あらすじ
『坊っちゃん』は数ある漱石の作品中もっとも広く親しまれている。直情径行、無鉄砲でやたら喧嘩早い坊っちゃんが赤シャツ・狸たちの一党をむこうにまわしてくり展げる痛快な物語は何度読んでも胸がすく。が、痛快だ、面白いとばかりも言っていられない。坊っちゃんは、要するに敗退するのである。(解説・注 平岡敏夫)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
友達に夏目漱石を読んでると話したら、是非坊ちゃんを読むべき!とのことで読み始めたよ。
いや〜面白い。
坊ちゃんのストレートなとこが良いね。
坊ちゃんになったような気がする。
Posted by ブクログ
離れてみて初めて清からの慈しみを理解できて、東京に戻ったその足で清に会いに行く。二人での生活は短かったかもしれないけれど、坊ちゃんにも清にとっても愛しい時間であってほしいな。
ぼこぼん先生、響きが好きだ。
Posted by ブクログ
▼トシを重ねて読み返すたびに、本筋の事件のオモシロさよりも「坊っちゃん」と、坊っちゃんの疑似母的な「清」とのラブストーリーに、ココロ打たれます。泣ける。涙が止まりません。そうか、これは「赤毛のアン」だったのか。アンの物語に見えて、アンを巣立たせるマリラとマシューの物語でもある。さすが、漱石。
▼「坊ちゃん」夏目漱石。1906年初出。どうでもいいですが「赤毛のアン」が1908年。岩波文庫。2019年8月に、何度目かの再読。短い。あっという間に読めます。
▼大人になって読めば読むほど、哀しい話だなあ、と思ってしまいます。坊ちゃんの勤務先で起こった事件については、勧善懲悪は全く成されないまま。赤シャツ、狸、野だいこの思惑のままに終わってしまいます。生卵をぶつけて、ぶんなぐる、というテロリストな行為で束の間の溜飲を下げただけ。
▼ある種、極めて深い、世間様一般への絶望感みたいなものを、諦めた前提でのストレス発散みたいな小説ですね。しかしこの小編と、豊穣だけどストーリーのカタルシスとしてはかなり弱い「我が輩は猫である」が、一貫して漱石のベストセラーであるというのが、一種、不可思議でなりません。
▼でも。不可思議でも無いかな、とも思うのは、どちらの小説も、割と「世間は嫌なヤツらがはびこっている。腹が立つ!」という一貫性がある。そして、一方で素敵に浅い。気楽なところがある。深刻すぎない。
▼「世間を、世俗を批判する我が身、私も世間の一部である」という視座とか、「そういう俗な世界をもっともっと圧縮して、我が身と家族、夫婦との図式をどう感じるか」みたいな「内省の深み」までは、潜って行きません。そこの「ぞっとするダークサイド」は見ないようにしているンですね。そういう意味では、読みやすい。後年の、「行人」とか「道草」とか「明暗」なんて、読みようによっては、「ホラーかっ!」て言いたくなるくらい、そのあたりが、深い。息詰まるオモシロさ。でも気楽には読めない…。
▼しかし、「坊っちゃん」も、「猫」も、一方で言葉のリズムとか、文章の流れなんかは、上手いなあと改めて。そして、にやにやくすくすしていると、清の存在が、駆け抜ける終盤、そして最後の数行が涙腺を直撃…。
▼これ、今風に言えば、「現役バリバリの東大文学部の教授が、文芸誌に発表した小説」なんです。すごいなあ。
Posted by ブクログ
言わずと知れた夏目漱石の有名作。
処女作「吾輩は猫である」が好評を得て、一般的にはその次に発表した小説です。
無鉄砲で短気で喧嘩っ早く、両親から冷たくあしらわれて育った主人公は、唯一、下女の清にだけたいそう可愛がられ、清から「坊っちゃん」と呼ばれて育ったのですが、物理学校の卒業後、四国の中学校で数学教師として赴任することになる。
