ドストエフスキーのレビュー一覧

  • 地下室の手記

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    ネタバレ

    マゾヒスト、と呼べば良いのだろうか。氏曰く、自意識自尊心が極めて強い、人並外れて賢い人たちは、 それ故に悩み苦しむ機会が多く、気づくとそこから快楽を感じるようになってしまうらしい。 氏は冒頭でそういう人間がp0「我々の社会に存在する可能性は大いにある」と述べているが、 私自身がこういう感情に一定の覚えがあるから、それはそういうことなのだろう。

    氏が若い時分の愚かな行動を振り返った、2章ぼた雪に寄せてでは時折、マゾヒズム(私)の深淵が描かれる。 それらは深淵と言うだけあって、現実フィクション問わず他では見ることのできない描写が続く。 具体的にはまずズヴェルコフの晩餐会への参加に氏が名乗りを上げる場面である。ここでは氏の目の前で氏抜きの晩餐会の計画がなされている。 氏はこれに対して自分が晩餐会に参加することを望まれていないことを理解していながら晩餐会への参加を表明してしまう。 追い込まれた時に(我々のような人種は自尊心が高く、恥をかくことを最も忌避しているので、今回のような場面では 追い込まれているも同然なのである)突発的に悪手を選択してしまうというのが、ある種のマゾヒズムである。※1

    深淵は更に深い。氏は先述した、晩餐会への参加表明に対する後悔の弁を述べた直後、p131「しかし、俺がこう憤怒に駆られていたのも、 俺は必ず行くだろう、わざと行くに違いないということが、おそらくは自分でもわかっていたからだ」と狂気の弁を展開している。 その理由もし行かなかった場合、p139「俺はその後一生、自身を嘲り続けるに違いない。『なんで臆病風を吹かせて、 現実に怖気づいたんだ、臆病者!』むしろ逆に、俺としてはあの屑がらくたの連中に、俺が自分で思うような臆病者では、 さらさらないところを証明してやりたいと熱望していたのだ。それどころか...連中を圧倒し、打ち負かし、魅了し、せめて思想の高邁さ、 疑いのようない機知という点だけでも連中に俺を愛してもらいたい、という夢を抱いていたのである」とどうしようもない具合である。 絶対に恥をかきたくないという異次元の自尊心、何時も他人の目を気にして過剰に想像する自意識、 その一方無根拠に自分の能力と評判を見積もり、ひたすらに都合の良い展開を想像する自信過剰。 これらが組み合わさることで、自ら進んで悪手を選択するというマゾヒスト的行動に至るという訳だ。

    最後に、以下のとおり。 p150「俺は連中全員を、朦朧とした目で無遠慮に見回した。ところが連中は、俺のことなどまるきり忘れてしまっていた。」 p155「ただ、なるべく連中の誰も見ないようにしていた。一人、できるだけ孤高の姿勢を貫いていたのだが、実は、連中のほうから 先に話しかけてくれないかと、それをじりじりしながら待っていたのだ。」 p157「俺は...壁沿いに、食卓から暖炉へ、また暖炉から食卓へと歩いていた。俺は、お前たちなんぞなしでも、やって行けるんだ、 というところを全身全霊で見せつけてやろうとしていたのだ。...俺はじっと我慢しながら、連中の目の前を8時から11時まで...歩き通しに 歩いた。...この3時間のうちに、三度大汗をかいては、三度その汗が引いた。」 これらの行動を想像だにせず面白おかしく読むことができるなら、それはなんと幸せなことか。少なくとも私は、自らの苦い思い出が 蘇りとてもいい気分で読むことはできなかった。周囲から浮いてしまった我々がどれだけ自尊心と自意識を高まらせても、 周囲は我々に何らの注意も向けていない。それに気づかず、一人大汗をかくのがマゾヒストなのである。

    マゾヒズムの深淵から浮かび上がるのは、先述した自尊心、自意識、自信過剰というキーワードだ。氏は、これについて、 p15「意識しすぎることーこれは病気だ」p20「例えば俺は、やけに自尊心が強い。」「そもそも俺は周りの誰よりも賢いのだから、悪い。」 と述べている。 氏によれば、怒ることのできるタイプ(馬鹿)の人間というのが存在し、彼らは、p22「ひとたび復讐心に取り憑かれたら、もはやしばらくは その全存在には、この感情のほかには何一つなくなる」タイプの人間である。その一方で、p23「正反対の強烈な自意識を持つ人間」がおり、 彼らはp24「強烈な自意識ゆえに、この際正義などというものは否定する」という行動をとる。自意識の人間は発散できない怒りを溜め込み、 それらを馬鹿に笑われ、やがてp25「自分の受けた屈辱をその最も些細な恥ずべき細部に至るまで一つ一つ思い出しては...自分でわざわざ いっそう恥ずかしいディティールを付け加え、自分で作り上げたその虚構で、意地悪く己をからかい苛立たせる」ようになる。 これにやがて快楽を感じるようになるとマゾヒストが完成する。

