ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレドストエフスキーの「貧しき人々」を読んでみた。「古典文学」の魅力に取りつかれつつある?(笑)。そもそも「古典文学」の定義はどうなのか?
日本文学では「近代文学」に対し、江戸以前のものを「古典文学」と呼ばれるのが一般的らしい。が、ともかく、日本に限らず、世界の「名作」と呼ばれるもの、時代を越えて、歴史に名を残した作家たちの作品と出会ってみたくなってきた(もちろん再会も)。
今回のきっかけもツヴァイクの「四人の巨匠」を起点として、3人目の巨匠ドストエフスキーを選んだが、まずはビギナーとして、氏の処女作であり、しかも輝かしいデビューを果たしたという本作を選んでみた。
最初の「訳者(安岡治子さん)まえがき」は貴重だ。この作品にまつわる背景を簡潔に説明してくださっている。
「『貧しき人々』は、一八四六年に二十四歳のドストエフスキーが発表した処女小説です。舞台はペテルブルグ、四十七歳の下級官吏マカール・ジェーヴシキンと、若くして両親を失った薄幸の娘(おそらく十八歳ぐらいの)ワルワーラ・ドブロショロワ(愛称ワーレンカ)の半年にわたる往復書簡の形で書かれています。マカールは・・・。一方ワーレンカは・・・。」と
もちろんのこの二人の主人公が貧しい生活の中でお互いの貧困生活にもがき、なかなか抜け出せないという生活が描かれているが、そのなかに、お互いに対する思いやり、あるいは愛情が描かれ、また周囲の人たちへの感情(怒りとか悲しさとか)も描かれており、総じてドスエフスキーが見事に、当時のロシア社会の様子を描き出した作品でもあるようだ。
このドストエフスキーの処女作は、世に出る前に、何度も推敲が重ねられたようで、そして本作が完成した際に、それは詩人ネクラーソフの目にとまり、さらに偉大な批評家ベリンスキーに「この小説は、今まで誰も考えたこともなかったほど鮮やかに、ロシアの生活と人物の神秘を明かしてみせた。これは、我々が手にした初めての社会小説だ」と言わしめたことからも明らかだ。
往復書簡の場面は、4月8日の春先から9月30日の秋口まで。この約半年に二人が交わした書簡が小説を構成している。こういう往復書簡形式の小説は、それまでもあり(探してみるのも興味深い・・・)、ただしこの時期ではやや時代遅れの感があったようだ。
本作だが、この半年の間、ほぼ前半からずーっと二人の貧しい生活の描写が続き、謙虚で相手を思いやる気持ち、むしろ自己犠牲に近いと思われるほどの思いやりの会話で、「貧しい生活の中にも美しい心」というものを感じつつも、「この年齢差の二人の愛情とはどういうものなのか」とか、「たった庭をはさんだだけのお隣さん同士なのに、どうして直接会わないで、書簡交換ばかりしているんだろう」とか、「貧困からの脱出は難しい反面、そういう貧困の中になんとか喜びを見出そうとしているな」とか、読者に様々な考えを想起させてくれる。当時のロシアの社会は、むしろこのような姿が典型的だったということだ。
考えてみれば、年齢差の愛情の在り方や、コミュニケーションの在り方にふと疑問を持った自分も、いま目の前の社会を見てみると、SNSを通じた様々な愛情の形があり、会社の隣の席同士でメール交換をしている実態があり、時代に応じた姿がありうるんだなとも思えた。
そして、小説は後半から終盤にかけて、一気に急展開し、たった半年の月日の流れの中で、これほどまでに変わるのかという結末へと進んでいく。人の心も、環境がかわることで影響を受け、変わってしまう現実というものがある。しかしながら、環境がかわっても変わらない「大切なもの」があるということも、この作品は教えてくれているようだ。
