夏目漱石のレビュー一覧
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『三四郎』『それから』に続く、いわゆる三部作の締め。もっとも、前2作とは打って変わって、筋立て上ではドラマチックな展開はほとんど無い。むしろ、『それから』にも通じるような道徳上の「不義の愛」が、いつまでも宗助と御米の人生を暗くし続けている。その描写が手を変え品を変えなされる。『それから』同様に、「自然」とも「運命」とも称される、自我を超越した何らかの力が生活に働きかけているとしか思えないような出来事を、宗助も御米も体験してしまう。この繰り返しは、生活上の小康状態を得た最後のシーンでもなお予感されている。「またじきに冬になるよ」という言葉は、「自然」「運命」の力の強大さを表して余りあるものではな
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『三四郎』『門』との内容的関連から「三部作」と称される小説。前作『三四郎』が青年の自己形成を主題としたBildungsromanの趣が強いのに対して、本作の主人公・長井代助は物語の開始時点で高等教育を修了し、父や兄からの経済的援助のもとに高等遊民的な生活を送っている。その生活が、平岡とその妻三千代の登場によって撹乱される。三千代への愛、平岡との友情、家族との関係など、様々なファクターを考慮しつつ、代助は自己内省を深めていく。その末に到達した結論は、合理性(ここでは父の薦める通りに見合い結婚をすること)ではなく、三千代への愛を貫くことだった。しかし、それによって家からは勘当され、平岡との友情も破
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ようやく読み終えた!
思ってた以上に切なくて、焦れったくて、どうしようもなかった。
また読みたい。
特に印象に残ったところ
・「ああああ、もう少しの間だ」
・「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」
・「可哀想だた惚れたって事よ」
・「あなたに会いに行ったんです」
・「そう。じゃ頂いて置きましょう」「ヘリオトロープ」
・ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明かに懸る。
・「われは我が愆を知る。我が罪は常に我が前にあり」
以下は雑感。
『三四郎』を初めて読んだ。なかなか印象深い作品で、学生時に読んでいれば、また違った感想を抱いたかもしれないなとも思う。
『三四郎』 -
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「こういう危うい時に、生まれつきを叩き直しておかないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しは付かない。此処だよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけでできている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのは勿体ない。(中略)僕が平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。真面目になるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が現存しているという観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君
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夏目漱石は、おそらく近代日本の作家の中では例外的に、文学を理論的に考えようとした書き手である。漱石は、小説が「書かれるもの」=言語による再現であることに自覚的だったし、だから、小説の構成やさまざまな語りの技術=技法をおろそかにできないとも考えていた。一定の留保は必要ではあるが、漱石のテクストは、彼の文学理論の実作化という側面があることは事実である。そして、この自覚が、漱石と?外とを分けるポイントでもあるのだろう(?外は稀代の名文家であるが、小説的な構成、構想力という点では、漱石と比べて見劣りがする)。
それにしても、この構成は編者の磯田光一によるものなのだろうか。抄録がほとんどで、一つ一つ