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カラマーゾフの兄弟上巻の後半と下巻が面白かった。
「なかでも最後の質問はいちばん致命的だ、それにたいしては、「多分、小説を読んでいるうちにおわかりになるでしょう」と答えるほかないからである、が、もし小説を読みおえても、そういうことがわかってもらえず、わがアレクセイが傑出しているという意見に賛成してもらえなかったら、どうしよう? こんなことを言うのも、悲しいことながら、私にはそういう見とおしがついているからなのだ。彼は私にとって注目すべき人物なのだが、はたしてそれを首尾よく読者諸君に証明できるかどうか、それははなはだもって疑わしい。問題は、彼は多分活動家とは言えるだろうが、つかみどころのない、正体のはっきりしない活動家だという点にある。もっとも、現代のような時代に明瞭さを求めるほうがおかしいのかもしれない。ただひとつ、どうやらかなり確実といってよいのは、彼は変わった人間で、むしろ変人といってもいいくらいの男だということである。ところが、この風変わりとか奇癖とかいうものは、部分部分を結合して、混乱した全体のなかになにか普遍的な意味を見いださせるよりも、むしろそれをさまたげるものなのである、変人というものはたいていの場合特殊で孤立的なものだからだ。そうではあるまいか?」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「ここでもし諸君がこの最後の命題に賛成されずに、「それはちがう」とか、「かならずしもそうではない」などとお答えになるとすれば、私はおそらく、わが主人公アレクセイの存在意義という点では意を強うするにちがいない。というのは、変人は「かならずしも」特殊で孤立的であるとはかぎらないばかりか、かえって変人のほうが、ことによると、全体の中心となるものを内包していて、その時代のほかの者はひとりのこらず、なにかの風の吹きまわしで、どうしたわけか一時その変人から離れてしまうといったような場合もあるからだ……」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「その人の言うことには、『私は人類を愛していますが、われながら不思議なことに、人類一般にたいする愛が強くなればなるほど、個々の人間を、つまり個別的な人間としてべつべつに愛する程度が弱くなるのです。空想しているあいだは、人類にたいする奉仕の考えが情熱的なものになることもめずらしくない、ひょっとすると、なにかのひょうしで急にそれが必要だということになれば、人々のために実際に十字架につくこともやりかねないくらいなのですが、それでいてだれとも二日とひとつ部屋で暮らすことはできないということは、経験からよくわかっているのです。人がそばにいると思っただけでもうその個人に自分の自尊心と自分の自由が圧迫されるような気がするのです。相手がどんなに立派な人間でも、たった一昼夜のうちに私はその人に憎しみをおぼえることだってできます。」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「無神論者をも、悪を教える者をも、唯物論者をも、そのなかの善良な者ばかりでなく邪悪な者でさえ憎んではなりません、ことに現代においてはそういう者のなかにも善良な人間はたくさんおるのですからな。祈るときに彼らのことをこう唱えてやるがよい。『神よ、祈ってくれ手のないすべての者をお救いください、神に祈ろうとしない者をもお救いください』とな。そしてすぐにこうつけ加えるのだ。『神よ、傲りたかぶった気持ちからこんなことを祈るのではありません、この自分もだれにもまして汚らわしい者なのです』とな……神の子たちを愛して、羊の群れを侵入者どもに奪われぬようにしなければなりません、と申すのは、もしも懈怠や人を毛嫌いする傲慢や、わけても貪欲の眠りに落ちるようなことがあれば、四方から侵入されて、羊の群れを奪われてしまいますからな。どうか、たゆまず人々に福音書を説いてくだされ……暴利をむさぼることのないようにな……金銀を愛好して蓄財などをせぬことだ……信仰を守って、その旗を守ることだ。それを高くかかげることだ」……」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「第一、ちゃんとした人間にとっちゃお前のその天国だって行くべき所じゃない、たとえそんなものがあるとしても。わしの考えるところじゃ、眠りこんだきり目をさまさない、それっきりなんにもありゃしないのさ、供養する気がありゃ、供養してももらおうが、その気がなけりゃ、どうともしろってわけだ。これがわしの哲学なのさ。きのうここでイワンのやつ、うまいことをぬかしやがったよ、もっともわれわれはみんな酔っぱらっちゃったがね。イワンは天狗だよ、それになんの学識もあるわけじゃなし……教養だってとりわけなんにもあるわけじゃない、ただ黙って、人の顔を見ながらにやにやしている、――それがやつのずるい手なんだ」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「こういうことなんです」とアリョーシャはまるで屋根からでも跳びおりるような気持ちでしどろもどろにしゃべりだした。「いますぐここへドミートリイ兄さんを呼んでください、僕、兄さんを見つけてきます、――そしてドミートリイ兄さんがここへ来たら、あなたの手を取らせ、それからイワン兄さんの手を取らせて、あなた方ふたりの手を結びあわせてもらうんです。