あらすじ
19世紀中期、価値観の変動が激しく、無神論が横行する混乱期のロシア社会の中で、アリョーシャの精神的支柱となっていたゾシマ長老が死去する。その直後、遺産相続と、共通の愛人グルーシェニカをめぐる父フョードルと長兄ドミートリイとの醜悪な争いのうちに、謎のフョードル殺害事件が発生し、ドミートリイは、父親殺しの嫌疑で尋問され、容疑者として連行される。
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Posted by ブクログ
読み終えてから感想を書くまで間をあけすぎて細かいところを忘れてしまったが、珍しく最初から最後まで一日で読み終える面白さだった。
特に、ドミートリイが金を工面するために最後の頼みの綱としてホフラコワ夫人にお願いするのだが、夫人はひたすらあなたには鉱山しかないわ!金鉱をたくさん見つけて儲けて、実業家になるしかないわ!と、鉱山をゴリ押ししていて面白かった。
第五編・プロとコントラ(続)
イワンにチェルマーシニャへ行けという意味深なスメルジャコフの警告。ドミートリイに合図を教えてしまったと告白。手筈は整った。
第六編・ロシアの修行僧
ゾシマ長老の生い立ちから、今に至るまでの流れ。
アレクセイ・カラマーゾフの手記。
第七編・アリョーシカ
ゾシマ長老の遺体が腐敗し始めたことで、住民が騒ぐ。グルーシェニカを訪問するアリョーシャ。
第八編・ミーチャ
いよいよ殺人事件。
第九編・予審
何者かに殺されたフョードル・カラマーゾフ。
「しかし最初にまず人間の孤立の時代が終らなければならないのです」
「孤立とはどういうことです?」わたしはたずねた。
「現在、それも特に今世紀になって、いたるところに君臨している孤立ですよ。でも、その時代は終っていませんし、終るべき時期も来ていません。なぜなら今はあらゆる人間が自分の個性をもっとも際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいるからです。ところが実際には、そうしたいっさいの努力から生ずるのは、人生の充実の代りに、完全な自殺にすぎません。それというのも、自己の存在規定を完全なものにする代りに、完全な孤立におちこんでしまうからなのです。なぜなら、現代においては何もかもが個々の単位に分れてしまい、あらゆる人が自分の穴蔵に閉じこもり、他の人から遠ざかって隠れ、自分の持っているものを隠そうとする、そして最後には自分から人々に背を向け、自分から人々を突き放すようになるからです。1人でこっそり富を貯えて、今や俺はこんなに有力でこんなに安定したと考えているのですが、あさはかにも、富を貯えれば貯えるほど、ますます自殺的な無力におちこんでゆくことを知らないのです。なぜなら、自分一人を頼ることに慣れて、一個の単位として全体から遊離し、人の助けも人間も人類もじないように自分の心を教えこんでしまったために、自分の金や、やっと手に入れたさまざまの権利がふいになりはせぬかと、ただそればかり恐れおののく始末ですからね。個人の特質の真の保証は、孤立した各個人の努力にではなく、人類の全体的統一の内にあるのだということを、今やいたるところで人間の知性はせせら笑って、理解すまいとしています。しかし今に必ず、この恐ろしい孤立にも終りがきて、人間が一人ひとりばらばらになっているのがいかに不自然であるかを、だれもがいっせいに理解するようになりますよ。〜p103
Posted by ブクログ
いよいよ中巻。
この巻で特に印象的だったのは、泥棒と卑劣漢の対比に表されているように、高潔たろうとすること、名誉、恥辱なのではないかと思う。あるべき姿、ありたい姿が自分の中で明確になっていないとこういった考えや感情は湧いて来ないと思うので、やはりこの本の登場人物たち、特にミーチャは自分をしっかり持っている人なのだと思う。
私自身は、高潔、名誉、恥辱という言葉は普段は使わないものの、誠実でありたいとは思うし、自分の信念に反することをしたら落ち込むし、人からの評価を気にするし、、ともっと身近な言葉で置き換えて行くと、登場人物たちの考えや気持ちが少し身近に感じられた。
加えて、赦しという言葉も印象的だった。他人に対してどれだけ寛容になり、愛することが出来るか。『カラマーゾフの兄弟』全体を通して、さまざまな対象に対しての愛が語られていると思うが、赦しも愛の一つの形だと思う。
Posted by ブクログ
ゾシマ長老が亡くなり、その遺体が腐臭を放ったことで人々は長老を侮蔑し、アリョーシャは傷つく。一方、グルーシェニカを手に入れたいミーチャは金の工面に奔走するがうまくいかず、そのうちにグルーシェニカはかつての恋人の元へはしってしまう。ミーチャは父フョードルのところへグルーシェニカが行ったのではないかと疑い、父の家に忍び込んで様子を伺ううちに、老僕グレゴーリイを殴り瀕死の状態にして逃走する。グルーシェニカを追っていった先で、その心を掴んだ矢先、彼は父親殺しの嫌疑で取り押さえられる。
