【感想・ネタバレ】行人(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。(解説・大野淳一)

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

一郎の苦悩も二郎の苦悩も嫂や家族の苦悩も何となく分かるが解決し難い物なのよね。

他の心なんか解らないものね。

それはそうと地元和歌山の観光の話は時代は大きく違うが情景を想像しやすく、且つ昔の地元の様子が少しわかって良かったです。

0
2025年04月07日

Posted by ブクログ

夏目漱石
(1867-1916)1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

0
2024年12月19日

Posted by ブクログ

教科書以外でしっかり夏目漱石読んだの初めてだったけど、めちゃめちゃ面白い
緻密で少し神経質な感じがする文体が良い

0
2024年06月01日

Posted by ブクログ

作品と著者に関して私の記すに及ぶものでは無いので控えるが、私が手に取って読んだ本そのものを紹介したい。
とある古本市でたまたま見つけたもので、大正十年九月二十五日十八版のものであった。百二歳の祖母の生まれた年に発行、発売されたものということで思わず即買いした。表紙というか外装というか布製で押絵も施され、背表紙には”行人 漱石”と布に刻印?された豪奢な感じで、当時、とても高級な本として売られたものと思う。定価は一圓八十銭と書かれ、MITSUKOSHI.LTD TOKYO の 切手、印紙のようなものが貼られている。印刷は、今は印刷が取れた凸版印刷株式会社。お宝的に保管して置こうと思ったが、その後、体調崩したりと今ひとつのことが続き、何となく、この本が、読め!と言っているような気がして、なるべく傷まないように、一頁一頁気を付けながら読んだ。仮名遣いや旧漢字であることはもちろんのこと、校正ミスも沢山あり、読むのがかなり難儀だったが、多少、表紙がそり返ったり、綴じに歪みが出たりしたものの、大きく損傷することなく、読み切った。歴史に名を刻み、国を代表する文豪の本を100年を越した今において、当時そのままに手に取って味わえた。この本を最初に買って読んだ人が、100年経って尚、その本を私が読んでいることをもし知ったら、どんなふうに思うかな?なんて感慨にふける読後だった。

0
2023年12月17日

Posted by ブクログ

何を読もうか選ぶとき、大抵、本の裏に書いてあるあらすじを参考にします。
夏目漱石の小説はあらすじだけを読むと、正直あんまり惹かれません。しかし"妻の心を疑って、自分の弟に一晩妻とどこかに泊まってみてくれないかと頼む兄"という『行人』のあらすじにはちょっと興味をそそられるところがあり、買ってみました。果たして兄嫁は夫の弟に惹かれているのか?一晩泊まって2人はどうなるんだ?という下世話な気持ちから読み始めたのですが、手に取った時の低い期待値に反してもの凄く面白く、人間を深く描いた小説でした。

0
2023年10月17日

Posted by ブクログ

知識人の幸せは難しいなぁ。漱石をずっと順を追って読んでるけど、男と女、古い価値観と新しい価値観といった単純な二項対立じゃなくて、行人は肉親の家族や夫婦でありながら理解できない他人の精神の作用と苦悩みたいなものが書かれていて、文学として重厚に感じる。昔の交流と他人への影響力があると思っていて、でも深くは考えられない父、現代的だけど鉢植えの木である嫂の直、気難し屋なだけでなく、碁を打つのは苦痛だが逆に碁を打たずにはいられない、漠然と苦しくもがき続ける兄、といった人間の性格と考えが本当に冷静に正確な目で書き表されている。
こういうのを読める歳になったのかなと思いました。

0
2022年04月13日

Posted by ブクログ

夏目漱石(1867-1916)の後期の長編小説、1914年。 所謂後期三部作の二作目で、『こころ』へと続くことになる。

生きていく人間を苦しめるこの世界の厳粛な事実というのは、根本的にはただ四つだけだと思う。①人間は必ず死ぬということ(有限性)。②人間は時間を戻せないということ(不可逆性)。③人間は他者の内面を知り得ないということ(不可知性)。 ④人間は自己を知るということがいかなる事態かを知り得ないということ(自己関係性)。

