あらすじ
ゾシマの言葉にしたがって、アリョーシャは父の家に出かける。父と長男ミーチャとの確執は、激しさを増していくようだ。イリューシャとの出会い、スネギリョフ大尉の家で目にしたものなど、アリョーシャの心はさまざまに揺れ動き、イワンの「大審問官」で究極の衝撃を受ける。【光文社古典新訳文庫】
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村上春樹とウィトゲンシュタインが「『カラマーゾフの兄弟』は50回は読んだ」と言っていたが、あと5回読んでも読むたびに新しい発見がありそうな小説であることがわかる。
イワンの「大審問官」は本作品の山場と言われているが、解説サイトで予習しても難しかった。それに比してゾシマ長老の独白は共感できる部分が多かった。自分を振った女性を殺した男性の良心の呵責、この部分は「罪と罰」との関連を強く感じることができる。
第3巻と第4巻も楽しもうと思う。
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イワンとアレクセイの会話がハイライト。
"結局のところ、おれはその母親に、わが子を犬にずたずたに食いちぎらせた迫害者なんかと抱き合ってもらいたくないんだ!母親にそんなやつを許せるわけがない!許したけりゃ自分の分だけ許せばいいし、母親としての自分のはてしない苦しみの分だけ、迫害者を許せばいい。だがな、たとえ母親でも、食いちぎられた子どもの苦しみを許す権利まではもっちゃいないし、迫害者を許すわけにはいかないんだよ。たとえ子どもが自分からそいつを許すにしたってだ!"
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イワンによる大審問官、アレクセイが書き記したゾシマ長老の談話と説教、と作中話が盛り沢山でとても読み応えがある。どちらが語るテーマも、時代や宗教、国を超えて示唆に富んでいると感じた。
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ゾシマ長老と敵対するフェラポント神父の登場からイリューシャと父スネギリョフとの出会い。イワンの大審問官にゾシマ長老の辞世の説教まで。
特にこだわりがなければ巻末の読書ガイドは先に読むのがオススメ。
イワンの創作物語詩である「大審問官」はロシア内でのキリスト教の立ち位置などがわからない私にはふわっとしかわからず。ただ、熱量はすごい。冷めた感じのイワン、こんな熱い男だったのか……。
罪罰の時にも思ったんだけど、ドストエフスキーは連載小説がうますぎる。2巻の終わりの引きはやばい
あの終わり方はすぐ次読みたくなるやん……小説の構成力というか何というか、ほんとに上手いな……。
宗教に関しては全く詳しくない私がこんなにグイグイ引き込まれるの、マジすごい。
あと、亀山郁夫氏の翻訳がとにかくライトで読みやすい。
格式より読みやすさ重視の私、大歓喜。
2巻読み終わって気づいたんだけど、もしかして光文社版のカラマーゾフの兄弟は巻末の読書ガイド読んでから本編読んだ方が良さげ……?(いつも巻末のあとがきや解説は本編読み終わったお楽しみとして取っておく人)
この情報、「大審問官」読む前に知りたかった……ッ!!ってなってマス、今(笑)
3巻は読書ガイドから読むし、迷ったら巻末読むわ。亀山先生ありがとう。
でも、「ゲーテのファウストも是非読んでね!」はハードルが高すぎますよ亀山センセェ……でも、アリョーシャが見たイワンの背中の暗示……知りたい……
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今回はゾシマ長老やその他の人物にスポットの当たる巻。難解な部分もありますが、本編の後にある訳者のガイドは文化背景、歴史背景を理解するのに役立ちました。
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第2巻の有名な大審問官のくだりは一読しただけではよく解らず何度も読み返した。キリストの教えでは大多数の弱い庶民は救えないのでローマカトリックは悪魔と手を結んだと大審問官がキリストに語る。よくこんな不信心な発想できるな。でも仏教の大乗/小乗の分裂(人々の救済を目指す/自身の解脱を目指す)と似ているとも思った。イワンの主張は大審問官の1つ前の子ども殺しのくだりと併せてごもっとも。科学がさらに発達した現代の我々にとってはイワンの考え方が近く感じる。解説に出ていたライプニッツの楽天主義を批判するヴォルテールの小説カンディードもいつか読んでみたい。
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ゾシマ長老がいよいよ最後の懺悔をし、聖体を受けたいと言う朝から始まる。
アリョーシャはゾシマ長老から修道院を出るように言われているけれど、何故なのかというのがこの朝のパーイーシー神父からの言葉に現れていた。
神父がアリョーシャにかけた言葉「さあ、お行きなさい、みなし児よ」って今思うと含みあるなぁ。
小学生たちの喧嘩騒ぎに巻き込まれるアリョーシャは、カラマーゾフ家に恨みのある少年に指を噛まれる。こういう少年たちとアリョーシャのやりとりがYA文学っぽさがあって好き。
リーズちゃんとアリョーシャの恋もしかり。リーズのめんどくさい女心がとぉっても可愛く?いやエキセントリックに描かれててたまりません。
それに比べてその後のカテリーナの執着心といったら…ドストエフスキー様の女性の描写力にただただおののきます。
2巻はこの後のイワンによる叙情詩、『大審問官』に悩まされる。。これは、教養あるイワンによる、無神論思想の言い訳的物語ですかね、それとも天使アリョーシャへのあてつけ?
