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不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシア思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。
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Posted by ブクログ
まず読み切った自分を褒めたい!相変わらず文字はびっしりですけども、下巻は上巻に比べると文字が大きくなっていて、物語の展開も読み応え抜群すぎてさくさく進みました。面白かったです!
金貸しの老女を殺害した主人公(ラスコーリニコフ)がどんどん追い詰められていく描き方は、真に迫るものがありました。登場人物の人格が彷彿とするセリフの数々。どきっとさせられるものが多かったです。主人公以外の人物の描き方も抜群でした。 「罪を犯す権利」があると信じ続けるラスコーリニコフ。しかし、自分のこ...続きを読むとはさておき、他の人を思う気持ちも合わせ持っている。そんな複雑な精神のせめぎ合いから、永久に解放されないのではないか。ラスコーリニコフのことを思いやる周囲の人物の動揺も感じ取れるので、いたたまれない気持ちになりました。第1部から第6部まで、暗いトンネルの中にいるようでした。 第6部までとは真逆な雰囲気で、たんたんと静かに記されているエピローグ。ラスコーリニコフと娼婦ソーニャの姿に救われました。 推理の部分はテンポよく、場面によってはクレッシェンドがかかっているように進み、エピローグは、デクレッシェンドで静かに余韻を残して終わる。大交響曲のような本作品は、小説という名の芸術でした。 人間の心のうちにある善と悪を描き、読者に真の生き方とは何かを問う内容は、読後も心に深く残っています。 ドストエフスキーは、偉大なる作家だとあらためて思いました。翻訳者の方のおかげで読むことができ、感動です。(★印5つでは足りず、流星群のよう!)他の作品も読んでみようと思います。
5/6再読✅ めっちゃ面白かったー!!!キャラクターたちの会話のテンポやロシア文学ならではの表現、熱量がとても話を読みやすくさせてくれており、長いですがグイグイーっと読んでしまいます。 再読を経て、あそこで話を区切り、ラストとした点に感嘆しました。すごくいいです。ラストまで読むとそこまで暗くなく...続きを読む、個人的には人生において希望を持たせてくれる話だったなと感じました。ぜひ若い世代に読んで欲しい本です。
ふぅー(読み切った達成感と感動のため息) 罪の意識に苛まれたラスコーリニコフは、偶然出会ったソーニャという女性の生き方に触れ、罪を告白する。妹ドゥーニャと母とのやり取り。ドゥーニャに思いを寄せるスヴィドリガイロフとの修羅場。まあ皆さん饒舌だこと!笑 数ページにわたる台詞があるから途中で本を閉じられ...続きを読むない。 1番のパワーワードは、ソーニャの『十字路へ行って、みんなにお辞儀をして、大地に接吻しなさい。だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですもの、それから世間の人々に向かって大声で、〈わたしは人殺しです!〉と言いなさい』だったな。 ただ、結末にたどり着くまでに、ラスコーリニコフは改心したのかしてないのか、なかなか分かりづらかった。 話はそれるけど、キリスト教・改心で思い出すのは『ブライヅヘッドふたたび』。これは主人公と恋仲になったジュリアが割とすんなりカトリックに引き戻されていた。 一方で『罪と罰』のラスコーリニコフは、特に終盤、罪を犯したことではなく、自分の一歩に耐えられずに自首したという一点に、自分の罪を認めていた、ということが書かれている部分を読んだ時は、おいおい、君はまだ改心してなかったのか…!と思った。 二転三転あり、ラスコーリニコフの心が揺れ動きまくっているのがよくわかる。 結果、ソーニャの祈り勝ちで(ソーニャもラスコーリニコフの言動に何回も心揺れ動いただろうけど)、希望の光が差し込む終わり方で良かったな。 解説には同時代に生きた、トルストイとドストエフスキーの作風の比較もされていた。トルストイは現実の客観的描写を重視したのに対し、ドストエフスキーは主観的色彩の濃い、心理的リアリズムを創造したとのこと。 トルストイはまだ『人生論』しか読んでないし、ドストエフスキーも『地下室の手記』と本作しか読んでないから、今後読んでいきたいものがたくさんある。
