夏目漱石のレビュー一覧
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「二百十日」
会話が大部分を占めテンポ良く話しが進み、風通しの良い印象。金持ちへの痛烈な皮肉を含むものの人物造詣、思想ともに深みはこれといって無く、ただただ読んでて楽しい短編。
「野分」
その理想主義のために中学教師の生活に失敗し、東京で文筆家としての苦難の道を歩む白井道也と、大学で同窓の高柳と中野の三人の考え方・生き方を描く。
とのことですが、こちらはもう本当に好きです。わたしは最近、自意識と、他者との関わり、つまり内的生活と外的生活のバランスについてすごく悩んでいるのですが、この短編に出て来る主人公達もバランス取りにとても苦しんでいるという印象。それから経済的なこと、現実的生活の労苦にも焦点が当てられているのですが、衣食住に困ったこともなく親に養ってもらっている甘ったれた学生のわたしにはもう耳が痛い。こういった現実的なつらさって、生きていくうえで必ずどこかで誰かが引き受けなければならないことで、まあ誰もがいずれはある程度引き受けていかなければならないとは思うのです。その人とその人に関わる人が「きちんと」生きるために。道也先生の演説を笑う権利は、誰にもない。現代の青少年に告ぐ、といった啓蒙精神も多分に含まれるこの作品に、叱咤された気分。精進します。 -
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「死ぬか気違うか、そうでなければ宗教に入るか」
学問をやりすぎたために、人を信じられず、妻さえも自分を愛していないのでは無いかと疑い出した一郎。
その弟の二郎は兄や友人、下女など様々な人の使いとして結婚とは何か、愛とは何かの現実を見る。そんななか、どうしようもないほどに精神衰弱な兄の影響を受け、二郎も結婚について疑問を抱き始める。
この作品の底にあるテーマは結婚に関すること、人を信じること。明治以前の家が関わる旧式の結婚制度、恋愛結婚などなど様々な形で夫婦になり、こどもが生まれ、年をとる。
そうした、夫婦間の関係について、疑問を投げかける作品です。
漱石作品として相変わらず、登場人物に起こる出来事に方を付けないで終わりますが、ストーリーとしてもなかなか面白い。一郎の精神衰弱ぶりには辟易する人もいるかも知れませんが、頭の良い人特有の悩みに共感を覚える人も少なくないはずです。
胃を痛め精神を病みながら漱石が書いただけあり、彼の作品の中でもなかなかの読み応えでした。 -
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ネタバレ「彼岸過迄」「行人」「こころ」の後期三部作や、それがさらに私小説的にドグマった「道草」より全然暗くない。複数の視点に立って、ありもしない「本当の自分探し」から進化したと言えば、言葉が軽すぎでしょうか?