このうち、本作が扱う主題は③の苦悩である。



他者の気持ちを知ること、他者の気持ちを操作すること。これらは理性の限界を超えている。他者は理性にとって予め到達不可能である。よって、理性によってこれらを叶えることは論理的に不可能である。にもかかわらず、理性はそうした自らの無力を顧みず、虚しくその願いの実現を希求せずにはおれない。理性はかくも僭越なものだ。理性はそうした自らの限界があるにもかかわらず、そんなものは無視して、認識し得ない物事についても何らかの認識を得ようと、越権行為を辞さない。人が何らかの観念を得ると、理性はその観念を対象化し、その観念に関する埒も開かない空語をその観念のまわりにまとわりつかせる。とかく理性は考え過ぎる。ほどほどというのは理性の定義に反するのであって、理性とはそれ自体で極端なものだ。理性の対象化作用は無際限に続く。分不相応であるが(超越)、分不相応であることが当の「分」である(内包)という矛盾。

「昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、決して前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那々々にぽつぽつ中断されるのです。食事中一分毎に電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。然し中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんは詰まる所二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑の様に朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです」(p358)。

その果てに見出されるのは、他者の透明な内面ではなくて、他者の内面を強迫的に窃視しようとする支配欲に憑かれた自己の姿、透明を曇らせている当の自己の姿、だけである。透明は、理性の僭越な欲望の中にのみあり、理性の構制そのものによって予め否定されている。こうして、理性は自らの条件によって他者と世界から徹底的に疎外され、エゴイズムと孤独のうちに永久に囚われるしかない。理性の僭越な徹底性が世俗の幸福を無限遠に投げやってしまう。

では、理性が他者と世界から疎外されてしまう苦悩は、いかに解消することができるのか。この苦悩が理性の対象化作用(それは、作用の対象をオブジェクトレベルに置き、作用の主体をメタレベルに置くという仕方で、自他分離を惹き起こす)からくるとするならば、理性そのものを無化するしかない。理性を無化することによって、自他未分離へ回帰しようとする以外にない。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」(p357)。

「兄さんは純粋に心の落ち付きを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、凡ての対象というものが悉くなくなって、唯自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有とも無いとも片の付かないものだと云います。偉大なような又微細なようなものだと云います。何とも名の付け様のないものだと云います。即ち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音は則ち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、従って自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、又苦しめられる懸念も起らないのだと云うのです」(p370)。

「僕[一郎]は明かに絶対の境地を認めている。然し僕の世界観が明かになればなる程、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂闊なのだ。僕は矛盾なのだ。然し迂闊と知り矛盾と知りながら、依然として藻掻いている。僕は馬鹿だ。人間としての君[H]は遥に僕よりも偉大だ」(p372-373)。

しかし、こんな破壊的な仕方によってしかこの苦悩を解消できないとするならば、これは人間が決して克服し得ない宿命なのではないか。



自己の内に他者を見出し、自己を他者と不可分とみなす「分人」主義の考えは、こうした近代に典型的な論理的苦悩を組み替えてしまう可能性があるかもしれない。

0
2021年08月18日

Posted by ブクログ

漱石の、いわゆる「後期」作品達の中で、僕の「一番好き」な作品です。

未読の方、是非、味わってください。

0
2021年01月31日

Posted by ブクログ

【兄さんがこの眠りから永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします】(文中より引用)

知識人の一郎を兄に持つ二郎は、旅行先でその兄が妻に不信を抱いていることを知る。心の内の疑いを晴らすため、一郎は二郎に対し、彼女と旅行に出て欲しいと頼み込むのだが、一夜を過ごした二郎は兄に結果を報告する時宜を逸してしまい......。著者は、近代日本を代表する作家・夏目漱石。

焦点が当てられる登場人物がパートによってずいぶん異なるため、どこに主眼を置くかでずいぶんと印象が異なってくるのではないかと思います。やはり圧巻だったのは兄・一郎を軸とした最終章。進歩や自我といった近代的な概念を身につけた、というよりも「身につけてしまった」人物の煩悶がよく伺える作品でした。

ラストの歯切れの良さには舌を巻くものがあります☆5つ

0
2020年11月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

(個人的)漱石再読月間の12。残すは3。

初読は高校生の時だと思うが、当時は哲学書や思索的なものが好きで、この作品もとても面白く読んだ記憶があるのだが…いやこれは高校生には無理でしょ!特に男女、家族、夫婦の問題は時代を超えて無理。齢を重ねてから読むべし。

後半の兄の友人の手紙は、漱石再読を始める直前に読み返した埴谷雄高「死霊」の三輪4兄弟を思い起こさせた。思索を重ねに重ね、狂うか、死か、宗教しかないと苦しむ兄。
軽薄な父とその性質を受け継いだ語り手である弟の方が生きやすい。思索的であるとはなんと生きづらいことか。

