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Posted by ブクログ
いや凄かった。ありとあらゆるテーマ、人間社会の問題や物語のベースとなるものが詰まっている。
児童虐待、身内殺し、階層社会、宗教の限界を描きつつ物語は最後の法廷劇でクライマックスを迎える。
正直、父親殺しの話、くらいの知識しかなく読み始めたので、最後までどうなるか分からずハラハラドキドキしながら読みました。
正直消化はできていないし分からない。
以下メモ。
スメルジャコフがフョードルを殺したのは、結果なぜだったのか。金ではなかった。知能は高いが同じ兄弟として扱ってもらえず、自分の出生を憎み、その原因を作ったフョードルに復讐したいと思っていたとしても不思議ではない。
何でミーチャは有罪にならなければならなかったのか。イワンにしても、殺してやりたいと思っていたとしても、それほどの罪が彼らにあったのだろうか。
裕福でも下劣で、憎しみ合うカラマーゾフと対比して描かれるイリューシャとその父親。悲惨なほど貧しいが、高潔な心と愛情に満ちている。
なぜイリューシャは死ななければならなかったのか。
再読時に少しでも理解は進むだろうか。
いや凄まじかった。
Posted by ブクログ
現代の小説で語られる問題提起の原型がここに全て大集結してるな、という感じがする、とんでもない小説だった。
昨日の夜、読み終わった直後は、気持ちを全くまとめられる気がしなくて、一晩寝かせた(笑)
一日経った今、感想を綴りたい!!
まずびっくりなのは、こんだけ長いのにここまでは実は第1部だったようで、本当は第2部に続く予定だったけど、ドストエフスキーさんはその前に亡くなられてしまったとか。
でも、もうこの1部で物語として完璧だと思う。本当に。
人間社会のテーマって他にある?って思うほど、全てがここに詰まってるという気がする。
いろんな世界の流れを感じているドストエフスキーさん、プーチンをも予言してるかのようで、怖かった。(今のロシアを見てドストエフスキーさんは何を思うのかな…)
人間から神を奪い自由を与えると、神以外にひれ伏すことができる対象を探すのが人間。でもそれはものすごく困難だから、自由を与えられた人間は結局全く自由になれていない。では何が正解?
というようなことを書かれていて、
何なの?この人間の根本?なんでこれをこんなに面白く書けるの?やっぱり本当にすごいんだ…やっぱりすごいんだ…19世紀にこれを書いてたんだ。朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』に、この部分が繋がる。
しかもエンタメやサスペンス要素になりがちな殺人とか、犯人探しってところをも、ドストエフスキーさんは思想小説にする!!人の死を、殺人を、人間の暴力的な部分を、彼はエンタメとして「消費」してもらうように読者へ提供しません!!!なのに?だから?面白い。とんでもなく。
私は、もうドストエフスキーさんにひれ伏したい。ひれ伏す対象(=神)は彼に決定でも良いのでは(笑)「ドストエフスキーさんにひれ伏したい」はパワーワードだと古典専門の某インスタアカウントの方にも言ってもらえたので!!(笑)
無神論者の落とし穴、信仰深い人の落とし穴。
どっちの人の立場からも、『ポリフォニー』という技法を使って、登場人物それぞれのイデオロギーや意識を書きまくるんです!!とにかく書きまくるんですよ!!!長いんです!!長いんです!!
でもそれが私はたまらなく好きだった!!沢山の思想が私に覆い被さってくる感じ。様々な方向から延々と覆い被さってくる。重いんです。押し倒されるんです。何なら押しつぶされそうになる。でもそれが快感に繋がるんです。理解したい、受け止めたい、読み続けたいという中毒症状が出るんです。(変態と呼んで)
こんな読書体験、死ぬまでに出来て良かった。
そして最後に!多分ドストエフスキーさんが、子供という存在を何よりも尊重していて、「子供にはなんの罪もない」ということをはっきりと書かれているんだけど、それが信心深い登場人物(ゾシマ)の独白にも、無神論者の登場人物(イワン)の独白にもはっきりと現れるところが、印象的だった。そして最後の弁護人のところ。子供はどのようにして育つのか?親とは何か?父親とは何か?これをグサグサ刺すように書くんです。
私の価値観を変えた川上未映子さんの『夏物語』にも繋がるものがあって、この「子供という存在をどう捉えるか」というとこに、私は今回の『カラマーゾフの兄弟』でも一番感銘を受け、ここがこれからの私の価値観に一番影響を与えるであろう箇所だった。
全部読んだ。読み切った。バンザイ。
そしてまたいつか読み返す。
Posted by ブクログ
長い長い旅でしたね。3ヶ月くらいかかったかな?
