あらすじ
「これは自分のために書かれた偉大な罪人の告白。未成年がどのように世の中に出たかについての叙事詩になるはずで、彼の探求、希望、失望、悲嘆、更生、思想のものがたりだ」とドストエフスキーは言う。渾沌と無秩序のロシア社会の中を生き抜く未成年、貴族と百姓の混血のアルカージイたちが、ロシアの美しい未来を作るであろうという作者の望みが、この作品に託されている。
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Posted by ブクログ
「未成年」はドストエフスキー五大長編の中でも難解、つまらないなどという噂を良く聞いていたので、読み始めるのが少し躊躇われていましたが、
これこそ躊躇わずにできるだけ若いうちに読んでおきたい本だと強くお勧めできる作品でした。
主人公による一人称の手記として記述されているため、登場人物の激しい心の動きに主人公のこれまた激しい心の動きが重なりあって、確かに全ての筋を理解するのは難しいでしょう。
しかし、自分のことも他人のこともなかなかわからない主人公の目線に入り込んで、「あぁ、この人はこういう人だったんだ」と登場人物を徐々に理解しつつも、たまに裏切られたりする気持ちを共有して読み進めると、登場人物が皆「生きている」ことがわかってきます。
ドストエフスキーの作品の醍醐味はやはり、登場人物が本当に「生きて、悩んでいる」ことが"理解できる"のではなく、ジワジワ自分事のように"感じられてくる"ことだと思います。
「著者に作られた人」が登場人物ならば理解することもできるでしょう。
しかし、ドストエフスキーの作品の中では「生きている人」が動き回っています。
我々が現実世界において「生きている人」たちをはじめから理解することなんてできないのと同じく、ドストエフスキー作品の登場人物とはじっくりと関わり合って、徐々に分かり合っていくような気持ちで読んでいくのがよいと思います。
生きているものは総じて難解なのです。
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの中で、頭一つ抜けて面白い。紙とインキでこんなことができるともっと早く知っていたら、物理をやってはいなかったに違いない。
繋がりがあるようでばらばらな話(逆のパターンは世に溢れている)が、未成年の思想を糊付けする、そんな、ばらばら感の点で最もドストエフスキーらしい。
物語の中に、罪、罰、白痴、悪霊、といった言葉も登場するが、これらは…ちょっと気を利かせ過ぎかも知れない??
Posted by ブクログ
養父マカールが亡くなってからの終盤の実父ヴェルシーロフの独白に近い対話が迫真。写真について、神について、恋愛における慰みでなく愛について。
白眉はヴェルシーロフが聖像を叩き壊す場面。その後も分裂する人間像が余すところなく描かれる。
タチヤナ・パーヴロヴナの人の良さも少ない叙述ながら、光っていた。
完全な理想的人物はありえず、どこか破綻しているが、憎めないのがドストエフスキーのメインキャストか。
最後の先達のコメントがこの小説の歴史的な意義を示しているのも嫌味がなく、構成的にさすがという他ない。
Posted by ブクログ
『未成年・上巻』の終盤あたりから面白さが増してきて、下巻は過去に起こった出来事や事件が、主人公・アルカージィを通しながら明るみになってゆく。
感銘したのは、アルカージィと実父ヴェルシーロフが感情をむき出しにして、じっくりと語り合うシーン。
父親をだんだんわかりはじめてきたと率直にその場で告白する息子と、父親は息子のナイーブな喚声が大好きだと言いながら、語る言葉一つ一つに深い思想がしみとおっている。
『未成年』はアルカージィの成長過程を描く手記で、回想と記述のプロセスによって自分自身を再教育している。
私が個人的に好きな登場人物、タチヤナ・パーヴロヴナ伯母さんは、主人公をバックアップするいい立役者であり、最も厳しい教育者であったように思う。
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの小説のストーリーはいつもよめないですね。だからこそ飽きずに読んでいられる。
貴族、ヴェルシーロフと農奴の女の間に生まれた私生児、
アルカージイの手記という形でつづられる物語でした。
タイトルにもあるように、アルカージイは19歳だったかな?