…自分が本来好きな読書の形とは何なのか、それを考えることができて、再読月間はとても有意義なものになってきました。

0
2020年05月14日

Posted by ブクログ

二郎の目を通して伝わってくる、兄の苦悩と孤独。
それを思うと、やるせない気持ちになる。
何となくそれを感じていたからこそ、もう少し親しい言葉を掛けてあげて下さいと、嫂に言ったのかも知れないけど…夫婦間のことって二人にしか分からないこともあるから…

何と言うか、上手く言えないんだけど、読むのに体力を使う小説だった。でも、面白かった。

兄はこの後どうなるんだろう。
兄の苦悩の孤独を思えば、Hさんの言うように、このまま目が覚めなかったら、永久に幸福なのかも知れない。

0
2020年04月29日

Posted by ブクログ

漱石の考えていることがわかりやすく、小説という形で示されている。小説としては、ややわかりやすすぎるかもしれない。それでも、最後までおもしろく飽きさせずに読ませる。しかもきっちりまとまっている。やはり漱石はすごい。

0
2020年03月23日

Posted by ブクログ

夏目漱石後期三部作のひとつ。個人主義に目覚めた兄・一郎が、伝統的家族観との狭間で苦悩する。語り手の弟・二郎が章を経るにつれて、個人主義に傾いてゆく様子が秀逸。

0
2025年09月23日

Posted by ブクログ

「彼岸過迄」に続き「こゝろ」に繋がる後期3部作の2作目。一郎が惚けるように蟹をいつまでも眺める場面は切なかった。自分はお貞さん寄りの人間で良かった‥‥

0
2023年08月03日

Posted by ブクログ

家族との関係、結婚についてや、夫婦関係、友達などが描かれていて読み応えがあった。
生きていく上で、人間関係は外せないけど、不器用でうまく人と関われない人もいる。私も得意ではない。
この本の登場人物の兄さんは、不器用で真面目で知識人だ。頭はいいけど、人との付き合いが苦手。考えすぎてしまって不安になってしまう。1+1=2のように答えの出るものや予測がつくことはいいけど、人のこころなんてわからない。こうしたらこうするだろうって、期待するから裏切られる。むしろ何も考えないで、期待しないで、意外な答えが返ってきても、あー、そうきましたか。ぐらいに柔軟に考えた方が人付き合いってしやすい。

0
2022年11月25日

Posted by ブクログ

のつこつと読んだ。 昔いっぺん読んだことがあって、浜寺の料亭の場面だけが印象に残ってて、そこを確認したくって読んだら、かなり前の方にでてきてほんの数行だけやった。あとはほとんど忘れていてまるで初めて読む気分。 病院の場面が面白いっていうか映像として想像つかない。病室は畳張りで布団やったんやろうか。それやったら靴は何処で脱いでたんやろうかとか。どうも看護婦さんはそれぞれ専属で部屋の前の廊下で待機してるみたいな。声がかかるまで柱にもたれて本を読んで時間潰してる表現があったり、その看護婦さんに病人のこと聞いたら何でも教えてくれてプライバシーダダ漏れやったり。
その上病人の都合で入院したり退院したり。胃潰瘍の人にはお腹の上に氷嚢乗せてたり。今では想像もつかないことばかり。
漢字の使い方もええ加減なような気がする。ページによって送り仮名が変わってたり「初」と「始」の使い方も違うかったり。昔は手書きやったからそんなこともあり得たって感じかな。ある意味自由やな。でも、ま、この小説で描こうとしたことは、そんなことではない。兄一郎の苦悩を描いたんやろうが、そこに至るまでがのつこつのつこつ。

0
2022年09月12日

Posted by ブクログ

【多知多解の一郎が向かう先は、行人?】

一郎は理智で聡明であるが故に人を信じることができない。また周囲も、彼が優秀であるが故に理解を示せない。故に彼は孤独に苦しみ、この負の循環から抜け出す方法を模索する。おそらく彼が最終的に行き着くのは宗教家であり、行人である。(宗教家は信じることができるため)

なかなかの長編小説で中盤まではやや退屈に感じてしまったが、最後のHの手紙で怒涛の巻き返しが図られ、兄の心情が明らかにされる。

読み応えがあり、共感の多い一冊だった。

0
2023年09月21日

Posted by ブクログ

私は、色々読んで、漱石の妻が嫌いだ。
この本を読んでいくにつれて、漱石が自分の妻と(浮気という観点ではないが)、心がちっとも通じている気がしなくて苦しかったんのかなーと同情を感じてきた。

