケになっており、最後の豪遊!とたくさんのシャンパンと食材をじゃんじゃん運んでやってくる
元カレとドミートリィらのやり取りを通じて、なんとまさかのグルーシェニカの心変わりが起こる!
現実の元カレの態度や考えを見てガッカリしたのだ(かつらだったしね(笑))
そこで一気にドミートリィへの愛へ目覚める(あれぇれれぇ…という展開)
ここからお決まりの派手な酒盛りのどんちゃん騒ぎ♪
とジェットコースターのような展開だが、さらにさらにそこへ突撃隊の如く警察署等らのお出まし
そうドミートリィはおとんのフョードルの殺害事件の容疑者であると告げられる

ドミートリィは父親殺しの無実を訴え続けるが、最終的に刑を受け入れようとする
「僕はこれまでの一生を通じて毎日、この胸を打っては、真人間になることを誓いながら、毎日相変わらず卑劣な行為をやってきました。僕のような人間には打撃が、運命の一撃が必要なのです。僕はこの告発と世間に対する恥辱との苦しみを甘んじて受け、苦悩によって汚れをおとしてみせます!」と告白する
こういうセリフをドミートリイに言わせるあたりがドストエフスキーだ

ああ、フョードルがとうとう死んでしまった
彼こそまさにカラマーゾフの象徴なのに…
おとんフョードルと長男ドミートリイは結構似ている
しかし圧倒的にフョードルのが「カラマーゾフ的」で最高に笑わせてくれた
格が違うし、「カラマーゾフ的」なキャラに何の迷いもなく、余裕しゃくしゃくだ
その点、長男ドミートリイはまだ「カラマーゾフ的」なものになり切れない迷いや善良さや青さがある
というわけで個人的にとても淋しい

ちなみにおとんフョードル殺しについては、長男ドミートリィに容疑がかけられているが、ドミートリィはスメルジャコフを疑っている
スメルジャコフというのはフョードルおとんの私生児で、料理が上手いため、フョードルおとんは彼を召使いかつ料理人にして身近に置いていた
もっとも自分の子とは一切認めてもいないし、下手したらおとんのことだからそんなことさえも忘れているのではなかろうか…
このスメルジャコフというのはかなり歪んだ人間だ
人嫌いで寡黙、傲慢であらゆる人間を軽蔑しているかのようなふるまい、猫を縛り首にして葬式ごっごをするまさにサイコだ
しかし割と頭はキレるし、普段は無口だが、生意気さと屁理屈に関して口は達者
そして癲癇(てんかん)持ちである(あのおとんが心配するほどのなかなか重度の癲癇っぽい)
そう丁度フョードル殺害時間の前後くらいは、激しい癲癇の発作があったスメルジャコフであるが…!?!?!?
このスメルジャコフに対し激しい嫌悪感を持っているのが次男のイワン
思考の支離滅裂さ、というよりむしろ思考の落ち着きのなさにおどろかされ、願望の非理論性や混乱におどろかされる
いやらしい狎れなれしさにも嫌悪に感じていた(同じくつかみどころのない不気味な存在感で私も苦手)


中巻まとめ
ゾシマ長老の棺から腐敗臭がすることによる騒ぎ、ここで起こる人々の深層心理
あれほど神聖な人間にこのようなことが起きると人はどうなるのか
人の心の奥底の醜い部分を上手に引き出し描いている
こういう人間の深い心情を描くのがドストエフスキーの唸らせるところである
また逆に人は悪いところばかりじゃない
悪いなりに良くもなるし、悪い中にも良い心がある
ドミートリイやグルーシェニカに見え隠れする部分がそれだ
全てが善、全てが悪なんていうのはない
そんな人の複雑で奥深い心情をいつも見事に描いてくれる

下巻はどういう展開となり物語は完結するのだろうか…
ドキドキワクワク…

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年05月23日

上巻よりさくさく読めた。
そしてだんだん面白くなってきたとこ。
ゾシマ長老の修道僧をなる道のり(若くして死んだ兄の死がきっかけ)や死後の俗人の証のような腐臭、スメルジャコフとイワンの庭先での意味深な会話(スメルジャコフの不気味な予言)
そしてドミトリーの父親殺しの殺人容疑での逮捕。
まるではめられた...続きを読むようにドミトリーには不利な証人ばかり。
私的にはドミトリーは殺ってないと思う。
直情的で乱暴者かもしれないけど、根はいいやつで嘘はつかないと思うから、じゃあ怪しいのはスメルジャコフ
か。
訳本だからしょうがないと思うけど、とにかくセリフがまわりくどい。意味が?のとこも。
言ったすぐそばから否定したり肯定したり、でも名著だということはわかる。
中巻に限っていえばドミトリーが主役だ。
そしていよいよ下巻に。
ドミトリーは状況証拠で犯人にされてしまうのか。