    本書で特筆すべきことは、マゾヒズムの深淵だけでは決してない。 p50「あんた方はこう言うだろう 『自然法則を発見しさえすれば...人間のすべての行動は、ひとりでにこれらの法則にしたがって計算に基づく対数表のように配分され... 行事日程表に記入されることになる。...そうなったら数学的正確さで算出され、完全に準備の整った新しい経済関係が確立され...ありと あらゆる問題はたちどころに消え失せることになる。』 」当然この発言はドストエフスキーのそれではなく、むしろ氏はこのロシア流ロマン主義的主張(まさにロマンとしか言いようがない)を わざわざ用いこれに反論する形でp53「人間はいついかなる時も、いかなる人間であっても、決して理性や利益が彼に命じるようにではなく、 自分の望みどおりに行動することを好んできたのである。...人間に必要なものは、ただ一つ、自発的な欲求のみである。」と述べている。 この問答はコロナ禍初期に浮上したcocoaなる接触確認アプリに端を発する議論を想起させる。cocoaの理論は、コロナ感染者がアプリを 通してスマートフォンに記録された自身の移動履歴を提供することで感染者と接触した者に通知が届くという代物である。なるほど、 理論としては正しい。数学的にはこの理論でコロナ禍という未曾有の危機を解決できるはずだったというわけである。しかし、 蓋を開けてみれば「バッテリーを余計に食う」「政府のやることは信用ならない」「面倒臭い、知らない」など数多の理由を作って 人間は自然法則に従わず、ものの見事に試みは頓挫した。

    また、cocoaの土台となったAI信仰、シンギュラリティの物語と関連して、 やがてAIに仕事を奪われることとなる大多数の人間は、AIの開発や上手い利用を行う超少数派の勝組にパンとサーカスの如く娯楽を与えられて 生きていくだけの存在となるなどという真に悪夢のような言説も存在する。これを否定する論としてドストエフスキーが述べているのが、 p62「人間にありとあらゆるこの世の恵みを浴びせかけ、ただぶくぶくと泡が幸福の水面に浮かび上がるほど、幸福の中に頭までどっぷりと 浸からせてみるがいい。...まさにそんな状況のなかでさえも、人間は...最も悪質なナンセンスを、最も非経済的なでたらめをやりたがる。 それもただ...次のことを確認したいためである。それはつまり、人間は依然として人間なのであり、決してピアノのキーなどではないと いうことだ。...いや、それだけではない。実際に人間がピアノのキーであることが判明したとしても...人間は決して納得せず... わざとなにかしらその証明に反することをしでかすに違いない。何の手段もない場合は破壊と混乱、ありとあらゆる苦しみを考え出してでも、 自分の主張を押し通すだろう!」 ということである。 このドストエフスキーの、客観的に見ると本当に愚かとしか言いようのない人間観はしかし、言い過ぎとも言えないくらいに人間の本性を ぴたりと言い当てているふうに思えてならない。 あなたの考えていることは全てわかるから、私の最良の指示に従いなさい、と言われたらカチンと来るし、あなたは何もせずただ気の 向くままにゴロゴロしていればいいのよ、と天国のような条件を提示されれば途端に物足りなくなるのが人間なのではなかろうか。 そういう、人間の愚かな本質を指摘する立場とそれを乗り越えられるとする立場の対立が100年以上前から現在に至るまで 意味を持っていることが本当に面白い。

    ※1 ここでは追い込まれているという点がポイントで、もしも追い込まれていなかった場合、つまり冷静に判断できていれば悪手を 選択していなかった可能性がある。実際、氏はその後p131「一体なんの魔が差して、あんなところへ出しゃばって行っちまったんだ!」と 語っている。しかし、実はこの論理はあまり意味がないのかもしれない。何故なら、追い込まれたその瞬間に選択を促すのは深層心理で あるはずで、つまりそれが本質なのではないかと思われるからである。まあ、この話はこれ以上広げようがないのでここら辺にしておく。

    「どこか仕切り壁の向こうのほうで、何かにぎゅっと押し潰されるか、さもなければ、誰かに絞め殺されてでもいるように、 時計がジーッとしゃがれ声を出しはじめた。不自然なほど長くそのしゃがれ声は続き、その後か細い不快な、思いがけず忙しない時 を打つ音が響いたーまるで誰かが不意に前方へ跳び出したかのようだった。」 押し潰され、絞め殺されるというおよそ時計の描写には似つかわしくないワードの選択。「不自然」「不意」「不快」と良くないイメージの 形容詞の多様。誰かが前方へ跳び出したかのようだ、で終わることによってこちら側への関与を匂わす(本当に誰かが時計から飛び出してきた のなら、時計の前にいる我々との接触は不可避であるから)という、ひたすらに暗く静かで不穏な印象を抱かせる本作第2章ぼた雪・・・の悲しき 6幕の開幕にふさわしい名分だ。

    第2章ぼた雪・・・6幕以降、クライマックスにかけて情婦リーザとのやりとりが展開される。 氏は自分より間抜けそうな若い女を前に、氏曰く燃え上がり、自らの願望とも理想ともつかない状態について力説を始める。 いかんせん弁の立つこの男はベラベラとそれっぽく調子のいい文句を垂れ流すのだが、本性を知っている我々はその姿に比喩ではなく 吐き気を感じ得ない。その後なんやかんやあってリーザと抱き合った後、ソファにうつ伏せになって号泣を始めるのだが、 ここでふと我に帰って気まずさを感じたり、最後にはリーザを追い出してすぐに後悔して追いかけるも無理やり自分を納得させて 引き返したりとマゾヒスト節(というか、それにとどまらない屑?)全開で物語は幕を閉じる。

    氏が屑であるのは別としても、マゾヒストが自らがマゾヒストであることにさえもある種の快楽を感じ、 自身のどんな悪行もそれを原因にして片付けてしまうことは重大な問題である。彼らのそれはハッキリ言おう、 自身にとって損失でしかない。これを自覚し、自身の身の振り方を考えるべきであろう、マゾヒストの諸君!!