赴任先の中学校で起きた騒動について、坊っちゃんが語り手として書かれたものになっています。
学校を舞台とした教師が主人公の物語です。
こういった舞台設定だと、通常生徒といざこざがあって、その後和解し、そして感動の展開なんかがありそうなものなのですが、本作はそういう話ではないです。
坊っちゃんは生徒にからかわれた結果、職員会議で感情のままに罵倒し、そのまま和解せずに終わります。
教師たちがメインの話になっているので、学園モノですがお涙頂戴とはいきません。
ただし、ラストは勧善懲悪となっていて(善も若干やられてますが)、誤読感はスッキリとすると思います。
あの学校のその後を考えると少し心配な気もしますが。
文章は口語表現で、非常に読みやすいです。
ストーリーが頭に入ってきやすく、小中学生でも普通に読める内容だと思います。
実際に小中学生が読む場合は、子供が読むに不適切と思われる箇所もあるので、実際に読むとなると注意が必要と思います。
坊っちゃんは青い鳥文庫などからも出ているので、子供向けにはそちらをおすすめします。
どちらで読んだにせよ文章の軽快さと、また、他の多くの人がレビューで書いている通り純粋な面白さは損なわれないと思います。
語り手がべらんめえな青年である故か、地の文がかなり特徴的です。
文学小説らしからぬほどリズミカルで、本を読むときは情景を浮かべながら読むことが多いのですが、本作は情景から頭に浮かび上がってくるような感じで、かなり読みやすいです。
わかりやすいのは、坊っちゃんの行動・言動が真っ直ぐで正直なためと、行動が逐一インパクトを与えるためかと思います。
文学小説としては異色ですが、これなら読めるという人も多々いると思います。
坊っちゃん以外のキャラクターも立っていて、読んでいて楽しかったです。
坊っちゃんは赴任早々に他の教師陣に「山嵐」、「赤シャツ」、「野だいこ」、「うらなり」、「狸」などとあだ名をつけるのですが、彼らにもそれぞれのポジションがあり、活躍の場があったことがまた本作を名作たらしめる要因だと思います。
今出版されたとしても普通に楽しんで読める良作だと思います。文学の入り口としてもおすすめです。
Posted by ブクログ
小学生の時に、かなり大ざっぱな児童むけリライト版『坊っちゃん』を読んだことはあるが、オリジナルの通読は今回が初めて。読後の感想を一言で述べると「面白い。が、いいのか、これ?」。
あらすじ紹介には「正義感に燃える若い教師の奮闘の日々」と書いてある。『金八先生』みたいな熱血教師ものかと早合点しそうになるが、だまされてはいけない。『坊っちゃん』は語り口こそ軽妙だが、のちに『こころ』という作品で人間の孤独についてげんなりするほど粘着質に書いた、あの夏目漱石の作品である。ハートフルストーリーを求めて読むと肩すかしをくらう。
第一に、主人公の〈おれ〉は理想に燃えて教師になったのではなく、たまたま恩師に教職を斡旋されて、ほかに就職先がなかったから引き受けたという、典型的なデモシカ教師である。それでも普通の小説なら、生徒との交流を通して使命感に目覚め、「生徒から色々なことを教えられ、人間として成長できました」ときれいにまとめるところだろうが、『坊っちゃん』は違う。〈おれ〉はあんまり成長しないし、生徒との間には連帯感のカケラも生まれない。そして赴任後1ヶ月で勝手に辞職してしまう(しかも辞表は郵送で提出)。
