ドストエフスキーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ読み終えてから感想を書くまで間をあけすぎて細かいところを忘れてしまったが、珍しく最初から最後まで一日で読み終える面白さだった。
特に、ドミートリイが金を工面するために最後の頼みの綱としてホフラコワ夫人にお願いするのだが、夫人はひたすらあなたには鉱山しかないわ!金鉱をたくさん見つけて儲けて、実業家になるしかないわ!と、鉱山をゴリ押ししていて面白かった。
第五編・プロとコントラ(続)
イワンにチェルマーシニャへ行けという意味深なスメルジャコフの警告。ドミートリイに合図を教えてしまったと告白。手筈は整った。
第六編・ロシアの修行僧
ゾシマ長老の生い立ちから、今に至るまでの流れ。
アレクセイ・カラマーゾフの手記。
第七編・アリョーシカ
ゾシマ長老の遺体が腐敗し始めたことで、住民が騒ぐ。グルーシェニカを訪問するアリョーシャ。
第八編・ミーチャ
いよいよ殺人事件。
第九編・予審
何者かに殺されたフョードル・カラマーゾフ。
「しかし最初にまず人間の孤立の時代が終らなければならないのです」
「孤立とはどういうことです?」わたしはたずねた。
「現在、それも特に今世紀になって、いたるところに君臨している孤立ですよ。でも、その時代は終っていませんし、終るべき時期も来ていません。なぜなら今はあらゆる人間が自分の個性をもっとも際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいるからです。ところが実際には、そうしたいっさいの努力から生ずるのは、人生の充実の代りに、完全な自殺にすぎません。それというのも、自己の存在規定を完全なものにする代りに、完全な孤立におちこんでしまうからなのです。なぜなら、現代においては何もかもが個々の単位に分れてしまい、あらゆる人が自分の穴蔵に閉じこもり、他の人から遠ざかって隠れ、自分の持っているものを隠そうとする、そして最後には自分から人々に背を向け、自分から人々を突き放すようになるからです。1人でこっそり富を貯えて、今や俺はこんなに有力でこんなに安定したと考えているのですが、あさはかにも、富を貯えれば貯えるほど、ますます自殺的な無力におちこんでゆくことを知らないのです。なぜなら、自分一人を頼ることに慣れて、一個の単位として全体から遊離し、人の助けも人間も人類もじないように自分の心を教えこんでしまったために、自分の金や、やっと手に入れたさまざまの権利がふいになりはせぬかと、ただそればかり恐れおののく始末ですからね。個人の特質の真の保証は、孤立した各個人の努力にではなく、人類の全体的統一の内にあるのだということを、今やいたるところで人間の知性はせせら笑って、理解すまいとしています。しかし今に必ず、この恐ろしい孤立にも終りがきて、人間が一人ひとりばらばらになっているのがいかに不自然であるかを、だれもがいっせいに理解するようになりますよ。〜p103 -
Posted by ブクログ
脱走の葛藤やカテリーナの激しい愛憎劇を経て、物語は幼いイリューシャの葬儀と「石のそばの挨拶」へ収斂する。イワンが突きつけた神への不信や理性の問いに論理で勝つのではなく、アリョーシャは「良い記憶がいつか人を救う」と語りかけ、死ぬまで泥臭く生き抜く人間の責務を少年たちと誓い合う。傲慢さや狂気、情念に引き裂かれながらも、人は互いに小さな「一本の葱」を差し出し合える。「カラマーゾフ万歳」の叫びは、矛盾に満ちた生を肯定し、他者とともに歩み出す人間への賛歌とも言えるだろう。