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    2024年01月21日
  • カラマーゾフの兄弟〈4〉

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    父殺しの謎が明らかにされてゆく第4巻。カテリーナの本心、イワンとスメルジャコフの3度の対決、圧倒的な法廷シーン。長さを感じさせない700ページ。続きが気になり、そのまま5巻に突入。
    読んで良かったと思う絶対的傑作です

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    2023年12月31日
  • カラマーゾフの兄弟〈3〉

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    物語は遂に動き出します。ゾシマ長老の遺体の異変という不穏な事件。金策に走る長男ミーチェの滑稽さと人々の悪意。ポーランド人を巻き込んでの異常かつ緊迫のドンチャン騒ぎ。読みどころ満載の3巻は優れたエンタメ。
    2巻の「大審問官」のあとは娯楽要素が強くなったような気がします。

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    2023年12月31日
  • 地下室の手記

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    <ぼくは病んだ人間だ。…僕は意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えではこれが肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなどぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いかも正確には知らない。(P6)>
    元官史の語り手は、おそろしく自尊心が強く、極端な迷信家で、あまりにも自意識過剰で、とても臆病で、際限なく虚栄心が強く、他人との交流もできず、心のなかで鬱屈を抱えている。
    遺産によりまとまった資産を手に入れた語り手はペテルブルクの片隅のボロ家に引き込んだ。そんな生活をしてもうすぐ20年にもなる!やることといえば心の鬱屈を手記にぶちまけるだけ。
    あれも気に食わない、これも嫌い、人から嫌われることばかりするのに人に尊敬されるだろうと思っている、昔のことばかりグジグジ繰り返している、この手記だって自分のために書いているけれど、世間の諸君が読むかもしれないではないか!

    …という感じのグジグジぐだぐだウジウジした語りが続き、「この話全部この調子なの…(´Д`) 」とえっらく読むのに時間がかかった。
    しかしその語りは最初の60ページまでだった。その次の章からは、自分の鬱屈した正確を示すものとして、まだ引きこもる前の若い頃の出来事が語られる。これが「なにやってんのーー」と、けっこう笑えてきた。

    ●語り手は、ある将校に無視されたことから数年に渡り一方的に恨みを持つ。いつかあの将校に自分がどんなに重要な人物かを認めさせ、詫びさせてやる!語り手は将校の後をつけて彼のことを調べる。通りでは何度もすれ違った。だが将校は自分を認識すらしない、こんな屈辱があろうか!こうなったらあいつをネタにして誹謗中傷小説を書いてやる!出版社に送ったのに無視された!悔しい!!こうなったら決闘だ!語り手は決闘申し込みの手紙を書く。我ながらなんたる美文!将校がわずかでも<美にして崇高なもの>を解する男だったら、ぼくの素晴らしさがわかるだろう!この手紙はかろうじて投函されなかった。だって何年も経ってるんだもん、さすがにわからないかもしれないよね。
    それでは通りであの将校に道を譲らせてやる!それにはまずぼくのことを認識させないといけない、では身なりを整えないとな。上司に給料の前借りをして、あらいぐま…いやビーバーのコートを買って、手袋はレモン色…いや黒のほうがいいだろう。
    自分を認識していない相手に何年も執着し、独り相撲して、勝手に苦しみ、誹謗中傷小説まで書き(無視されたが)、やったことは「通りですれ違う時に、ぼくの方から避けずに肩がぶつかったぞ!ぼくの勝ちだ!!」
    ⇒そ、そういうことにしておこうか…
     現代で言えばネットに誹謗中傷書きなぐるタイプだな、妄想の中で満足してまだ良かった。

    ●ぼくはあらゆる空想をする。自分自身が空想の中ではあまりにも素晴らしく幸福の絶頂を味わい、全人類と抱きあいたいたい気分になる!!そこで学生時代の友人を訪ねた。
    そこではかつての学友たちが集まっていたんだが、語り手の姿を見ると明らかに嫌そうな雰囲気になる(語り手の一人称だが、それがわかる)。学友たちは、遠方に将校として赴任するもう一人の友達ズヴェルコフの送別会を計画していた。このズヴェルコフは語り手は全くタイプが違い、出世街道に乗り、女を口説き、仲間と酒を飲み明かす生活を楽しんでいる。
    そんなズヴェルコフの送別会なので当然語り手は招かれない。そこで語り手は「ぼくを忘れちゃ困る!!ぼくも彼の送別会に行く!!」と突然のアピール。あっからさまに嫌がる学友たち。うん、気持ちはわかるぞ!!
    ⇒現代で言えば「自分だけ同窓会に呼ばれない」エピソードですね(;^ω^)

    ●送別会では自分の偉大さを認識させてやる!…と、乗り込んだが誰もいない。そう、時間変更していたのに知らされなかったのだ。

    ●それでもみんなもやってきてズヴェルコフの送別会が始まる。あっからさまに無視される語り手!それでも現代の待遇を馬鹿にされたり、嫌味丸出しのスピーチをして場を険悪にする。元学友たちに完全に無視された語り手は、送別会の三時間の間部屋を有るき回る語り手!ずっと無視される!だが語り手は「自分の存在はみんなに刻み込まれたはずだ」とうそぶく。

    ●送別会の二次会で娼館にしけこもうという元学友たち。語り手は「ぼくも行くぞ!金を貸してくれ!!」あまりのみっともなさに、学友の一人が「恥知らず!」と投げてよこした金を手に取り娼館へ向かう。道中でも頭の中では「あいつらに思い知らせてやる!」などと考えているが、この勇ましい言葉も有名ロシア文学からの受け売りでしかないんだ。

    ●娼館でも取り残された語り手は、残り物の娼婦のリーザと部屋へ。事後のベッドで語り手はリーザ相手に御高説をぶちまける。
     娼婦の君の人生とはなんだ!?きみはこの仕事と魂を引き換えにしたのさ!
    リーザは答える。「あなたの話って、本を読んでいるみたい」そう、語り手がどんな演説しようとも、受け売りが見透かされてしまうのだ。それでもリーザは我が身を振り返り号泣する。