訳者のあとがきの中で述べられている、「身を削られるような極貧を体験する中で、二人の主人公が結局知り得たのは単純な真実である。幸せをもたらすのはお金ではない。人生に喜びを与えてくれるのは、互いの不幸を思いやり相手の幸せを心から喜ぶことのできるような隣人をもつことなのだ。貧困が広がる中で、人と人との繫がりがますます希薄になっている現代にこそ、もう一度読み直されるべき小説ではなかろうか。」との言葉は、読後の自身もそう思う。
本作は、ドスエフスキーの処女作ではあるが、作中に出てくるゴーゴリやプーシキンなどの作品のプロットは絶妙だそうで、自分のような素人には、まだまだそこまで読み取れなかった。ただ、巻末の「ドスエフスキー年譜」をみて、本作が世に出る前年に、ドストエフスキーはバルザックの本の翻訳をしていたようで、「文学の世界はつながっているんだな~」と感じた次第です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレカラマーゾフの兄弟よりも分かりやすかった。
展開が早くて咀嚼が足りない気がしたので、2回読んだ。
漫画にしてくれたお陰で短時間で読めるのはありがたい。
伝えたいテーマは本当にシンプルで、罪と罰というタイトルそのものだった。
何を罪とし、何を罰とするのか。
主張する人間の見方次第で、殺人は正義だと言えてしまうのか。
法的な罰よりも、自らの良心と誇りを傷つけた苦しみが重い罰となって人生にのしかかる。
確かに、戦争で人を殺すことは罪にならないのか?大罪だろ!ってものすごく思う。
国公認なら殺人が正当化されるなんておかしい。
どんな人でも、どんな理由があろうとも、命は奪う権利はない。
こんなに文明が進歩した現代にもまだ、武力で人をコントロールしようとする人間がいるなんて幼稚すぎる。
カラマーゾフの兄弟でも感じたけど、この時代のロシアだからなのか、人々への宗教への想いが並外れて強い。
殺伐として争いが絶えない時代には、「神」という「絶対的な救いの存在」が必要なんだろうな。
キリスト教の、罪を犯した人間であってもその罪を償うことで許されるという考え方って不思議だなと思う。
本作でも、ラスコーリニコフを愛する人達は、彼が殺人者だと知っても「罪を償う事は立派なこと」的なことを言っていた。
「一つの悪行は百の善行によって打ち消される」っていう台詞もあった(これは完全にエゴだと思うけど)。
キリスト教の教え的には、どんな人間も失敗することはあるし、1度の過ちで全てを失ってしまうのはさすがに気の毒だから、再起のチャンスを与えようということなのかな。
「故意ではない失敗」で犯してしまった罪ならわからなくもないけど…罪の程度にもよる気がする…。
個人的には、罪はどれだけ償っても一生消えないから、もしやってしまったら逃げ道ゼロでゲームオーバー、だからこそ初めから絶対に犯さないのが当然だと思うのだが。
そんな信念を持っているがゆえ、私はうっかり自分の言動で人を傷つけてしまうことですら非常に恐れている。
これはちょっとビビりすぎだとは思うんだけど……。
それにしても、ラスコーリニコフはどうしてこんなにたくさんの人に愛されているのか。
こんなに堕落して、身勝手な大義名分で人を殺しておきながら、盗品を何の役にも立てず、ビビったり開き直ったりしておかしくなって。
それでも愛してくれる人がいるって、なんて幸せな男なんだ。
なによりソーニャの慈愛がすごすぎる。
自分を助けてくれた人だからって、人殺しをここまで許し愛せるのか?
ラスコーリニコフが狂っていても、心根は純粋な人だと見抜いたからかな?