さらに「文豪作品=美しい日本語のお手本」という先入観もぶち壊してくれる。計算されつくした巧みな文章には違いないのだが、語り手の〈おれ〉が短気な江戸っ子という設定なので、悪口雑言のオン・パレードでなのである。〈おれ〉の悪態のうち2割くらいは正当な批判であり、そこを掘り下げればいくらでも深読みできると思うが、残りの8割はどう考えても単なる言いがかりだ。ポンポンと歯切れがよくユーモラスなのでついクスッと笑ってしまうが、松山を「不浄な地」呼ばわりは、漱石先生といえどもいかがなものかと思う。『坊っちゃん』を松山の観光資源として活用してもらうことで、罪ほろぼしになっているとは思うけれど。
とりあえず「明治時代から学級崩壊ってあったんだな」ということや、「3年以内に職場を辞める若者って昔からいたんだな」ということがわかった。ある意味、漱石ってやっぱすげぇ、と思わざるをえない。
Posted by ブクログ
漱石の作品の中でも最も大衆的で最も親しまれている作品。主要な登場人物は全員欠陥を抱えている。そして自分は坊ちゃんに似ていると感じた。おそらく読者の誰もがうらなりや野太鼓、山嵐、赤シャツ、若しくは狸といった主要な登場人物の誰かに似ていると感じるであろう。そこがこの作品を今なお親しまれるべき作品にしている理由だと思う。とにかく登場人物に自分の欠点が投射されていて愉快でたまらない。
Posted by ブクログ
なるほど楽しい。いや楽しい。読み始めた当初はこんなにものめりこむとは思いもしなかった。痛快というイメージだったが中々哲学チックな事を言っており、ぼっちゃんやるじゃない、と言ってしまうほど。後半は赤シャツシャツしていたがメランコリーな感じも一興。しかし東京を好きにはならない、田舎が好きです。
Posted by ブクログ
四国の中学に数学の教師として赴任した江戸っ子 の坊っちゃん。校長の「狸」や教頭の「赤シャ ツ」は権力をふりかざし、中学生たちはいたずら で手に負えない。正義感に燃える若い教師の奮闘 の日々が始まる。
Posted by ブクログ
高校生以来。
昔から鼻持ちならない奴はいたんだなぁ。
そんなに真っ直ぐだと神経衰弱にもなっちゃうよ。
大人になった今、痛快だけじゃない部分も読める。
清とのつながりがいとおしい。
Posted by ブクログ
小学生時代に読んだ本を半世紀ぶりに読むと印象が変わって面白い。歳をとったせいか、”そんなに人に突っかかってたら苦労するよ~”と言いたくなる場面ばかりで。清が愛おしい。最初の停車場の別れで”何だか大変小さく見えた”という表現はよく覚えている。最後の”後生だから、清が死んだら坊っちゃんの御寺…”で「後生」という言葉を覚えたような。解説で平岡氏が坊っちゃんと清の二人の生活は”四ヶ月程度であろう”と言うがその根拠は?「鹿男あをによし」の”鹿せんべい、そんなにうまいか”はこの話のオマージュだった、と今頃気がつく。
Posted by ブクログ
学生の時にやっつけ仕事的に読んだっきり。久しぶりに再読。
坊っちゃんのチャキチャキ、威勢の良くて自分の中で筋が通ってて無鉄砲でいて義理堅いところが改めて魅力的に感じた。今の時代なかなか居ないタイプだものね。
田舎の閉鎖的な様子が描かれているけど、昔はそんなに都会と田舎とでは違ったのかしらん。
でも、小狡い人間がやっつけられる様は気分スッキリ。
事実をぽーんと書いただけのあっさりしたラストも何か好き。
Posted by ブクログ
さすがに読んでおかないとと思って手に取りました。時代劇のように勧善懲悪っぽい。だけど主人公にも落ち度がある点もあり、そこがむしろ親しみ深くなるところ。無駄がなく倦怠感を感じずにスラスラ読めました。
Posted by ブクログ
言わずと知れた名作だけれど。
本当にちゃんと内容を知っている人が、どれだけいるだろう。
