夏目漱石のレビュー一覧
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ネタバレ漱石前期三部作のトリを飾る作品『門』。
世間から冷たい目で見られる覚悟を互いにしてまで不倫関係となった代助と千代子。その二人は今後どう生きていき、どう世の中を渡り歩いていくのか。その答えが『門』にあると、『それから』の解説では述べられていた。
自分自身その事が気になっていただけあって、「門=不倫後の話」を頭の中で繰り返しつつ読み進めていった。けど、どこにも見当たらない。気付けば残るページは1/3。ここから先にようやく出てくるのかと思いきや、迫りくる事態に対処できる自信をつけるために参禅し、戻ってきたら無事暗雲は過ぎ去っていきましたとさ、めでたしめでたし。気付けば注訳のページになっていた。
宗助とお米が不倫関係であることに全く気付かなく、解説を読んでそのことを知った時は衝撃が走った。言われてみれば確かにそのようなくだりがあったかもしれないと思う程度のおぼろげな記憶しか残っていなかった事実を再認した。おそらくその箇所は現と夢の境を彷徨っている中読んでいたのだろう。それらしい記憶もあり、今では納得できる。
今度読み直す時は宗助とお米の関係に特に注意し、心の底から『それから』の続編であると実感したい。 -
Posted by ブクログ
「山路を登りながら、こう考えた」と始まる非人情の旅物語。
非人情とは世間的な人情を放棄して住みにくいこの世を離れた気分になること。人間の感情で溢れかえる住みにくい都会を離れ、非人情を求めて田舎への旅に出た画工。
当時の西洋化の流れで登場した「芸術」という観念で括られるようになった様々な表現活動。絵画と詩の対比がよく登場する。はじめは手応えがなくとも休むことなく続けるものだという詩作りと葛湯作りの比較がいい。
「菓子箱の上に銭が散らばり、呼べど待たれど人は来ず」
田舎で垣間見られる20世紀らしからぬ非人情の世界。
おばあちゃんが店番したままうたた寝していた近所の駄菓子屋さんのようなシーン。
旅先で出会った不思議な女性、那美さん。画工が彼女を見る目は俗人情そのものともいえるのだが、私を描いてほしいと言われ、非人情の立場から絵に描こうとする。しかし彼女には「憐」が足りない。
「汽車の見える所を現実社会という」
「汽車ほど20世紀の文明を代表するものはあるまい」
この小説のラストシーンはその汽車の行き交うステーション。
そこで昔の夫と視線を交わす那美さんに表れた「憐」を見た画工が小さく叫ぶ。「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」 -
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一郎の妻、直のような女性が好きだ。そう思って最後まで読んでいたら、解説で酷くこきおろされていていらっとした。ただ、たしかにそういわれればそうだと納得もした。
晩年の漱石の小説は、執拗に孤独を、我執を主題として追い求めていく。ただ、それは紹介の帯がいうような「近代知識人の苦悩」に回収されてしまうのだろうか。仮にそうだとしたら、漱石の小説は過去の廃墟にすぎない。廃墟を好きなひとがいるように、それが過去であり、痕跡であるからこそ価値を持つような、そんな代物にすぎない。
ぼくが漱石を好きなのは、そのような懐古主義からではない。彼の魅力は、彼が本格的に小説を書き始めてから一貫して、三角関係のなかで人間を捉えようとしていたところにある。『行人』では、近代知識人の苦悩ではなく、ひとの心のはかりがたさを、だれしもが共有している。そのつらさを訴えようとすれば、心をはかりがたい当の相手ではなく、第三者に向かうのは必然だ。そうしてかたちどられた三角形が、この物語のなかではいくつも生成し、重なり合って社会を形成している。
あとひとつ、付け加えておけば、やはり日本語のための日本語は美しい。 -
Posted by ブクログ
いや~、久しぶりです。 この物語を初めて読んだのは KiKi が小学校高学年の頃だったと記憶しています。 で、小学生にも関わらず当時の KiKi は背伸びしたい年頃だったためか、はたまた今ほど「少年文庫」そのものが充実していなかったためかは定かではないのですが、KiKi の父親の蔵書である「日本文学全集」の中の1冊として読んだことを思い出します。 当時の KiKi には坊っちゃんの「べらんめい調」がなかなか受け容れがたくてねぇ・・・・・ ^^;
かと言って「狸」も「赤シャツ」も好きにはなれなくて、「マドンナ」に至っては理解の外にある女性で、比較的好意的に受け容れることができたのが「山嵐」。 で、実は一番理解できたのが「うらなり君」だったんですよね~。 で、いずれにしろ当時の KiKi にはこの「坊っちゃん」という作品がいいんだか悪いんだかまったくわからなかったことをまずは白状しておきたいと思います。
(全文はブログにて)