「罪」と「罰」もそうだけど、もう1つ「許し」も大きなテーマだなと思う。
たくさんのことを考えされられた作品。
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Posted by ブクログ
上下巻とようやく読み終えた
合わせて約1200頁…流石に長かったが、面白かった
長台詞の応酬と心情描写が凄まじかった
人の心理的に怒り、苦悩、哀しみ、安堵、冷静、慈しみなど様々な感情が、順々に訪れたと思ったら別の感情に流され、また繰り返し…が表現されていて非常に生々しく人の感情が日々いかに込み入っているのかを知らされた
物語的にはシンプルなはずだが、主人公ラスコーリニコフに関わる人々の関係性や心理描写も更に加わり絡み合っているせいかより複雑になっているように感じた
妙に明るく書かれてたりもするが、基本的には暗い
せめて、後味の悪い終わり方でなくて良かった…
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Posted by ブクログ
ネタバレ原作は上・中・下あるらしいのに、漫画で1冊にできちゃってるのすごい。
漫画でもちょっと難しい内容&1冊にまとめてるからか展開がめっちゃ早い。
金と女に溺れるっていうのはよくあるテーマだけど、残虐だったり強欲な人間の死を願う事は罪なのか?とか、不死・復活など、興味深い内容だった。
原作で読んだらさらにわけわからないかもしれないけど、じっくり読みといてみたい気もする。
イワンが冷徹なようで実は純粋に恋してたり、残酷なようで誰よりも良心の呵責に苦しめられたりと人間臭いところがよかった。
きっと繊細な人なんだね。
ラストはおバカなミーチャも改心しようとしてたり、クソ真面目なアリョーシャが脱走を勧めたり、それまでの彼らとイメージが変わるのもいい。
こんな暗いテーマなのに、ほんのり希望のあるエンディングで、意外と読後感が爽やかだった。 -
Posted by ブクログ
自意識過剰で地下室に引きこもる男の独白
主人公が笑えるレベルで偏屈、序盤から笑ってしまった
歯が痛くなり弱気になる、はわかる。しかし普通
歯が痛くなり、なんと痛覚に憎悪、悪態をつく
おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある
おれはおまえたちを悩まし、気分をかきむしり、家中の者を眠らせないでいる
それなら、おまえたちも、いっそ眠らないで、おれが歯が痛いんだということを、四六時中感じつづけるがいいさ
天才でござる
昔、成長痛で似たようなことを考えたような気がする。文章で見るととっても笑えた
この悪態っぷりや偏屈思考が主軸なので古びる要素なぞまったく無く、コノヤロコノヤロ…みたいなのを読めるだけで価値がある
熱風邪って弱気になるけど痛い系の病気ってイライラのが強いのはなんでだろか。今度歯が痛くなることがあったら文章に起こしてみたい、どれだけの悪態が思いつくのか
そんな気になった -
Posted by ブクログ
ネタバレ頭では「自分は特別な人間だから普通の道徳を超えていい」と考えていた人間が、実際に一線を越えた瞬間から生身の人間としてどう壊れていくかを観察していくのが面白い。実際にやってみるとバレるんじゃないか。普通に振る舞わないと。なんでこんなことしたんだみたいに理論と自分の精神が全然一致していない。そして本人がその矛盾を理解できていないことも面白い。
黙っておけば誰も怪しんでいないのに、ザミョートフに自分が犯人であることをかなり危うい形で仄めかしてるのは何で?と思った。絶対に捕まりたくないのに、自分だけこの秘密を抱えているのがしんどい、相手がどこまで自分を疑うか試したいとか?捕まりたくないのに本人の精神状態が犯人としての行動を漏らしているように見える。 -
Posted by ブクログ
原作を読み始めるも、やはり登場人物の名前がごちゃついてしまったり、上中下巻という中身の濃い長編を完走できるか微妙だったため、この漫画版を先に読んだ。
漫画として1冊に抑えるため、本来とは異なる場面で重要な台詞を言っていたり、細かな事情は割愛し、リアクションなどをコメディ的にしてあったりと、全てを忠実という訳では無いが、主要な場面は押さえてあるため、カラマーゾフの兄弟とはなんぞや?と気軽に読める1冊としてとても有難い。
椅子に座るイワンの傍らには林檎を持った悪魔という構図がどうにもデスノートを思い出す。
スメルジャコフについて、もっと掘り下げた場面をもう少し採用してほしかった。あと、ゾシマ長老の出番が少なすぎる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ名著であり、とても面白いと評判の本作をいつか読みたいと思いながら、買ったまま読めずにいた。