この話は、後期三部作と言われる彼岸過迄から確かに続いている。彼岸過迄の須永と今回の行人の兄さんが似ている。
人とも、最も身近な存在の女性の”本当の気持ち”を求めて、袋小路に迷い込む。
しかし、1作目の須永はが悩むのは少し複雑な事情がある関係の二人の恋愛関係が軸で、それ以外の要素もあるが、細かい気持ちの描写を読むと、それは恋だねとかわいく思える部分もあった。
ところが、今回の兄さんは、気持ちの読みにくい妻への疑いを通して、家族、ひいては長年の親友に対しても疑いの心を持ってしまって、もっと重症だ。

とはいえ、気持ちは分かるので、読んでいて悲しく切なくなる。
それに、兄さんが決して、悪い人なわけではなく、ただまじめで、ものをいい加減にすませることができなくて、人間関係が不器用なだけで、程度の違いはあれ、誰にでも身につまされるところはあると思うので、より救われない気がする。

行人というタイトルの意味も調べた。勝手に、行動する人という意味かと思ったが、修行者などの意味もある単語らしい。
奥が深い。

また、引用したが、兄さんは人の心を解ろうとして、弟の僕は分かるもんかと使っている漢字が違うのも興味深い。
すでにここからして、同じわかるという認識であろうと会話しているが、実のところか分かり合えていないということを伝えているんだろうか?
兄さんの使う解るは解剖して細かいとこまでの解る、弟の分かるはあぁ、悲しいんだなーとかそういったレベルの分かるを意味しているのではないだろうかと思った。

これがさらに進行したのが、こころで。こちらへ向けて、3部作はどんどんと不幸度が増していく。

こういった心の襞を解剖して、たくさんの人生の出来事をわかりやすく例として示してくれるのが、暗くてしんどいが、読める作品として仕上がっていて、さすが文豪だと思った。

0
2022年02月18日

Posted by ブクログ

漱石の作品を丹念に読んでいくと、教科書的文学史的知識を通り越してやはり文豪だ、天才だと実感する。100年前にこんなすごい文学を書いた天才が日本にいた、という誇りが湧いてくる。


『行人』

人間と人間の関係を、心理の奥深くに探求してやまない作者の彷徨は、苦しくも胸を打つ。

前半、二郎は兄一郎のストイックな性格に翻弄され、兄の家族(妻、両親、妹)まで巻き込んで起こってくる葛藤を語る。兄嫁との三角関係まで疑われ、微妙な立場になる。あげく後半、兄の友人Hにも世話をかけ、手紙で描写される兄の性格とは。

「ひとのこころはわからない」と人を信じられない。いえ、いい加減なところで妥協できない性格なのだ。

そんな性格の人はめんどくさいからほっとこう、というわけにはいかない。

誰でも本当はそこが知りたい。

人を愛しながらも人を信じられず、こころが病んでいく。近代、現代のこころの病といえるこのテーマは、古くない。

0
2021年08月29日

Posted by ブクログ

結婚前にして、とても勉強になった。
ムハンマドが山を呼んで動かそうとする話が、未だに心に残っている。

0
2021年01月03日

Posted by ブクログ

心配性の兄を持つ「自分」の日常をつらつらと書き記した一冊。
大きい山場はないのだけれど、不思議に頁をめくる手が止まらない。
兄から、兄嫁の節操を試すために一夜の旅をしてくれ、と言われるところが山場といえば山場。
その依頼を断り、ただ出掛けで話を聞くだけという妥協案を出したものの、荒天により結局旅先で兄嫁と宿で一夜を過ごすことになる。
自宅へ帰った後も兄の猜疑は消えず、彼の言動が狂い始める。
その兄に旅を勧め、共に旅をした兄の友人から自分に手紙が届く。そこには心配性どころでなく、深く神経を病んだ兄の姿があった。
近代知識人が急速な社会の変化に惑う姿を、兄という装置を使って描いたのかも。
手紙の中で一人の人物の言動をつぶさに著し、その人間性を浮かび上がらせる手法は、次作の『こころ』に結実する。
父が語った盲目の女性の挿話は本筋とは薄い関わりながら、後味悪く一番胸に残った。
ということは、それをその場で聞いていた兄の精神の歯車を狂わせる一助となった可能性も?