    ●娼婦リーザは、自分が娼婦と知らない男からもらった手紙を語り手に見せる。自分をちゃんと扱ってくれる男だっているのよ、という拠り所だった。
    ⇒リーザは見かけとしては可愛げない様子だが、この大事な手紙を語り手に見せる場面はとてもいじらしい。

    ●語り手はリーザに自分の住所を教えて「訪ねてこいよ」なんて言う。しかし帰ってから後悔する語り手。本当に来たらどうしよう、リーザは自分が語った言葉を聞いて、自分が崇高な人間だったと思ったに違いない、だがこんなボロ屋見せられないし、事後でもないのに格好いいことなんて言えない。リーザのところに行って「やっぱり来るな」っていおうか、いやそうもいかない、うぎゃーーーーー、と葛藤しまくる語り手。

    ●語り手にはアポロンという中年召使いがいる。非常に態度がデカいらしいが、読者としてはそりゃーこんな雇い主だったらばかにするよねとは思う。このアポロンに月給を渡さなければいけないんだが、「アポロンが自分に『給料をください』と平身低頭しないのがムカつく!!!」と、金は用意するが渡さない。しかしアポロンに舌打ちされたり睨まれたりすると「待て!!金はあるんだ!支払ってくださいと頼め!!」とか言ってますますバカにされる。

    ●三日後にリーザが来るが、語り手は非常に悪い態度を取り、ひどい言葉を浴びせる。リーザは、語り手に握らされた金を拒絶して去っていくのだった。

    …ということで、「現在でもいるよね」とか、「ここまで極端でなくても気持ちはわかる部分もある」とか、「こんな奴に関わった周りの人のうんざりさがわかる」などと言う気持ちになってなかなか楽しめた。
    語り口は、引きこもり男が勝手にグダり続けだけなんだが、これが小説として読めるものになっているのがさすがの大文豪だよなー。今でもこんな事を考えている人はたくさんいて、たまたま誰かがそんなことを言っているのを聞いてしまったり、ネットでうっかりそんな人の文章を読んでしまうこともある。そんなときはかなり嫌な気持ちになる。
    しかしこの小説ではそのような嫌な気持ちにはならず「あるわー」「なにやってんだーーー」と、語り手と、語り手の周りの人双方の気持ちがわかりながら読んでいけるんだ。その意味では実に面白い小説だった。(最初の60ページ以降は)

    語り手は自分のような人間は自分ひとりだと思っている。<だれひとりぼくに似ているものがなく、一方、ぼく自信も誰にも似ていない(…略…)ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる。P70>というわけだ。
    だが語り手のような考えを持つ人間は当時も、今も、世界中にたくさんいる、ある意味人間の心の普遍的なものでもあるだろう。この「自分は孤独だ!」と思っていても、周りから見たら「たくさんいるよ」という感覚もいつでもあるものだ。

    なお、語り手は読書について<ぼくの内部に煮えくり返っているものを外部からの感覚で紛らわしたかったのである。(P75)>と言っているのだが、ドストエフスキーの考えでもあるのかな。この読書への取り組みは何となく分かるんですけど。頭が混乱している時にも読書ってしますよね。するととっちらかった脳を一つに収集するのがなんだか分かったりして。

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    2026年06月07日
  • 罪と罰

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    大いなる目的の為に、利他的な行為が根底にある自己犠牲をする……「乗り越えた」者の末路。
    世間には到底認められない自己の理想の追求の先にあるものとは。

    「私が酒を飲むのはね……もっと苦しみたいからなんですよ。私は酒の中に哀れみや悲しみを求めているんです……!」

    「非凡人とは新しい思想を社会に持ち込むため…結果旧社会の伝統や倫理…そして法を破壊します-しかも彼らは自分の良心に従ってそれをやったのです」
    ここでいう良心、とは世界全体に向けたものかな。小数の犠牲は今後救われる多くの命に比べれば安いものだというような。

    罪を背負って生きるのではなく、恥を背負って生きることの苦しみだな。恥は罪を犯すことによって生じる社会的な罰。法律上の罰は救済なのか。実際に目に見える罰だけが救いになるのかな。これは自傷行為と似ている。精神的な苦しみを肉体に転嫁させている。
    罪か恥か。ある意味では物理的な罰と精神的な罰か。人間は物理的な罰の方が耐えられるってことだな。これは行動経済学でも証明されている。

    精神の死、これが自己犠牲。肉体は生きている。肉体の死の方が楽なんだな。

    聖女、主人公の両方は他人のため、という動機で自己を殺して行動していた。
    聖女は救いを聖書に求めた。ラザロの復活。苦しみを耐え抜けばいつか救いが来ると思っている。
    主人公は大義に救いを求めた。だが世間で一般的なものではない、異端な大義。これは救いにならなかった。理想と現実のジレンマに苦しむ。
    理想では、他人の為になり、世界の不平等を解決する正義の人。現実では、自分はただの殺人者。
    「僕らは卵から生まれた少年と言う名の鳥なんだよ。卵は世界だ、生まれようと欲するものは一つの世界を破壊しなければならない。
    鳥は、神に向かって飛ぶ。」
    主人公は飛びきれなかったのかな。
    夏油傑は飛びきれた。



