ドストエフスキーのレビュー一覧
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ついに最終章。
長く読み続けてきた甲斐のある、素晴らしい作品だった。
話はルージンの視点から。間借りしているレベジャートニコフとの場面から始まる。
そして次第にラスコーリニコフに戻り、ドゥーニャの元家庭教師先のスヴィドリガイロフへ。その後またラスコーリニコフに戻る。
カテリーナの乱心は目を覆いたくなるリアルさ。子どもたちの気持ちになってしまい、心乱された。
ポルフィーリーとの舌戦は相変わらず素晴らしい。
終盤のスヴィドリガイロフのシーンが美しすぎて、思わず読み返した。
6部のラストにかけてのラスコーリニコフも良いし、エピローグも良かった。
巻末の読書ガイドを読むとさらに理解が深まり、この作品の凄さに唸らせられる。 -
Posted by ブクログ
シラミ一匹を殺して、大勢の人間を救えるなら、殺人は正当化できるのではないか。
というラスコーリニコフの殺人の動機は、いかにも愚かで。まるで、コロナ禍でパチンコやる人のこと弾圧してる人間の論理と一緒のような気がしました。
殺人を犯したあの日から何も感じないように、そうやって自分自身までも殺して生きていくんですけど、その内面と向き合わなければ、苦しくて苦しくて生きていけない。
ソーニャの父親の事故によって、ソーニャと再会し、「善行」を施し、ソーニャの兄弟から感謝されることによって、ラスコーリニコフは、罪と善行の均衡がとれたような、そんな気がしたんだろうかな。そのとき、死刑の直前に恩赦を受けた気分になったと記述がある。
でも、これは、ほんの一瞬の光であって、彼はまだまだ闇の中。
しだいに、ソーニャからの無条件の愛によって、初めて自分の罪と向き合うことができ、だからこそソーニャに殺人を告白したのだろうかと。
告白を聞いて、最初怯えていたソーニャも告白を受け入れ自首を促す。その後も、ラスコーリニコフの手を取り彼の肩に頭をのせて愛らしい仕草をとるソーニャ。
殺人の告白をしても、なおも、自分を愛するソーニャによって自首の覚悟がつくんだろうと。
でも、その一方で苦しくて自殺したのがスウィドリガイロフ(やはりラスコーリニコフ同様殺人を犯してる)で…ラスコーリニコフとの対比が印象的です。
自首後のシベリアへの流刑…
ラスコーリニコフが囚人との間に溝があったのは、おそかく彼が信仰を見つけていなかったからかと。その後、ソーニャを通じてその母なるロシアの大地にその愛を根付かせる。そのことによって、やっとラスコーリニコフは蘇ったんだと思います。ここで殺人を告白した時にソーニャがラスコーリニコフに読み上げたラザロの復活に繋がっている。ほんとにそんな壮大な物語でした(涙) -
Posted by ブクログ
ネタバレ
読書を初めてからというもの、脳内で目覚ましのスヌーズの様に「ドストエフスキーは読まないの?」と聞こえる度に先延ばしにしてきたが、この度遂に本作に手を出した。堅苦しくて読みにくそうだなぁと勝手に想像していたのだが、展開が気になって夢中になって読み終えた。上巻の最後の頁、急に訪れたスヴィドリガイロフの自己紹介で終わっているのがドラマや漫画でいう来週までの「引き」で、何だか1人で面白くなっていた。
ラスコーリニコフが自首しないことについて、作中では良心の呵責という解釈にもなっているが、これは本当にそうなのか?と思いながら読んだ。遠藤周作の「海と毒薬」のテーマの一つの様に「人は罪が絶対に暴露され(裁かれ)ないとしたら罪の意識を背負わずに犯罪を行うのではないか」、つまりラスコーリニコフは良心の呵責に苦しんでいるのではなく、罪が暴露されることを恐れているのではないか、ということ。しかしその狡猾さも、虚栄心、猜疑心、自負心も、物語途中から投獄後まで続くソーニャや家族、友人の愛により氷解し、それがラスコーリニコフを新しい世界に解き放ったのではないだろうか。大変良い読書だった。 -
Posted by ブクログ
『カラマーゾフの兄弟』は光文社の亀山郁夫訳で読んでいたけど、別の訳者のものも読みたいなと思っていたところにこちらの中公文庫が発売されたのでずっと気になっていて、やっと読めるタイミングがきたので全巻購入。
この中公文庫では、かなり細かい後記・注解がはいっているのがよかった。
これはこういう意味だとここで教えてもらわないとなんとなくで流し読んでしまう部分も多いかと思うので。
それと、ドストエフスキーの父のことや亡くなってしまった子ども(アリョーシャ)のことなど、元ネタになったと思われる出来事も結構記載されている。
『カラマーゾフの兄弟』は5年おきくらいで再読していることになるけど、やはり何度読んでも面白い!
