ドストエフスキーのレビュー一覧
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主人公がダサい。あまりにもダサいし、痛々しい。 働きもせず、地下室にこもり、自意識が奇妙に歪み切ってしまった男の手記。他人や社会を見下しながらも、彼はそのくせ、彼らの「生きた生活」に激しく憧れている。だが同時に、その「生きた生活」を恐れ、いざその渦中に置かれるとひどくうろたえ、面倒に思い、何もない地下室の生活へと逃げ戻ろうとする。
彼の行動は、滑稽なほどに歪んでいる。
ある日、道を通るために士官にどかされたことを、彼はひどい屈辱と感じる。復讐のために、街でその男と正面からぶつかっていこうと計画するのだが、いざとなるとビビりまくり、自分から道を譲ってしまう。何回目かのチャレンジで、ようやく肩が少しだけぶつかることに成功すると、彼は有頂天になる。自分が男と対等であることを周囲に証明できたと安心する。――誰もそんなこと、気にも留めていないというのに。
また、自ら疎遠にしていた昔の学友たちの集まりに勝手に参加し、彼らを不愉快にさせた挙句、無視されるエピソードもある。それでもかまってほしくて、彼らの側を行ったり来たり往復するが相手にされない。置いてけぼりにされた彼は、復讐を心に誓って彼らが向かった売春宿へ行くが、見つけることができず、たまたま目に入った売春婦のリーザと寝る。そこで彼は、彼女に「こんな生活はだめだ」と大説教をかまし、ひどく興奮して自分の家の住所を渡してしまう。
後日、彼に救いを求めて彼女が家を訪ねてくる。しかし、彼は自分の惨めで貧乏な私生活を見られたことに狼狽し、彼女を激しく憎む。ついには「自分は善良な人間にはならせてもらえない」と号泣しながら、自分の窮状を暴露してしまう。
ダサい。ダサすぎる。 しかし、この過剰な自意識や、「生きた生活」に憧れながらもそれを面倒に思ったり、見下したりする心理は、笑えないほど見覚えのあるものだった。
「とにかく、ぼくらは、真の『生きた生活』を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹の中では、書物式のほうがよほどましだとさえ思っているのだ。」
本で読む人間の生活には愛着がわくし、憧れもする。しかし、自分がいざその渦中に置かれると、ひどく面倒ごとに感じてしまう。
「ぼくらは人間であることをさえわずらわしく思っている。」
多くの人々が当然のように行っていること。就労、勉学、家事全般、育児、結婚、遊び、エトセトラ。これらが耐えられないほど面倒に感じ、傷つくことを恐れて、自分だけの「地下室」に引きこもる。
この物語の最後で、男は一番見下していたリーザの前で取り繕うこともできず、号泣して自分の窮状をぶちまけた。 これは、彼にとっての「救い」ではなかったか。 どんなにダサくても、みじめでも、彼は生身の人間と泥臭くぶつかり、這いずり回ることができたのだ。自意識の殻を破り、「生きた生活」の渦中に、彼は確かに立っていた。 -
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ネタバレ虚栄と真実、羨望と軽蔑を激しく行き来する主人公の心の動きに圧倒された。主人公にはその心の動きを制御できないのに、動いた先の心情は明確に認識できている点が見ていて苦しい。
心情を分析できてしまうと、愛情や友情の基底にある虚偽に目を瞑れない。ある程度虚構を受け入れられないと他人と絆を結ぶことはできないからだ。主人公がズヴェルコフらを前にして3時間も暖炉とテーブルを行き来する姿が象徴的だ。
恋人や友人を求めて奮闘した挙句、それらの欺瞞を見抜くが故に全てを手放し、主人公は孤独な地下室を選ぶ。そこから脱出する術も意思も示されず、悲劇的である。 -
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ネタバレドストエフスキーによって、彼がシベリアに流刑される前に書かれた九篇が収録された短篇集
