ドストエフスキーのレビュー一覧
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『あれはどこで?』ラスコーリニコフは先へ歩きながら考えた。『どこで読んだんだっけ?なんでも死刑を宣告された男が、死の一時間前に言ったとか、考えたとかいうんだった。もしどこか高い岩壁の上で、それも、やっと二本の足で立てるくらいの狭い場所で、絶望と、大洋と、永遠の闇と、永遠の孤独と、永遠の嵐に囲まれて生きなければならないとしても、そして、その一アルシン四方の場所に一生涯、千年も万年も、永久に立ち続けなければならないとしても、それでも、いま死んでしまうよりは、そうやって生きた方がいい、というんだった。なんとか生きていたい、生きて、生きていたい!どんな生き方でもいいから、生きていたい!……なんという真
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死の床につくゾシマ神父の回想と垂訓が2部の最後を締めるが、少し長すぎて要点が絞り込めていない。ここでこの大長編を読むのをやめた人は多いと思う。(わたしは二人知っている。)アリョーシャが物語の前面に出てくるが、ドストエフスキー作品中最も人気のあるキャラだけあってやはり好ましい。(ただしわたしはソーニャの方が好きだ。) 天性の人徳と優しさを持ちながら、妙に現実的で、異教徒に対する偏狭さに狂信的なものを感じるときがあるところも魅力だ。
信仰の揺らぎに直面した状態で“カナの婚礼”の説話を聞きながらアリョーシャが霊感を受ける場面はこの作品中で一番渾身の場面だと思う。
ちなみに女性の美徳は男のアリョーシャ -
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1861年 40歳 第16作。
死の家の記録は、ペトラシェフスキー事件に連座して、反逆罪に問われたドストエフスキーが、1850年1月から54年1月までの4年間を囚人として、頭を半分剃られ、足枷をつけられ、強盗殺人犯や詐欺師や窃盗、農民や貴族、イスラムの異民族から異端のキリスト教徒まで、雑多な人々とともにシベリアの流刑地で過ごしたときの様子を描いた作品。
ときにはチャバネゴキブリが大量に入ったスープが出てくるような境遇の中で、社会の最低辺の人間と文字通り寝食をともにしながら行った人間観察の記録である。
ここまでのドストエフスキーの作品では、デビュー作「貧しき人々」が代表作だが、あの「貧し -
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下巻では、シュピグーリン工場の連中が起こした火事を契機に、物語が一気に加速する。
ピョートルを中心とする《五人組》と呼ばれる組織がロシアの転覆を企てている。
それを背後で動かしているのはスタヴローギンなのか?
その人間像は僕には最後までわからなかったが、彼が自殺したときの衝撃は忘れないだろうと思う。
『カラマーゾフの兄弟』よりもはるかに重く、難解な小説である。
「リャムシンさん、お願いだからやめてください、あなたががんがんやるものだから、何も聞きとれやしない」びっこの教師が言った
…
リャムシンが席を蹴った。「だいたいもう弾きたくなんかない!私はお客に来たので、ピアノをぼんぼん -
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神の存在意義からミステリーへの
前半は、(前編)最終部の「大審問官」から続く神の存在についての考察が続きます。それは、アリョーシャが慕うゾシマ長老の死によって、さらに問われることに。この部分を読み進めるうちに、遠藤周作さんの名著「沈黙」を思い浮かべました。神への信仰が深まるにつれ、本当に神は存在するのか…。永遠に解決されない課題なのでしょうか…。
一転、後半からミステリー調の流れになって、現実に引き戻されます。そして、ついにその時は訪れるのです。
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ネタバレ第2巻では、主人公・ムイシキン公爵について「黄金時代にすら聞いたこともない純真さ、無垢さを披露したかと思うと、今みたいにとてつもなく深い心理観察でもって、いきなり弓矢みたいにぷすりと人の心を射貫く」という人物評が語られる。その評は的を射ているが前巻のムイシキン像に近く、本巻でのムイシキンはそのように聖人然とした様子だけでいることはできず、懐疑や嫉妬といった人間的な感情に苦しんでおり、物語全体にも不安感が漂う。