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Posted by ブクログ 2020年09月16日


 善良であり卑劣でありっていう、一見矛盾に見えるものを両方持ってて、ミーチャなりに自分に誠実で信念を強く持って生きてるのが、憎めないところ。ある種高潔な心を持っているし、同時にどうしようもない人間でもある。これでフョードルを殺していたら、そんなのは幻想となって一気に崩れ去ってしまうけど。ドストエフ...続きを読むスキーがどっちの方向性のことを伝えようとしているのかによるな。

 その人が罪を犯したかどうかを、先入観で決めつけてその人への態度を変えるのは、人間らしいけど浅ましいなと思った。

ゾシマ長老が尽くイワンの思想へ反駁しているのがちょっと面白かった。
アリョーシャの部分は、長老の死を受けてどういう方向性に変わってしまうのかと、気が気ではなかった。
ミーチャの運命の残酷に関しては、それを引き寄せてしまう気性を持ってるから納得せざるを得ない。人間としては本当に愛すべき人だと思うけど、いつも吊り橋でグラグラしてるみたいな人だから。
愛はすぐに移ろうもので、一つのきっかけだけで簡単に変わってしまうもの。

 最後のミーチャの恥辱の告白は結構共感できるし心に刺さった。本当に少しの行動の違いでも、その裏にある誠実さには深淵みたいな違いがあって、あるラインを超えてしまったら、嫌悪の塊に襲われるものだと思う。

 中巻は下巻への布石感がすごいから、物語の流れを忘れないうちに早く下巻を読もう。

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Posted by ブクログ 2020年04月18日

前半のアリョーシャはinteresting、
後半のミーチャはexcitingっていう感じ。
いよいよ下巻!上巻で張られた伏線や中巻のアリョーシャの変化がいかにして回収されどのような結末になるのか、楽しみ!

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Posted by ブクログ 2020年03月14日

上巻と同じく最後の半分が面白かった。

ドミートリィの自尊心とか恥とかの基準がよくわからんけど、どうせ死ぬなら何やってもいいと、大宴会して自殺しようとした気持ちは少しわかる。

犯人はだれだ

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年02月21日

2020年9月21日 再読

前半はゾシマ長老、中盤はグルーシェニカ、後半はミーチャ。神秘的な客、一本の葱、証人たちの供述。童、読み応えのあるエピソードが複数ある。


上巻の後宮部みゆきをはさみ、中巻へ。
べミハイルの話が印象的である。
いわゆるこの物語の中心をなす出来事が中心に据えられ、ミーチャ...続きを読むの成り行きを進めていく展開であり、上巻に続き読み応えがあり、そしてどんどん引き込まれてしまう。
印象的なのは「神秘的な客」の編。
神は全ての罪を赦し、全ての罪人を救うというなら、神によってこれほどの葛藤が生まれるのは何故だろう。べミハイルはともすると若かりしゾシマ長老を殺しかねなかったのである。また、全ての罪が赦されるのであれば、この世は罪人だらけになる。神は、神秘的な態度をとり我々を苦しめるのではないのか。そう思ううち、何故か神を強く意識してしまう。というこの宗教の仕組みが垣間見える。

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Posted by ブクログ 2020年02月07日

3月の読書会の課題本。晩年のドストエフスキーによる大長編。全四部+エピローグという構成になっている。様々なバージョンが出ているが、新潮文庫版は全三巻。第二巻の本書は、第二部の続きから第三部のラストまでが収録されている。キリスト教嫌いが多い日本では、第三部の後半からようやく本番と思う人が多いだろう。し...続きを読むかし第二部のラストも全体のテーマに絡む非常に重要な場面だと思う。