良い気持ちになる作品は基本的に無いけど、ある種の滑稽劇(ファルス)が繰り広げられてるから面白くはある
ロシア文学らしく感情/感動が大袈裟に表現される分、登場人物たちがどういったことにどう心動かされたのかが分かるし、それに同調する形でこちらも心動かされる
ただ心が疲れてる時は読まない方がいいかもね、特に「白夜」とか大変なことになっちゃう
内容で言ったら「弱い心」が一番好きだけど、文章として面白かったのは「九通の手紙に盛られた小説」かな、悪口の語彙がすごい
好きな作品
「プロハルチン氏」
「ポルズンコフ」
「弱い心」
「白夜」 -
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ネタバレこんな感情を抱くことになるとは、思いませんでした。
愛とはなにか、その答えのない問いを自分なりに言葉にするためのヒントを与えてくれた気がします。
自分の中に他者が息づいていること、そして他者の中にも自分が息づいていること。そして、その他者と共にいることをこれからも選び続けること。
ラスコーリニコフは、大それたことを成し遂げようとするそのエネルギーも素晴らしいものではあったが(ポルフィーリーが彼に感じていたように)、最終的に、ソーニャとの出会いと時間を通して愛の尊さを、頭ではなく、心で理解したというところが、私の心に深く大きな感情をもたらした理由だと思う。 -
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もし、猿にこの本を渡せば『罪と罰』を枕にして眠るかもしれませんし、羊に渡せば美味しく食べてしまうかもしれません。そんな風にこの長大な文章を読みながら、ラスコーリニコフの背負った『罪と罰』を愉しむのには人それぞれのやり方があるのだろうと思います。
僕はとても楽しませてもらいました。1行もつまらない文章はなく、ドストエフスキーの小説家としての格の違いを見せつけられました。どうして素晴らしいと思ったのかを説明するにはおそらく一万字以上の言葉を費やす必要があるため、割愛させていただきます。
ただし、一つ言えることはもしたった今、自分の犯した罪について苦悩している方がいらっしゃれば、あなたの前でこの物語は人生の伴走者となってくれるはずだということです。ミステリーの中ではたった数ページでしか描かれない殺人や、数分間に圧縮されたニュースでは決して感じることのない犯罪者という名札を貼られて捨てられることになる彼らについて丁寧に描いています。言い換えれば世界に蔓延る罪の形を捉え、読者に向けて物語として再構成し、その実寸大の感情をそのまま紙とペンで表現したものです。 -
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ついに最終章。
長く読み続けてきた甲斐のある、素晴らしい作品だった。
話はルージンの視点から。間借りしているレベジャートニコフとの場面から始まる。
そして次第にラスコーリニコフに戻り、ドゥーニャの元家庭教師先のスヴィドリガイロフへ。その後またラスコーリニコフに戻る。
カテリーナの乱心は目を覆いたくなるリアルさ。子どもたちの気持ちになってしまい、心乱された。
ポルフィーリーとの舌戦は相変わらず素晴らしい。
終盤のスヴィドリガイロフのシーンが美しすぎて、思わず読み返した。
6部のラストにかけてのラスコーリニコフも良いし、エピローグも良かった。
巻末の読書ガイドを読むとさらに理解が深まり、この作品の凄さに唸らせられる。 -
Posted by ブクログ
シラミ一匹を殺して、大勢の人間を救えるなら、殺人は正当化できるのではないか。
というラスコーリニコフの殺人の動機は、いかにも愚かで。まるで、コロナ禍でパチンコやる人のこと弾圧してる人間の論理と一緒のような気がしました。
殺人を犯したあの日から何も感じないように、そうやって自分自身までも殺して生きていくんですけど、その内面と向き合わなければ、苦しくて苦しくて生きていけない。