書かれることのなかったこの小説の第二部で何が起こるのか、気になってしょうがないが知ることはできない。
亀山郁夫さんの充実した解説もありがたいし、そのほかのカラマーゾフの兄弟解説本にも自然に手が伸びてしまう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ長編ですが、まさかの一気読みでした。とても面白かったです。
金が囚人たちの精神安定剤とか。密輸を芸術だと思っている密輸犯がいたりとか。密輸は麻薬みたいにどうしてもやめられない楽しいものらしいとか……。色々面白い発見がある本。
泣き虫な密輸犯が、監獄内で密輸を働いていることがバレたことで、密輸を我慢しているのだけれど、結局また監獄に酒を持ちこむ……という描写が印象的だった。人間って私たちの想像もつかないような思考をしている。興味深い。
体罰までの時間を少しでも伸ばしたいがために、その場しのぎとしてナイフを振り回して暴れる囚人も印象的。
暴れようとする人がいたらほかの囚人が総出で止めるシーンも意外。連帯責任を避けるためではあるのだけど、監獄ってけっこう秩序があるんだなと思って驚いた。
純朴な登場人物が目立ったのは、主人公がそういう人を好んだからか? アリは可愛いなぁ。ロシア語を教えてくれた主人公に懐いたり、監獄を出て行くときに主人公の首にかじりついて泣き出したり。
基本的にみんな、自分は悪くないと確信しているような気配も興味深かった。
監獄の秩序や個々の感情が面白い。意外とスイスイ読める。
ドストエフスキーは「……」の使い方が特徴あるよね? 「!……」が多い。「俺は知ってるぞ!……」みたいな感じで。セリフのカギかっこの最後に「……」が来たりもする。三点リーダーが演出する「余白」で語るタイプの作家なんやろうか。『罪と罰』などで章終わりに「……」をいっぱい打つ箇所もあったし。
『死の家〜』では、話題を変えるときに「…………」と打っている箇所もあるね。(p.252)
章終わりや話題転換のときの「……」には読点がない気がする。(出先なので罪と罰のほうは確認できないが)
これってドストエフスキー特有の文章って認識でいいのよね? チェーホフやトルストイにはなかったし。ロシア文学のってよりドストの特色なのかな。
………………
芝居で女性役を演じたシロートキン、可愛かったです。
稚児的なシロートキンが、ちゃんと囚人として4000発の笞打ちを食らっていたのは印象に残りましたね。
名前のある登場人物は60人もいたんですねw そら覚えるのが難しい。整理しながら読みましょう。
囚人たちは怯えもするし、また何かに愛情を向けたりもする。
祭りごとには喜び、見栄を張り、情熱に駆られ、憧れを抱く。読書ガイドにもある通り、「まるでおおきな子供」だ。
囚人が囚人の世話をしたり、動物を可愛がったりするシーンは印象深い。
だからといって「仲間意識がある」というわけでもない。いや、平民たちには平民たちの団結はあるか……。
脱獄の部分はハラハラした。やはり監獄モノといえば脱獄だよな(?)。だがあっさりした後味。リアリティがあった。
すべて読み終えた後にもう一度冒頭を見ると、異なった味を覚える。
囚人らの「生態」を静かな目で観察していたゴリャンチコフが、今度は別の観測者の目に捉えられている。
「観察者を観察する者、それをさらに観察する者」という上下に幾重にも折り重なった観察の構造を想像させる。……気がする。
『死の家~』の第1部が芝居で終わるというのも興味深い。「囚人を観察する主人公、それを観察する『私』氏→それを読む我々読者」という観察者の折り重なりが強調される。……気がする。
さすがに私の妄想か?
