ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自意識過剰で地下室に引きこもる男の独白
主人公が笑えるレベルで偏屈、序盤から笑ってしまった
歯が痛くなり弱気になる、はわかる。しかし普通
歯が痛くなり、なんと痛覚に憎悪、悪態をつく
おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある
おれはおまえたちを悩まし、気分をかきむしり、家中の者を眠らせないでいる
それなら、おまえたちも、いっそ眠らないで、おれが歯が痛いんだということを、四六時中感じつづけるがいいさ
天才でござる
昔、成長痛で似たようなことを考えたような気がする。文章で見るととっても笑えた
この悪態っぷりや偏屈思考が主軸なので古びる要素なぞまったく無く、コノヤロコノヤロ…みたいなのを読めるだけで価値がある
熱風邪って弱気になるけど痛い系の病気ってイライラのが強いのはなんでだろか。今度歯が痛くなることがあったら文章に起こしてみたい、どれだけの悪態が思いつくのか
そんな気になった -
Posted by ブクログ
ネタバレ頭では「自分は特別な人間だから普通の道徳を超えていい」と考えていた人間が、実際に一線を越えた瞬間から生身の人間としてどう壊れていくかを観察していくのが面白い。実際にやってみるとバレるんじゃないか。普通に振る舞わないと。なんでこんなことしたんだみたいに理論と自分の精神が全然一致していない。そして本人がその矛盾を理解できていないことも面白い。
黙っておけば誰も怪しんでいないのに、ザミョートフに自分が犯人であることをかなり危うい形で仄めかしてるのは何で?と思った。絶対に捕まりたくないのに、自分だけこの秘密を抱えているのがしんどい、相手がどこまで自分を疑うか試したいとか?捕まりたくないのに本人の精神状態が犯人としての行動を漏らしているように見える。 -
Posted by ブクログ
原作を読み始めるも、やはり登場人物の名前がごちゃついてしまったり、上中下巻という中身の濃い長編を完走できるか微妙だったため、この漫画版を先に読んだ。
漫画として1冊に抑えるため、本来とは異なる場面で重要な台詞を言っていたり、細かな事情は割愛し、リアクションなどをコメディ的にしてあったりと、全てを忠実という訳では無いが、主要な場面は押さえてあるため、カラマーゾフの兄弟とはなんぞや?と気軽に読める1冊としてとても有難い。
椅子に座るイワンの傍らには林檎を持った悪魔という構図がどうにもデスノートを思い出す。
スメルジャコフについて、もっと掘り下げた場面をもう少し採用してほしかった。あと、ゾシマ長老の出番が少なすぎる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ名著であり、とても面白いと評判の本作をいつか読みたいと思いながら、買ったまま読めずにいた。
読み始めてみてやはり、登場人物の名前がロシア名なだけに覚えづらく、先に漫画版を読んだ。
無神論者イワンの考え方が面白い。神がいるならなぜ助けてくれないのか。いかにも異常者として成長しそうなスメルジャコフ話も面白い。
対して、フョードルは清々しいほどのクソ野郎でありながら、イワンやアレクセイに嬉しそうに語りかける無邪気さもあって憎めないところもある。
一番面倒くさいのはドミートリイ。フョードルがクソ野郎なのはごもっともだが、ドミートリイもドミートリイだ。
第一編・ある家族の歴史
カラマーゾフ一家の紹介。
典型的な成金で酒と女が好きなクソ野郎な父・フョードル。
父親に似た直情型で退役軍人、がはは、俺に任せとけ!な長男・ドミートリイ。
合理主義・無神論者でインテリ系次男・イワン。
純粋で優しく皆に可愛がられる、修道院に入った三男・アレクセイ。
そこに絡んでくる使用人と女たち。
フョードルは二度結婚し、1人目との子が長男、あとの2人は2人目との子であり、各母親や、各子供らの生い立ちについて。
第二編・場違いな会合
相続に関して特に父と長男は揉めがちであり、第三者であるゾシマ長老を交えて家族会議をすることに。(ゾシマ長老の凄さを見れただけで、大して進展はないが笑)