というのは、あなたは、イワン兄さんを愛しているだけでもイワン兄さんを苦しめていることになるからです……じゃなぜ苦しめているかと言うとそれは、あなたのドミートリイ兄さんにたいする愛し方が発作的で……ほんとうの愛し方じゃないからです……というのは、自分にそういうふうに言い聞かせて……」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「あの人は気位の高い人だから、自分と戦っているんですよ、でも気立てのいい、魅力的な、心のひろい人ですわ!」とホフラーコワ夫人は半ばささやくようにして感嘆の声を放った。「ああ、わたくしほんとうにあの人が好きだわ、ときには大好きになることもあるくらいですわ、わたくしいまはまたなにもかも、なにもかもうれしくって! ねえ、アレクセイさん、あなたはこんなことご存じなかったでしょうけど、じつは、わたくしたちみんなして――わたくしも、あの人の叔母さんたちも、――リーザまでが、それこそひとり残らず、もうここまるひと月というものこういうことをひたすら願いもし、祈りもしてきたんですのよ、それは、あの人があなたの好きなドミートリイ兄さんと別れて、イワン兄さんと結婚してくれたらということですけどね、だってドミートリイ兄さんのほうはカテリーナさんの人柄を認めようともしないし、ちっとも愛してなんかいないのにひきかえて、イワン兄さんのほうは教養のあるすばらしい青年ですし、カテリーナさんを世界じゅうのなにものよりも愛していらっしゃるんですもの。わたくしたちこのことですっかり陰謀をたくらんでいるんですよ、わたくしがここを発たないでいるのも、ひょっとしたら、ただそれがあるからかもしれませんわ……」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「知りたければ教えてあげますがね、ふしだらという点じゃあちらの人間もロシア人も大同小異なんですよ。いずれもみなならず者でね、ただちがうのは、あっちの連中はエナメルの靴などをはいているのに、ロシアのならず者ときたら貧乏暮らしでいやな匂いをさせていながら、それをなんとも思っていないところくらいですよ。ロシアの民衆は鞭でひっぱたかなくちゃやっていけない、きのうフョードルの旦那もそう言ってましたが、そのとおりでさあ、もっともあの人も子供さんもそろいもそろって気ちがいですけどね」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「ところが、あの人はおれのことを、汚らわしい下男だなんて言うんですからね。あの人はおれを、謀反でもおこしかねない男と見ているようだけど、それはあの人の誤解でさあ。おれはふところに相当の金さえありゃ、もうとっくの昔にこんな所は引きはらっていますよ。ドミートリイさんなんざ、身持ちから言っても、頭の程度から言っても、貧乏さ加減から言っても、どんな下男よりも劣っているし、なにひとつできもしないくせに、みんなから尊敬されているんですからねえ。おれなどはただのコックにすぎないが、これでも運さえ向きゃ、モスクワでペトローフカあたりにカフェ兼レストランの一軒くらいは開けるんですぜ。だっておれは特別な料理法を知ってるんですからね、ところが外国人をぬきにしたら、モスクワにもひとりだってそんな特別なものを出せる者はいないんですからね。ところがドミートリイさんだったら、文なしのごろつきのくせに、まず一流の伯爵の令息だって決闘に呼びだせば相手になってくれようってんだからねえ、それでいていったいあの人のどこが私よりすぐれているんですかね? あの人は私なんかより比べものにならないくらいばかだからというにすぎないじゃありませんか。なんの役にもたたないことにいくら金をつかったかしれやしないんですよ」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「人生の意義などより人生そのものを愛さなければならないっていうのかね?」「そりゃどうしてもそうでなくちゃ、兄さんの言うように、どうしても論理よりさきにまず愛さなくちゃね、論理よりさきに、そうしたときはじめて人生の意義もわかってくるものなんだよ。これはもうずいぶん前から僕の頭にうかんでいたことなんだ。これで兄さんの仕事の半分はもう成就したわけだよ、兄さん、自分のものにしたわけだ。兄さんは人生を愛しているんだからね。これから兄さんはそののこりの半分のことで努力すればいいんだよ、そうすれば兄さんは救われるんだ」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「さあ、ひとつ言いたまえ、なにから手をつけたらいいか、そっちから命令してもらおう――神からかい? 神は存在するかということかい?」「なんでも好きなことからはじめて下さい、『別の出発点』からでも。兄さんはきのうおとうさんの家で、神は存在しないって言ってのけたでしょう」アリョーシャはさぐるように兄の顔に目をやった。「きのうは親父の家で食事のときにあんなことを言ってわざとお前をからかってみたのさ、するとやっぱりお前の目がらんらんと輝きだしたじゃないか。しかし、いまはお前と話をまじえることもけっして厭わないよ、これは大まじめで言っているんだぜ。僕はお前と親密になりたいと思っているんだよ。アリョーシャ、僕には親友がいないんでね、ひとつ試してみたいんだよ。な、いいかい、ひょっとすると、僕も神を認めているかもしれないぜ」イワンは笑いだした。「お前には意外だろうけどな、え?」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著