初めて光文社で読んだときは第一編、第二編あたりがなにがなにやらよくわからず面白いと思えなかったけど、今後の展開や登場人物についてなどがわかっていると最初からずっと面白い。
1巻では登場人物たちのいろいろがわかってくる準備段階といったところだけど、ミーチャvsフョードルやカーチャvsグルーシェンカなど勢いがすごい場面もいくつかある。
カーチャに対するグルーシェンカの悪女ぶりは何度読んでもゾクゾクする。 -
Posted by ブクログ
中盤からは、最高のサスペンス小説を読んでいるようだった。
ある人物の狂気で歪んだ心理描写は、150年も前に書かれたと思えないほど、今読んでも全く古くなくて驚く。
そして、裁判と判決。
弁護士の存在感が凄かった。
弁護士パートは心に残る言葉を次々と投げかけてくる。
これまで長い物語を読み進めてきて、最後に著者から自分に問いかけられているようにも感じた。
長男 ミーチャ:直感と情熱
次男 イワン:知性と懐疑
三男 アリョーシャ:信仰と人を愛する
自分の中にも彼らの要素が共存しているように感じる。
それぞれの危うさを意識しながら、どう生きていくか…読後もそんなことをずっとぐるぐると考えている。
押し付けがましさが一切なく、様々な立場や視点を提示しながら、読む側に考える余地を残してくれる。
難しいところもあったので時間はかかったけど、自分の見方を揺らされることも多くて、最後まで読んで本当によかった。
残すは5巻のみ。
5巻はエピローグと解説。
読後の余韻に浸りながら、最後のエピローグをじっくり楽しみたい。 -
Posted by ブクログ
どうしてミーチャはこうもダメなんだ…。
第3巻は長男のミーチャが主役。
彼のあまりの計画性のなさと衝動的な行動に、同情の余地がなさすぎて好きになれず、3巻は少し長く感じた。
2巻の長老・次男・三男の話が好きだっただけに、今回はこの三人の出番が少なくて残念。
長老といえば、死後に起きた長老の"ある異変"。あんなに尊敬されていたのに周囲の人の手のひら返しのような仕打ちには胸が痛んだ。
そして、グルーシェニカの魔性の女っぷりに振り回される父と長男。あの潔癖な三男でさえ彼女の誘惑に少し揺らいだように見えた。
よっぽど彼女が魅力的なのか、それとも親子の好みが似てるのか…。
でも、あんなに奔放で手のひらの上で男たちを転がしていた彼女が、あるきっかけで「そんな急に性格変わる?」と驚くような態度に。
そんな中でつい登場を期待してしまうのが、ホフラーコワ夫人。
ゴシップ好きで、話がうんざりするほど長くて、イケメン好きなマダム。
気づけば全部自分の話にしちゃうんだけど、明るくて憎めない。
自分の周りにもこういう人いると思える彼女の存在で、150年前のロシアの物語が一気に身近に感じる。
作中の「一本の葱」のおとぎ話は、日本のあの有名な小説の設定にそっくりで驚いた。
てっきり日本独自の物語だと思っていたので、まさかここでルーツのような話に出会うとは思わず、思わぬ発見だった。
犯人は誰なのか?謎はまだ残ったまま。
次の第4巻は解説含めて700ページもある。
今のタイパでは考えられない進み方なのに、いろんな要素が絡み合ってどんどん面白くなっていく。
まだまだ続くカラマーゾフ。 -
Posted by ブクログ
562P
カラマーゾフの兄弟上巻の後半と下巻が面白かった。
「なかでも最後の質問はいちばん致命的だ、それにたいしては、「多分、小説を読んでいるうちにおわかりになるでしょう」と答えるほかないからである、が、もし小説を読みおえても、そういうことがわかってもらえず、わがアレクセイが傑出しているという意見に賛成してもらえなかったら、どうしよう? こんなことを言うのも、悲しいことながら、私にはそういう見とおしがついているからなのだ。彼は私にとって注目すべき人物なのだが、はたしてそれを首尾よく読者諸君に証明できるかどうか、それははなはだもって疑わしい。問題は、彼は多分活動家とは言えるだろうが、つかみどころのない、正体のはっきりしない活動家だという点にある。もっとも、現代のような時代に明瞭さを求めるほうがおかしいのかもしれない。