たしかにミーチャの視点で読んでいた段階では父親は殺していないのに、状況証拠としてはミーチャが殺したとしか思えない状況で、サスペンスな様相を帯びている。前半のゾシマ長老の腐臭や、それにショックを受けたアリョーシャをラキーチンがグルーシェニカのところへ連れてくるあたりは、非の打ち所がない完璧な存在の堕落するところを見たいという人間の暗い欲望がよく表れていると思う。完璧に見える存在に対して、尊敬してすごいなぁと思いながらも、彼が失敗したりボロを出したりすることを心の底で待ち構えているというか。人間ってそういうもんだよなと思う。
あとグルーシェニカがアリョーシャに語る一本の葱の話は芥川の蜘蛛の糸との類似が指摘されるところだけど、改めて読んで本当に一緒だなと思った。芥川がカラマーゾフの兄弟を読んだのか、どちらも同じ民話を元ネタにしているという説も読んだけれどどっちだろう。
グルーシェニカと出会って立ち直ったアリョーシャがゾシマ長老の柩の隣で見た夢、カナの婚礼にゾシマ長老も参列していて、アリョーシャに語りかける場面はとても美しかった。
Posted by ブクログ
ロシアが生んだ巨匠の名作です。
しかし、ここまで読み終わった後にどっしり疲れる作品はあるでしょうか。
読み始める前のページの重たさ、そして気合いで読み続け、意地で読み終えました。
ストーリーは世界で読まれるくらいの名作ですので、言うまでもなく素晴らしいです。
罪と罰もそうですが、人間の感情をむき出しにできる文章は素晴らしいです。
何が善で何が悪なのかも登場人物の目線で変わりますが、その切り替えもさすがでした。
強いて言えば、ロシア人の名前が全然入ってこなくて、「こいつ誰だっけ?」が頻繁にありました。
Posted by ブクログ
ゾシマ長老の神秘性が、死後の腐臭によって最も容易く覆っていくのがゾワゾワした。世間って怖い。
その後の闘士になった?アリョーシャは実際どうなってしまったんだろう。
ミーチャへの尋問、受け答えがもうわけわからなくて好き。取り調べするほうも怒りを通り越して笑えてくるんじゃないかと思うくらい破綻してて好き(実際は破綻してなかったりするの…?)
色々謎を残したまま、下巻へ。
Posted by ブクログ
ついに親殺しの場面。
ドミートリィには不利な状況証拠ばかり。でも、ドミートリィが犯人であるという確たる証拠はない。
これから、どう展開するのか。
Posted by ブクログ
20代の時に読むが、文字やストーリーが重厚。
想像力を必要とする。
30代以降で再読を試みるも難しい。
こういう本はホント若いうちだけだなと思った。
Posted by ブクログ
2020年9月21日 再読
前半はゾシマ長老、中盤はグルーシェニカ、後半はミーチャ。神秘的な客、一本の葱、証人たちの供述。童、読み応えのあるエピソードが複数ある。
上巻の後宮部みゆきをはさみ、中巻へ。
べミハイルの話が印象的である。
いわゆるこの物語の中心をなす出来事が中心に据えられ、ミーチャの成り行きを進めていく展開であり、上巻に続き読み応えがあり、そしてどんどん引き込まれてしまう。
印象的なのは「神秘的な客」の編。
神は全ての罪を赦し、全ての罪人を救うというなら、神によってこれほどの葛藤が生まれるのは何故だろう。べミハイルはともすると若かりしゾシマ長老を殺しかねなかったのである。また、全ての罪が赦されるのであれば、この世は罪人だらけになる。神は、神秘的な態度をとり我々を苦しめるのではないのか。そう思ううち、何故か神を強く意識してしまう。というこの宗教の仕組みが垣間見える。
Posted by ブクログ
大体のストーリーが掴めてきて上巻に比べたらスイスイ読めた。相変わらず登場人物が多い。ドストエフスキー自身はどうやって管理してたんだろうなぁ、脳内完結なのか紙に起こしていたのか。
イワンも怪しいけどフョードルがすんなりドアを開けて部屋に入れてくれるとも思えず、アリョーシャが怪しいってことになるよなぁと推察。あとページを増すごとにドミートリーがフョードルと同じような発言や行動をしていて、血は変えられない同族嫌悪とはこのことか...と思った。
ゾシマ長老のシーンで、人は信仰に奇跡を求めがちだけどあまりに傲慢だなとも思う。奇跡が起きた時はそれに縋るのに、奇跡が起きなかったら急に不信者になり、今までのゾシマ長老の活躍がすべて水の泡になるようで。
ただ、自分に置き換えてみても、例えばお坊さんが何かしら問題を起こすと「お坊さんなのに!」って思ってしまうわけで。
となると、人が人に布教するものであり続ける限り、信仰は非常に曖昧で不安定なものなのだと思う。