ソーニャの父親の事故によって、ソーニャと再会し、「善行」を施し、ソーニャの兄弟から感謝されることによって、ラスコーリニコフは、罪と善行の均衡がとれたような、そんな気がしたんだろうかな。そのとき、死刑の直前に恩赦を受けた気分になったと記述がある。
でも、これは、ほんの一瞬の光であって、彼はまだまだ闇の中。
しだいに、ソーニャからの無条件の愛によって、初めて自分の罪と向き合うことができ、だからこそソーニャに殺人を告白したのだろうかと。
告白を聞いて、最初怯えていたソーニャも告白を受け入れ自首を促す。その後も、ラスコーリニコフの手を取り彼の肩に頭をのせて愛らしい仕草をとるソーニャ。
殺人の告白をしても、なおも、自分を愛するソーニャによって自首の覚悟がつくんだろうと。
でも、その一方で苦しくて自殺したのがスウィドリガイロフ(やはりラスコーリニコフ同様殺人を犯してる)で…ラスコーリニコフとの対比が印象的です。
自首後のシベリアへの流刑…
ラスコーリニコフが囚人との間に溝があったのは、おそかく彼が信仰を見つけていなかったからかと。その後、ソーニャを通じてその母なるロシアの大地にその愛を根付かせる。そのことによって、やっとラスコーリニコフは蘇ったんだと思います。ここで殺人を告白した時にソーニャがラスコーリニコフに読み上げたラザロの復活に繋がっている。ほんとにそんな壮大な物語でした(涙) -
Posted by ブクログ
ネタバレ
読書を初めてからというもの、脳内で目覚ましのスヌーズの様に「ドストエフスキーは読まないの?」と聞こえる度に先延ばしにしてきたが、この度遂に本作に手を出した。堅苦しくて読みにくそうだなぁと勝手に想像していたのだが、展開が気になって夢中になって読み終えた。上巻の最後の頁、急に訪れたスヴィドリガイロフの自己紹介で終わっているのがドラマや漫画でいう来週までの「引き」で、何だか1人で面白くなっていた。
ラスコーリニコフが自首しないことについて、作中では良心の呵責という解釈にもなっているが、これは本当にそうなのか?と思いながら読んだ。遠藤周作の「海と毒薬」のテーマの一つの様に「人は罪が絶対に暴露され(裁かれ)ないとしたら罪の意識を背負わずに犯罪を行うのではないか」、つまりラスコーリニコフは良心の呵責に苦しんでいるのではなく、罪が暴露されることを恐れているのではないか、ということ。しかしその狡猾さも、虚栄心、猜疑心、自負心も、物語途中から投獄後まで続くソーニャや家族、友人の愛により氷解し、それがラスコーリニコフを新しい世界に解き放ったのではないだろうか。大変良い読書だった。 -
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『カラマーゾフの兄弟』は光文社の亀山郁夫訳で読んでいたけど、別の訳者のものも読みたいなと思っていたところにこちらの中公文庫が発売されたのでずっと気になっていて、やっと読めるタイミングがきたので全巻購入。
この中公文庫では、かなり細かい後記・注解がはいっているのがよかった。
これはこういう意味だとここで教えてもらわないとなんとなくで流し読んでしまう部分も多いかと思うので。
それと、ドストエフスキーの父のことや亡くなってしまった子ども(アリョーシャ)のことなど、元ネタになったと思われる出来事も結構記載されている。
『カラマーゾフの兄弟』は5年おきくらいで再読していることになるけど、やはり何度読んでも面白い!
初めて光文社で読んだときは第一編、第二編あたりがなにがなにやらよくわからず面白いと思えなかったけど、今後の展開や登場人物についてなどがわかっていると最初からずっと面白い。
1巻では登場人物たちのいろいろがわかってくる準備段階といったところだけど、ミーチャvsフョードルやカーチャvsグルーシェンカなど勢いがすごい場面もいくつかある。
カーチャに対するグルーシェンカの悪女ぶりは何度読んでもゾクゾクする。