0
2020年12月19日

Posted by ブクログ

人の心が病んでいくのが顕在化されるのは近代になってからなんだろうか。

寄り添える人がいることでまだ歩み続けられたら、その一方でこのまま静かに眠り続けられたら。

どちらがよいのだろうか。

0
2019年04月02日

Posted by ブクログ

漱石さんの小説は、どうしようもないほど救えない登場人物がいる。こんなに厭世的な人は、小説の中で存在はしてもいいが、実際の世の中に存在するとややこしくなる。

0
2019年03月31日

Posted by ブクログ

ラストのHさんの手紙の重さよ…そしてラスト2ページの激重感よ。『こころ』に繋がる作品というのもとても分かる気がした。
それにしても漱石は、語り手の視点から相手の本質を深掘りする作品が多い。『こころ』再読が楽しみ。

0
2025年01月25日

Posted by ブクログ

人の心の本当のところは、誰にも分からないということでしょうか。もしかするとそれは本人ですらわからないのかもしれません。人間関係の微妙なかみ合わなさが、いろいろなエピソードを絡めながら語られます。

謎を少し出してはしばらく後で回収し、そのころにはまた新たな謎が…という感じで物語を前に前に進める推進力は半端ないです。この辺、うまいですね。いつものことながら、お互いの心の内を探ろうとするやり取りがなかなかスリリングです。

特に嫂と二郎が宿に泊まることになった場面はすごいです。「三四郎」であった宿に泊まるやつのバージョンアップ版ですかね。これは真面目にやっているのかな。むしろギャグなんじゃないかと思うくらい面白かったです。

本当に終盤近くまで面白くて、これがどう落ち着くの本当にわくわくしました。

最後の手紙の下りがすごいというレビューをたくさん見ましたが、私的にはちょっと小難しくて疲れました。いかにも夏目漱石っぽいなぁとは思いましたが、「こころ」の方がうまく物語の中に落とし込めていたように思います。

結局Hさんと兄さんはそれなりにすっきりしたようですが、その手紙を読んだ二郎もそうですし、嫂に何か変わるところはあるのでしょうかね。めでたしめでたしみたいな感じで終わっていますが、もやっとしたものが残る結末だなぁと思いました。

いろいろと回収されていない話もあるような気もしますが、病気で中断もあったようで仕方がないのかな。そういう意味ではもったいない作品のような気がします。

0
2024年11月02日

Posted by ブクログ

えっ、大丈夫?というかんじで思い詰めている主人公の兄。
その兄とうまくコミニュケーションがとれないでいる主人公。
不穏さが最後まで続く。
また読み返したい。
漱石が完成させた最後の長編だそうです。(「明暗」は未完だとか)

0
2024年08月23日

Posted by ブクログ

夏目漱石作品によくある高学歴ニートの話、ではなかった。近代的自我に芽生え、感情と理性との狭間で苦悩する様を描いた作品。
現代人にも共感できる部分はあると思う。

0
2023年09月02日

Posted by ブクログ

理想を追い求めるあまり、周りとうまくいかない男の苦悩の話。

語り手は二郎くん(弟)なんだけど、主人公は一郎さん(兄)。このお兄ちゃんがなんかめっちゃ考え過ぎてて、「崇高な俺の考えが理解されない。低俗な人間どもに馬鹿にされる!」って周りに(特に奥さんに)当たり散らしてる印象。お兄ちゃんだけ異質なんだよなあ。周りはお兄ちゃんに敬意を払ってると思うんだけど。一郎さんの考えは高尚だと思うけど、生きていくってそんなことばかりでなくて、一郎さんは自分で自分を苦しめてて、そのせいで周りも引っ掻き回されて、何だかなあ…って感じの話でした。

0
2023年06月17日

Posted by ブクログ

夏目漱石の作品は、作品ごとにかなり好き嫌いが出てしまう。これまで読んだ中では、一番『門』が好きだったけれど、これも読むまではドキドキしていたくらいだ。

行人は、二郎を主人公としたストーリーで、何か大きく突き動かされるような内容ではなかった。しかし、当時の情景や習慣が、夏目漱石という作家によって上手に表現されていて、あたかもその時代に生きているかのような感覚にさせてくれる。

そういう点では『キレイな』小説だなぁという印象は残っている。

友人の入院、下女の結婚、兄の病気という日常の中で二郎が生きていく姿は、見ていてリアルな感じがするけれど、あまり没入できなかったので、この点数とした。

0
2020年08月05日

Posted by ブクログ

学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。

0
2019年06月26日

「小説」ランキング