正直読んだだけで、まったく理解出来てませんのでいつか解説書的なものと共にもう一度読みたい。
あとは、我が推しスメルジャコフちゃんのあのセリフ「つまり、賢い人とはちょっと話すだけでも面白い…最高❤︎
そして、ゾシマ長老は大地に口づけて、神に魂をあずけました。。
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難しい。「大審問官」に至るまで随分と時間がかかってしまった。
でも、「大審問官」を読んだときには、自分の内側にあった問に対する答えのヒントがありそうで、とても惹きつけられた。
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みんなすごい作品だと言い、自分が同じ物を感じ取ってるのか確かめられないけど、しいていえば、脳みそをがんがん揺さぶられて、思考や価値観の方向性を強制的に軌道修正させられる2巻目。抵抗しようにも論破され納得せざるを得ない。信じるしか道は無いのか。
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圧巻の読み応えの2巻。
めちゃくちゃひきこまれました!
有名な大審問官のパートはつきささったし、それ以外にも印象的なくだりが盛りだくさん。
スネギリョフとイリューシャの、貧しさと闘うなかでの鬱屈とプライド、それから親子愛。
若かりし日のゾシマ長老を訪ねる謎の訪問者も面白かったなあ。
あと意外だったのが、若いアリョーシャとリーズが想いをかよわせる場面!
うそ……これ……60近いドストエフスキーが書いているんだよね?
読んでいるこちらがムズムズしてしまうくらい、甘酸っぱいんですよ。
文豪の知らない顔を垣間見た気がして、なにげに好きなところでした。
ところで、今回、読んでいる途中でちょっと失敗してしまったのですよね。
「あれ? これ前の部分でどうなってたっけ?」と気になったところがあって、軽くネット検索で調べたら、偶然、できれば本を読んでいくなかで知りたかった先の展開を見てしまい。
うわああ、やってもうたああ(泣)。
でも、横着した、自分が悪いんだよなあ。
今度からは、気になったところが出てきても、作品を読んでいる途中は楽だからと検索せず、前に戻って探すか、潔くあきらめて先へ進むことを決意した次第でした。
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さらに泥沼化するかに思える複雑な人間模様のなか、兄イワンと高僧ゾシマ長老がそれぞれに神学的テーマを展開。
キリストにケンカをふっかけるイワンの創作叙事詩『大審問官』の衝撃と、ゾシマ長老の愛に満ちた談話・説教のコントラストが印象深い。いずれも難解で普遍的なテーマを含んでいるため、ざっと一読では消化不良に終わってしまった。とりあえずネット上にある解説や考察などを調べてみているが、ここは宗教に疎い人はつらいところかも。
とはいえ、主人公アレクセイを中心に起こるトラブルの数々は筋書きとして面白いし、各人物の魅力や思想的な深みも相まってものすごく重層的な世界が出来上がっているなぁと圧倒された。
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キリスト教に馴染みのない(クリスマス程度でしか関わらないからね)大多数の日本人にとっては読み進めるにあたって鬼門となる2巻。だけれどもイワンとゾシマ、どちらのエピソードもこの物語の核、芯となる重要部材なので絶対に外せない。
「カラマーゾフの兄弟の感想を聞かせて?」と頼まれたら、8割くらいの人間がこの巻の話をするんじゃねえかな?
