あらすじ
不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。――ロシア思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。
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ソーニャの愛としてのシンボル、スヴィドリガイロフのニヒリズムとしてのシンボル、ドゥーニャの家族としてのシンボル、それぞれが抱く「思想の良さと危険性」
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概念が人格化した様な登場人物たち。荒ぶる言葉に立ち上がる手触りのある世界観。ラスコーリニコフの気持ち、完全に自分と違っていた。そして救済はかのように、唐突に、そして静かに、心の中に訪れるのだと思う。
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まず読み切った自分を褒めたい!相変わらず文字はびっしりですけども、下巻は上巻に比べると文字が大きくなっていて、物語の展開も読み応え抜群すぎてさくさく進みました。面白かったです!
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金貸しの老女を殺害した主人公(ラスコーリニコフ)がどんどん追い詰められていく描き方は、真に迫るものがありました。登場人物の人格が彷彿とするセリフの数々。どきっとさせられるものが多かったです。主人公以外の人物の描き方も抜群でした。
「罪を犯す権利」があると信じ続けるラスコーリニコフ。しかし、自分のことはさておき、他の人を思う気持ちも合わせ持っている。そんな複雑な精神のせめぎ合いから、永久に解放されないのではないか。ラスコーリニコフのことを思いやる周囲の人物の動揺も感じ取れるので、いたたまれない気持ちになりました。第1部から第6部まで、暗いトンネルの中にいるようでした。
第6部までとは真逆な雰囲気で、たんたんと静かに記されているエピローグ。ラスコーリニコフと娼婦ソーニャの姿に救われました。
推理の部分はテンポよく、場面によってはクレッシェンドがかかっているように進み、エピローグは、デクレッシェンドで静かに余韻を残して終わる。大交響曲のような本作品は、小説という名の芸術でした。
人間の心のうちにある善と悪を描き、読者に真の生き方とは何かを問う内容は、読後も心に深く残っています。
ドストエフスキーは、偉大なる作家だとあらためて思いました。翻訳者の方のおかげで読むことができ、感動です。(★印5つでは足りず、流星群のよう!)他の作品も読んでみようと思います。
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ドストエフスキーの起点となる小説の下巻。物語のリアリズムに引き込まれる。老婆と女殺しをした主人公ラスコーリニコフの心境の変転が感動を与える。愛は善悪を超えることがラストの場面で暗示される。
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5/6再読✅
めっちゃ面白かったー!!!キャラクターたちの会話のテンポやロシア文学ならではの表現、熱量がとても話を読みやすくさせてくれており、長いですがグイグイーっと読んでしまいます。
再読を経て、あそこで話を区切り、ラストとした点に感嘆しました。すごくいいです。ラストまで読むとそこまで暗くなく、個人的には人生において希望を持たせてくれる話だったなと感じました。ぜひ若い世代に読んで欲しい本です。
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白状したら罪が軽くなったってラスト
結果だけを見て、一律に罰の重さは計れない。
どんな境遇、状況で実行するに至ったか、精査するために警察・検察・裁判官がいる。罪に対して、然るべき罰を与えることが重要だと言われているようだった。
検察官をやっている親戚がこの本を大事に持っていた理由が少しわかった気がした。
みんな悪いことをして生きている。
罪の意識に苛まれながら、忘れた頃にまた思い出しながら。
私も今までたくさん無邪気に悪いことをしてきた。