ただひとつ、どうやらかなり確実といってよいのは、彼は変わった人間で、むしろ変人といってもいいくらいの男だということである。ところが、この風変わりとか奇癖とかいうものは、部分部分を結合して、混乱した全体のなかになにか普遍的な意味を見いださせるよりも、むしろそれをさまたげるものなのである、変人というものはたいていの場合特殊で孤立的なものだからだ。そうではあるまいか?」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「ここでもし諸君がこの最後の命題に賛成されずに、「それはちがう」とか、「かならずしもそうではない」などとお答えになるとすれば、私はおそらく、わが主人公アレクセイの存在意義という点では意を強うするにちがいない。というのは、変人は「かならずしも」特殊で孤立的であるとはかぎらないばかりか、かえって変人のほうが、ことによると、全体の中心となるものを内包していて、その時代のほかの者はひとりのこらず、なにかの風の吹きまわしで、どうしたわけか一時その変人から離れてしまうといったような場合もあるからだ……」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「その人の言うことには、『私は人類を愛していますが、われながら不思議なことに、人類一般にたいする愛が強くなればなるほど、個々の人間を、つまり個別的な人間としてべつべつに愛する程度が弱くなるのです。空想しているあいだは、人類にたいする奉仕の考えが情熱的なものになることもめずらしくない、ひょっとすると、なにかのひょうしで急にそれが必要だということになれば、人々のために実際に十字架につくこともやりかねないくらいなのですが、それでいてだれとも二日とひとつ部屋で暮らすことはできないということは、経験からよくわかっているのです。人がそばにいると思っただけでもうその個人に自分の自尊心と自分の自由が圧迫されるような気がするのです。相手がどんなに立派な人間でも、たった一昼夜のうちに私はその人に憎しみをおぼえることだってできます。」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「無神論者をも、悪を教える者をも、唯物論者をも、そのなかの善良な者ばかりでなく邪悪な者でさえ憎んではなりません、ことに現代においてはそういう者のなかにも善良な人間はたくさんおるのですからな。祈るときに彼らのことをこう唱えてやるがよい。『神よ、祈ってくれ手のないすべての者をお救いください、神に祈ろうとしない者をもお救いください』とな。そしてすぐにこうつけ加えるのだ。『神よ、傲りたかぶった気持ちからこんなことを祈るのではありません、この自分もだれにもまして汚らわしい者なのです』とな……神の子たちを愛して、羊の群れを侵入者どもに奪われぬようにしなければなりません、と申すのは、もしも懈怠や人を毛嫌いする傲慢や、わけても貪欲の眠りに落ちるようなことがあれば、四方から侵入されて、羊の群れを奪われてしまいますからな。どうか、たゆまず人々に福音書を説いてくだされ……暴利をむさぼることのないようにな……金銀を愛好して蓄財などをせぬことだ……信仰を守って、その旗を守ることだ。それを高くかかげることだ」……」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「第一、ちゃんとした人間にとっちゃお前のその天国だって行くべき所じゃない、たとえそんなものがあるとしても。わしの考えるところじゃ、眠りこんだきり目をさまさない、それっきりなんにもありゃしないのさ、供養する気がありゃ、供養してももらおうが、その気がなけりゃ、どうともしろってわけだ。これがわしの哲学なのさ。きのうここでイワンのやつ、うまいことをぬかしやがったよ、もっともわれわれはみんな酔っぱらっちゃったがね。