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Posted by ブクログ 2019年06月01日

前半はアリョーシャ、後半はドミートリイが主人公。

多分この物語で重要な出来事になるであろう事件が発生するが、事件そのもの描写がないため、本巻を読んだ時点で真相は不明。まるで火サスのようだ。

だがもちろん、この物語はミステリーものでもサスペンスものでもない。

物語を通じて著者が伝えたいことが、朧...続きを読むげながら見えてきた。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年12月12日

中巻の見どころは「長老の死」と「ミーチャの暴走」。

前者は長老の生い立ち、生き様を詳しく説明、そして死後の周りの人々の豹変ぶりに驚かされる。奇蹟を期待していた人々とそれに反して早くに腐臭が発生したという事実。何ともやり切れず神の無慈悲・不存在を伺わせる。

後者は、地獄から天国、そしてまた地獄へと...続きを読む目まぐるしく話が展開、加速していく。

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Posted by ブクログ 2017年08月30日

ドミートリィが肝心の殺害にまつわる議論よりも、服を脱がされることや金を使い切ったか否かという瑣事に拘るのがおもしろい。

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Posted by ブクログ 2022年03月17日

ゾシマ長老の死、フョードルの死、ミーチャの連行とイベント盛りだくさんの中巻だが下巻への大いなる布石という感もあってなかなか消化不良な部分多し。ゾシマ長老の説法はなかなか心を揺さぶる「ありがたいお話」という感じがするが上巻のイワンが持ち出した大審問官ほどの凄みを感じないのは何故か。
途中途中で挟まれる...続きを読むことわざとかちょっとした詩歌のノリがあまりにも19世紀ロシア然としててまったく入ってこなかった、、。それはそれとして楽しめるのが上級者なのだろうが。
次でついにラスト、下巻にも当然のごとく期待。

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Posted by ブクログ 2021年03月28日

中巻を読み終わった。
中盤までは物語がまだ動かなかったけど、ようやく大きな展開が出てきてここから怒涛のように面白くなるのだろうなぁ、、面白くなってほしい、、
面白いと感じられるようになりたい、、、

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Posted by ブクログ 2020年05月12日

上巻より読みやすい。
いよいよ父親殺しの容疑者にフォーカスされて
物語は進んでいく!
下巻に入ります。

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Posted by ブクログ 2018年11月11日

上中下を読み切るのに丸一月を要した。面白くないわけではないが、喉越しが良くない。演劇的な台詞に不慣れなのと、宗教に対する依存性と言うか考え方が日本人だけ違うからなんだと思う。『赦す』ってのが心で理解できない。
でもロシア文学に少しだけでも触れられた嬉しさは充分にある。
ロシア人の思う社会主義と外国か...続きを読むら見る社会主義は何か違う気がした。
根本はキリスト教の教えがあって、平和的な思想なんだと。

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Posted by ブクログ 2020年07月15日

古い悲しみは人の世の偉大な神秘によって、しだいに静かな感動の喜びに変わってゆく。沸きたつ若い血潮に代わって、柔和な澄みきった老年が訪れる。わたしは今も毎日の日の出を祝福しているし、わたしの心は前と同じように朝日に歌いかけてはいるが、それでも今ではもう、むしろ夕日を、夕日の長い斜光を愛し、その斜光とと...続きを読むもに、長い祝福された人生の中の、静かな和やかな感動的な思い出を、なつかしい人々の面影を愛している。わたしの人生は終わりかけている。そのことは自分でも知っているし、その気配もきこえているのだが、残された一日ごとに、地上の自分の生活がもはや新しい、限りない、未知の、だが間近に迫った生活と触れ合おうとしているのを感じ、その予感のために魂は歓喜にふるえ、知性はかがやき、心は喜びに泣いているのだ。(p.76)

今はあらゆる人間が自分の個性をもっとも際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいるからです。ところが実際には、そうしたいっさいの努力から生ずるのは、人生の充実の代わりに、完全な自殺にすぎません。それというのも、自己の存在規定を完全なものにする代わりに、完全な孤立におちこんでしまうからなのです。個人の特質の真の保障は、孤立した各個人の努力にではなく、人類の全体的統一の内にあるのだということを、今やいたるところで人間の知性はせせら笑って、理解すまいとしています。しかし今に必ず、この恐ろしい孤立にも終わりがきて、人間が一人ひとりばらばらになっているのがいかに不自然であるかを、だれもがいっせいに理解するようになりますよ。(p.104)

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