主人公のラスコーリニコフは、ある学生のそそのかすような意見に乗っかって、貧困の元・学生を苦しめるクズみたいな人間なんだから殺していいじゃんって、ハエを殺すかのように高利貸しの女を殺した。
悪いことをしないと生きていけないくらい困窮はしていた。
私たちだって、世界中の全員にとって良い行動なんてできない。誰かにとって善良な行動は、他の誰かにとって悪い行動になる。仕事をしていると、そんなことばかり。
ラスコーリニコフみたいに、わたしもとっくに頭がおかしくなってる。自分って悪い人間だ〜って、寝込んだり、人殺してなくてもいくらでもある。
悪いことをしなくて済む世の中だったらいいのに。でもそんなことは無理だから、悪いことと同じかそれ以上いいこともたくさんするように心がけるしかない。それ以上気にしていたら、自分のことを殺してしまう。みんなおあいこ。
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ふぅー(読み切った達成感と感動のため息)
罪の意識に苛まれたラスコーリニコフは、偶然出会ったソーニャという女性の生き方に触れ、罪を告白する。妹ドゥーニャと母とのやり取り。ドゥーニャに思いを寄せるスヴィドリガイロフとの修羅場。まあ皆さん饒舌だこと!笑
数ページにわたる台詞があるから途中で本を閉じられない。
1番のパワーワードは、ソーニャの『十字路へ行って、みんなにお辞儀をして、大地に接吻しなさい。だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですもの、それから世間の人々に向かって大声で、〈わたしは人殺しです!〉と言いなさい』だったな。
ただ、結末にたどり着くまでに、ラスコーリニコフは改心したのかしてないのか、なかなか分かりづらかった。
話はそれるけど、キリスト教・改心で思い出すのは『ブライヅヘッドふたたび』。これは主人公と恋仲になったジュリアが割とすんなりカトリックに引き戻されていた。
一方で『罪と罰』のラスコーリニコフは、特に終盤、罪を犯したことではなく、自分の一歩に耐えられずに自首したという一点に、自分の罪を認めていた、ということが書かれている部分を読んだ時は、おいおい、君はまだ改心してなかったのか…!と思った。
二転三転あり、ラスコーリニコフの心が揺れ動きまくっているのがよくわかる。
結果、ソーニャの祈り勝ちで(ソーニャもラスコーリニコフの言動に何回も心揺れ動いただろうけど)、希望の光が差し込む終わり方で良かったな。
解説には同時代に生きた、トルストイとドストエフスキーの作風の比較もされていた。トルストイは現実の客観的描写を重視したのに対し、ドストエフスキーは主観的色彩の濃い、心理的リアリズムを創造したとのこと。
トルストイはまだ『人生論』しか読んでないし、ドストエフスキーも『地下室の手記』と本作しか読んでないから、今後読んでいきたいものがたくさんある。
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ラスコーリニコフは殺人に完璧な理屈を持たせることで、道徳的責任を克服しようとした。しかし、他者を数に還元し、神に成り代わろうとする自分自身の傲慢さには、どれだけ理屈を重ねても倫理的正当性は宿らなかった。その倫理的断絶こそが彼を苦しめ、読者は理屈の中では倫理は完結しないことに気付かされる。
それにしてもラスコーリニコフは頭の良い人物だな。どこまでも理屈の人。理屈っぽいからこそ、直感的な信念だけに完結しない。理性的に自分自身に疑念を持ち問いただせる人格だからこそ、内省が捗って病んでしまう訳で…
自分はラスコーリニコフと同じ行動をしても病まない気がするが、それら自分が決して理屈一辺倒では無く、いつも直感的に都合よく自分を肯定してしまうからと思った笑
自分は罪と罰の主人公にはなり得ない。
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結果、とても良かった。読めるのかな?と不安だったけど、(下)に入ったら俄然読み進めるのが早くなった。
(上)では登場人物の名前が覚えられなくて大変!苦笑
全く内容は知らなくて読み始めた。題名は勿論知ってたけど、ドストエフスキーは何を罪と言い、何を罰と言ってるのか?と気になって読み始めた。
本全体で主人公だけじゃなく、人間の罪深さをあらわされてたと思うし、罰と思われる苦悩が描かれていたと思う。
