ドストエフスキーのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「革命運動の誹謗書」という本書に対する評価が、ロシアでは根強いようです。
確かに同じ感想を持ちました。左翼革命が結局のところ帰結するところになるおぞましさを見た感があります。「ソ連とは壮大な実験の失敗ではなかったか」という教科書の一文を思い出しました。
ただこれが革命誹謗のみを目的とした書であるとは思えません。
残念ながら自分の読解ではこの感想に至り得ませんでしたが、「ロシア的なものの悲劇性(=スタヴローギン)」を結晶させた、という裏表紙の説明がしっくりきているように思われます。
己のあらゆる点における底の浅さ自覚し、自殺したスタヴローギン。ウォッカがないとロシア人はみんなこうなってしまうの -
Posted by ブクログ
「無神論を悪霊に見立て、それにとりつかれた人々の破滅を描く―」
裏表紙の文です。
シャートフやニコライ、またそれに迫るピョートルなど、確かに破滅の足音が聞こえてくる感があります。
しかし正直「白痴」同様読みにくさを感じました…。
ステパン氏とは何の描写なのでしょうか?
アンチ無神論者であるが滑稽に描かれている彼の様は何の意味を持っているのでしょう。
風車に向かうドン・キホーテのような無謀な挑戦をする存在としてでしょうか?つまり新時代の自由思想に無謀にも向かっていく、哀れな過去の遺物という役割を背負わされているのか。
悪霊という題は何を意味しているのか?
ただ単に著者の嫌悪感を表している -
Posted by ブクログ
禍々しい表紙とは裏腹に、滑稽な描写が目立った上巻。しかし、下巻も中盤以降に入ると、じわりじわりとその禍々しさが露見してくる。表紙に内容が追いついた、とでも言えようか。
本編を読んだ段階では、『悪霊』と形容できる具体的人物はスタヴローギンではなくピョートルであるように感じた。上巻のおしゃべりはどこへやら、極悪非道の限りを尽くすピョートルに、あるいは魅せられる人もいるのではないだろうか、と思うくらいだ。事実、巻末解説によると、元来は主人公はピョートルであり、ドストエフスキーはその設定で700枚以上の原稿を書いていたらしい。
ここで注を入れておくと、物語冒頭で引用されている聖書の中の、悪霊に -
Posted by ブクログ
この本は表面上は『妻を殺した貴族の監獄の記録』と言うことになっていて、小説の形を取っているのだが、実際はドストエフスキー自身の監獄の体験記と言う形のドキュメンタリーである。
ストーリーと言うものはほぼなく、監獄の情景や人間の、密度の濃い描写が延々となされるため、読み続けると疲れるかも知れない。しかし時々手にとって少しずつ読んでみることで、19世紀ロシアの『滅び去った民衆』、つまり『最底辺の人々』の暮らしぶりに自分を共鳴させることができる。
その意味で、『カラマーゾフの兄弟』よりも現代に流行ってもいいと思える一冊。格差社会の現在の日本の中で、我こそは最底辺だと自称する自虐的な人たちが最近 -
Posted by ブクログ
上巻だけでも中々面白かった罪と罰の下巻!
殺人を犯したラスコーリニコフが捕まるか捕まらないか。一体どういう結末に持っていくのか。
事件と直接かかわりがなことから、本筋と関係ないと感じていた様々な登場人物が、序盤では「脇道にそれてばっかりで本筋が薄まるな」と感じていたが、下巻から次々と関わっていって、なるほど、そう絡んでいくか、と話の攪拌の仕方の妙に感心してしまう。ペトルーヴィチ、マルメラードワ夫人、そしてスヴィトリガイロフ。
良い物語は、ひとつのストーリーでも複数の読み方が出来るものであるという。
この各登場人物の絡まり方が、まさ複数の読み方をなさせるコツなのだろう。
最終章まで中々立ち位置 -
Posted by ブクログ
かつて20歳頃に一度読んだのだが、その時は「手記の中で社会を断ずるイタい引きこもりおじさん40歳」という感想だったと思う。
なんとなくみすぼらしさや不潔さを感じていたような気がする。
もう20年も前だからそんな程度の記憶しかないのだが、奇しくももこの「イタいおじさん」と同じく、自分も今年で40歳になる。
果たしてこの度読んだ感想といえば
「あれ、自分もこのおじさんと同じ人種になってないか?」だ。
いや、当然、時代も文化も環境も全く違うし、この手記の中で語られるあらゆる面で自分と同じではないのだが、かつて20歳のときに読んだ時と今回読んだ時とを比べると、あきらかに自分がこの「イタいおじさん」