未成年なんです。そんな青年の未熟さや愚かしさを隠そうともせず、
アルカージイは(物語の中での)事実を述べていきます。
あまりにもおしゃべりで、なんでもかんでもしゃべってしまうところなんかには、
辟易としてしまうような部分もありました。
また、賭博にはまったり、父の金を当てにして豪奢な生活を
おくるところなんかには、未成年らしいなぁとも思えましたし、
事件の経過を知らずに、一人相撲をとってしまっているところなどにも、
頭がこんがらかってしまいそうな主人公の混沌ぶりがうかがわれて、
そういう時代(19世紀)には、そういう成年前の男子もいたかななんて
考えさせられるところもありました。
才気走っていて、屈折させられるような子ども時代の経験があり、
なおかつ私生児という出自を足枷とさせられながらも、
どこか、この小説の言葉で言えば「善美」というものを体現したいと
思っているのか、もしくは「善美」の方向を向く心をわずかでも
持ち合わせていたのか、どちらも半々くらいあったんじゃないかなんて、
感じましたが、そういう素直さというか、純真さというかは、
読んでいていやになるまどろっこしい部分がありながらも、
最後まで読ませるこの小説の魅力のひとつだったんじゃないかな。
ちょっと考えたけれど、
時代によって、つまり文化や環境のありようによって、
純真さや素直さがどういう形を取るかというのが
違ってくるんじゃないだろうか。
性善説とか性悪説とかの話になってしまいそうですが、
そうではなくて、
悪い時代に光るもの、良い時代に光るものっていうのが
あるような気がします。
ただ、こう、歴史を学んだり、時代を超えて昔の小説なんかを
読んでみることで、価値観を学んだり感じたりして、
おおよその、それこそ子どもが絵本や童話で知るような、
基盤としての人のあり方みたいなのが見えてくるような気がします。
それが今の時代、小学校、中学校…と崩れてくるような感じもするんですけどね。
ただ、その崩れに対して気持ち悪さみたいなものを感じる人も
たくさんいると思うんです。
そういう人はこの『未成年』なんかを読んでみると面白いんじゃないかなぁ。
この作品が発表された当時は、小説の方法論なんかが新しくて、
内容も衝撃を与えたものかもしれませんが、
今となっては、まぁ、30を過ぎた男が言うことですけれど、
適度なおどろきを受けつつ読み進められる本なんです。
ぐらっと考え方が崩れ落ちるようなこともなく、
ある程度の距離感、それはこの作品が発表されてからの時間の経過
によるものですが、そういったものを保ちつつ読めます。
でも、これは個人的な感想かもしれない。
みんながそうだとは限らないでしょう。
なんやかや書きましたが、面白かったです。
ドストエフスキーの五大長編は残すところ『悪霊』のみです。
これもそのうち読みたいです。
Posted by ブクログ
下巻のラスト200ページくらいは怒涛の展開なので先が気になってどんどん読めた。
ただ、五大長編のなかではやはり読みにくいしわかりにくくてあまり楽しめない部分もあった。
トリシャートフについてもっと知りたかったなぁ。
なかなか魅力的なキャラだったと思う…。
Posted by ブクログ
文体的に語り手が未成年者とは思えないのが一番の違和感で、逆に行動はいかにも未成熟でとても未成年感があって、これがまた「なんでそんなアホなことを!?」的な違和感を感じさせるので、だいぶつっかえつっかえで読むのに時間がかかってしまった。終盤は、少なくとも『罪と罰』『悪霊』『白痴』と同様な怒涛の展開で、急転直下の結末になだれ込む。もうちょっと未成年者らしい語り口の翻訳で読んでみたい。それこそ自分が未成年者だった時に読んでいたらどう感じたんだろうか。
時代を映した複雑で混雑したお話
なかなか複雑で細かいところまで理解できませんでしたが、活劇的な話の展開が、あの時代にしてあったのだとちょっと感動です。解説を読むと、パリコミューンやロシアの農奴制廃止、資本主義の台頭による貧富の格差など、恐ろしいほどの混沌があって描かれたお話なのだと思いました。
Posted by ブクログ
ドストエフスキーの本は一度読んだだけでは理解が完全ではないと言われてますが、この本は苦戦しました。
まず、登場人物が多い!
これから読む方は書き出しながら読むのをお勧めします。
内容としては、とにかくごちゃごちゃしています。
というのもヴェルシーロフが何人もの女性を抱えるのは今で言う「ゲス不倫じゃないか!」とも言えますが、調べてみるとこの頃のロシアは離婚という法律がなく、一度結婚したらずっと離婚をせず、ヴェルシーロフのようにカテリーナに結婚を申し込むような二重三重結婚はよくあることだそうで、日本人の感覚で言うとちょっと信じられないから余計に混乱してしまう理由の一つでもあると思います。
一番好きなシーンは戸籍上の父親マカール公爵とアルカージイとの会話。
マカール公爵は彼にとって有益な言葉を沢山残して、またその語口が凄く好きだなと思いました。
まだ、よくしっかり内容を掴む為に、時間を置いて再読したいと思います。
Posted by ブクログ
散漫な印象ながらもかなり面白かった!
高い理想を掲げながらも、混沌とした現実に巻き込まれる主人公アルカージイの一人称で語られる文章と心情がリンクしてて、狙ってこの文体を書いた
のならドストエフスキーはやはりさすが!というほか無い。
この頃のドストエフスキーは保守派の思想なのだが、決して社会主義を排他するものでないのが分かる。社会主義=無神論では決してなく時に矛盾す
る「民衆の心理」を鮮やかに提示している
Posted by ブクログ
なんだか少し話に入り込めなかったというか、ついていけなかったというか。登場人物はそれほど多くないのだけれど、なんでだろう。
もう一回読んだらまた変わるかなあ。
Posted by ブクログ
私には難しかったです。まず登場人物の名前! 同一人物でも何の断りもなく複数の名前で呼ばれるので、中盤辺りからは誰が誰やらわからなくなってしまいました。そこを圧して最後まで目は通しましたが、テーマも非常に複雑で、どこがメインで、なにをどう考えれば良いのか、個人的には理解できませんでした。新しい訳がでたらまた読んでみようと思います。
ただ1つ、面白く思ったのは、解説の「マカールの言う神の名を頻繁に唱える無神論者とは、ドストエフスキー自身のことではないのか」という指摘です。通読中は気付かなかったのですが、言われてみれば確かにそうかもしれません。個人的に、ドストエフスキーは神を信じてはいないが、神を信じる人々を尊敬し、自身も信じられるようになることを望んでいるのではないかと常々感じながら彼の作品を読んでいるので、こうして自分の信心の薄さをこっそりと告白しているというのは充分ありうると思います。そういう深い読みができるようになれれば、もっと読書が楽しくなるのでしょうね。精進したいと思います。