縁あって松山に行くことが多いが、今回改めて読んで、あまりにイメージと違いすぎていて仰天した。
何かと見かける坊ちゃん団子などのイラストから、勝手に「坊ちゃんとマドンナは良い仲」なんて思い込んでいた。
全然違う。
松山が坊ちゃんを推すから、てっきり松山で面白おかしく嫌な教師をやっつける話と思っていたのに。
全然違う。
むしろ、なぜ松山は坊ちゃんを推す気になったのか、不思議でならないくらいだった。
そして何より、あとがきと又聞きによると、この話で坊ちゃんがしたことの中には、作者の漱石自身が実際にしたことも含まれているらしいことが、驚きだった。
何となく、『こころ』のせいなのか、漱石には知的で落ち着いた(そして色々な逸話から、神経質な)人だと思っていたのだけれど…思いの外、やんちゃだったのかも。
数作品読んだくらいで、その人を知ったような気でいちゃいけないものだ。
Posted by ブクログ
道後温泉に行ったので読みたくなった。
子どもの頃読んだ時きりなので、単に面白い記憶しかなかったが、改めて読むと奥の深い話だった。
正義感の強い単純で一本気な「坊ちゃん」、社会に出て、正義を通したようで教職員間では孤立、結局のところ解決策は暴力で、教師という高給な職を辞めた。
社会に適応できない男の話、世の不条理を書いた物なのか。
Posted by ブクログ
実は赤シャツこそが「坊ちゃん」だった。って解釈もあるらしいけれど、そもそも主人公が「坊ちゃん」っていうのもよくわからん。坊ちゃん=正直で世渡り下手ってこと?
Posted by ブクログ
中学生になったばかりの頃に読みました。
教科書に,一章だけが紹介されており,思わず惹かれてしまったのです。それは,主人公の正義漢ぶりが,直情さが,不作法だが無造作で飄々としたところが,
人物として当時の私がとても憧れたからだと思います.
夏目漱石のコミカルで軽快な書き口に,勧善懲悪の爽快感が加わり,文学作品のなかでもとても読みやすい作品の一つです.
多くの版がありますし,また多くの映像や絵や漫画も生まれています.学生の皆様には一読を勧めたい一冊です.
中学生の時と,今とでは,この作品に対してどの様な感想の変化があるだろうか,一度試して見ようと思います.
Posted by ブクログ
愛媛県民なのに坊ちゃん読んでないのもどうなのと思って県外に引っ越してから読みました…噂通り愛媛の扱いはひどいけど(笑)子規もお手紙でそう書いてたものね^^
漱石先生の小説はうんうん唸って読むような難解さがなくってとても読みやすいんだけど、決して軽い、薄っぺらいものじゃない。こりゃあすごいことだとしみじみ。
江戸っ子・坊ちゃんのいきおいや情があざやかに描かれています。なんにせよ坊ちゃんは最後まで坊ちゃんでした。こうやって見るとちょっと昔の小説ってタイトル付けが非常に秀逸…
Posted by ブクログ
四国松山の中学校に赴任した数学教師「坊っちゃん」が、生徒や他の先生を相手に様々な事件を起こす。正義感が強く純粋な青年と、彼を取り巻く利己的な社会とを対比的に描いた、痛快な物語。
Posted by ブクログ
各登場人物が個性溢れすぎているのだが、それを坊ちゃん目線で語るとさらに面白い。
建前だったりグレーゾーンみたいなものを一切受け入れない素直な坊ちゃんの江戸っ子節が気持ちいいです。
案外はっきりした悪者が出てきてわかりやすい話です。
Posted by ブクログ
松山旅行記念
マドンナは、坊っちゃんはじめみんなのアイドルなのかと思ってたら全然そんなことなかったな
これ、当時の漱石の同僚だった人たちはどんな気持ちで読んだんだろか笑
Posted by ブクログ
なんで今更「坊っちゃん」であるか?