イワンは天狗だよ、それになんの学識もあるわけじゃなし……教養だってとりわけなんにもあるわけじゃない、ただ黙って、人の顔を見ながらにやにやしている、――それがやつのずるい手なんだ」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「こういうことなんです」とアリョーシャはまるで屋根からでも跳びおりるような気持ちでしどろもどろにしゃべりだした。「いますぐここへドミートリイ兄さんを呼んでください、僕、兄さんを見つけてきます、――そしてドミートリイ兄さんがここへ来たら、あなたの手を取らせ、それからイワン兄さんの手を取らせて、あなた方ふたりの手を結びあわせてもらうんです。というのは、あなたは、イワン兄さんを愛しているだけでもイワン兄さんを苦しめていることになるからです……じゃなぜ苦しめているかと言うとそれは、あなたのドミートリイ兄さんにたいする愛し方が発作的で……ほんとうの愛し方じゃないからです……というのは、自分にそういうふうに言い聞かせて……」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「あの人は気位の高い人だから、自分と戦っているんですよ、でも気立てのいい、魅力的な、心のひろい人ですわ!」とホフラーコワ夫人は半ばささやくようにして感嘆の声を放った。「ああ、わたくしほんとうにあの人が好きだわ、ときには大好きになることもあるくらいですわ、わたくしいまはまたなにもかも、なにもかもうれしくって! ねえ、アレクセイさん、あなたはこんなことご存じなかったでしょうけど、じつは、わたくしたちみんなして――わたくしも、あの人の叔母さんたちも、――リーザまでが、それこそひとり残らず、もうここまるひと月というものこういうことをひたすら願いもし、祈りもしてきたんですのよ、それは、あの人があなたの好きなドミートリイ兄さんと別れて、イワン兄さんと結婚してくれたらということですけどね、だってドミートリイ兄さんのほうはカテリーナさんの人柄を認めようともしないし、ちっとも愛してなんかいないのにひきかえて、イワン兄さんのほうは教養のあるすばらしい青年ですし、カテリーナさんを世界じゅうのなにものよりも愛していらっしゃるんですもの。わたくしたちこのことですっかり陰謀をたくらんでいるんですよ、わたくしがここを発たないでいるのも、ひょっとしたら、ただそれがあるからかもしれませんわ……」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「知りたければ教えてあげますがね、ふしだらという点じゃあちらの人間もロシア人も大同小異なんですよ。いずれもみなならず者でね、ただちがうのは、あっちの連中はエナメルの靴などをはいているのに、ロシアのならず者ときたら貧乏暮らしでいやな匂いをさせていながら、それをなんとも思っていないところくらいですよ。ロシアの民衆は鞭でひっぱたかなくちゃやっていけない、きのうフョードルの旦那もそう言ってましたが、そのとおりでさあ、もっともあの人も子供さんもそろいもそろって気ちがいですけどね」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「ところが、あの人はおれのことを、汚らわしい下男だなんて言うんですからね。あの人はおれを、謀反でもおこしかねない男と見ているようだけど、それはあの人の誤解でさあ。おれはふところに相当の金さえありゃ、もうとっくの昔にこんな所は引きはらっていますよ。ドミートリイさんなんざ、身持ちから言っても、頭の程度から言っても、貧乏さ加減から言っても、どんな下男よりも劣っているし、なにひとつできもしないくせに、みんなから尊敬されているんですからねえ。おれなどはただのコックにすぎないが、これでも運さえ向きゃ、モスクワでペトローフカあたりにカフェ兼レストランの一軒くらいは開けるんですぜ。だっておれは特別な料理法を知ってるんですからね、ところが外国人をぬきにしたら、モスクワにもひとりだってそんな特別なものを出せる者はいないんですからね。