価値観に強い影響を与えられたと言わざるを得ない。
子供の教育については色々考えちゃうんですけど、アリョーシャに語られるってのが非常に心に響きますね。それがやっぱドストエフスキーのすごいところですわ。
あ感想書く。
下巻は主にミーチャの尊属殺人についての裁判ですね。ミーチャはずっと父を殺してないと言い張っているが(状況的にミーチャが疑われて当然なのである)、感情的な性質から起こした様々な暴力的な出来事のせいで市民からそれを信じてもらえない。
しかし決定的な証拠がないため、裁判は無実にもなり得る、といった具合。
でまあ上巻中巻の長い前置き故に読んだ人はわかるんやけど、誰がどう見てもミーチャは有罪。しかし親しい人はミーチャの嘘がつけない性質を知っているためにミーチャは無実だと信じ切っている(召使にスメルジャコフってのがおって、ミーチャが殺してないとしたらこいつしか殺せない)(でもこいつは当時病気持ちで殺せるはずがないと市民は信じている)(前代未聞の括弧が連続するという事態が起きてしまった、ここからこの小説がどんだけ長いかをわかってくれ)。
まあ実際スメルジャコフが嘘ついとったので殺した犯人はスメルジャコフなんですが、これには色々事情がありましてその証言が聞き入れてもらえないんですよ。次男イワンしかこの事実を知らないのだが、イワンが妄想を見てしまう重病にかかっているため聞き入れてもらえない的な。おまけにスメルジャコフ自殺するし。
で!弁護士が色々頑張ってすごい逆転裁判!かと思いきや有罪は覆らないってまでが裁判のオチ。
何が面白いってこの展開は内面に触れる上で重要であるだけで、物語の本筋ではないということ(主観ね、違うと思っても気にしないで)。
アリョーシャが、兄が無実であることを最初からわかってて、しかも有罪って判決されることをわかっていることが面白いんです。
信心深く、正直であるためにみんなから愛される主人公アリョーシャが、何もかも、ましてや精神的な部分すらも見抜いてしまっていることが私には非常に面白かった。
内面を見抜きながらも、一切その人のことを馬鹿にしていない姿勢に深い尊敬の念を抱くばかりです。
物語のオチとしては、この事件がロシア中に知られ、様々な憶測が飛び交う中、アリョーシャが最後に子供達に個人的な考えを述べます。この考えがおそらくドストエフスキーが最も伝えたかったことなのではないでしょうか、と考えてしまいますね。
そのくらい、オチまでの流れがしっかりしていた。そして、最後のアリョーシャの言葉は大変響く。それもこれも、上巻、中巻と長い間キャラの性質について深掘ったためであり、それが最後のアリョーシャの言葉に繋がるのである。
愛もテーマにあると思うが、子供の教育が最もドストエフスキーの語りたいところだと、オチでそう思った。
いやー、面白かった。
反省した。
これは今日色々考えちゃいますね。
1番心に残っている言葉は、アリョーシャの「人間の魂にそれほど多くのことを求めてはいけない。」
これです。シンプルやし、言い尽くされたような言葉でもあると思われるが、アリョーシャが言うのが良いんです。これは本当に、忘れてはいけないことだと、個人的に思いましたね。
非常に読み直すのが楽しみな作品の1つです。
Posted by ブクログ
100/10
パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか?