    話のまとめ

    ロシアにも産業革命の波が来、農奴解放例が出て、農民が市民となり貧困から逃れることができそうな……という時代背景。
    貧困に苦しむ、いちロシア人であり、法律を学ぶ大学生が主人公。金を溜め込んでいる婆さんの話を聞き、そんなに溜め込んでいるなら、どうせだったら世界の為に使いたいと婆さんを殺す計画を立てるが、そんな自分に怯えていた。
    だが、妹が貧困に苦しむ兄の為に結婚するという話を聞き、妹の自己犠牲を見るのが辛い主人公は妹の状況をなんとかするために婆さんを殺してしまう。さらに計画にはなかった婆さんの妹まで。
    主人公が前に酒屋で会ったおっさんが馬車に轢かれ、善良な主人公はその人を全財産を投げ売って助けた。おっさんには娘がいて、家族の為に娼婦となった、という主人公と同じ他者の為に自己犠牲をする人物であり、二人は交友関係を持つようになる。
    主人公は自身と彼女を「乗り越えた者」と言い、自分を殺して世に尽くすことを厭わない高潔な精神の持ち主だと表現する。
    主人公は罪を犯したことによって高熱にうなされた。その後に刑事と会い、論争が始まることとなった。
    ここで主人公は凡人と非凡人についての話を始める。
    「凡人は現在の世界の在り方を保存する保守的な者たちであり、非凡人はその世界を破壊し新たな思想を築く者たちである。故によりよい理想的な世界を築く為には人殺しも許される。」彼は良心による殺人を認めた。
    刑事は言う。「非凡人の良心はどうなるのか?人道的に苦しむのではないか」
    主人公は言う。「良心に苛まれているならば、それがその人間への罰である」と。
    主人公はますます罪の意識に苛まれ、生きることに恥を感じ始め、ふと通りがかった川に身を投げようとする。しかし、生きることによって受ける恥よりも理想という誇りを捨てることによって生じた恥の方が大きかった為、踏みとどまった。(多分)
    彼は母親に会いに行き、別れを告げたあとに事を振り返った。
    「母親、妹が俺を愛していなかったらこんなことは起こらなかった」と。
    そして聖女(おっさんの娘)に会いに行き、罰を受けに行った。十字架を貰い、十字路にキスをして反省した。道徳的なあり方に従って行動するのに彼は充実感を得ていた。
    その後出頭し、物語は終わる。

    エピローグ
    未だに理想を捨てられず、出頭を踏みとどまれなかったことを後悔していたが、理想を持つことによる謎の病によって彼の持つ理想の世界を見たが、他者をくらい合う世界であり、彼は遂に罪を認めてエピローグも終わった。

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    2023年11月01日
  • カラマーゾフの兄弟〈5〉エピローグ別巻

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    「カラマーゾフの兄弟4」
    「カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻」
    ※4.5の感想です。 

    これで、亀山郁夫訳のカラマーゾフの兄弟全巻を読み終えた。
    長くて苦しくて楽しくて、、今まで読んだどの本にも無い読後感だった。
    それはこれが、未完の大作であるからということも大きいのかと思う。
    ドストエフスキーは、このエピローグまでを第一の小説とし、その13年後を描く第二の小説を念頭に置いて書いていたが、亡くなってしまったから。

    にもかかわらず、この完結性の高さという、他に比べようがない(少なくとも自分が読んだ中では。)「人類の奇跡のような」作品。←訳者、亀山郁夫氏の言葉

    まずは、第4巻から。
    第4巻は、第10編「少年たち」という話から始まるのだけど、これが個人的に素晴らしく良くて、ドストエフスキーの、反抗的でありながらも、少年のもつ純真さや繊細さ、故の暴力性を台詞回しや出来事によって描き切る才に驚愕した。特に、後々まで重要になるコーリャという少年の描写が本当に良くて、、どことなく、スティーブン・ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」の世界観を思い出させた。(これも傑作中の傑作)

    イワンの内面が徐々に浮かび上がる中盤、スメルジャコフとの対話のシーンは不穏で不気味、グロテスクで、なんだか自分自身の内面を暴かれているようでどきどきした。
    その流れからのミーチャの裁判。
    世の中の残酷な事件や、戦争、虐待。
    「父殺し」という作中での直接的表現にそれらをあてはめてみると、更に先ほどのイワンの内面描写が他人事ではなく思えて今度はゾッとするのである。
    そしてそれらを見つめる「わたし」の俯瞰的目線、それによって台詞の意味が補完される。

    5巻にある訳者による解題での「ポリフォニー(多声)性」という手法の巧みさ!読み手により如何様にも読めるという面白味に加えて、最大の主題「神はあるのか」についてもまた、登場人物の言動や行動や、それに伴う結果のそれぞれの違いによって複雑に絡み合って、決して白か黒かでは分つことができない。
    その「複雑さ」がリアルで惹きつけられる要因のひとつなのかもしれない。
    またしても「二項対立の脱構築」的思考だなと、、

    第5巻エピローグは、僅か63ページ。
    これで本編自体は完結する。
    最後のアリョーシャのスピーチを読んだとき、本当に自然に、ハラハラ涙が出て、心が動くということは多分これのことなんだなと実感した。
    これまで積み上げてきた長い物語世界の、一つの側面であり大きな主題でもある、先述した「神はあるか」についての、人間としての最適解というか、本当は全ての人間がこうありたいと願っていると「思いたい」と思える、素晴らしいものだった。

    143年前のロシア古典文学が、今もずっと読み継がれている理由が身に染みてよくわかった。
    訳者違いで、また何度も読みたい。
    素晴らしい読書体験だった。

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    2023年10月29日
  • カラマーゾフの兄弟〈4〉

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    「カラマーゾフの兄弟4」
    「カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻」 
    ※4.5の感想です

    これで、亀山郁夫訳のカラマーゾフの兄弟全巻を読み終えた。
    長くて苦しくて楽しくて、、今まで読んだどの本にも無い読後感だった。
    それはこれが、未完の大作であるからということも大きいのかと思う。
    ドストエフスキーは、このエピローグまでを第一の小説とし、その13年後を描く第二の小説を念頭に置いて書いていたが、亡くなってしまったから。

