夏目漱石のレビュー一覧
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こころ、吾輩は猫であるに続く漱石三作目。
熊本から東京大学に通うために上京してきた三四郎青年の物語。
物語に入り込むまでに少し時間がかかったけれど
最後の100ページくらいは先が気になって急いで読んでしまいました。
三四郎と美禰子がどうなるのか最後まで分からずドキドキもの。
美禰子の発した「ストレイ・シープ(迷える子羊)」は名言です。
明治時代でも現代でも若者の苦悩というのは普遍的なものだということを痛感。
当然東京大学の学生なので本郷キャンパスの界隈の話が随所に出てきます。
私は現役で東大を受験して落ちたので諦めてしまいましたが
この本を読んでやっぱり東大に行きたかったなとそんなことを思ってしまいました。
高校時代に読んでいたら違ってたかもなと思います。 -
Posted by ブクログ
夢十夜、読んだことないと思っていたが、第一夜に覚えがある。これは、多分、学生時代に教科書で出会った気がする。
第一夜が一番好き。美しい。亡くなる女性の願いは、真珠貝で墓を掘り、星の欠片で墓標を作ること。そして、さらに控え目に申し出たのが百年待ってほしい。そして、墓の傍で待つ男の下に、ゆりが花を手向けてきた。そして気づく。百年目だということに。
この日本文学の繊細さ、美しさ。
百年待ってほしいというのをためらう女性の奥ゆかしさ。
どこに忘れ去ってしまったのでしょうか。
解説本は多くあって、例えば、ゆりが何を象徴しているのかなどネットでも議論されているけど、ただ純粋に言葉や情景の美しさを楽しむだけではだめなのかと最近思ってきた。
後は第七夜が好き。
行方も、いつ接岸するのかも分からない船にいるより、死ぬことを選ぶ主人公。その瞬間、命がある方がよかったと悟る。深い。。。
実際の夢を文字に起こしたのか、夢と言う設定の物語を創作したのか分からないが、うまい。これだけの短いページでどれも起承転結で綺麗に完結している。
そして、どの主人公も結構孤独やら寂寥感がある。解説にあるように、「荒涼たる孤独に生きた漱石」を感じる。
文鳥については、引用した個所が漱石の繊細さを現していて好ましい。 -
Posted by ブクログ
色々と伏線があったり、第一部、第二部と第三部とで主人公が違って視点が異なって初めて見えることなどもあり、読み終わると、「あれ?どうだっけ?」と思う点も多く、もう一度読み直したいと思った。
新潮の解説も読んでみたところ、これは元々他にも短編がある予定だったらしいが、3部が予測を超えて長くなったので、3部までを一冊として出したとあった。その証拠として、3部の最初に四つ折りの紙が分厚い封筒に入っていたとあるが、明らかにそんな厚さで済まないほどの内容量であることを挙げてあった。確かに。
だから、2部の最後で病院を抜け出した私と先生がどうなるのか?といった結末がない。
一番気になったのが、武者小路実篤の友情と異なり、先生とKの間に友情をあまり感じれなくて、もやもやした。それはあっているのか、時系列的には、すべての後だと思われる1部の冒頭で先生のことを「よそよそしく」頭文字で呼ぶ気はないとあるので、やはりKをKと呼ぶ先生とKの間は、すべてを知った後のわたしにとってもよそよそしく目に映ったということだろう。
明治天皇の崩御と乃木中将の殉死が物語の中で出てきて、そのことが先生とKに影響を及ぼすようだが、すでに平成の世を生きる私には残念ながら、その感覚が身近なものとしては分からない。
後、気になったのが、御嬢さんはほんとうに私の方が良かったのかということだ。個人的には、Kの方に惹かれていたのではないかと思った。私はこれといった特徴もなく、俗に言う「結婚なら彼、付き合うなら彼」というあれだろうか?
