夏目漱石のレビュー一覧
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夏目漱石の自伝的小説。親族に無心され続ける中での思いがまとまっている。以下、印象的な文。
・(兄へ)「みんな自業自得だと云えば、まぁそんなものさね」これが今の彼の折々他人に洩らす述懐になる位彼は怠け者であった。
・「みんな金が欲しいのだ。いや、金しか欲しくないのだ」こう考えてみると、自分が今まで何をして来たのか解らなくなった。
・彼は金持ちになるか、偉くなるか、二つのうち何方かに中途半端な自分を片付けたくなった。然し今から金持ちになるのは迂闊な彼にとってもう遅かった。偉くなろうとすれば又色々なわずらいが邪魔をした。そのわずらいの種をよくよく調べてみると、矢っ張り金のないのが大原因になっていた。
・「このおれをまたセビリに来る奴がいるんだから非道い」
・もしあの憐れな御婆さんが善人であったなら、私は泣くことが出来たろう。泣けないまでも、相手の心をもっと満足させることが出来たろう。零落した昔しの養い親を引き取って死水を取って遣る事も出来たろう。
・「単に夫という名前が付いているからと云うだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質を有った人間になって自分の前に出て来るがいい。夫という肩書などは無くっても構わないから」
・「女だから馬鹿にするのではない。馬鹿だから馬鹿にするのだ、尊敬されたければ尊敬されるだけの人格を備えるがいい」
・ことによると己の方が不人情なのかもしれない
・金より外に人間の価値を定めるものは、彼女に取って、広い世界に一つも見当たらないらしかった。
・「私の頭も悪いかも知れませんけれども、中身のない空っぽの理屈で捻じ伏せられるのは嫌いですよ」
・「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない、一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
・「御父さまの仰る事は何だかちっとも分りゃしないわね」
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「草枕」と同じく、とてつもなく難解な地の文。いやぁ、すごいですね。よくこんな文章が書けるものだと感心します。恐ろしい教養です。
それもすごいのですが、なんといっても会話がすごい。登場人物それぞれに何か秘めたるものがあり、自分の思惑に話を持っていこうとするが、相手はそうはさせじ意識的にか無意識にかする。そういったやり取りが、とてつもなくスリリングです。
登場人物の中ではやはり「藤尾」が魅力的です。おそらく漱石としては、藤尾を完全な悪女として描きたかったのでしょうが、思いのほかに筆が進んでしまったのでしょう。欠点があるのも人間らしさとして、また魅力の一つになっています。
その点で、最後の展開は納得がいかないです。浅井が孤堂先生に怒られる場面までは良かったです。その後の展開は作り事めいていて、なんかしっくりきません。おそらく同じように感じる人が多いと思います。
小野さんが孤堂先生のところに行って、ぼこぼこに怒られてへこんでしまい、その後藤尾が小野さんの様子を見て愛想をつかす、みたいな展開だったらめでたしめでたしだったのではないでしょうか。諸悪の根源は小野さんでしょう。
虞美人草は失敗作だという話もありますが、個人的には面白かったです。やっぱり会話シーンですね。全会話が名シーンです。小野さんと浅井とのあの馬鹿馬鹿しい会話ですら面白かった。 -
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学校では遺書の部分しか学んでおらず、全部読んでみたいと思い購入。
本当に難しいです。繊細で、残酷で、登場人物の言葉一つ一つに重みを感じる作品でした。大体内容は掴めるのですが、細かい心情表現となると、全て理解するのには大変骨が折れます。今回は解説や注釈をしっかり読んで自分の解釈が合っているのか確認したぐらいです。また数年後、自身の成長と照らし合わせて読み返したいです。
私はこれほど心悩ませる恋愛をしてきていません。臆病で慎重な私ですから、このような大それたこと出来るはずないと今は思うのですが、本当にこの人としか生きて行けないと思う時が来れば、友人を出し抜き嫁にするほどの勇気を私は得られるのでしょうか。 -
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ネタバレ前作の『虞美人草』とは打って変わって、生々しい現実が牙を剥くような、異様なおぞましさを放つ作品でした。
恋愛事件のために東京の家を出奔した主人公の19歳の青年は、周旋屋の長蔵に誘われるまま坑夫になる決心をし、栃木の足尾銅山に向かう。途中、周旋屋から勧誘された"赤毛布(あかげっと)"や"小僧"も加わり、奇妙な行程を経た末銅山にたどり着く。
飯場にひとり放り出された青年は、異様な風体の坑夫たちに嚇かされたり嘲弄されたりしながらも、地獄の坑内深くへ降りて行く…。
漱石の許を訪れた未知の青年の告白をもとに、小説らしい構成を意図的に排して描いたルポルタージュ的異色作。
『虞美人草』の直接的な続編ではないものの、恋愛事件がきっかけで出奔している点は『虞美人草』の小野を想起させます。
また、主人公が自らの育ちの良さを自嘲するあたり、『坊っちゃん』の変奏のようでもあります。
しかし、紋切り型だった前作の人物造形とは異なり、本作の主人公が血肉の通った、揺れ動く人物として描かれているのが印象的。
周到に用意された舞台のような『虞美人草』に対し、容赦のない現実をつきつける『坑夫』は、好対照をなしているように感じます。
むしろ、前作を批判的に描き、乗り越えようとした「続編」と呼ぶこともできそうです。 -
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読むのにどれくらいかかっただろう。
2ヶ月弱か?