かくいう私も一読で理解しきれたとは言えないのでこれから何度も読み返すと思う。
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少しずつでようやく読み切った。理解ができたとは言い難いが…。
「…いまでは猫も杓子も自分をできるだけ目だたせることに夢中ですし、人生の充実を自分一人でも味わいたいと願っているからです。ところが、そうしたもろもろの努力の結果生まれてくるのは、まぎれもない自己喪失なのです。…なにしろこの十九世紀においては、何もかもが細かい単位に分かれてしまい、すべての人が自分の穴に閉じこもり、他人から遠ざかり、自分自身を、自分が持っているものを隠し、ついには自分から人々に背を向け、自分から人々を遠ざける結果になっているからです。」(P.409)
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イワンの物語詩「大審問官」とアリョーシャの「ゾシマ長老の談話と説教」が対を成し、神は存在するのかしないのか大きな命題を突きつけられたような壮大な第2巻。
壮大な宗教の経典を読んでるような重苦しさもあったが、巻末の読者ガイドが親切で理解も深まった。
「自分の苦しみは他人にはわからない」「人間誰しも全ての人に対して罪がある」など突き詰めて考えればそういうことだなと双方納得させられるものがあった。
ゾシマ長老の少年時代の逸話がなんとも微笑ましい。さてここから物語はどう展開してゆくのか?
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ヒットワード連発の巻でした!
「いかがなもんです、いかがなもんです!」
“さくらんぼのジャム”
「一粒の・・・」
後はゾシマさんの話が染み入ります。
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大審問官とゾシマ長老の伝記的内容が「対」になっているようにも見えたが、訳者の解題の通り、イワン陣営VSアリョーシャ陣営で見るととても構造が理解しやすかった。
キリスト教が15世紀間の間に前提とした条件などが変わることで、既に実用に耐えうることができなくなっているという投げかけや、キリスト教が課した要望の高さ(自由など)についていけない多数派と乗り越えうる少数派を対比させ、かつ、当時とは数が違うことも引き合いに出し、内在する選民的側面を炙り出したりするなど、イワンの持つ、神の創った世界=キリストが悪魔から退けた世界、への疑念が詰まっているパート。
そこから始まるゾシマ長老の伝記的パートが、イワンの問いへの回答のようにも見える。過去に殺人を犯した訪問者の精神や行動の遷移に則り、個人の内面での葛藤=罰の持つ影響などが語られている。無神論や世界の否定を述べたとして、この内省に「神」は介在しているのだろうか。つまるところ、イワンの言う個々人に課された要求の例としての貧しさの面などは、結局物的なものが多く占めており、この葛藤は精神的な活動であり、望まずとも訪れてしまう活動だと思われる。自由な精神活動を送ることに大半の人間は耐えきれない、と言う内容が議論対象。その際に、どう心を持つか、どう内面を取り扱うか、その参照事例としてのキリスト教、神、という事例に過ぎないのではないだろうか。罪を明らかにしたことで、ゾシマ長老にその矛先が向き、ある意味で「救われた」状態になった、これをキリスト教的に解釈するか、無神論または自然崇拝的に解釈するか。個人が個人と内省的に向き合い続けた結果の、自立した個人、というものがキリスト教的な理想像として提示されているように思える。そこに至れるかどうかはさておき、指針として基準を設けておくことは、社会的な安定において重要だと考えられる。そのため、その基準が適切でない、なくなったことでのイワン的な問いかけもまた意義があり、多様であればあるほど、その議論はどの論へも還元されていき、また一つ変化をもたらすことになる。無神論的であっても訪れることが想定される「内省」にどう対処していくか、無神論的処方が提示されていく必要がある。
次巻以降で本格的に、ドストエフスキーが「ロシア」というものをどう捉えたか、「父殺し」「民衆」「父と神がかりの子供」「無神論」など壮大なテーマを登場人物の属性に落とし込んで表現されていき、かつ、多面的に表現することで(イワン陣営VSアリョーシャ陣営のように)論に厚みを出していることで、傑作たらしめているというか、時間の評価にも耐え続けているというか、そういった側面を感じ取ることができた。
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読書ガイドから抜粋
僧侶は、妻帯を禁じられた黒僧、妻帯を許可された白僧の2種類に分かれ、19世紀半ばではだいたい2対5の割合で存在し、どちらの種類の僧侶も、僧衣の色はほぼ黒と定められていた。教会で地位を築くには黒僧になるのが必須だったため、アリョーシャが婚約したのはかなり攻めていだとも言える。
第1部で父フョードルがイワンとアリョーシャを相手に投げかけた問い、つまり神の存在と不在をめぐる問いが第5編「プロとコントラ」と第6編「ロシアの修道僧」に結実する。