それにしても、谷崎作品と違い、漱石の作品の女性の存在感はいつも薄い。谷崎と異なり、漱石がまじめな人で、妻が悪妻だったからだろうか。現実味がなく、このお嬢さんも顔の美醜以外、二人の男性に取り合いされるような魅力的なエピソードが描かれていない。
むむ、とうならせられる表現が多々あった。
「遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した」これって、つまり大学の卒業なんて、ほんの少し視野を広げてくれるだけに過ぎないってことなんかな?まだまだ世間には知らない事が沢山あると。
従姉妹との恋愛、自分の火鉢だけが燃え尽きて、他人からの気づかいが感じられずしょげる様、女性が倫理的に間違っていても自分だけに寄せられる偏った愛を好む、苦痛や恐怖の感情が悲しみによる緩和される、親しくなりたい相手から同程度の親しみが返されない時の物寂しさなど言いえて妙。 -
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つまり、エッセイ集だと思えば良いのではないでしょうか。
夏目漱石というと、なんだか恐れ多いんですけれど。
僕はこの人の文章は、そこはかとなく乾いたユーモア、好きなんです。
面倒くさい人だなあ、とは思います。面倒くさいインテリのオッサン。
内容は、作家の日常ってやつですかね。
「こんな変な客が来たんだよね」
「実は僕の幼少時代にこんなことがあって」
「私の母親っていうのはこういう女性でして」
「俺、ちょっと変わってて。こんなことしちゃうんだよね」
というようなことを書き綴っているわけです。
僕は、なるほどナルホドと、肩もこらず読みやすく面白かったです。
時代風俗固有名詞、無論こと明治時代のことどものなんです。なんですけど、読みやすい。
それは、結局はヒトのお話だからでしょうね。
「こんな人のこんな無礼に怒った」
「こんな可哀想な人がいた」
「母って自分を愛していたんだろうか」
「友達と再会、いやあ、互いにオッサンになったもんだ」
「こんな犬、こんな猫を飼っていてね」
みたいなことなんです。
だから、一見、とりとめもない。
とりとめもないようでいて、実はちゃんと計算して書かれている。
タレントさんの「今日はこんなカレー食べた!うまかった!テレビ局なう」みたいなブログではないですから。
ちゃんと読み物になっている。
ただ、話題が自分のことである。自分のことだから事実である。ジジツであるからには、そんなに大したことはない。大したことはないから、気軽に読める。
具体的には。
●雑誌の記者なんかに写真を撮られる時に、笑ってくれって言われるのがどうにもイヤなんだよなあ。
という冒頭編から、漱石さんらしさ炸裂。
つまりは面倒くさいインテリなんです(笑)。
面倒くさいインテリが、なるたけ誠実に、なるたけ褒められて生きていきたいなあ、という。
●講演をしたけど、出席した人が「さっぱり面白くなかった」と言っていた。と、聞いて落ち込んだ。と、どこかに書いたら、別の人から「面白かったですよ」と慰めてもらった。
この講演話なんか、なんだか面倒な人柄が彷彿として、ほとんど落語のマクラ話みたいな爆笑モノ。
一方で、夏目漱石さんは結構、不幸な生まれ育ちなんですね。
養子に出されたり、両親のことを祖父母と言われて育ったり。
そんな生い立ちや、生家のこと。
まだまだ江戸時代の香りが残る江戸の暮らし。
そして複雑で面倒な家族に育ったんだから、まあ、面倒な男になってもしょうがないか…という若干の重さ。
ただ、それをまったくもって「俺ってかわいそうでしょ」という臭みを抜いて語り切る筆力技術は、やっぱりすごいなあ、と。
そして、僕にとっては白眉は
「他人に対する自分の態度について」みたいな内容の一章。
これはもう、とにかく人間関係っていうやつの泥沼の深み、他人と自分との距離感、さみしさ、救い、面倒さみたいなものを、
これまた実に淡々と語りつくしています。
夏目漱石さんの後期の小説を読んだことがある人なら、
「ああ、この人こんなこと考えてるから、あんな小説かけるんだよなあ」という。
でもそれも、実に面白い。
僕はどこかしらか、ユーモアを感じます。
好きなんですよねえ。漱石さん。
「極めてあやふやな自分の直覚というものを主位において、他人を判断したくなる。そうして私の直覚が当たったか当たらないか、要するに客観的事実によって、それを確かめる機会をもたない事が多い」
「私は凡ての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考える」
「今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れることが出来ないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている」
いやあ、面倒くさいオッサンですね。
これがユーモアがなかったら、読まないだろうなあ…僕も。 -
Posted by ブクログ
この本では、漱石が書いた手紙や随筆の中から題名の「人生論」に見合った部分が選別されて年代順に並べられている。
手紙はそれぞれ全文を載せているようだが、随筆『硝子戸の中』や『思い出す事など』については一部分だけを載せている。おそらく漱石の「人生論」が表れている箇所だけを編集者なりに抜粋しているのだろう。
通して読んでみて、幾つかの有名な小説を読んだだけでは中々見えてこない漱石の内なる様々な思想・意志が明確に伝わってきた。そしてその心の熱さに驚き、感動した。励まされた。漱石がこんなに熱い男だとは知らなかった。
『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』、『明暗』などの作品名こそ人口に膾炙しているが、漱石が一体どんな思いを込めようとしたのかは作品を読んだだけでは中々判然としない。しかしこの本を読むと漱石の各作品への思いを知ることができる。その上でもう一度作品を読んだらきっと様々な発見ができるに違いない。私も早速『坊っちゃん』を再読したい気分である。
一方で、特に書簡の章で強く感じられるのだが、この本は注釈が少ない。なぜ漱石はこの手紙でこの人物(例えばイブセン)の名を挙げたのか、或いは森田草平や和辻哲郎らへの書簡は一体何に対する返事なのか、などの説明が全く無い。そのため漱石がここで何を言いたがっているのか深く理解することが時折できなくなる。その書簡・随筆が書かれた背景についての注や固有名詞についての注を入れるなど、もう少し読者の理解をサポートする要素があっても良いだろう。
この本の欠点はその辺りと言えるが、なまじっか注釈ばかりあってもかえって読みにくいかもしれない。注がほぼ無いから220ページほどの薄さで収まっているわけである。この薄さで漱石の「人生」に対しての驚くほど熱い思い・意志が充分感じ取れるという点だけで大きな意義がある。
そう考えればこの本は、「夏目漱石という名前は知っていて作品もいくつか読んだことがある」ぐらいの人がより一層漱石に関心を寄せることができる再導入書と言っても良いだろう。
ポケットの中に常に入れておきたい。少ないページの中に漱石の心が凝縮された良書。