ところがドミートリイさんだったら、文なしのごろつきのくせに、まず一流の伯爵の令息だって決闘に呼びだせば相手になってくれようってんだからねえ、それでいていったいあの人のどこが私よりすぐれているんですかね? あの人は私なんかより比べものにならないくらいばかだからというにすぎないじゃありませんか。なんの役にもたたないことにいくら金をつかったかしれやしないんですよ」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「人生の意義などより人生そのものを愛さなければならないっていうのかね?」「そりゃどうしてもそうでなくちゃ、兄さんの言うように、どうしても論理よりさきにまず愛さなくちゃね、論理よりさきに、そうしたときはじめて人生の意義もわかってくるものなんだよ。これはもうずいぶん前から僕の頭にうかんでいたことなんだ。これで兄さんの仕事の半分はもう成就したわけだよ、兄さん、自分のものにしたわけだ。兄さんは人生を愛しているんだからね。これから兄さんはそののこりの半分のことで努力すればいいんだよ、そうすれば兄さんは救われるんだ」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
「「さあ、ひとつ言いたまえ、なにから手をつけたらいいか、そっちから命令してもらおう――神からかい? 神は存在するかということかい?」「なんでも好きなことからはじめて下さい、『別の出発点』からでも。兄さんはきのうおとうさんの家で、神は存在しないって言ってのけたでしょう」アリョーシャはさぐるように兄の顔に目をやった。「きのうは親父の家で食事のときにあんなことを言ってわざとお前をからかってみたのさ、するとやっぱりお前の目がらんらんと輝きだしたじゃないか。しかし、いまはお前と話をまじえることもけっして厭わないよ、これは大まじめで言っているんだぜ。僕はお前と親密になりたいと思っているんだよ。アリョーシャ、僕には親友がいないんでね、ひとつ試してみたいんだよ。な、いいかい、ひょっとすると、僕も神を認めているかもしれないぜ」イワンは笑いだした。「お前には意外だろうけどな、え?」」
—『カラマーゾフの兄弟 1』ドストエフスキー著
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Posted by ブクログ
まず1〜5巻全体の感想を。
1巻はキリスト教のなかでもドストエフスキーのロシア正教論のような立ち位置。
2巻は主人公や物語はあまり動かずに人物紹介。
3巻は2人の死と、とにかく大審問官!そしてスピード感あふれるミーチャの大宴会、餓鬼夢。
4巻は尊厳、恥辱、恋、知性、傲慢、真実など、人間の欲をこれでもかと抉り出す。
5巻の少しのエピローグで、物語が救済される。亀山氏の愛にあふれた解説。
物語についていうと、とにかく時系列が細かい!心の動きの描写>物語の描写、という感じだから、そう思ったのは何時何分?と整理しながら読みたい気持ちを抑えて、ぐんぐんと加速するそのスピードに乗る。
「ロシア的」「カラマーゾフ的」というキーワードが何度も出てくるが、読む前にはとんとピンとこない。読み進めていくうちに意味がひらけてきた。「ロシア的」というのは、ドストエフスキーの考えるロシアについての愛だったのかなと思う。
ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人を、捻くれたキャラクターだとは思わない。冒頭でこの物語はアリョーシャが主人公だと書かれていたが、いわゆる主人公らしさはあまり見受けられなかった。ただどの場面にでも出没しており亀山氏いわく「第二の小説」にて明らかになったはず。それを読みたかったと、本当に思う。 -
Posted by ブクログ
1巻よりもさらに引き込まれて一気に読んだ。
ただ、「大審問官」の章だけは難解で、2回読んでも全然理解できなくて考えるのを諦めた。
「神」の名を使わず「彼」としていたり、「イワンの創作」という作中作の形をとって核心を語ろうとしているように感じる。
頑張ったけどキリスト教の知識がないのでよくわからない。
巻末の解説を読んでも、『黙示録』の基礎知識が書いてあってさらに混乱した。