結末の予想に関しては、おおむね日本文学畑の人は全てが未解決のまま終わり、海外文学系の人はドラマチックな結末を迎える、というような傾向に分かれるというようなことが書かれた研究書を読んだ記憶がありますが、「なるほど」という感じもします。日本文学派の中には、「明暗」の次には「猫」に戻ったような作品を書いていただろうという予測もあり、またまた「なるほど」と。「続明暗」がまさに、筆者が外国系だから、まさにそういった予測を体現しているのかもしれません。
個人的には、社会主義者的人物の小林の存在が好きです。
追い込まれた時、読みます -
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ネタバレ実家から出られず母親の古い古い本をあさり読んで。
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智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い。
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以上が文庫1ページ目の、草枕です。
漱石すごいよね面白いよねと言いつつ、何が面白く何が楽しいかを説明するのは至極難しい。
『硝子戸の中』などは随筆だけに滋味あって読みやすく、幼少期のエピソードなどもあって読み物としても、自然に笑みの浮かぶようなものだった。
『虞美人草』は結末が唐突に思えてさほど好きではないが、お話としてまとまって疾走感のある物語だった。
教科書的に解釈やら何やらをせられた思い出もあるけれど、『こころ』も事件性があり、時代背景が書き込まれてあり、読み応えがある。
が、しかし暗い。
暗さでいえば『門』や『道草』の閉塞感こそ。
みたいな話を母親としていたけど、wikipedia先生に尋ねたらもっと全然作品数あるのですもの。
読もうかなー、と思うのは、暗かろうが何だろうがあまりにも読みやすい文章のためな気がする。
結局は読みやすくて、暗くても構わないが不快になるものは嫌いというだけの趣味傾向でしょうが。
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洋画家を自称しながら本文中では一枚も絵を描かない主人公が、山あいの鄙びた町の温泉宿に泊まる。
温泉宿と行ってもそこは温泉街ではなく、町に一軒、裕福な主人の隠居所のような家で客が来たら泊めるというようなところ。
日露戦争中のことで他に客もなく、主人公は、宿の娘で傾いた嫁ぎ先から出戻ったという那美と話すようになる。
那美は、嫁ぎ先が「傾いた」というだけの理由で出戻ったことや、種々の奇行から村のひとの一部には「きの字」と言われている。
けれど、(絵も描かないで)非人情を語る主人公とのあいだに物語的な展開は起こらない。
ある日に那美の傾いた嫁ぎ先の夫が那美を訪ねて来、那美が夫に金銭を渡して呆気なく別れるのを主人公が目にする。
金を包んだ包み渡し、受け取る仕草に画題としての美しさを見る一方、那美が自分の絵を描くよう頼むと主人公は那美の顔は描けないといって断る。
那美のいとこが日露戦争に行くのを見送りに来た駅で、ひとり満州に出稼ぎに向かう夫の姿を見つけた那美の表情を見て、
その「憐れ」が出た表情をもって主人公の胸中で那美の画が成就する。
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詩人/画家の立場としての「非人情」と、画題としての(構図の美しさ、西洋と異なる日本の空気を描く色の必要なども語りつつ)「憐れ」と呼ぶ人情味について語った漱石の芸術論。 -
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まず際立っているのが文章の難解さ。地の文が凄まじいまでの美文であり、知らない単語が怒涛のように押し寄せる(私が無知なだけですね)。漢文や故事の素養を下地にした表現も多用されており、ページを捲るたびに自分の無学をひしひしと感じる・・・。
でも、そこがよいのです。読み進むうちに絢爛豪華な文体を味わうのが癖になる。彫琢された文章ってこういうことを言うのね、と思う。
それになんといっても漱石作品は会話が面白い。藤尾と小野の恋の駆け引き、甲野と宗近の気心の知れた友人同士のおしゃべりなど、気の利いたやりとりが素敵。
さて、肝心の物語だが・・・
筋書きだけ見ると、まあ、メロドラマである。あらすじを言ってしまえば一言だ。それをここまで読ませるのはさすが漱石といった所か。終盤の展開が急すぎてびっくりしたけど。
登場人物の性格もはっきりしており(悪く言えば類型的?)、娯楽小説として心置きなく楽しめる。
お気に入りは超俗の哲学者甲野さん。宗近君もラストで道義を語るところでちょっと見なおした。真面目になります。 -