    にもかかわらず、この完結性の高さという、他に比べようがない(少なくとも自分が読んだ中では。)「人類の奇跡のような」作品。←訳者、亀山郁夫氏の言葉

    まずは、第4巻から。
    第4巻は、第10編「少年たち」という話から始まるのだけど、これが個人的に素晴らしく良くて、ドストエフスキーの、反抗的でありながらも、少年のもつ純真さや繊細さ、故の暴力性を台詞回しや出来事によって描き切る才に驚愕した。特に、後々まで重要になるコーリャという少年の描写が本当に良くて、、どことなく、スティーブン・ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」の世界観を思い出させた。(これも傑作中の傑作)

    イワンの内面が徐々に浮かび上がる中盤、スメルジャコフとの対話のシーンは不穏で不気味、グロテスクで、なんだか自分自身の内面を暴かれているようでどきどきした。
    その流れからのミーチャの裁判。
    世の中の残酷な事件や、戦争、虐待。
    「父殺し」という作中での直接的表現にそれらをあてはめてみると、更に先ほどのイワンの内面描写が他人事ではなく思えて今度はゾッとするのである。
    そしてそれらを見つめる「わたし」の俯瞰的目線、それによって台詞の意味が補完される。

    5巻にある訳者による解題での「ポリフォニー(多声)性」という手法の巧みさ!読み手により如何様にも読めるという面白味に加えて、最大の主題「神はあるのか」についてもまた、登場人物の言動や行動や、それに伴う結果のそれぞれの違いによって複雑に絡み合って、決して白か黒かでは分つことができない。
    その「複雑さ」がリアルで惹きつけられる要因のひとつなのかもしれない。
    またしても「二項対立の脱構築」的思考だなと、、

    第5巻エピローグは、僅か63ページ。
    これで本編自体は完結する。
    最後のアリョーシャのスピーチを読んだとき、本当に自然に、ハラハラ涙が出て、心が動くということは多分これのことなんだなと実感した。
    これまで積み上げてきた長い物語世界の、一つの側面であり大きな主題でもある、先述した「神はあるか」についての、人間としての最適解というか、本当は全ての人間がこうありたいと願っていると「思いたい」と思える、素晴らしいものだった。

    143年前のロシア古典文学が、今もずっと読み継がれている理由が身に染みてよくわかった。
    訳者違いで、また何度も読みたい。
    素晴らしい読書体験だった。

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    2023年10月29日
  • 死の家の記録

    Posted by ブクログ

    ロシア文学のイメージは、なんだか暗そうで苦しそうと自分勝手に思っていた。そして、その勝手なイメージから、ロシア文学を避けていたのだが、この本を読んで全く違っていたことがわかった。
    ここではドストエフスキーが4年間シベリア流刑での体験をもとに、監獄での暮らしや人々の様子などが描かれている。
    日々の様子をつづったものや人物に焦点を当てたもの、イベント的に起きたことなどについて正確に緻密に描かれている。監獄という特殊性から興味が湧く部分もあるが、多くは普通の人物がどのように生活しているかを見るのと変わらないのかもしれない。
    表現が非常にリアリスティックで、それでいて愛情に満ちた文だった。人間観察が緻密であり、その様子から考えられる心情や、監獄であったできごとを描いているが、決してドラマチックではない。また、貴族と民衆の溶け合わないことを実に実感をもって、そしてそれを胸苦しい思いで描いてもいる。
    作家が人間に対して愛情をもち、生き生きとした人物を描く作家として確立するにはこのような人間観察をできるかどうかにかかっているのかもしれない。

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    2023年10月18日
  • 罪と罰 2

    Posted by ブクログ

    来ました!すごい衝撃!
    後頭部をガンガン殴られる感覚!
    人間が誰でもなにかしらの罪を負っていること(自覚がある無しに関わらず)を論理的に緻密に描いている。そして、復活のお話。
    カペルナウーモフの部屋、ラスコーリニコフ、聖書、女。どこにでもあって例外では無い。

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    2023年09月12日
  • カラマーゾフの兄弟〈4〉

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    可愛いペレズヴォンからスタートし、ドアに指を挟んで怪我をするリーザ、悪魔と会話するイワン兄さん『ホザナ!』
    アッという間に読み進んでしまいました。
    続きが気になるけど、もう読めないのが悔しいです。
    もっとキリスト教を知りたくなる本になりました。

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    2023年06月18日
  • カラマーゾフの兄弟〈3〉

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    ③巻はサスペンス仕立てでした。
    最初は「小さな葱」が面白く、途中でトロイカ大疾走。
    ずっとサスペンスドラマが脳内で流れるも、①、②巻と違い
    トロイカに乗って最後まで勢いよく読み切れました。

    がんばれ!ミーチャ!!

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    2023年06月15日
  • カラマーゾフの兄弟〈4〉

    Posted by ブクログ

    ミーチャの運命はどうなってしまうのだろう?
    弁護人が定義している神秘主義でなく、神の教えをちゃんと実践するべきらしいけど、難しい。
    コーリャ「秩序のために神は必要」アリョーシャ「みんなと同じ」は2巻目を読んだ時に持った感想。
    「みんなと同じでも同じ人間になっちゃいけない」神の教えを実践することともに、難しい。

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    2023年05月30日
  • カラマーゾフの兄弟〈2〉

    Posted by ブクログ

    みんなすごい作品だと言い、自分が同じ物を感じ取ってるのか確かめられないけど、しいていえば、脳みそをがんがん揺さぶられて、思考や価値観の方向性を強制的に軌道修正させられる2巻目。抵抗しようにも論破され納得せざるを得ない。信じるしか道は無いのか。