(いやでも『謎とき『罪と罰』』を読むと、ドストエフスキーがものすごくよく考えて文章を書いていることが分かるし……。案外何らかの意図はあったりするかも??) -
Posted by ブクログ
ネタバレ解説が充実していて、そこを読むのも大変楽しかった。
スメルジャコフが死んだとき「壁の釘にぶら下がってた」とあるのが気になる。釘といえばスメルジャコフの父親説が出ているもうひとりの人物「ねじ釘カルプ」。釘に始まり釘に終わるというのも興味深いから父親はカルプだったりしてと思ったけど……さすがに偶然かな。他の訳と見比べたい。
解題で指摘されたミーチャの散財癖と、それに反するような金に対する無執着さが気になる。この性格から私が思いだすのはファム・ファタール(≒男を狂わせる女)。金をせびるが、そのわりに手元に残すことなく使いきる様子がよく似ている。カテリーナさんがもしミーチャにぞっこんだったら、ミーチャはカテリーナさんのオム・ファタール(ファム・ファタールの男版)になっていたかもしれない。
最初に「第二の小説はアリョーシャが皇帝を殺す話」説を見たときそんな馬鹿なと思ったけど、「第二の父親殺し」という言葉で納得。皇帝=より大きな範囲の「父」。そう考えるとフョードルの殺害は父親殺しの第一ステップということになる。コーリャたちがメインで動いてアリョーシャが支援する説、たしかにそれが一番自然やなと思う。ペレスヴォンはほんとにジューチカなのかって指摘も、コーリャの闇感あってハッとなったし。
解題や『ドストエフスキーの生涯』を読んだ後に改めて見るとコーリャたちがラストで叫ぶ「カラマーゾフ万歳!」って言葉はちょい怖い。そもそもこのカラマーゾフという名前は、実際に起こったアレクサンドル二世狙撃事件の犯人、ドミートリー・カラコーゾフという人物が元になっているらしい。
子どもたちのくだり何だろ〜とも思ってたけど第二の小説(第二の父親殺し)のための前日譚と言われると納得。続編というか本編となる第二の小説も読みたかった。書かれなかったのが悔しい。
解説は作品の面白さがより感じられた。丁寧に解説を書いてくださって本当にうれしい。あと、読みやすい訳にしてくださったのも私的には大感謝でした。 -
Posted by ブクログ
高校生の時に読んだ、ロシア文学史上最も有名な一作。そのあまりに有名なタイトルからすると結構個人的な話、でも重くて暗くて、主人公ラスコーリヒコフがずっと悩む、というより文字通り、精神と肉体の病に犯されている。
ラスコーリニコフの老姉妹殺害シーンや、検事とのやり取り、娼婦の少女とのやりとりなど、物語の輪郭だけでなく、その時感じた文学の匂いを思い出すことができるのが、さすが名作なんだなぁと感じる。
余談ではあるが、高良健吾主演の同名NHKドラマ、たしか漫画原作もなかなかエッセンスを拾って現代の日本の話にしていて、斧で叩き殺される橋本愛や、なかなかシビアな人生を送りながら凛と生きる水川あさみなど、こちらも記憶に残る作品だった。名作のインスパイアは、結構嫌いじゃない。 -
Posted by ブクログ
『罪と罰』は、ドストエフスキーの五大長編の一つであり、貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「非凡な人間は社会のためなら法や道徳を踏み越えることも許される」という自説のもとに殺人を犯し、その後、罪の意識と自身の思想との間で苦悩していく物語である。
『カラマーゾフの兄弟』に続いて読んだが、登場人物たちが怒りや悲しみ、愛情を激しく表に出し、時には長々と自らの思想を語る姿は本作でも印象的であった。多少の誇張はあるのだろうが、人間の内面にある感情や思想を会話としてむき出しにするところに、ドストエフスキーならではの面白さを感じる。特にラスコーリニコフが、理屈では犯罪を正当化しようとしながら、現実には罪悪感に苛まれていく姿が興味深い。人間は理屈だけでは割り切れない存在であり、その矛盾を徹底して描くことが本作の魅力なのだと思う。一方で、彼の周囲には娼婦ソーニャや妹ドゥーニャ、友人ラズミーヒンといった心根の美しい人物がおり、彼らの存在が物語に救いを与えている。
序盤は本名や愛称、父称が入り乱れ、人物を覚えるだけでも一苦労であった。それでも読み進めるほど人物像が鮮明になり、思想と感情をぶつけ合いながら「罪」や「救い」を問い続ける作品として楽しめた。五大長編では『白痴』も気になっており、次はまた異なる角度からドストエフスキーの人間観に触れてみたい。