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22歳にしてようやく「吾輩は猫である」を読んでみる。
漱石の本は「こころ」についで2作目。
レビューなんてのは全く自分の無知蒙昧を広めるだけのものであると思うけれども、せっかく読んでみていろいろ思うところがあるので書くことにする。
やはりまず第一に感じたのは、猫に語らせることの妙である。
人間ではなく、猫自身が語ることで、社会科学的に言えば、漱石自身の鋭い観察眼及び人間のバイアスをより鮮明に対象化することに成功していると思う。皮肉も人間が語るよりもずっと効いてくる。正直、ギャグ漫画を読んでいるような心持であった。
クライマックスで、人間どもに一種の漱石的講義(?)を語らせ始めたかに見えた時は、漱石の社会に対する鋭い指摘・観察眼に大いに感心しながらも、興ざめしながら読んでいたが、最後にやはり「人間同士の嘲笑を猫が嘲笑する」という本書の面白さをしっかり押さえて終わっていた。
また、明治初期の日本は封建社会から資本主義社会への大転換を迎えていた。物語のクライマックスで語られていたような諸個人の自由・不自由の新たな発現から、多数の人々と同様、彼自身も逃れることができないことを感じていたに違いない。そして、自身をも一人の登場人物として対象化し、当時の日本社会における人間的状況をより一層浮き彫りにすることを猫に託したのではないだろうか。
と、無知をさらけだすことの恐怖。。。
だがそう思ったのでそう書いておくことにする。
とりあえず面白かったが、500ページを超えてて非常に長い。つかれた。 -
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漱石の小説の中では一番好きかもしれません。夫婦の距離感がなんか好き。
出だしから終わりまで、何も進まず、何も解決せずに終わる物語。
日常の断片なんですな。
罪悪感をせおう善良な夫婦のなにげない会話の数々が良かったです。
この小説の主人公は宗助といいますが、『崖の上のポニョ』の主人公と
同じ名前です。宮崎駿さんは、映画を作るときにこの「門」を読んでいた
といいます。それで、主人公が同じ名前になったんでしょう。
崖の上の坂井という人物も出てきます。タイトルもそこからとったのかもしれません。
この本の解説で柄谷行人さんが、欠陥のある小説だみたいに書かれていましたが、
そういうところがあったとしても、面白かったです。 -
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ネタバレ前期三部作の第三部。
宗助と御米は不倫の末結ばれた夫婦で、他人との交流を最小限に抑えてひっそりと慎ましく暮らしていた。彼らの不義は社会的な制裁のみならず、運命的な力も彼らを苦しめる。宗助は不安を解消するために宗教にすがるが、何も変わらないまま季節は移ろいでゆく。
宗助・御米夫婦は、互いを慈しみ支え合って生きている。きっと理想的な夫婦と言えると思う。しかし、「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」(P224)のイメージが示すように、悲哀や不幸、憂うつから逃れるすべをもたない。哀しくて切ない。 -
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ネタバレ【概要・粗筋】
学者である一郎は、妻・直の本当の気持ちがわからず、信じることができず、夫婦の間は冷え切っていた。直はそのようなこと気にするそぶりもなく冷淡であった。しかし、一郎は妻の本心が知りたくてたまらない。そして、一郎は妻の貞操を試すために、弟である「自分」に嫂と二人きりになるよう依頼する。知識人の孤独と狂気を描いた小説。
【感想】
第一章「友達」から第三章「帰ってから」までと第四章「塵労」では作品の雰囲気ががらりと変わった。三章までは長男夫婦の不和に周りの家族が巻き込まれていくというある平凡な家族の姿を描いていたのに、四章からは一郎の内面が掘り下げられて家庭小説の枠をはみ出した。雰囲気ががらりとかわった。私としては三章までの雰囲気が好きだ。
周りからは冷淡と見られ、何ごとにも動じない強さを持った女性である直が、二郎に時折見せる淋しげな微笑みや砕けた態度が魅力的である。うっちゃっておけず、その本心を知りたいと思う一郎の気持ちがよくわかる。
憎からず思っている相手同士が突然の嵐で帰れなくなり、一晩を共に過ごすという場面は恋愛もののお約束としてあるけれど、この作品にもそれがある。二郎と直の間には一郎に報告するようなことは何も起きなかったけれど、それでも一郎が疑いを持つのも仕方がないような何かが二人の間にあるのは確か。この場面で、嵐で停電にもかかわらず、直が湯上がりに二郎に気づかれずに薄化粧をしていたところ(P167)が、特に印象的だった。