一方で、イワンが語った子どもの凄惨な話は、想像したくないほど胸が苦しくてたまらなかった。
悪いことも知らない何の罪もない命が、なぜこれほど残酷に苦しまなければならないのか。
自分で自分を守れない子どもや動物たちが辛い目に遭うのを見るのが本当に耐えられない。(その類の小説もテレビのニュースも辛くて見たくない)
その不条理をどうしても許せないイワンの怒りは、まさに私が日頃感じている憤りを代弁してくれているようで、深く共感した。
心に残ったのは、長老の教えの中で語られる「一粒の麦」の一節。
『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。』
この一節が浮き上がって見えるような不思議な感覚で、今の自分の心に染みた。
大切な人の死も決して終わりではなく、残された者の中で形を変えながら続いていくのだと受け取った。
そして、ミステリー好きとして1番面白かったのが「謎の訪問客」のエピソード。
一編の短編ミステリーを読んでいるような見事な構成で、中盤の展開には「えっ!」と衝撃を受けた。
完璧な紳士だと思っていた人物が抱えていた、あまりに深い闇。心理戦のような緊迫感と最後の驚き。引き込む力がすごかった。
作中のあちこちに、不穏な伏線が散りばめられていて「何かとんでもないことが起きる」という気配が充満している。
第1巻、第2巻と時間をかけて、ジェットコースターがカタカタとゆっくり頂上まで登ってきたような感覚。
いよいよ次の3巻で事件が起きるのか。
早く続きが読みたい。
(Audibleだと理解しにくいので2巻からは本のみ) -
Posted by ブクログ
ネタバレ『罪と罰』に衝撃を受けて読み始めたけど、驚くことに、150年も前のロシアの物語の中に、今の自分の心と重なる部分があった。
※あくまで私個人の感想なので、人によって受け取り方は違うと思います。
ドストエフスキーは作中で安易に「神はいる、いない」と結論づけたりはしない。
「疑う心」を次男イワンに、「信じたい心」を三男アリョーシャや長老に託し、物語の中で本気で戦わせているように思う。
だからこそ、どちらも作者自身の血の通った本音としての圧倒的な重みがある。
最近母を亡くし、あんなに頑張ってきた母の願いが最期に叶わなかった理不尽な現実への「なぜ」という問いが、ずっと棘のように心に刺さっていた。
「神様は本当にいるのか?死んだらどこに行くのか?」という感情と、「神様は存在しないのではないか。死後は無である」という理屈。
これまで特に信仰を意識してこなかったのに、葬儀で知った家の宗派のお経を母のために唱えたり、母に話しかけてしまう自分もいる。
そんな矛盾をずっと抑え込んできたけど、ドストエフスキーは、矛盾したままの人間の姿をそのまま差し出してくる。
「それでいいんだ」と語りかけてくるようで、今の自分の気持ちを丸ごと肯定してくれているように感じた。
苦手な「著者の押し付け」を感じないので、自然に自分の心で向き合うことができた。
子を亡くした母親に長老が寄り添う場面は救いだった。まるで自分も長老に話を聞いてもらっているような感覚になり、心が軽くなった。
もちろんストーリーとしても、キャラクターが一人ひとり濃くて面白い。
はっきりと個性が描かれる3兄弟に比べて、どこか得体の知れないスメルジャコフの存在が特に物語を際立たせていて気になる。
ミステリー好きとしては余計にその動向が気になって引き込まれてしまう。
ストーリーを追うだけではなくて、ドストエフスキーの魂が削り出されたような一文一文の裏側にある意味を考えながら読み進めたので、第1巻だけでも読み終えるまでにずいぶん時間がかかった。
この作品をこの時代に世に出したこと自体、ものすごいことだったのではないかと感じる。
Audibleの音声だけではとても理解しきれないので、光文社の新訳を本で読んでから、追いAudibleで聴いて、2回味わった。
光文社の新訳のわかりやすさにも、かなり助けられた。
まだまだ読みきれていないところばかりだと思う。それでも、この本に出会えた幸せを噛み締めながら、自分なりに第2巻へゆっくり進んでいきたい。