グルーシェニカとドミートリイの出会い、婚約者のカテリーナの金を浪費しつつもグルーシェニカを選ぶ。しかし、金を返したい。父から元々自分のものだった金を3000ルーブルでもいいから奪いたい。
また、イワンはカテリーナに惚れていた。
第三編・好色な男たち
グリゴリーの過去、スメルジャコフの生い立ち。(畜生なフョードル)
猫を殺して葬式ごっこするのが好きだった。
グルーシェニカを取り合う父と長男。
カテリーナがドミートリイを慕う事情。
第四編・病的な興奮
アレクセイが謎の少年に中指を噛まれる。正体は二等大尉スネギリョフの息子・イリューシャ。ドミートリイとグルーシェニカの出会いのきっかけとして、単に仕事として頼まれたので手形の売買しに来た大尉に対し、父の企みだと考えたドミートリイは興奮し、大尉の髭を掴んで街中を引っ張り倒して好き放題言われ、それを目撃していた住民もおり、息子は情けない父親を持っているとしていじめの対象になった。
スメルジャコフがイリューシャに猫を殺させ、それも同級生にバレていじめの一因に。
また、イリューシャは病気。
カテリーナはドミートリイを思い、謝罪金としてアレクセイに大尉へ渡してくれるよう頼むが、金で解決すると思っているのか、と跳ね除けられる。
第五編・プロとコントラ
カテリーナをイワンにくっつけたいドミートリイ。
イワンの悩み、人の愛し方、神はいるのか?
肝心なのは、おのれに嘘をつかぬとです。おのれに嘘をつき、おのれの嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになるのです。だれをも尊敬できなくなれば、人は愛することをやめ、愛を持たぬまま、心を晴らし、気をまぎらすために、情欲や卑しい楽しみにふけるようになり、ついにはその罪業たるや畜生道にまで堕ちるにいたるのです。これもすべて、人々や自分自身に対する絶え間ない嘘から生ずるのですぞ。おのれに嘘をつく者は、親を立てるのもだれより早い。なにしろ、腹を立てるということは、時によると非常に気持ちのよいものですからの、ではありませんか?なぜなら本人は、だれも自分を総録した者などなく、自分で豚手に侮をこしらえあげ、体裁をととのえるためにはをついたのだ、一つのシーンを作りだすためにおおげさに誇張して、言葉尻をとらえ、針小棒大に騒ぎたてたのだ、ということを承知しているからです。それを自分で承知しておりながら、やはり真っ先に腹を立てる。腹を立てているうちに、それが楽しみになり、大きな満足感となって、ほかならぬそのことによって、しまいには本当の敵意になってゆくのです……ゾシマ長老p102
とすれば、あの世にもこの世にも自分の利益や美が見あたらないために、せめて自分の皮くらい守ろうとしたからといって、なぜわたしが特に罪深いことになるんですか? だから、わたしは神さまのお慈悲を大いに当てにして、すっかり許していただけるだろうという希望をいだいているんですよ……スメルジャコフp323
俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在することは知っているものの、まったく許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ。イワンp592 -
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貧困に苦しむ主人公が金貸しの老婆とその妹を殺害し、罪の意識と犯行発覚の恐怖に苛まれながら生きていくストーリー。
当時のロシアの社会情勢を背景に、殺人を犯した人間の心理がありありと描かれており、読んでいるとこちらまで気分がどんよりと落ち込んでいくような凄みがある。
ロシア文学特有の文化として、1人の人物に複数の愛称があるため、うっかりしていると誰のことか分からなくなってしまう。小学生の頃に本作に挑戦して、何が何だか分からないと挫折した原因はこれだったと思い出した。