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    2023年05月17日
  • カラマーゾフの兄弟(1)

    Posted by ブクログ

    ドストエフスキーが何を伝えたかったのか、よく分からない
    かといって、後味が悪いわけでもない
    あっという間に読めるのがよい

    原作を読んでみたい
    誠実さ、何をもって人は幸せを感じるのか、
    信じること
    がキーワードかな

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    2023年05月25日
  • 罪と罰 3

    Posted by ブクログ

    1巻と2巻は2週間くらいかけて何とか読み終えたけど、この3巻は朝から晩までかけて1日で読み終えてしまった。
    今さっき読み終え、まだ虚無感が残っている。今まで読んだ本の中でトップクラスに心にズシンと来る1冊だった。
    色んな知識人がこの作品をべた褒めしてるから、そのバイアスがかかってるとは思うけど。

    登場人物が全員好きだった。
    ルージンも勿論悪役で性格も悪いんだろうけど、動機はどうであれ、主人公と揉めなければいい人で終わりそう。現実世界でいい人だと思われてる人でも、ルージンみたいな人沢山いるんだろうな。心では相手を見下してる人。

    スヴィドリガイロフもいいキャラしてた。突然現れた謎の人物。心の魂胆を見抜かれ主人公と対立するけど、最終的にはドゥーニャに拒絶され自殺。小さい子を助けたりしてる描写から、ルージンみたいな心からの悪人では無いんだろうね。
    本当に妻を毒殺したのかどうか、彼の自殺に至るまで心理プロセスなど、まだまだ読み取れてない部分も沢山あるので、時間と気力があればまた考察してみたい。多分しないと思うけど。

    結局ナポレオン主義は間違ってたのかな?それとも間違ってる間違ってないとかの次元の問題じゃないのかな?
    エピローグの疫病の話から読み取れるように、みんなが皆ラスコーリニコフみたいな考えになったら世界は崩壊する。
    選ばれた人間というものが神様によって明確に教えられていれば、このシステムは正しく働く。
    でも功利主義的な考えが常に正しいとは限らないし難しいね。

    ラスコーリニコフが警察署で自首するシーンが自分の中でピークだったから、エピローグは個人的に蛇足だった気がする。自首するシーンで心臓バクバクだったのに、心が安らかになっちゃった。
    まあ主人公の再生のの気持ちが見れたのは嬉しいし、あった方が作品として綺麗に終わるのは分かるけど。

    他にとカテリーナさんの発狂シーンや、ラスコーリニコフの「協同組合」の看板のシーン等々お気に入りのシーンが沢山ある。
    付箋を貼っておいたのでそこだけでもまた読み直したい。

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    2023年04月21日
  • 罪と罰 3

    Posted by ブクログ

    最高だった。
    人生のうちで何度でも読み返したくなるであろう一冊。
    正直作者が描いた世界が深すぎて、一読では理解しきれてない部分、把握しきれてない部分はあると思うんだけどそれでも十分面白かった。
    なにより亀山郁夫さんの訳が素晴らしい。
    ここまで読み切れたのも読みやすい訳があったからこそだと思う。この「罪と罰」は1ページ1ページがドラマの連続で、どのシーンも本当にすごいんだけど、一番忘れられないのがラスコリーニコフが自首する前にドゥーニャとソーニャに向かって自分の思いをぶちまけるシーン。

    「血なんてみんな流してるだろ。この世界じゃ、滝みたいに流されているだろ、これまでだってずっと流されてきただろ、シャンパンみたいに流されてきただろ。(中略)このおれだって、人々のためになることをしたかったんだし、何百、何千という善を成し得たかもしれないんだ、あのひとつの愚行な行為の代わりにさ」

    一人の人間が逡巡の末に罪を犯し、自らの罪を正当化する姿勢などを見せながらも、結局は自首し、(法律面と精神面での)罰を受けていく、という過程を見る中で本当にさまざまなことを考えさせられた。人を殺すという罪はどれくらいのものなのか。戦争では人を殺すということが正当化され、多く殺したものは英雄視されるのに、なぜ一人殺すと犯罪者として裁かれなければいけないのか。そう簡単に答えが導き出せる問いではないし、この本の中にわかりやすくその答えが提示されているわけでもない。でもその問いを、ここまで素晴らしく、ある意味美しく、ラスコリーニコフの物語に乗せて描き出せるドストエフスキーは本当にすごい。また必ず読み直したい。

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    2023年04月07日
  • 貧しき人々

    Posted by ブクログ

    この本は、文豪ドフトエフスキーの処女作ということで読んでみましたが、とても情熱的で、引き込まれる作品でした。
    終り方も余韻があって、、とても良かったです。
    ぜひぜひ読んでみて下さい!

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    2023年03月30日
  • 罪と罰 下

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    ネタバレ

    就活をしながらダラダラと読み終わった。
    あまり、タイミングが良くなかったかもしれない。


    罪を犯したが未だ罰せられずにいる主人公は、罪が露見する恐怖や、後ろめたさから生じる孤独感に苛まれる。

    彼が許されざる犯罪を行った理由は、自分や家族が置かれた環境を変えること、そして彼の理論を実証することにあった。

    極貧の中で精神を病み、流行思想にかぶれた彼はついに強盗殺人を実行し、偶然にも成功させてしまう。

    彼は罪を贖うことで恐怖や孤独から解放されたいと感じ、自分が犯人であることを仄めかすような行動を取り始める。

    しかし、彼は自分の理論の正しさを示すため、そして「人間」であろうとするために何度もその欲求に抗う。

    かつて優秀な学生だった彼は、ナポレオンのように非凡な「人間」は、全人類の利益のために「しらみ」たちを殺しても、良心の呵責を感じない権利を持つと考えていたのだった。