人殺しの犯罪の前とその時、直後、その後の心理をこんなに鮮明というか寄り添うように描かれている作品があるんだと感じた。
最後は予想外と感じた。
解説で作家の事が書かれていて、この本を書いた時そんな苦境な状況だったのかぁー思った。自業自得みたいな話だったけど、本人も自らの罪と罰をいつも問いてたのか。
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印象に残った本ベスト5に入る。
特にスヴィドリガイロフがドゥーニャから拒絶されたシーンが印象に残った。スヴィドリガイロフはどんな人物だったんだろうか最後にわからなくなった。
愛を得ることができずに亡くなったスヴィドリガイロフとソーニャの愛によって救われたラスコリニコフを対比させて考えてしまった。
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監獄に入っても変わらなかったラスコーリニコフの思想が、ソーニャとの愛の力によって遂に崩れるという結末が好きだった。「どう終わるんだろう?」という興味で読み進めていたけど、個人的に刺さる終わり方だった。また、1860年代ペテルブルグの社会風刺や、ポルフィーリーとの対決といった、色んなおかずがある小説だと思う。ドストエフスキー自身の「暴力をも辞さない」思想がラスコーリニコフに投影されていることを知ってより好きになった。
Posted by ブクログ
展開がドラマチックでハラハラ。
昔なぜ挫折したのかと思うくらい読みやすかった。
前半のマルメラードフ一家の悲惨なほどの貧しさと出口のない不幸さ。死を持ってしてやっと解放される苦しみが延々と続き、本当に哀れで哀れで…。
同じ貧しさでもラスコーリニコフの貧しさとはまたレベルが違うのだが、ラスコーリニコフは一線を超えてしまう。その描写が凄まじくリアリティがあり、何でこんなに殺人者の解像度高いわけ?と本当にしんどくなってしまう。
ラスコーリニコフの魂の救済はいつ訪れるのか、と思う一方で、彼の異様なまでの潔癖さ、信念の強さ、頑固さを見るにつけ、簡単に自白したり心を入れ替えるような奴ならこんな事件起こすわけないもんな、ポルフィーリィとの対決も負けんなよ、みたいな謎な気分になってくる。
なのでラストの場面は涙なくしては読めなかった。
罪と罰は登場人物のキャラ立ちが素晴らしく、全員語りたいのだが、その中でお気に入りだったのはラズミーヒン。
彼が出てくるとほっとする。登場人物で唯一と言っていいほど闇がなく、バカがつくほどまっすぐで心が美しい。女性陣も心は美しいのだが、それぞれに哀しみや苦しみがある中で、ラズミーヒンは何というか妙に明るいんだよね…。
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下巻では金持ちのスヴィドリガイロフが登場。これは解説によるとラスコーリニコフの影の分身のような男であるらしいが、机上の選民思想と強烈な自尊心から殺人を犯したラスコーリニコフと比べれば、最後は善行で終わっているわけであるし、彼の立ち振る舞いはおよそ作中でラスコーリニコフとドゥーニャが罵るほどの悪人には思えない。
エピローグでラスコーリニコフは自殺しなかったことを後悔するが、スヴィドリガイロフは自殺した。死を恐れ、話題に出されることも嫌っていたのに。ドゥーニャはソーニャのようにスヴィドリガイロフを救えなかったから、という単純な比較で自殺した・していないを論じることはできない。
なぜスヴィドリガイロフは自殺したのかといえば彼の中には信じるものが何もなく希望がないからだろう。夢想から一時的な心神喪失状態とでも言えるような状態で殺人を犯しただけで根は人を思いやる心をある程度もっているラスコーリニコフと違いスヴィドリガイロフはほとんど享楽の元に生きている。彼を助ける人はいなかった。ドゥーニャに一種の夢を見ていたが彼女に明確に否定された。ドゥーニャに銃を突きつけられてそれでも前進する彼はラスコーリニコフのような強烈な自尊心もなく生への執着心もない(死への恐怖はあるがそれは自殺の恐怖でドゥーニャに殺されるのは全く別の視点の話だと思われる)。一瞬我に返り彼女を部屋から返し、そのままズブ濡れで歩き疲れ悪夢を見て自殺する。ここでドゥーニャはただ彼にとって信じられないほどの聖女として彼の胸の中にいるだけでこれが別にドゥーニャである必要はなく、スヴィドリガイロフにとって信じられるものであれば人物でなくても良かったのだろう。ドゥーニャが自分のもとに来ず何も希望がなくなってしまったのである。
