夏目漱石のレビュー一覧
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主人公が迷いの気持ちにより、友人に好きな人を譲ってしまい死んでいるような人生を送ってしまうお話。
この主人公いい人なんだよな。けど、最後には友達から好きな人を奪って、一緒になるはなし。
失うものはたくさんあり、家族との絶縁、友人、いろいろある。
最後は好きな人と一緒になって幸せになれたかわからないところで終ってしまうが、オイラは幸せになっていると断定できる。嫁さんにもらった人は長生きしない病気で早く亡くなってしまうかもしれないが、人生に悔いを残さなくて済む。
ホントは、友人と結婚する前に一緒になっていればもっと幸せになっていたと思うが、物語なのでコレで有りだと考える。
悔いを残さず生きたいと強くオイラは考えたよ〜 -
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読んでいる最中も読み終えた後も運慶が明治まで生きている理由を考えているが、とんと分からない。
そも、この夢を見た主は、本当に分かっているのかさえ、だんだん疑わしく思われてくる。
よく、夢を見る。
夢を見て、その中でものを思い、天啓を受けたような、閃光を目の当たりにすることがある。
けれど、果たして夢から覚めてみれば、いったい何に合点が行ったのかさっぱり分からなくなっていることがほとんどだ。
時々覚えていることもあるのだけれど、夢の中で得たような「あっ!」というひらめきはもう消えていて、改めて検討すると「あぁ…?」というがっかりが残る。
いや、夏目先生のことだから、しっかり考察するだろうけれど。
それにしても不思議なのは、運慶が生きていることだ。
運慶が「今日」まで生きていたら、ぜひ、夢の中でお会いしたいものだ。
そうしたら、ほぼ解る気もするのに。 -
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言わずと知れた名作だけれど。
本当にちゃんと内容を知っている人が、どれだけいるだろう。
縁あって松山に行くことが多いが、今回改めて読んで、あまりにイメージと違いすぎていて仰天した。
何かと見かける坊ちゃん団子などのイラストから、勝手に「坊ちゃんとマドンナは良い仲」なんて思い込んでいた。
全然違う。
松山が坊ちゃんを推すから、てっきり松山で面白おかしく嫌な教師をやっつける話と思っていたのに。
全然違う。
むしろ、なぜ松山は坊ちゃんを推す気になったのか、不思議でならないくらいだった。
そして何より、あとがきと又聞きによると、この話で坊ちゃんがしたことの中には、作者の漱石自身が実際にしたことも含まれているらしいことが、驚きだった。
何となく、『こころ』のせいなのか、漱石には知的で落ち着いた(そして色々な逸話から、神経質な)人だと思っていたのだけれど…思いの外、やんちゃだったのかも。
数作品読んだくらいで、その人を知ったような気でいちゃいけないものだ。 -
Posted by ブクログ
オモシロイ。ほとんど、あだち充さんのマンガの世界です。後半は。
ほんっとにドキドキものの心理劇、恋愛劇、サスペンス。
「幼なじみ」、「いいなずけ」、「恋のライバル」、「出生の秘密」…。
後半は…、なんですけどね。
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「それから」に引き続いて、久々の、多分25年ぶりくらいの夏目漱石さん。
夏目漱石さんの長編小説は、どれもこれも昔読んだ時から大好きで、本当に熱狂的に好きだったんです。
なんですが…。若い頃に読んだ時も、「面白かった順位」で言うと。
「坊ちゃん」
「それから」
「明暗」
「行人」
「こころ」
このあたりまでがトップクラスで。
「三四郎」
「道草」
「草枕」
そして
「彼岸過迄」
「虞美人草」
「吾輩は猫である」
あたりは若干、劣る。
そんな印象がありました。
なんとなく、そんなことを確認もしたくて、再読。
作者の漱石さん自身が冒頭で書いてますが、「短編がいくつも並んで長編となる」という作りになっています。
①「風呂のあと」
②「停留所」
③「報告」
④「雨の降る日」
⑤「須永の話」
⑥「松本の話」
⑦「結末」