    だが、彼の目論見は外れた。
    罪を犯してから少し経った頃、彼は自首をする。

    牢獄の中で彼は、良心の壁を踏み越えることができなかったことや、自殺よりも自首を選んだことに苦しめられる。

    生きながらえたところで、未だ理論を諦め切れない彼にとって、殺人は罪ではなく一種の試みであり、優秀で傲慢な彼は今後の「しらみ」の人生に意味を見出すことはまだできなかった。

    しかし、、、


    ロシア文学は長くて退屈なイメージがあったが、なかなか面白かった。
    今後もドストエフスキーは読み進めていきたいと思う。

    贖罪は思考の産物ではなく愛から生まれてくる。
    人生に意味をもたらすものは無上の愛である。
    人生に意味を見出すことで人は罪を悔いることができるのだ。

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    2023年03月18日
  • 罪と罰 3

    Posted by ブクログ

    面白かったなー!

    分からないところもあった
    率直に言ってたくさんあった
    でも面白かった、かなり面白かった
    どうせ難しいだろう、理解できないだろうという思い込みで世界を閉じずに、これからも色んな古典に挑戦していきたいと思いました
    改めて目を見開かせられた転機の一冊になりそうですね
    日本の古典も読み直したいと思いました
    夏目漱石とかね

    さてドストエフスキーに話しを戻して自分なりの解釈というかそんなんを書き綴ってみたいと思います
    なんかてんで見当違いなことを言うかもしれませんが、多くの研究がされつくしているこの名著に果敢に挑むど素人の姿勢を評価してほしい
    今は甘やかす時代なのです
    またこの先幾ばくかのネタバレも含まれておりますが、この世界的古典の名作にネタバレもないよなという思いからこのまま行きます

    やはり『罪と罰』ですから、何が罪で何が罰かってところだと思うんですね

    まずは裏の主人公とも言えるスヴィドリガイロフですが、なんとなく妖しい、女たらしで主人公の妹ドゥーニャにしつこくつきまとい、妻を殺した疑われていますが、実はこの人確定的な「罪」は 何ひとつ語られていないんですね
    しかもピストル自殺の直前には娼婦のソーニャとみなしごとなったソーニャの妹弟にお金を渡すという善行も行っており、ラスコーリニコフの「罪」についても結局告発せずに死んでいきます

    実は善人だったのでは?なんて陳腐なことを言いたいのではありません
    めっちゃ悪人だったのだと思います
    事実偶然知ったラスコーリニコフの「罪」を利用してドゥーニャを脅したりしてますからね

    だけど悪人であることを自覚しつつも、そんな自分に 嫌気がさしていたんじゃないでしょうか
    生まれ変わりたいと心のどこかで思っているのに自分ではどうしようもなく同じことを繰り返してしまう
    どうしていいか分からなくなったときに純潔なドゥーニャと結ばれることが自分の「再生」の道と信じたのではないでしょうか
    そしてドゥーニャに はっきりと拒絶されたことで自分の思う「再生」の道が絶たれたと絶望したのではないか
    そして自分の生き方に「罰」を与えたのではないでしょうか

    そして主人公ラスコーリニコフです
    物語の最後まで定まらず、思考も評価も大きく振れまくります
    彼の「罪」とは何だったのでしょうか
    もちろん2人の女性を非常に身勝手な理由で殺害したことは大きな「罪」ですが、ドストエフスキーが彼に背負わせたかった「罪」はそれだけだったのでしょうか?
    自分は 「人間」そのものを代表させたかったのではないかと思うのです

    人間というのはとても謎の多い種だと思うんですよね
    人間の持つ身勝手さというか、揺れまくる思考とか、あととんでもなく残酷なことを正義と信じこんで実行しちゃうところとか
    もういろんな、なんでそうなるの?って同じ種でもてんで分からんし、言ったら自分のこともよく分からんし

    人の持つ罪深さというか、不安定さみたいなんをラスコーリニコフに背負わせたかったんかなぁと思いました

    では、「罰」は?

    それはもうずばり「愛」だと思うんですよね
    「本当の愛を知る」瞬間が「罪」を犯した後のラスコーリニコフの身に訪れることは、とんでもなく残酷な「罰」だと思うのです
    このことが真の意味での「罰」に気付き、自身がいかに身勝手な存在だったかを突きつけられ、そこに「後悔」が生まれます
    なぜあんなことをしてしまったのか、あんなことさえしなければもっと彼女と一緒にいられたのに、彼女を苦しめることもなかったのにと

    そして「再生」を目指す彼の新たな人生は、これまでの反省もせず、まわりを見下したままの人生に比べればそうとう苦難な道のりになるはずです
    今までの自分を全否定するところから始めねばなりません
    でもその道を進んだ先にしかソーニャと添い遂げる未来はないのです
    それに気付くことが「罰」なのですきっと

    やっぱ愛だぜ

    0
    2023年03月02日
  • 罪と罰

    匿名

    ネタバレ 購入済み

    絵柄と話がベストマッチしている

    非常に画力が高くて読み応え抜群でした。最高です。
    キャラクターの姿も小説の通りでした。
    元々の話が長いのもあって、マンガでは内容が大分省略されていました。特に、マルメラードフの妻のカテリーナイワーノヴナとスヴィドリガイロフ自身の話の部分はあまりなかったです。彼らの話も深みがあっておもしろかったので是非小説を読むことをおすすめします。2巻目に続いてもいいからマンガでも見たかったですねえ…。
    省略部分が多いため、小説の補足として読んだ方がいいと思います。

    #カッコいい #怖い #ドキドキハラハラ

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    2023年02月27日