対してソーニャはラスコーリニコフを哀れに思い彼に愛を捧げることそのものに人生の意義を見出していく。限りない隣人愛、他人の中に生きることそのものを目的としてその対象が自分の人生に劇的な影響を及ぼしたラスコーリニコフなのである。
このあたりドゥーニャを求めたスヴィドリガイロフと、むしろソーニャから求められているラスコーリニコフでは全く立場が違う。
あまりにソーニャはラスコーリニコフにとって理想的な人物である。
解説にもあるがエピローグでラスコーリニコフはソーニャの愛の元に屈し更生の道を歩む。けれども今まで尋常ならざる執拗さでラスコーリニコフの狂的な精神状態を描写してきたドストエフスキーがここでは「ソーニャの膝下に突如顔をうずめた」というおよそ2行程度の行動で愛に屈してしまう。それまでの説明が足りなく納得のいくものではない。
罪と罰の物語は第六部で完結していると感じた。エピローグで語られていることがあまりにも駆け足で、そこで更生したと言われても付け足しに思える。
躁鬱の気があるラスコーリニコフの自白シーンがラストにふさわしい。
他ポルフィーリィの尋問、カテリーナ・イヴァーノヴナの発狂などもこれだけで一遍の物語が組めそうなほど長い。色々な読み方があり様々な要素があるというのは逆に煩雑であるということでもある。
その点では地下室の手記の方が面白いし完成度が高い。
けれども人物の真にせまった描写は彼ら彼女らが生き生きとまるで眼前にいるかのような迫力を持って迫ってくる。この点がこの小説の良さだとしたら脇役の出番や台詞がとても長くなるのは仕方ないことなのかもしれない。
Posted by ブクログ
本書の最後はこう締めくくられます。「これは新しい作品のテーマになり得るであろうが、... このものがたりはこれで終わった。」ここまで読み切って満足を得られる本はあまりないように感じます。あらすじはシンプルですが、主人公ラスコーリニコフの心の揺れ、事実を知る者たちとの対決、そしてエピローグ。カラマーゾフの兄弟 に続いてドスト エフスキー が好きになりました。
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聖なる娼婦ソーニャの存在。ラスコーリニコフが導き手として求めていたものは、英雄ナポレオンではなく彼女であったにちがいありません。娼婦と殺人者、神を愛する者と無神論者。一見対照的な2人の間に、言葉では語りつくせない魂の結びつきがありました。
Posted by ブクログ
「地下室の手記」を面白く読めたので、「罪と罰」に再チャレンジ。かなり夢中になって読めたかも。
世の中には凡人と非凡人がいて、非凡人は大衆のより良い未来・革命のために法を破る権利を持っているという独自の理論を携え、それなら自分という将来有望な若者が貧困に喘いでいるのではなく、金を持っている害悪な老婆を殺したって何の罪がある?と考え、青年ラスコーリニコフは実際に殺人を犯してしまう。(150年以上前の小説だから書いてもいいと思ったけど、ネタバレになった方いたら申し訳ない)
警察ポルフィーリィとの会話は探偵小説のようだし、ソーニャとのやりとりは(だいぶメンヘラな)恋愛小説のようだし、全体感としては病的な思想を抱えた人間の心理観察をしているような感覚にもなる。
超一人称なのに、常に発狂寸前の緊張感の中にある登場人物がいかれすぎてて共感しようもなくて第三者の視点になる。
ドストエフスキーの凄さって一言で言えるものじゃないけど、精神状態が言葉と行動に現れる時の描写の緻密さだなあって思う。
自分自身でも自分の言動に説明がつかない精神を病んだ人間が、自分なりに納得するために辻褄の合わない意味づけをしたり、思いこみを事実と信じ込んでしまった時に、どんな言葉を発してどんな行動をとってしまうかっていう心理描写や仕草の描写がリアリティありすぎて、本人も近しい経験ないし心理状態になったことがあるからこそ書けるんだなって思う。
ドストエフスキーと太宰治について何作品か読んで、彼らは内省で起こっている複雑な現象をその瞬間の感情の発露ではなくて、文章で、しかも時系列で外在化させることができるのが異質なんだなって思った。
Posted by ブクログ
上巻だけでも中々面白かった罪と罰の下巻!