の、7章。そして、再読してみると。
簡単に言うと、①~③が面白くない。けっこう、面白くないです。
そして、④~⑦が面白い。特に、④⑤の2章はもう、キラキラ輝くくらいに面白い。
④は、幼い子供が突然病死しちゃった、という家族の話です。
悲劇です。これを何と言うか、淡々と、という感じです。決して、お涙ちょうだい風になりません。なんだけど、この理不尽な出来事の痛みが、とっても伝わってきます。
⑤は恋愛心理劇です。女に恋した男のどろどろした心理です。理性とプライドと恋心と矛盾と嫉妬にみじん切りに切り裂かれる若い男のみっともないココロの七転八倒です。
それが何とも科学的に解剖されるような語り口で綴られます。何とも深刻で難解で、同時に滑稽でスリリングでたまりません。
だからまあ…やっぱり前半が面白くないっていうのはケッコウ致命的ですね。
これはまあ、正直、面白くない。
やっぱり登場人物の心理に全然のめり込めない。
これは解説で評論家の人が、「前半が詰まらないと言われるけど、こういう角度で見ると興味深い」というようなことを一生懸命書いている。
そういうことを書くということは、要するにやっぱり面白くない。
ただ、文学研究者たるもの「前半は面白くない」ではアマチュアとおんなじだから色々な角度で解説を試みる。
その解説自体は成程面白いかも知れない。
しかし言えば言うほど、まあ、つまり前半が面白くないなあ、ということが炙り出てくる。
つまり、前半が面白くない。
でも、後半は面白い。だけど、やっぱり話はなんとなく繋がっているので、後半から読むわけにも行かない。しかし前半はなかなか苦痛である。
と、言う訳なので、やはり「彼岸過迄」を読むのなら、せめて「坊ちゃん」「それから」「行人」「こころ」あたりを読んで、夏目漱石さんの特色とか個性とか語り口に惚れてから、の方が良いんだろうな、と思いました…。
############以下、備忘録############
①「風呂のあと」
敬太郎、という、どうやらそこそこの学校を出て、就職口を探している若者がいる。なかなかうまくいかず、焦りながらもぼんやり暮らしている。
そんなに内向的な性格ではなく、冒険とかロマンを求めているけれど、とにかくまずは働き口がない。
日常は冒険もロマンもなく、下宿でぶらぶらして、風呂屋に行く。
風呂屋でいっしょになった、同じ下宿の森本という男とおしゃべりする。
森本という男は、色んな商売を経て、色んな冒険譚を持っている。
ところが、その森本はその後、下宿代を払わずにドロンする。
②「停留所」
敬太郎の友達に、須永という男がいる。この須永という男は、まだ大学生である。この当時の大学生ということは、物凄く希少価値だし、今でいう大学院みたいな感じ。
この須永という男は、裕福な実家らしく、特段に働く気もなく暮らしている、非常に内向的だしブンガク的な気難しい若者である。
この須永の叔父に田口という中年男性がいて、いろいろ実業で活躍している紳士である。
敬太郎は就職口を探している。須永は敬太郎に、叔父の田口に頼んでみたら、と紹介する。敬太郎は田口を訪ねてお願いをする。
そんな敬太郎に、田口は依頼をする。
「とある日に、とある時間に、とある停留所で降りる、これこれな風体の紳士の後をつけて、探偵してほしい」と…。
で、敬太郎、それを実行する。
さて、その紳士を尾行すると、若い淑女と落ち合って、食事をして、帰って行った。
③「報告」
結局で言うと。
敬太郎が尾行した紳士は、実業家の田口の義兄・松本だった。つまり、田口の親戚。ということはつまり、須永の親戚でもある。
松本と言うのは、中年のオッサンである。妻もいて子供もいる。そして資産があるのか、ぶらぶら暮らしている。「高等遊民」である。
そして、その松本と会食していた若い淑女は、実業家の田口の娘であった。
別段、そこにややこしいスキャンダルはなくって、単なる友好的な親戚の付き合いだった。
つまるところ、尾行を依頼したのは、実業家の田口の、暇つぶしのいたずらみたいなものだった。
そして、敬太郎はそんな田口のいたずらの犠牲者になった。その代りに、田口の家に出入りするようになった。そして、それなりの地位の就職口を得た。
④「雨の降る日」
敬太郎は、田口の関係で職を得た。なので、田口の家に出入りしたり、その親戚でもともと友達の、須永の家にも出入りする。