人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うことができなかった。今もその思想は、胸の内で静かに、しかし確かに蠢いている。他にも印象的だった場面のひとつに、「ゾシマ長老の過去編」がある。そこには、神への愛、赦しの深さ、そして人間への限りない信頼といったテーマが、言葉ではなく生き様として語られている。特に私が心を打たれた一節は次のような場面だ。「それじゃわたしたちは、召使をソファに座らせて、お茶を運んでやらなきゃいけないんですか?」わたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは大笑いした。この言葉に私は深い感動を覚えた。そこにはロシアに残る身分制度や奴隷的な慣習への静かな批判が込められているようにも感じられる。ゾシマは、決して高らかに正義を叫ぶことはしない。ただ、日常の中でほんの少し視点を変え、「たまには席を譲る」という小さな愛の行為を通じて、人間の尊厳を回復させようとしているのだ。この一節は、兄弟愛や友愛の延長として、すべての人間に対する深い敬意を示している。読んでいて、思わずドストエフスキーという作家の胸に飛び込みたくなるような、そんな衝動を覚えた。そして、最後の「裁判編」。この章には、それまでの全ての出来事が一点に収束し、爆発するような迫力があった。まさに「正義 対 正義」。どちらも譲ることのできない信念を抱え、検事と弁護士がぶつかり合うその応酬は、永遠に終わらない議論のようでもあり、私は読者であるはずなのに、いつしか傍聴席に座っているような気持ちになった。そして気がつけば、被告席のミーチャの姿に強い共感と、どうしようもないほどの同情を抱いていた。彼が本当に犯人かどうか、という問題よりも、彼の苦しみ、彼の叫び、その生きざまに、私たちは何度も揺さぶられる。だが、私たち読者は本当の犯人を知っている。だからこそ、この裁判はどこまでも虚しく、そして悲しい。事実ではなく、言葉と印象、感情と偏見が人を裁いてゆくこの構図に、私は息苦しさを覚えずにはいられなかった。ラストに訪れるアリョーシャのスピーチで、私は初めてフィクション作品に涙した。これまでの愚劣な行いや偽りが渦巻く物語の中で、アリョーシャはなおも純粋で、汚れなき神を信じる子供たちに向けてこう語りかけた。「わたしたちは、憎しみを持ってはならない。どんなことでも忘れてはならない。あの時感じたことを、あの時見たものを、ずっと覚えていよう。いずれまた、思い出す時が来る。だから、生きていこう。」そしてこうも言った。「人生を恐れてはならない。何かしら正しいことをすれば、きっと人生は楽しくなる。」、この物語が、私に訴えかけるのは、まさにこの部分だと思う。神が存在しようが、しないだろうが、人間の矛盾も、愚かさも、愛がなくても、救済の可能性もすべてを飲み込みながら、それでもなお、一歩づつでもいいから、あゆみ続けるアリョーシャは本当に美しい。
”生きていこうじゃないか、人生なにが起きようとも、どうだっていい。ただ、人を愛しつづけ、死をも愛そう。”人として生きるってもんは、まさにこうじゃないか?
自分は在り来りかもだけど、愛を選ぶ。多分ね笑
Posted by ブクログ
やっと読み終わった… たぶん亀山訳の方が読みやすいんじゃないかと思うけど、内容的に、どこに向かっているのかわからなくなりがちだったり、人物が一筋縄ではいかない、常に信用できそうなのはアリョーシャだけど、他の人は性格がつかみにくく、少なくともたいていの人が読み慣れている"小説"でのような役割が理解しにくい、等々がやはりすいすい読み進められなかった原因なのかな。新潮版は訳としては標準的で、やはりこの小説は訳文以前に出会うタイミングの問題が大きいのかも。ドミートリーなど、読んでいる間は、後半は意外と好感が持てたりするのだけど、ちょっと読みさすとなぜそんなふうに思っていたのかわからなくなったりするのは、それだけこの小説世界の描写がよくできてるということだろう。読み直しが楽しみだ。
Posted by ブクログ
学生の頃に途中で諦めてしまったが、社会人になってから再度読み直した。
学生の頃は理屈家だったので、大審問官の章が説明になっていないじゃないかとイライラしてたんだけど…
社会人になった今、
・この世は愛している/愛していないの二元論では無く、不完全な愛というものが存在すること
・理性では人間の倫理に触れられない。その役割を担うのは唯一宗教であり、信仰である、ということ
がかなりジワジワと実感できるようになってきた。
明瞭な理屈無しに他者を抱擁できる宗教は偉大すぎるなと
ただ、人間の倫理は誰が作るべきか、という問いは依然として自分の中に残っている。
ドストエフスキーは人間の理性を信じず、神を信じている。ただそれはか弱い人間にとっては救いになる一方で、多くの人間の自立を妨げているように思う。
ニーチェ程では無くても、せめてカミュくらいの温度感で人間の理性で倫理を形造り突き進む風潮の方が、活気ある社会になりそう。
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