ラスコーリニコフは殺人に完璧な理屈を持たせることで、道徳的責任を克服しようとした。しかし、他者を数に還元し、神に成り代わろうとする自分自身の傲慢さには、どれだけ理屈を重ねても倫理的正当性は宿らなかった。その倫理的断絶こそが彼を苦しめ、読者は理屈の中では倫理は完結しないことに気付かされる。 それにし...続きを読むてもラスコーリニコフは頭の良い人物だな。どこまでも理屈の人。理屈っぽいからこそ、直感的な信念だけに完結しない。理性的に自分自身に疑念を持ち問いただせる人格だからこそ、内省が捗って病んでしまう訳で… 自分はラスコーリニコフと同じ行動をしても病まない気がするが、それら自分が決して理屈一辺倒では無く、いつも直感的に都合よく自分を肯定してしまうからと思った笑 自分は罪と罰の主人公にはなり得ない。
結果、とても良かった。読めるのかな?と不安だったけど、(下)に入ったら俄然読み進めるのが早くなった。 (上)では登場人物の名前が覚えられなくて大変!苦笑 全く内容は知らなくて読み始めた。題名は勿論知ってたけど、ドストエフスキーは何を罪と言い、何を罰と言ってるのか?と気になって読み始めた。 本全体...続きを読むで主人公だけじゃなく、人間の罪深さをあらわされてたと思うし、罰と思われる苦悩が描かれていたと思う。 人殺しの犯罪の前とその時、直後、その後の心理をこんなに鮮明というか寄り添うように描かれている作品があるんだと感じた。 最後は予想外と感じた。 解説で作家の事が書かれていて、この本を書いた時そんな苦境な状況だったのかぁー思った。自業自得みたいな話だったけど、本人も自らの罪と罰をいつも問いてたのか。
展開がドラマチックでハラハラ。 昔なぜ挫折したのかと思うくらい読みやすかった。 前半のマルメラードフ一家の悲惨なほどの貧しさと出口のない不幸さ。死を持ってしてやっと解放される苦しみが延々と続き、本当に哀れで哀れで…。 同じ貧しさでもラスコーリニコフの貧しさとはまたレベルが違うのだが、ラスコーリニコ...続きを読むフは一線を超えてしまう。その描写が凄まじくリアリティがあり、何でこんなに殺人者の解像度高いわけ?と本当にしんどくなってしまう。 ラスコーリニコフの魂の救済はいつ訪れるのか、と思う一方で、彼の異様なまでの潔癖さ、信念の強さ、頑固さを見るにつけ、簡単に自白したり心を入れ替えるような奴ならこんな事件起こすわけないもんな、ポルフィーリィとの対決も負けんなよ、みたいな謎な気分になってくる。 なのでラストの場面は涙なくしては読めなかった。 罪と罰は登場人物のキャラ立ちが素晴らしく、全員語りたいのだが、その中でお気に入りだったのはラズミーヒン。 彼が出てくるとほっとする。登場人物で唯一と言っていいほど闇がなく、バカがつくほどまっすぐで心が美しい。女性陣も心は美しいのだが、それぞれに哀しみや苦しみがある中で、ラズミーヒンは何というか妙に明るいんだよね…。
ドストエフスキー著「罪と罰」 ロシア文学だけでなく世界的にも5指に入るだろうという有名な作品。 一番最初に読んだ時はまだ中学生の時で担任であり部活動の顧問でもある先生に読まされた。自分の人生で一番最初に読んだ外国人作家さんであり、思い出の詰まっている作品でもある。 今にして思えば何故あの先生が自分...続きを読むにこの作品を薦めてきたかが理解できる。多分自分の言動行動への意識付けをさせる為、植え付けさせる為だったのではないだろうか? 当時の自分は学校という集団の中で協調性が著しく乏しく、何事にも反発していた。簡単にいえば荒れていた。度がすぎる事も多々あり、その都度反省と後悔をしていたが繰り返す事によりその行為にも慣れが生じどんどん加速していった。