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1巻を読んでいる時は、分からない宗教の話が続いて挫折しそうになったが、個人的には面白いと感じる事がようやく出来た2巻目だった。
主人公達を取り巻く主要なサブキャラ達がしっかり出てきて特徴を掴めてきたから面白さを感じられたのかもしれない。
キリスト教ではないし、ロシアの歴史はほとんど知らないが、読み進めるうちにとても興味が湧いた。知りたくなった。
「自分を振り返ったときに恥ずかしくない振る舞いをしなさい」というようなフレーズがあった。(うろ覚えだが)できる限りそうしたいなと改めて気付かされた。
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この本について知りたかったら、訳者の亀山先生のNHK100de名著、または本書の後書きの「読書ガイド」を読めば十分だと思うけど。
今まで読んだドストエフスキーと違い、構成がしっかりしている。勿論、嫌になるほど饒舌で長いけれど。この第2巻はまだ2日目のことなんだよ。驚いたことに。
長男ドミトリーと美人カテリーナのアレヤコレヤは前日譚として語られるのみ。チョッと物足りなさを感じる処。勿論、其処から説き起こしたらトンデモナイ大長編になるのは判っているけれど。
登場人物が後の時点から、この時のことを思い返す表現が何度かある。こんなのも他のドストエフスキー作品には無かったと思う。
カテリーナの「自分の一生を犠牲にしても妹としてドミトリーを愛する」という宣言。唐突とは思わないけれど、舞台での戯曲の台詞のように感じる。その後の三男アリョーシャの台詞も同じく。
二男イワンの語る子供たちへの虐待と「大審問官」の物語。教会がキリストが去ったあと、悪魔と手を結び、人々の自由を奪い、権力を奮い、パンを与えたという内容に納得した。ロシア教会のことは良く知らないが、カトリックには当て嵌まることが多いと思う。しかし、イワンは無神論というのとは違うように思うんだけど。
終盤はゾシマ長老の遺言ともいうべき半世紀。イワンの非難とぶつかる部分はない純朴な信仰のあり方。アリョーシャは何を思っただろう。
3巻に移りつつ、100分de名著を読み返そうかと思う。
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かなりキリスト教の宗教色の強い一巻だと思う。神の存在、聖職者フリーメーソン(秘密結社)、ヨハネの福音書、修道僧ゾシマ長老、黙示録。イワンとドミートリーとのやり取りが少なくアリョーシャの行動、心理が多く描かれていて兄弟の不仲が伝わってくる。兄弟同士、女性とどう絡んでいくのだろうか?
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キリスト教の教えを知らないのでよくわからないところが多かったです。「自由」の意味が気になります。
登場人物のこれからがどうなるのかを読むのが楽しみです。
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意外と短期間で読めた。各人物の思想が多面的に見えてきて少しずつ厚みを持つ。途中これは何を示している…?となるセリフや地の文は、伏線として張られたものであり、後々回収されるであろうということが、巻末の読書ガイドおかげでわかった。
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学生の頃チャレンジして難解さから挫折した本。時代背景に関する知識不足(これは今もない)や興味の対象が狭いために最後まで読み終えられなかった。今回読んでいても当時最後まで辿り着かなかったとしても仕方ない部分があると過去の自分を慰めながらやっとこさ2巻まで読み終えた。カラマーゾフ一族のストーリーにのせた神に対するプロとコントラ(肯定と否定)が現代にも通ずる宗教哲学的な要素を含む命題で興味深い。
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だいぶ飛ばし飛ばし読んでしまった。
第一部よりは面白いが、まだもどかしい。
イワンとアリョーシャの有名なやり取りはまた時間があったらゆっくり読み直したい。
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1巻目で、人物が分かってようやく物語に入り込めた感じ。アリョーシャと貧しい子供との出会い、イワンの大審問官の物語、そしてゾシマ長老の物語。
一つ一つが、濃い。
ただ、キリスト教への造詣が深いとまではいかなくとも、何かしら神について考えるところがないと、登場人物達が語る内容への感情移入がしにくい。
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1巻目よりかはスラスラ読めました 笑
個々のストーリーが散りばめられており、
アリョーシャとリーズの関係性が1番面白かった。
ただ大審問官やロシア修道僧あたりの宗教色が強い場面は難しく感じました。
いざ、3巻目へ
Posted by ブクログ
カラマーゾフ新訳、第二巻。ちょうど、NHKラジオの文学の世界で、ドストエフスキーの特集をしていて、彼が本書を書いた背景や時代を理解しながら読んだが、それでも難解。