殺人を犯したラスコーリニコフが捕まるか捕まらないか。一体どういう結末に持っていくのか。
事件と直接かかわりがなことから、本筋と関係ないと感じていた様々な登場人物が、序盤では「脇道にそれてばっかりで本筋が薄まるな」と感じていたが、下巻から次々と関わっていって、なるほど、そう絡んでいくか、と話の攪拌の仕方の妙に感心してしまう。ペトルーヴィチ、マルメラードワ夫人、そしてスヴィトリガイロフ。
良い物語は、ひとつのストーリーでも複数の読み方が出来るものであるという。
この各登場人物の絡まり方が、まさ複数の読み方をなさせるコツなのだろう。
最終章まで中々立ち位置が謎だったソーニャが特に味わい深い。
なぜラスコーリニコフがずっとソーニャに絡んでいくのか、そして独白したラスコーリニコフに対するソーニャの対応も中々不可解だった。
最後に一気にラブストーリーのような分かりやすい愛の話でまとまるが、重要なのはソーニャの信仰心なのだと、あとがきを読んで理解した。
ここの部分、おそらく多くの日本人にはピンとこない部分じゃなかろうか。
ロシア正教なりキリスト教に通じている必要があるのだと思う。
宗派によって違って告解だとか痛悔だとか言われるが、懴悔と言えばイメージしやすい。
神との関係が幼少期から染み付いている人は、その罪の意識によって苦しむ。
そこで罪を独白し赦しを乞うことで、その苦しみから解放されるのである。
法によって裁かれるのはその次という精神性がそもそもある。
徹底して神との関係性を重視しているソーニャは、罪を独白し、また自らの過ちについて苦しんでいるラスコーリニコフを見捨てず、信仰心を復活させ、自らの人生で以て導くという使命を感じたのである。
信仰がない私としてはそこに気付くまでにかなり時間がかかった。
が、理解すると、タイトルが罪と罰というのにもより説得力が増してくる。
最近、ドストエフスキーの生涯に関する本を読んだ、
ドストエフスキー自身がギャンブル依存に苦しみ、お金使い尽くし系であり、そこから抜け出した経験を持つ。
この実体験が、どうも一般読者としてはここも共感しがたい、上巻のセミョーン・マルメラードフの自白に繋がっている。
そしてドストエフスキーの最後の妻の一面が、ソーニャに投影されていると想像が容易い。
自らの人生を投射した作品、さすが重厚で、読んで良かったと心から言える作品だった。
Posted by ブクログ
自分勝手な考え方により、自分の行いを正当化して犯罪に走ってしまう。これは犯罪を犯す人全般に共通して言える心理だが、その犯罪後の公開により、自分という人間を貶めたり、自分の罪を人に告白することで、罪悪感を軽くしようとする考えや、他人への善行により、人間としての自分の価値を高め様と考え、行動することに非常に共感した。特に、自分の罪に対して自分自身で自らを罰する行動を行うことで、より精神的にも肉体的にも辛い状況に追い込まれること。そこから、自分自身で這い上がる力がない場合には、只、無償なる愛と呼ばれる人との繋がりのみがその人を救う力を授けるだけだと考える。
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最後の盛り上がり。後半一気読み。
主人公の危うい考えは、差別、貧困、不条理、暴力、病の溢れた社会に放り出されれば、誰しも近しい思いは持つのではないだろうか。たとえ殺人は犯さなくても。
いじめや、差別、宗教二世で起こった、ここ最近の日本の若者が起こした事件。隠れラスコーリニコフは、世間に沢山いるのかもしれない。
でも忘れてはいけないのは、再起できるということ。愛があれば。きっと。