私は通勤の際、iPod でPODCASTを聞いている。
その番組の中に「ラジオ版 学問のすすめ」ってのがあって、先日のゲストは作家・評論家の関川夏央であった。
正岡子規の話が中心だったけど、同時期を生きた作家の中に夏目漱石も居る。
明治時代、文学で生計をたてられる人なんてそう多くはないので、作家連中は自然と集まり交流があったんだそうだ。
今、壊滅的な状況にある政局の中で必要なのはリーダーであり、エリートが育たない時代だ。
現総理の次は誰がよいかなんて、誰がなっても大同小異であろう事は誰もがそう思ってるだろう。
しかし、正岡子規達が生きた時代、帝国大学(現東京大学)を卒業するような人間は日本を代表するリーダーでエリートである。
夏目漱石もその一人。
そんな作家が書く、「坊っちゃん」とは如何なものか。
ゲストの話の中で、
「坊っちゃんが四国の学校に赴任した期間は、どのくらいか解る?」
とか
「宿屋の女中に5円をやってるけど、今だとどのくらいの価値か解る?」
とかの話があった。
期間はたかだか、1ヶ月ちょっとである。
5円は1ヶ月の給料分である。
坊っちゃんは世間知らずの負け組なのだ。
そんな負け組の(勝ち組は赤シャツか)坊っちゃんを書く夏目漱石とはどのような人物であったのか。
まあ、そういう話。
私は、「坊っちゃん」なんて読んだ気になっているだけで、実は読んでいないかもしれない。
だから、上記のような問いには答えられないし、例え読んだとしても、その時代背景も解っていない子供の時分であれば文脈が理解が出来ていないだろうと思って、今頃、「坊っちゃん」なんて読んでみたわけである。
今、政局に「坊っちゃん」のような事が書ける赤シャツが必要だなと思った次第。
さて、この手の文学作品は既に著作権が切れていて、色んなメーカーから文庫が売られている。
さらに、インターネットであれば、全文無料で読むことができる。
私は、「青空文庫」で読んだ。
暇なお昼休みは、ここがイイかもね。
昼休みと言えども、そんな時間はあまりないんだけどさ。
Posted by ブクログ
刊行をかなり前の作品です。著者の夏目漱石といえば、大文豪というイメージから難解な作品というイメージを持たれている方が多くいらしゃっると思いますが、この「坊っちゃん」に関していえば全くそんなことはなく、理不尽で粗暴な相手を懲らしめるというストーリーになってます。
ただ、なぜこのシーンにこのエピソードを挟んだか、どういう言葉を選択しているかを考察すると、深い味わいを感じる作品となっています。
Posted by ブクログ
「気をつけろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」
赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事をいった覚はない。今日ただ今に至るまでこれでいいと堅く信じている。考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
Posted by ブクログ
漱石はいつも最初の一文がいい
なんでもないことを詩的に書くと思えばくすりとさせる言い回しを使う
物語より文体が魅力的
主人公の坊ちゃんの、ハチャメチャな生き方はあそこまでいくとうらやましい
思ったことは口にして、気に入らないことには頑として首を縦に振らない
そんなわが道を行く生き方は、白い目を向けられる苦労ともれなくセットになっていると思ってたけれど、案外本人ではなく周りの人間が苦労するのかもしれない
Posted by ブクログ
ちゃんと読んでいなかった名作一気読み。実家本棚で茶色く変色した昭和25年初版の文庫。文字フォント小さく、旧仮名遣い。坊ちゃんて、こーゆー話だったのか。
Posted by ブクログ
星は三つだけど
清に危うく涙しそうになった。
坊ちゃんがちゃんと清を大切にしてくれて良かった。
私はこういうキャラに弱い。
ストーリーとしてはシンプルで特に目立ったことはないのだけど、
夏目漱石は文章がきれいで読みやすい。
そして作品全体に品があって美しい。
流れている時間が違う。
最近のインパクトばかりをウリにしている本を読んで
「本好き」を自称している人に読んでいただきたい。