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Posted by ブクログ
『下』でこんなに物語に引き込まれるとは思っていなかった。
長ゼリフとロシア人名を脳が受け入れ出したのか、不思議とすんなり頭に入ってくるようになった。
どんどん面白くなってきて、Audibleのペースではもどかしくなり、途中からは本だけで一気に読み進めた。
やっぱり文字で見た方が断然わかりやすい。
そして3段組はページをめくる回数が減るので意外と楽、という発見もあった。
濃密な苦悩を描く心理描写に夢中になった。
何の悩みもなかった若い頃に読んでも、きっと当時の私にはこの苦悩は全く理解できなかったと思う。
年を取って自分も色々な経験をしてきた今だったからこそ、登場人物たちの苦悩にそれぞれ共感できるところがあった。
ずっと手が伸びなかったのに、急に読みたくなった今が、自分にとっての読み時だったんだと思う。
大好きなコロンボのモデルになったポルフィーリとのやり取りも面白かった。
「へっへ!」とヘラヘラ笑って、何を考えているかわからない態度は、考えすぎてしまう主人公にとって1番不気味で怖い存在だったと思う。
あと、『刑事コロンボ』の初回『殺人処方箋』でのとあるシーンを彷彿させるところがあって、コロンボ生みの親のレヴィンソン&リンクのこの作品への強いリスペクトも感じた。
つくづく160年も前に、読者を物語にぐっと引き込む術が完成されていたことに驚いた。
現代ミステリーの原点に触れたようだった。
それから、金や地位で人を支配しようとする浅ましい嫌な奴が、ドストエフスキーの手によって容赦なく暴かれていてスッキリした。
この本の最後の見返しページに、当時学生だった父が押した名前のハンコが残されていた。
その頃ラーメンが一杯50円だったというので、学生に450円は高価だったと思う。
外箱はかなり色褪せて茶色く変色してるけど、本自体はとても綺麗だった。
この本を当時から父がどれほど大切にしていたか、時間を越えてその思いが伝わってきた。
若かりし日の父の思いも同時に感じることができて、本を「形」として残す良さを改めて感じた。
次は『カラマーゾフの兄弟』に進もうかな。
本+たまにAudibleにて。
※ここからはネタバレありの感想です。
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主人公のラスコーリニコフは「自分は選ばれし非凡人だ」と理屈を並べて、犯行を全く反省していない。
でも、いざお金を奪っても一銭も使うことができない。
心の中の罪悪感と、頭で考えている理屈とのちぐはぐさに、人間くさいリアルさを感じる。
何度自問自答しても、このちぐはぐさは自分だけでは解決することができなかったんだろうな。
そこに現れるソーニャ。
「他人」を殺した主人公と、家族のために体を売り「自分の心」を殺したソーニャ。
「殺人」と「自己犠牲」は全く違うんだけど、私には「殺した」という同じ痛みを抱える二人がお互いの鏡のように感じているように思えた。
彼に罪を認めさせたのは、彼女だった。
母や妹にも無償の愛と献身はあったけど、彼に心を開かせることはできなかった。
その違いは、ソーニャ自身も彼と同じ痛みを抱えていたからだと思う。
彼女はただ隣にいて共に苦しんだ。同じ地獄を見た者同士だから、彼の頑なな心を溶かすことができたのかもしれない。
ソーニャも彼を救うためだけではなく、彼女自身が「自分の心を殺してしまったこと」への償いでもあったのではないかと思った。
彼を支えることで、彼女もまた自分自身の魂を救おうとしていたように自分には感じた。
だからこそ、お互いを必要としていたのかもしれない。
物語の幕が閉じる時、小さい頃からこの本に抱いてきたイメージとは全く違って見えた。
Posted by ブクログ
下巻では金持ちのスヴィドリガイロフが登場。これは解説によるとラスコーリニコフの影の分身のような男であるらしいが、机上の選民思想と強烈な自尊心から殺人を犯したラスコーリニコフと比べれば、最後は善行で終わっているわけであるし、彼の立ち振る舞いはおよそ作中でラスコーリニコフとドゥーニャが罵るほどの悪人には思えない。
エピローグでラスコーリニコフは自殺しなかったことを後悔するが、スヴィドリガイロフは自殺した。死を恐れ、話題に出されることも嫌っていたのに。ドゥーニャはソーニャのようにスヴィドリガイロフを救えなかったから、という単純な比較で自殺した・していないを論じることはできない。
なぜスヴィドリガイロフは自殺したのかといえば彼の中には信じるものが何もなく希望がないからだろう。夢想から一時的な心神喪失状態とでも言えるような状態で殺人を犯しただけで根は人を思いやる心をある程度もっているラスコーリニコフと違いスヴィドリガイロフはほとんど享楽の元に生きている。彼を助ける人はいなかった。ドゥーニャに一種の夢を見ていたが彼女に明確に否定された。ドゥーニャに銃を突きつけられてそれでも前進する彼はラスコーリニコフのような強烈な自尊心もなく生への執着心もない(死への恐怖はあるがそれは自殺の恐怖でドゥーニャに殺されるのは全く別の視点の話だと思われる)。一瞬我に返り彼女を部屋から返し、そのままズブ濡れで歩き疲れ悪夢を見て自殺する。ここでドゥーニャはただ彼にとって信じられないほどの聖女として彼の胸の中にいるだけでこれが別にドゥーニャである必要はなく、スヴィドリガイロフにとって信じられるものであれば人物でなくても良かったのだろう。ドゥーニャが自分のもとに来ず何も希望がなくなってしまったのである。
対してソーニャはラスコーリニコフを哀れに思い彼に愛を捧げることそのものに人生の意義を見出していく。限りない隣人愛、他人の中に生きることそのものを目的としてその対象が自分の人生に劇的な影響を及ぼしたラスコーリニコフなのである。
このあたりドゥーニャを求めたスヴィドリガイロフと、むしろソーニャから求められているラスコーリニコフでは全く立場が違う。
あまりにソーニャはラスコーリニコフにとって理想的な人物である。
解説にもあるがエピローグでラスコーリニコフはソーニャの愛の元に屈し更生の道を歩む。けれども今まで尋常ならざる執拗さでラスコーリニコフの狂的な精神状態を描写してきたドストエフスキーがここでは「ソーニャの膝下に突如顔をうずめた」というおよそ2行程度の行動で愛に屈してしまう。それまでの説明が足りなく納得のいくものではない。
罪と罰の物語は第六部で完結していると感じた。エピローグで語られていることがあまりにも駆け足で、そこで更生したと言われても付け足しに思える。
躁鬱の気があるラスコーリニコフの自白シーンがラストにふさわしい。
他ポルフィーリィの尋問、カテリーナ・イヴァーノヴナの発狂などもこれだけで一遍の物語が組めそうなほど長い。色々な読み方があり様々な要素があるというのは逆に煩雑であるということでもある。
その点では地下室の手記の方が面白いし完成度が高い。
けれども人物の真にせまった描写は彼ら彼女らが生き生きとまるで眼前にいるかのような迫力を持って迫ってくる。この点がこの小説の良さだとしたら脇役の出番や台詞がとても長くなるのは仕方ないことなのかもしれない。
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