Posted by ブクログ
2021年09月06日
噂に違わぬ大傑作。
ただ、、、、読むのにこれほど体力消耗した読書経験はない。もはや途中からモンブランかエベレスト登頂を目指すような感覚だった。
原因はドストエフスキーの文体!!
ロシアどころか、人類そのもの、
人間社会と歴史総てを描こうと言うマクロ的な作品であるにも関わらず、
着ている服のボタ...続きを読むンの模様あたりから(これは例えです)ミクロ的顕微鏡を使って語り始めるもんだから、文章が長い長い長いながい!!!1人のセリフで軽く10ページ位喋ってる^_^
これは一体何の話ですか?と何度ドスト兄さんに問いただしたことか。
ロシアの広大な大地と、民族の血筋と、長い長いキリスト教信仰の歴史が、トルストイやドストエフスキーに共通する長〜い文体を創り出したんだろうな。
読んだ後は、毎日グッスリ眠りに落ちるほど、
脳味噌を酷使しました。
ドストエフスキーはこう言っている。
世界は汚く、堕落しきっていて、
もはや神も救いもへったくれもない状態だよねと。
だって民衆を救うべきキリスト者自身がもはや権力にひれ伏し完璧に嘘と欺瞞で堕落してるよねと。
神がいないとすれば、もう何しても良くないか?って言う無神論的ニヒリズムや、恋と性欲によって情熱だけに生きてやる!って言う刹那的京楽主義に対して、もう信仰なんて抱いてる人は時代おくれで、無能力集団で田舎の僧院で引きこもってるお花畑の人々でしかないよねって言う指摘なのだ。
ドストエフスキーが恐らく相当のクズ(すみません!)だから、クズ達の気持ちがリアル過ぎるほどリアルに描写されてて、結局人間はこんなもんだよ、僕を含めて(ドストエフスキー自身)って言ってる気がする。
しかし、そんな世界の中で、
絶対に信じられるものはないのか?美しい無償の愛は何処かにないのか?と言う強烈な渇望が生まれてくるのだ。
それを体現しているのが、
三男アリョーシャとそのメンターであるゾシマ長老。彼らこそ、まさに愛の人だった。
そしてアリョーシャは子供にだけは、
大きな希望を託している。
大人の世界はこんなだけど、君達は希望であると感じている。だからこそ、ゾシマ長老から受けた愛と正義の種をせっせせっせと子供の心に植えていく。
(たとえクソガキであっても、アリョーシャは大好きなのです!)
汚く、希望のない世界だからこそ、
アリョーシャの愛が美しく浮き彫りになり、そんなアリョーシャを子供達も信じ、大好きになっていく過程は本当に美しい。
この世界に存在するあらゆる困難な闘争。
善と悪、愛と憎しみ、信仰と堕落、宗教と俗世、
神と悪魔、唯神と唯物。
ただ、これらの闘争を貫いて勝利に向かう最終的な力は結局、愛そのものなんだよなぁと、ドストエフスキーは語っていたような気がする。
また、あらゆる要素を含んでいる作品だからこそ、どんな年代の人がいつ読んでも、それぞれの視点からの鑑賞が可能。重層的で密度が半端ではない。
再読する度に新しい発見がありそう。
とにかく、登山と同じで一歩一歩進んでいくと、
意味を感じなかった一言一言が組み合わさって、
やがて壮大なタペストリーとして眼前に現れてきます!人生で一度は読破したい作品であることは間違いなし!