本巻では、ムイシキンとロゴージンとの対話が印象的だった。特にロゴージンがどのようにムイシキンのことを感じているか語る場面が面白い。
「レフ、おれはな、あんたが目の前からいなくなると、と -
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神の存在と人間の心の葛藤
19世紀ロシアの文豪ドストエフスキーが描いた、神の存在とこの世に生きる人間の心の葛藤をテーマとした小説。「人を愛する心とは」といった命題について考えさせられました。まだ上巻だというのに、深い。しかし、カラマーゾフ一家の父と3兄弟を中心に語られる物語は親しみやすく、女性を巡る情景やそれに嫉妬する人間の心がわかりやすく表現されており、ドストエフスキー初心者にもすぐ入りこむことができました。次の中巻も期待大。原卓也さんの翻訳も非常に好感が持てます。素晴らしい翻訳、ありがとうございます。
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「未成年」はドストエフスキー五大長編の中でも難解、つまらないなどという噂を良く聞いていたので、読み始めるのが少し躊躇われていましたが、
これこそ躊躇わずにできるだけ若いうちに読んでおきたい本だと強くお勧めできる作品でした。
主人公による一人称の手記として記述されているため、登場人物の激しい心の動きに主人公のこれまた激しい心の動きが重なりあって、確かに全ての筋を理解するのは難しいでしょう。
しかし、自分のことも他人のこともなかなかわからない主人公の目線に入り込んで、「あぁ、この人はこういう人だったんだ」と登場人物を徐々に理解しつつも、たまに裏切られたりする気持ちを共有して読み進めると、登場人物が -
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(今はまだ読んでいる段階ですが)
面白すぎる
(読み終えました)
びっくりしました。こんなに面白い本があろうとは。
漫画という手法の無限の可能性にも触れることができた気がします。
RGPのようにのめり込む要素があって、すぐに読み切ることが出来ました。心の中の苦悩や葛藤が、一気に外に漏れだすような感覚。これもデトックスのひとつですね。
この本を読んで、本作に挑戦する意欲が湧いて来ました。この本を常に横に携えてね。漫画→本作→漫画→…のように延々と繰り返せるんじゃないかって。そう思えるほど、素敵な作品に出会いました。
私にとっては、映画で言うクリストファーノーランの作品のようにずっと -
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いよいよ、本巻ではラスコーリニコフが追い詰められていきます。本巻でのメインイベントは妹アヴドーチヤの婚約者である成金弁護士のルージンとの対決、ラスコーリニコフと娼婦のソーニャの密会、そしてラスコーリニコフと予審判事ポルフィーリィーとの2度の対決と盛り沢山。
まずは、ルージンですね。彼の人間性自体が今の時代ならセクハラ(笑)。大きく歳の離れたアヴドーチヤに対しての彼の歪んだ愛情(これは愛情と呼ぶよりも所有欲と言ってしまった方が近いかもしれない)が描かれます。
そのルージンの「愛情」とは、『金銭的に不自由している若くて美しく、それでいて不幸な女性に対して、自分と結婚することにより、大金と弁護士の -
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ロシアの文豪、ドフトエフスキーの処女作。
貧しい47歳の小役人と同じく貧しい10代後半の少女との文通形式の小説。
この小説が書かれたのは1846年ということは日本で言えば江戸時代の後期ということになる。
江戸時代に書かれた小説の登場人物の心情がこれほど豊かに描写されているということを今の時代に普通に読めるということがまず奇跡的。
主人公の小役人マカールが少女ワルワーラを自分の娘のようにあるいは孫のように、しかし実は本当に女性として真に愛している状況が読み取れ、それが涙をさそう。
最終的には悲恋となるが、この小説は「人を本当に思いやる」ということがどのようなことなのかを教えてくれる。
どんな時代