本+追いAudibleにて。 -
Posted by ブクログ
『下』でこんなに物語に引き込まれるとは思っていなかった。
長ゼリフとロシア人名を脳が受け入れ出したのか、不思議とすんなり頭に入ってくるようになった。
どんどん面白くなってきて、Audibleのペースではもどかしくなり、途中からは本だけで一気に読み進めた。
やっぱり文字で見た方が断然わかりやすい。
そして3段組はページをめくる回数が減るので意外と楽、という発見もあった。
濃密な苦悩を描く心理描写に夢中になった。
何の悩みもなかった若い頃に読んでも、きっと当時の私にはこの苦悩は全く理解できなかったと思う。
年を取って自分も色々な経験をしてきた今だったからこそ、登場人物たちの苦悩にそれぞれ共感できるところがあった。
ずっと手が伸びなかったのに、急に読みたくなった今が、自分にとっての読み時だったんだと思う。
大好きなコロンボのモデルになったポルフィーリとのやり取りも面白かった。
「へっへ!」とヘラヘラ笑って、何を考えているかわからない態度は、考えすぎてしまう主人公にとって1番不気味で怖い存在だったと思う。
あと、『刑事コロンボ』の初回『殺人処方箋』でのとあるシーンを彷彿させるところがあって、コロンボ生みの親のレヴィンソン&リンクのこの作品への強いリスペクトも感じた。
つくづく160年も前に、読者を物語にぐっと引き込む術が完成されていたことに驚いた。
現代ミステリーの原点に触れたようだった。
それから、金や地位で人を支配しようとする浅ましい嫌な奴が、ドストエフスキーの手によって容赦なく暴かれていてスッキリした。
この本の最後の見返しページに、当時学生だった父が押した名前のハンコが残されていた。
その頃ラーメンが一杯50円だったというので、学生に450円は高価だったと思う。
外箱はかなり色褪せて茶色く変色してるけど、本自体はとても綺麗だった。
この本を当時から父がどれほど大切にしていたか、時間を越えてその思いが伝わってきた。
若かりし日の父の思いも同時に感じることができて、本を「形」として残す良さを改めて感じた。
次は『カラマーゾフの兄弟』に進もうかな。
本+たまにAudibleにて。
※ここからはネタバレありの感想です。
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主人公のラスコーリニコフは「自分は選ばれし非凡人だ」と理屈を並べて、犯行を全く反省していない。
でも、いざお金を奪っても一銭も使うことができない。
心の中の罪悪感と、頭で考えている理屈とのちぐはぐさに、人間くさいリアルさを感じる。
何度自問自答しても、このちぐはぐさは自分だけでは解決することができなかったんだろうな。
そこに現れるソーニャ。
「他人」を殺した主人公と、家族のために体を売り「自分の心」を殺したソーニャ。
「殺人」と「自己犠牲」は全く違うんだけど、私には「殺した」という同じ痛みを抱える二人がお互いの鏡のように感じているように思えた。
彼に罪を認めさせたのは、彼女だった。
母や妹にも無償の愛と献身はあったけど、彼に心を開かせることはできなかった。
その違いは、ソーニャ自身も彼と同じ痛みを抱えていたからだと思う。
彼女はただ隣にいて共に苦しんだ。同じ地獄を見た者同士だから、彼の頑なな心を溶かすことができたのかもしれない。
ソーニャも彼を救うためだけではなく、彼女自身が「自分の心を殺してしまったこと」への償いでもあったのではないかと思った。
彼を支えることで、彼女もまた自分自身の魂を救おうとしていたように自分には感じた。
だからこそ、お互いを必要としていたのかもしれない。
物語の幕が閉じる時、小さい頃からこの本に抱いてきたイメージとは全く違って見えた。 -
Posted by ブクログ
子供の頃、父の本棚で異彩を放っていた分厚い一冊。大人になったら絶対に読むと決めていた『罪と罰』をようやく読めた。
長い年月、本棚の片隅で眠っていた父の本は、昭和33年刊行で当時450円!