読み始めてみてやはり、登場人物の名前がロシア名なだけに覚えづらく、先に漫画版を読んだ。
無神論者イワンの考え方が面白い。神がいるならなぜ助けてくれないのか。いかにも異常者として成長しそうなスメルジャコフ話も面白い。
対して、フョードルは清々しいほどのクソ野郎でありながら、イワンやアレクセイに嬉しそうに語りかける無邪気さもあって憎めないところもある。
一番面倒くさいのはドミートリイ。フョードルがクソ野郎なのはごもっともだが、ドミートリイもドミートリイだ。
第一編・ある家族の歴史
カラマーゾフ一家の紹介。
典型的な成金で酒と女が好きなクソ野郎な父・フョードル。
父親に似た直情型で退役軍人、がはは、俺に任せとけ!な長男・ドミートリイ。
合理主義・無神論者でインテリ系次男・イワン。
純粋で優しく皆に可愛がられる、修道院に入った三男・アレクセイ。
そこに絡んでくる使用人と女たち。
フョードルは二度結婚し、1人目との子が長男、あとの2人は2人目との子であり、各母親や、各子供らの生い立ちについて。
第二編・場違いな会合
相続に関して特に父と長男は揉めがちであり、第三者であるゾシマ長老を交えて家族会議をすることに。(ゾシマ長老の凄さを見れただけで、大して進展はないが笑)
グルーシェニカとドミートリイの出会い、婚約者のカテリーナの金を浪費しつつもグルーシェニカを選ぶ。しかし、金を返したい。父から元々自分のものだった金を3000ルーブルでもいいから奪いたい。
また、イワンはカテリーナに惚れていた。
第三編・好色な男たち
グリゴリーの過去、スメルジャコフの生い立ち。(畜生なフョードル)
猫を殺して葬式ごっこするのが好きだった。
グルーシェニカを取り合う父と長男。
カテリーナがドミートリイを慕う事情。
第四編・病的な興奮
アレクセイが謎の少年に中指を噛まれる。正体は二等大尉スネギリョフの息子・イリューシャ。ドミートリイとグルーシェニカの出会いのきっかけとして、単に仕事として頼まれたので手形の売買しに来た大尉に対し、父の企みだと考えたドミートリイは興奮し、大尉の髭を掴んで街中を引っ張り倒して好き放題言われ、それを目撃していた住民もおり、息子は情けない父親を持っているとしていじめの対象になった。
スメルジャコフがイリューシャに猫を殺させ、それも同級生にバレていじめの一因に。
また、イリューシャは病気。
カテリーナはドミートリイを思い、謝罪金としてアレクセイに大尉へ渡してくれるよう頼むが、金で解決すると思っているのか、と跳ね除けられる。
第五編・プロとコントラ
カテリーナをイワンにくっつけたいドミートリイ。
イワンの悩み、人の愛し方、神はいるのか?
肝心なのは、おのれに嘘をつかぬとです。おのれに嘘をつき、おのれの嘘に耳を傾ける者は、ついには自分の内にも、周囲にも、いかなる真実も見分けがつかなくなって、ひいては自分をも他人をも軽蔑するようになるのです。だれをも尊敬できなくなれば、人は愛することをやめ、愛を持たぬまま、心を晴らし、気をまぎらすために、情欲や卑しい楽しみにふけるようになり、ついにはその罪業たるや畜生道にまで堕ちるにいたるのです。これもすべて、人々や自分自身に対する絶え間ない嘘から生ずるのですぞ。おのれに嘘をつく者は、親を立てるのもだれより早い。なにしろ、腹を立てるということは、時によると非常に気持ちのよいものですからの、ではありませんか?なぜなら本人は、だれも自分を総録した者などなく、自分で豚手に侮をこしらえあげ、体裁をととのえるためにはをついたのだ、一つのシーンを作りだすためにおおげさに誇張して、言葉尻をとらえ、針小棒大に騒ぎたてたのだ、ということを承知しているからです。それを自分で承知しておりながら、やはり真っ先に腹を立てる。腹を立てているうちに、それが楽しみになり、大きな満足感となって、ほかならぬそのことによって、しまいには本当の敵意になってゆくのです……ゾシマ長老p102
とすれば、あの世にもこの世にも自分の利益や美が見あたらないために、せめて自分の皮くらい守ろうとしたからといって、なぜわたしが特に罪深いことになるんですか? だから、わたしは神さまのお慈悲を大いに当てにして、すっかり許していただけるだろうという希望をいだいているんですよ……スメルジャコフp323
俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在することは知っているものの、まったく許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ。イワンp592