一族からみのお友達になっていく。
そこで話をいろいろ聞いていく。そこで、「高等遊民」の中年男・松本のうわさ話を聞く。松本は、須永の叔父にあたる。
「松本は、かつて雨の日に接客中に、幼い児を突然死で亡くした」という話を聞く。
なので、松本はその後、雨の日の訪問者を嫌うという。
⑤「須永の話」
須永の一人称。須永と、従姉妹にあたる千代子という女性との、恋愛譚。
須永は、母一人子一人である。いろいろ内面に鬱屈を抱えたインテリ青年である。
従姉妹の千代子という若い女性がいる。家族同様に付き合っている。
実は母は、子供の頃に、「将来、千代子と須永を夫婦に」と、千代子の両親と話した。
それを須永は知っている。恐らく千代子も知っている。千代子の親も知っている。
けれども誰も話さない。
千代子の親からすれば、須永はインテリだが、実業に野望も無い屈折した青年で、決して望ましくないのではないか。と、思っているのではないか。と、須永は思っている。
須永は、千代子のことは好きだけど、そんなに好きじゃないと思う。
面倒だから、俗だから、千代子とは結婚したくないと思う。親戚や母にもそういう。だが、千代子には言えない。
そうなのだけど、千代子の周りに若い男がいる。自分と違い非常に健全な世間性を持っている男がいる。
そうすると、何だか大変に面白くない。大変に不愉快である。自制心が薄くなる。
そして、「あなたは卑怯だ」と、とうとう千代子に言われる。千代子と対決する。
⑥「松本の話」
須永と千代子の話・・・というか、須永の話の続きである。
語り部は、須永の叔父の「高等遊民」である、松本に移る。
要点で言うと、須永と、須永の母は、実の母子ではない。
須永の父が、別の女に生ませた子を、実子として育てた。
父が死に、須永と母は仲が良い。須永は母を大事にしている。
しかし、須永はあるとき、実子ではないことを知った。内心ぎくしゃくする。
そんなことが、須永の面倒な屈折の裏にはある。
須永は大学を卒業前に旅行に行く。行っていろいろ考える。母のことや千代子の事。
千代子と須永はどうなるのか、分からない。
⑦「結末」
短いエピローグ。
特段のドラマチックなモノゴトは無い。 -
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何回目の再読か覚えていないけど、相変わらず良い。
暴風雨の夜のくだりは有名ですが、いつも『彼岸過迄』と取り違えていて、読み始めてそうだった、そうだったと思い出す。
まぁそれはどうでも良いのでさておき、あまりに急な展開は確かに構成上の問題はあるのかもしれないけど、そこに主眼を置くのではなく、あくまで一郎とそれを取り巻く人々の無声の交錯に注意を注ぐだけでこの本の読み応えは十分にあるかと。誰にでも身に覚えのあるような振る舞いだけで、かつ、現在のようなどぎつい設定・描写もなく読ませる、漱石ってよく人を見ているし、上手いなと感心します、毎度ながら(って文豪に対して傍若無人な態度ですか)。
ところで暴風の状況が異なるほど和歌の浦と市内の距離ってそんなに遠くないかと、そこのところはご愛敬? -
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ネタバレとても漱石らしい感じのした話でした。
主人公の代助が颯爽と登場する冒頭は、なんとも滑稽でちょっと微笑んでしまうような感じだったのに、三千代に対する思いを自分で改めて認識してからは、とても痛々しくて哀れだった。
まぁ、金持ちの坊ちゃんで、その割に変な理屈を捏ねるちょっと変わった人物ですが、この小説を読むと、無職の主人公でも好感がもてる。
家族に勘当され、友人とも絶交されてでも、愛を貫き通そうとするには、昔も今も変わらないんだな~って思う。
二人がやっとお互いの気持ちを分かり合えたのに、3年の間で作り上げた障害はとても大きすぎるだけに、二人の愛は昔以上に深まってるような気がする。
3年前、平岡に本当の代助の気持ちを言って三千代と結婚してたら、そうではなかったかもしれないんじゃないか。とも思うけど。。。
この二人は、その後どうなるのだろう。。。。 -
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やっと読み終わった。長かった!!!