物語は全体的にジメッとして暗いが、緻密な心理描写には圧倒的な読み応えがあり、先の展開が気になって手が止まらなくなる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレイワンはスメルジャコフを3度訪ね、ついに真犯人はスメルジャコフだったとの供述を得る。しかしそれはイワンが心の底で父親の死を願い、父が殺される状況を作り出したからなのだと刷り込まれ、イワンは譫妄症になって精神的に錯乱する。一方スメルジャコフは自殺し、ミーチャの公判は波乱の末、有罪が決定する。
イッポリートの論告が長くて、弁護人フェチュコーウィチの方は長くてもまだ引き込まれて読めたんだけど、それでも有罪になるんだな…と思った。たしかに一つ一つの証拠は不利ではあるけれど事実を決定的に示唆するものはなかったのに。裁判の話のやりとりから、当時のロシア社会の状況や問題意識が見え隠れするようだった。農奴制が解体されたとか、ヨーロッパの知識が入ってくるとか。
イワンが譫妄になって、もう一人の自分のような悪魔のような謎の存在とずっと話しているシーンもあって、人間の精神とかそういうものをとことん詰めた作品だなと思った。
解説を読んで、地主貴族の子として、民衆ナロードのことは決して理解できないと悟ったドストエフスキーが、「近代ロシアの不幸の源を、いたずらに西欧文明に心ひかれる知識階級の、素朴な民衆からの遊離にあると考え」、「ロシアの救いは当然、素朴な民衆への回帰にあるはず」なので、無神論者イワンに対してゾシマ長老を配置したというのが面白かった。「ロシアの民衆が自己の内部に固有のものとしてそなえている《教会》を尊んだ。《教会》とは、神と民衆が結ばれる精神共同体であり、正教であり、ロシアの大地と結びついた信仰であった。このことを理解せずに、いかに社会を変革し、貧困をなくしたところで、真の自由と幸福は得られないと考えた」
だからミーチャはグルーシェニカと脱走した後、アメリカで先住民族に混じって3年くらい潜伏したとしてもロシアに帰ってきてロシアの大地に死ぬと宣言しているのか。
また、アリョーシャは最初からキリストっぽいと思っていたけれど、というのは聖人のようでありながらあえて修道院から俗世に下り、聖人らしくかつ感情もある人間らしく振る舞うところがそんな感じがしていたけれど、最後にイリューシャとの思い出の土地でコーリャや子どもたちを集めて、自分が去った後もこの子ども時代の平和な記憶と、お互いのことを大切に覚えておこうと諭すところがまさにキリストという感じがした。そうすると、アリョーシャを俗世に遣わしたゾシマ長老が父なる神で、俗世に揉まれながら柔和に生きるアリョーシャが子なるキリストで、互いに愛し合いなさいっていう教えを子どもたちに残しているように思えるが如何に。 -
Posted by ブクログ
ネタバレゾシマ長老が亡くなり、その遺体が腐臭を放ったことで人々は長老を侮蔑し、アリョーシャは傷つく。一方、グルーシェニカを手に入れたいミーチャは金の工面に奔走するがうまくいかず、そのうちにグルーシェニカはかつての恋人の元へはしってしまう。ミーチャは父フョードルのところへグルーシェニカが行ったのではないかと疑い、父の家に忍び込んで様子を伺ううちに、老僕グレゴーリイを殴り瀕死の状態にして逃走する。グルーシェニカを追っていった先で、その心を掴んだ矢先、彼は父親殺しの嫌疑で取り押さえられる。
たしかにミーチャの視点で読んでいた段階では父親は殺していないのに、状況証拠としてはミーチャが殺したとしか思えない状況で、サスペンスな様相を帯びている。前半のゾシマ長老の腐臭や、それにショックを受けたアリョーシャをラキーチンがグルーシェニカのところへ連れてくるあたりは、非の打ち所がない完璧な存在の堕落するところを見たいという人間の暗い欲望がよく表れていると思う。完璧に見える存在に対して、尊敬してすごいなぁと思いながらも、彼が失敗したりボロを出したりすることを心の底で待ち構えているというか。人間ってそういうもんだよなと思う。
あとグルーシェニカがアリョーシャに語る一本の葱の話は芥川の蜘蛛の糸との類似が指摘されるところだけど、改めて読んで本当に一緒だなと思った。芥川がカラマーゾフの兄弟を読んだのか、どちらも同じ民話を元ネタにしているという説も読んだけれどどっちだろう。
グルーシェニカと出会って立ち直ったアリョーシャがゾシマ長老の柩の隣で見た夢、カナの婚礼にゾシマ長老も参列していて、アリョーシャに語りかける場面はとても美しかった。