Posted by ブクログ
本書のタイトルは罪と罰だが、テーマとして「愛と許し」があげられる。
殺人を犯した主人公は、ソーニャの愛に触れることで自首へと至り、互いに愛し合っているこを自覚することで希望を見出す。愛されていると感じたからこそ、川へ身を投げることをやめることができた。
一方、スヴィドリガイロフについてだが、解説の中で、ニヒリズムの行き着く先の暗示として彼の自死が述べられている。彼もソーニャと心を通わす前の主人公と同じく、世の中を悲観的な目で見ているが、彼は主人公とは対照的な最期を迎える。彼はドゥーニャを愛していたが思い届かず、拳銃自殺を選ぶ。ニヒリズムが法的な罪ではないにせよ、悲惨な答えに行き着いてしまうことの表れなのだ。放心と疲れ、虚無が私を定めないように、祈る気持ちを忘れずにいたい。
Posted by ブクログ
長年読もう読もう思っていて、なかなか手が出せずにいた「罪と罰」を、ようやく読むことができて、まずは良かったと思います。固く重苦しい話かと思っていましたが、コメディ的な要素も多くあって、それなりに楽しく読めました。
マルメラードフが死にかけているところに、派手派手な格好でやってくるソーニャなんか、哀しいけれど、笑ってしまいます。ラスコーリニコフの母親のおろおろしたところもとてもコミカルで、これを楽しいと言ってしまっていいのかどうかとも思いますが、楽しいです。
文庫本の裏表紙にあるあらすじですが、全然本質をついていないように思いました。罪の意識とか良心の呵責とか、そういうことかなぁ。まぁ、広く言えばそうかもしれませんが、ラスコーリニコフのあれば、過剰な自意識とかプライドとかそういうところなのではないかと思いました。
登場人物の中では、やはりスヴィドリガイロフがいいですね。相当ちゃらんぽらんなことをしてきたのは間違いないでしょう。ですが、噂になっていること全てが本当とも思えません。ドーニャにそこまで嫌われるほどではなかったと思いたい。幼い婚約者(?)にお金をどっさりやって、去っていくところなんか、気持ち悪くも格好いいではありませんか。
スヴィドリガイロフにしても、ラスコーリニコフにしても、やっていることの振れ幅が大きすぎて、どういう目で見たらいいのかよくわからなくなります。人間の本性が合理的ではないってことなんでしょうかね。
なんやかんやで、結末はとても爽やか。めでたしめでたし、と言いたいところですが、本当にそれでいいのか? とも言いたい。夏目漱石の「行人」を読んだ時も感じたことですが、自身は勝手に救われたようになっていますが、周りの人たちは知ったこっちゃないんですよね。特に「罪と罰」では老婆とリザヴェータが亡くなっていますから。
そうはいっても、少なくとも一人の心が救われたわけで、それを喜ばしいと思うべきなのか、そして周りもそれを祝福すべきなのかとも思いました。まぁ、文字がみっちり詰まった上下巻の本をよんで、お腹いっぱいの大満足という感じです。
Posted by ブクログ
登場人物の精神状況があまりにおおげさじゃないかなんて感じたりもしたんです。一つ一つの行動に根ざす感情が誇張されているような気がする。それは、冷静な日本人だからそう思うのかもしれません。この時代、決闘なんかもあったロシア人にとっては、そういう心の揺れとか激情というものはありきたりのものだからこそ、こういう小説が生まれたんだともとれます。
ロシア文学初挑戦。
ドストエフスキーなんて名前とイメージから、
けっこう堅めの文学なのかなぁと予想して読んでみたのですが、
これがそんなこともなく、読ませられる小説で、面白く一気に読んでしまいました。