樋口一葉の『たけくらべ』
夏目漱石の『三四郎』
森鴎外の『青年』
たけくらべは、川上未映子氏の現代語訳版です。初めて読んだ気がします。
あまりにもおっさんが読むには時期を逸しているようで、あまりにも幼いころの話でありそういう感受性は失われていることを認識しました。
三四郎と青年は続けて読むと、非常によく似ており
その雰囲気や情緒が感じられ面白かったと思います。
本当に忘れていたのですが、『青年』は昔昔、大学の1年か
2年の時に読んだことがあることを思い出しました。
その時は、自分の年代とあっていたこともあって
とても感銘を受けたことを思い出しました。その時の
自分の人と群れる感じに対しての嫌悪感や、男女の
関係にての正義感や、潔癖な感じ(本当はその
ころでもずぶずぶだったのですが)。社会や
大人に対しての反発や恐れなんかをもっていたこと
を今再度読んで思い出しました。
その時の感覚は懐かしく、恥ずかしく思いました。 -
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漱石前期3部作の第1作目。
題名から「坊ちゃん」と似たような、所謂痛快な作品というイメージで読み始めた。
読み進めていくと、確かに痛快さは感じられるものの、文学としてまたさらに一歩先へ進んだ作品に仕上がっていた。
このレビューは「それから」「門」の3部作全て読み終わった段階で書いているのだが、
そこまで繋がっているようには思われない。残り2作は合わせて読むといいと思うが、
「三四郎」は漱石による1つの青春文学として、読み進めた方が良いと思われる。
そしてそのように読んでみると、当時における若者というのは、こんな感じだったのかと、現代とのギャップがまず面白い。
男女関係が現代よりも遥かに尊ばれていた時代、またそれが少しずつ変化していく時代を、三四郎や広田先生等個性豊かな登場人物を通じて、表現している漱石は流石。
漱石のその時代をくり抜き、文字に落とし込む技術は、私が読んだ様々な作者の中で、群を抜いている。
是非私と同年代の方々に読んでもらいたい一冊である。 -
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ネタバレ【本の内容】
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。
―美しい春の情景が美しい那美さんをめぐって展開され、非人情の世界より帰るのを忘れさせる。
「唯一種の感じ美しい感じが読者の頭に残ればよい」という意図で書かれた漱石のロマンティシズムの極致を示す名篇。
明治39年作。
[ 目次 ]
[ POP ]
『国家の品格』いわく文学・哲学・歴史・芸術・科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていることが真のエリートの条件の一つという。
ならば、役に立たない教養を身につけているだけではなく、役に立つことはしない百けんは超エリートではないだろうか。
その師にあたるのが、漢文に詳しく英国留学の経験がある明治のインテリで、日本を代表する文豪・夏目漱石。
『草枕』は、その文章芸を堪能できる1冊だ。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ
。とかくに人の世は住みにくい。
という冒頭が有名だが、遠くに見える山桜、雲雀の声、雨の糸など、自然描写が印象に残る。
日常会話では役に立たないけれども、美しい言葉がたくさん出てきて、読んでいるだけで楽しい。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
購入済み
夏目漱石「こころ」に触れ
朝日新聞で100年ぶりに連載されたことをかなりたってから知った。
明治時代の大学生、勿論家庭もそれなりに裕福であろう。しかし、どうしてもその時代の大学生は、自分の生きざま、思想に陶酔しているように感じてしまう。
文学者であれ、芸術家であれ自分は特別な存在として身を置いているようだ。
それが、現代の若者と似ても似つくさない、ある意味とても魅力的に写る時代背景、ロマンを感じることができる。
明治、大正の堅物であるが故の純粋な恋心が伝わる。 -