子供の頃に分厚いと思っていた本は、今見ると意外に普通だったけど、開いてみたらまさかの3段組みで驚いた。
Audible(米川正夫訳)で聴きながら、父の本(小沼文彦訳)を時々開くスタイル。
米川訳の方が古く、小沼訳の方が少しだけ言葉がわかりやすい。
Audibleだけでは集中が続かず、ぼーっとしてしまったところを本で読み返した。
冒頭から「これはもしや、私の大好きな倒叙ミステリーでは!」と興奮したのものの、次に続くマルメラードフの延々と続く身の上話が全然終わらなくて、心が折れそうになる。
そういえば以前もここで挫折したなと思い出し、ぐっと我慢。
そこを越えたらまた倒叙の面白さが戻ってきた。
登場人物たちは、一度話し出すとなかなか止まらない。ここまで長いと「この人何の話してるんだっけ?」と要点がわからなくなってくる。実際にこんな人が近くにいたら、疲れて次の日寝込んでしまいそう。
「面白い→長い(-_-;)→面白い→今何の話だっけ(?_?)→面白い」の波に揉まれながら頑張って読む。
倒叙好きとして興味深いのは、罪を犯してしまった後のラスコーリニコフの揺れ動く心理描写。
完璧な計画だったはずが、いざとなると精神的にガタガタになって、自分で自分の首を絞めていく。その人間くさい失敗がリアルに伝わってくる。
何をしでかすかわからない彼の危うさに、目が離せなくなる。
罪悪感から考えすぎてじっとしていられなくなって、余計なことをしてかえって失敗してしまう。
考えすぎてしまう自分には、どこか重なるところがある。
そして、不意に現れる謎の男。
犯人の心理をえぐってくる手法や犯人の心理描写といい、160年も前にこんなにも倒叙のスタイルができあがっていたとは。
これって初の倒叙作品なんじゃ?と思うくらい、その完成度に驚いた。
ただ、慣れないロシア人の名前とセリフの長さが、なかなかのハードルになって立ちはだかっている。
そこはできるだけ気にせず、私の好きな「倒叙ミステリーのような心理描写」を全力で味わうつもりで読んでいる。
下巻では、あの大好きなコロンボのモデルとも言われる、ポルフィーリー判事との対決が楽しみ。
Audible+本にて。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ最初から読むのに2ヶ月かかった。場面描写が冗長でなかなかきついものがあったが、あの最終章を読ませられたら黙るしかない。面白かった。
最終章の弁護人カッコ良すぎる。裁判の小説も面白いな。あの駆け引き。検事がかわいそうだったが仕方ない。
弁護人の先進的な考え方に民衆(陪審員)が着いて来なかった。残念。まぁでもリアルだろう。この不条理さはカミュの「異邦人」を読んだ後の感覚を思い出させる。ちょっと違うのだが
罪と罰が最終的に救われる小説(弁護人の台詞にも罪と罰を思い出させる一説があった)だったのとは対照的。ドストエフスキーに何があったのか。エピローグも楽しみ。イワンの大審問官読み直したい。というか1巻2巻は読み直したいかも。
尊属殺人の不合理さを100年前に指摘していたとは