名作なんていわれると、真面目くさっていて、倫理観とかをおしつけられるような
内容なんじゃないかと邪推してしまってましたね。
登場人物のロシア人の名前が、似通っているのが多かったり、会話などで変化したり
(ソーネチカをソーニャと呼んだり)するのに慣れるのには最初ちょっとだけ
苦労しましたが、なんのことはない、夢中になって読ませられました。
そのうち、『白痴』や『カラマーゾフの兄弟』も読むかもしれません。
19世紀の文豪、あなどれず、ですわ。
Posted by ブクログ
カラマーゾフの兄弟より宗教的な思想の話が少なく読みやすかった。
思想に基づいて殺人を犯したけれど、心はその罪の重さに耐えられない様がリアルで、その描写の細やかさがすごいなあと唸らされました。
ラスコーリニコフは結局変われたのか?彼の思想の根本は変わっていないままではないのか?そんなところを、誰かと話してみたくなる終わりでした。
それはそれとして、ラズミーヒンはいいやつです。
Posted by ブクログ
読み終わったあとの解放感が凄かったです。
当時のロシアの情勢を知っていたらもっと楽しめたかも?
私の学がなさすぎて…!
ラスコーリニコフ自身、一応罪を認めたということですかね?
本作は「罪と罰」の罪の部分が強いイメージです。
物語が終わった旨で括られていますが、続きがあるとしたら、罰の部分はもっとしんどい気がします。
ラスコーリニコフ程ではなくとも、彼との共通点を見つけては1人焦ってました(笑)
光属性のソーニャといることで、その罰に苦しむか、きちんと更生されるか…。
後者であってほしいですね。
Posted by ブクログ
ついに、罪と罰を読んだことがある人になったぞ!
思っていたより読みやすくて、後半にいくにしたがってどんどん面白くなっていった。
ただ、心情の変化とか、よくわからない部分もあるから「誰か解説してー」と思いながら読み終えた。
Posted by ブクログ
世界的にも名作とされる19世紀の連載小説後編
名前の呼び掛け方が頻繁に変わるので、人物相関図を手元に必要。おそらくロシア語では呼び掛け方で感情等のニュアンスの違いを表現するのだろう
途中ページをめくるのが作業になりつつも、スヴィドリガイロフのキャラやエピローグ辺りは、のめり込んだ
ロシア文学を過度に高尚なものと期待していたが、当時は娯楽としても凄いものだったように思う
Posted by ブクログ
一度は読まなきゃ!と思っていた本を読み切った\(^o^)/でも私好みではないな(-_-;)殺害から自白までの何日間かと、私が読んだ何日間かが同じくらいだからか、常に「でも人、殺したんだよね( ・`д・´)金品盗んでるし」「御託はいいんだよヽ(`Д´#)ノ」という思いが頭をグルグル回る(・_・;)時間をかけて、考えながら読めば違うのかも?(-.-;)
Posted by ブクログ
一生のうちに読むべき本とよく聞くので約一年かけ、少しずつ読み進めた。少しずつでもストーリー展開を追うことができ、想像したよりも重苦しくなかった。何が難しかったかというと、名前。名前の呼び方がいろいろある文化とは知らずに読んだので、登場人物の関係がしっかりわかるようになったのは下巻に入ってからだった。
ラスコーリニコフの心の動きは読み進めていくうちに、「平凡」そのものだと思うようになった。自分の罪に向き合ったり、逃げたり、考えがコロコロ変わる。ドストエフスキーが何をラスコーリニコフに託したのかはよく分からなかったが、社会的に厳しい時代にあったロシアの生活と、今でも変わらない普遍的な人間の模様が読み取れた。