他人や大人から見れば幼い利己的価値観全開の子供でしかなかっただろうと思うし、実際にそれだけだった。 その当時この「罪と罰」を読んだというか読まされた時は何も感じなく、長い作品でダラダラと上下巻合わせて900頁を読むのが苦痛でしかなかった。「なんて罰だ」と冗談交じりに周りにもらし、ただ眺める様に読み飛ばした記憶しかない。 それから数十年経ち30歳位でこの作品をしっかりと読んだ時には当然違う見え方がしていた。 己の過信から招く罪の罪深さとみっともなさ。その罪自身をはぐらかしてみたり、言い訳の様に回りに言いふらしたり、自身の正当性というマウントを取ったり、そのものから逃げたり。そのくだらない自己防衛のような行動の裏で罪の意識は常に残り罪を犯したという意識からは逃げられやしない。 流石に殺人やら窃盗やらの大それた犯罪を犯すことはなかったが、嘘や偽りといったくだらない幾つもがいくらでも罪として犯している様に思えた。その犯した罪に対して罪の意識がついてきてるのか?といえばそもそもそこに罪の意識が無かったといえる。 この作品を読み人間は簡単に罪を犯すという教訓を学ぶと同時にそこに意識を結び付けないといけないと意識する様になった。 そしてもし罪を犯したならば真正面から向き合いある意味で堂々としっかりと自分の非を受け入れないといけない。自分に正直になることで自分の心が閉じて蝕まれる前に認める事で解放せねばならない。タイミングを失って深みにはまる前に、自意識がしっかりとしているうちにしっかりと対処すべき事なのだと思う。 また罪を覆い隠す様に更にまた罪を重ねる罪のループほど非人道的に思えるし格好悪い人間の立ち振舞いにも思える。しっかりと非を認め反省する事こそが人としての道義であるだろうし、自分自身をしっかりと保つ為にも気付いた時には真っ先に非を認めるべきだ。 きっとあの先生はこの事を自分に教えたかったのだろうと、振り返るとそうとしか思えない。 そしてこの奥深く難しい「罪と罰」という作品を先生が中学生の自分に読ませる事で、その時は分からなくてもいずれ大人になった時に気付きを与える為に長い年月をかけた課題としてくれた、今後の人生と時間をかけた宿題を課せたのかな?と今では感じられる。年を重ねてやっと入り口が見えてきたという感覚だが。 この「罪と罰」という作品に関しては一般的には大衆古典文学なのだろうが、自分にとってはある意味で自分の成長の証がつまっている作品でもあり、自己啓発的な哲学書に近い感覚をも持っている。 いつの日か自分も「この本を読んでみろよ」と、あの日の先生みたいにかつての自分のような誰かにこの作品を薦める日が来るかもしれない。 その時がもしきたら自分もまた新たな成長の証をこの作品に新たに重ねる事がきっとできると思う。 もしかしたらあの先生も若い頃誰かにそう薦められた経験があり、巡り巡って自分に巡ってきたのかもしれない。そうであればこの作品は時代も国も超えて、遠く離れた日本で密かに脈々と受け継がれている作品なのかもしれないと思っている。
聖なる娼婦ソーニャの存在。ラスコーリニコフが導き手として求めていたものは、英雄ナポレオンではなく彼女であったにちがいありません。娼婦と殺人者、神を愛する者と無神論者。一見対照的な2人の間に、言葉では語りつくせない魂の結びつきがありました。
自分勝手な考え方により、自分の行いを正当化して犯罪に走ってしまう。これは犯罪を犯す人全般に共通して言える心理だが、その犯罪後の公開により、自分という人間を貶めたり、自分の罪を人に告白することで、罪悪感を軽くしようとする考えや、他人への善行により、人間としての自分の価値を高め様と考え、行動することに...続きを読む非常に共感した。特に、自分の罪に対して自分自身で自らを罰する行動を行うことで、より精神的にも肉体的にも辛い状況に追い込まれること。そこから、自分自身で這い上がる力がない場合には、只、無償なる愛と呼ばれる人との繋がりのみがその人を救う力を授けるだけだと考える。
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