Posted by ブクログ
千年読書会、今月の課題本でした。学生の時に読んだ記憶があったので、手元にあるかと思ったのですがなかったため新潮文庫版を購入。他の漱石の蔵書と比べて大分新しい見た目となってしまいました。。
さて、本編の主人公は「代助」、とある資産家の次男坊で、大学は出たものの、30歳をこえても定職に就かず、フラフラと気ままな日々を送っています。当然結婚もしておらず、学生時代の友人「平岡」の妻「三千代」にほのかな憧れを抱いているものの、二人の幸せを祈ってる状況だったのですが、、その夫妻が仕事で失敗して東京に戻ってくるところから物語が動き始めます。
代助はいわゆる“穀潰し”なわけですが、家族には愛されているし、期待もされている。今でいう、ニートや引きこもり、、ってほどにネガティブでは無く、当時の高等遊民との言葉がまさしく言い得て妙です。ただ、危機感のなさからくる“社会”との乖離は共通しているのかな、、
背景となる時代は、日糖事件のころですから、1910年前後でしょうか。一等国ぶっていても、借金で首が回っていないとか、日露戦争後の日本社会状況を冷静に見通している、知識階層の感覚もなんとなく垣間見えて面白いです。
そんな中での“金は心配しなくてよいから、国や社会のためになにかしなよ”との、父や兄の言葉はなかなかに象徴的だな、とも。次男・三男に、金銭よりも公共性の高い事業へのケアを求める。そういった観点からの社会への還元は、ある種の分業とも取れて意外とありだなぁと、そして、今でも結構あるよなぁ、と。
さて、仕事にしくじって戻ってきた平岡夫妻、なかなか思ったような再就職もできず手元不如意に。そんな夫妻の危機に対し、金銭的には力になれない代助は、自身の無力さを感じるものの、社会に対してはまだどこか他人事のように接しています。
そのまま十年一日のように過ぎていくのかと思いきや、夫婦間の根底の問題に触れ始めたころから、他人事ではなく“我が事”としてのめりこんでいくことに。。
単純な愛情だけではなく、二人の不遇が故の同情もない交ぜになったその様子が、どこかアンニュイに世界と関わっていた代助が変わるきっかけに。その三千代への狂おしいほどの想いとしては、どこから来ているのか、そんな心の機微が濃やかに描かれています。
並行して進められている、いわゆる“いいところの御嬢さん”との縁談の話との対比も象徴的で、価値観の合わない女性との結婚に、イマイチ前向きになれない代助ののらりくらりとかわそうとする煮え切らなさも面白く、、どこか微笑ましく見ていました。
そして興味深かったのは代助と平岡の仕事に対する意識の違いでしょうか。代助は「食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪い」、平岡は「食う為めだから、猛烈に働らく気になる」と、これは今でも同じかなと。どちらも“あり”だと思いますが、個人的には代助に共感を覚えます。
終盤、代助は勘当された状態となり「職業を探してくる」なんて風になるわけですが、代助が「自分のこころに対して愚直なまでに誠実」であることは、物語の最初から一貫していると思います。表面的には、坊ちゃん然とした甘ったれにも見えますが、当時の家族とのしがらみや金銭的な問題をも飛び越えての、代助の在り様と、それを受け入れようとする三千代は、なるほどなぁ、と。
「仕事は“何のため”にするのですか?」
こんな問いかけをされているように、思いました。「家族を養うためにきつくても嫌でも我慢して、働いてやっている」なんて風潮に疑問を投げかけながらも、かといって、霞を喰って生きていくわけにもいかないとの現実的な問題も対比させて。劇中の代助の選択肢はいくつもあり、自分だったらこうするのにとの投影も可能だと思います。
ラスト、代助と三千代、ふたりの“それから”がなんとも気になる終わり方となるわけですが、、物語としては生殺しですが、問いかけとしてはこのオープンエンドはありだなと。このような物語を当時の時代を踏まえながら描き出せるのはさすが漱石といったところ、今まで読み継がれているのもあらためて、納得でした。
ついでに言えば、代助を男性として見た場合の魅力はどうなんだろうと、女性にもきいてみたい、そんな風にも感じた一冊です。