中学か高校の『こころ』ぶりの夏目漱石
いつも帰国した時にテキトーに本を買い漁って読むんだけど、ついついその時のセルラン上位の読みやすいが後味少ないいわゆるライトノベル…?というのか?に飽き飽きして、ちょっと文学を読んでみた
結果的にめちゃくちゃ時間を使って、2週間1ページも読まない日、逆に一晩で100ページ読む日
夏目漱石が世に対して、自身に対して、猫を通して風刺する感じの内容
哲学デブの手紙からの猫のdisりは読んでて食らった
人は理解できないものをありがたいと思う
そして最後、なんか2ヶ月一緒に過ごした猫の最後を知ってちょっとセンチになった
私の猫は天寿を全うできますように -
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不思議と三四郎本人に共感というか、まるで自分事のように読めた。自分は三四郎タイプの人間だ。
新しい世界に飛び込み、あれこれ思いを巡らせるけれど、どこか受け身で積極的には動かない。特に人間関係。
人間関係も与次郎が持ち込んできたものを中心に成り立っていて、自分から友達を作ろうと積極的に行動したわけではない。故郷にいるおかんですら、未だに影響力がある。
連れだって歩く時も、イベントに連れ出される時も、どこか傍観者。
催し物に呼ばれて行くと、友人知人は自発的にあれやこれやと動いて、運営サイドにまわっている。自分はそれをはたから眺めるだけ。
当然、人間関係の強いベクトルが向いてくる恋愛にうまく立ち回れるハズもなく…。
なので「人間関係あるある」とも読めたし、自分に似通った明治時代の学生さんの生活を覗き見する感じでも楽しめた。
「いや、もっと恋愛的な視点があるでしょ?男と女の心理とか見るべきところがあるでしょ?」と問われれば、なんとも言えないのだけど…。
三四郎のようなニブチン(死語?)が読むとこうなる、ということで。
ニブチンのうえ、長年合わない接客業についてしまったがために、もっと人間関係が疎ましくなってしまった。
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#899「二百十日・野分」
漱石の割と初期に当る中篇二篇です。
「二百十日」は、「剛健な趣味を養成する」ことを目的に、阿蘇へ温泉旅行へきた圭さんと碌さんの会話を中心に話がトントン進みます。一見のんきな落語風の会話で笑はせてくれますが、資本家嫌ひの圭さんが放つ一つ一つの発言が時代を抉ります。
「野分」では、文学者白井道也と、高柳君・中野君の二人の若者が中心人物。白井道也は地方で教師をしてゐたが、学生たちに追ひ出されること三度、つひに東京で妻と二人で引きこもる生活に。
「二百十日」のテエマを更に進化させ、終盤の道也の演説は本作の白眉であります。観念的にならず、物語としても興味深く、ラストの展開は中中ドラマティック。
漱石作品中でも地味な扱ひで知名度が低いかも知れませんが、漱石の文学者としての覚悟も窺へる貴重な一作ではないでせうか。でも道也の奥さんは可哀想でした。 -
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つい先日のことですが、知人を駅まで送った折に、駅ビルの本屋さんに立ち寄り……決して懐の寂しさを隠すためではなく……「ワンコイン一本勝負」として500円玉を握りしめて本棚の海を回遊しました……狙い目としては小説の文庫本ですね……流行りの作家や作品に関しては例え小品でも税込500円を切るものを探すのは難しいと思ったので、新潮文庫の棚で古めの作品を探したのですが、これがなかなか難しい。詩歌や戯曲を読む気分ではないなぁなどと勝手なことを独りごちながら、本の厚みを目安に探して最終的に手に取ったのが本体価格340円(税別)の『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫)でした。今、寝落ち本の中の一冊として枕元に置いてあるのですが、「寝る間際にちょっとだけ読む」のにちょうどよい内容ですね。一編一編が短い文章の随筆で、騒がず慌てず、ちょっとだけおかしく、ちょっとだけ妙で、ちょっとだけ侘しく。普段の暮らしの中のリアルというものは、こういった「際立った"オチ"のある筈のないもの」でしょう。とてもいい。
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後期三部作『彼岸過迄』と『こころ』の間を埋めるニ作目。
『行人(こうじん)』は、道を行く人=旅人という意味。読み終わってみると、物語の終盤を暗示しているタイトルかな。
前作『彼岸過迄』同様に、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労(じんろう)」の四篇から構成されていますが、「帰ってから」と最後の「塵労」との間が半年近く空いています。これは、胃潰瘍の再発のせいですが、中断する前後で話しの構成が変化しています。語り手が変わるところなどは、後の『こころ』に繋がるプロットが、この『行人』で試みられたのかなと思いました。
内容は、語り手である次男が、兄から「はたして妻はじぶんを愛しているのだろうか」という疑問を投げかけられたことから、本筋が動き出します。
そんな事には頓着しない嫂のクールなところが、激しやすい兄と真逆ゆえに、話しがもつれながら進んでいきます。
終盤には、禅問答の『無門関』第二十三則が後半に出てくるなど、頭が良すぎる兄の苦悩が描かれて、はっきりとした結末が示されないまま、静かに幕を閉じます。ただ、どうにもならない結末ともいえ、これで良かったのかもと思いました。
余談ですが、読書家の坂本龍一さんが、亡くなる数年前に読んでいた本に『行人』が入っていたとのこと。『無門関』も読まれていたようです(『婦人画報』2023年11月号の巻頭特集記事)。
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吾輩は猫である。名前はまだない。
この有名な書き出しは知っていても、読んだことはなかった。伊集院静さんの『ミチクサ先生』を読んで、この小説をどうしても読みたくなった。
思ったよりもずっと分厚かったけれど(岩波文庫515ページ)、漱石のユーモア、風刺を交えた文章に引き込まれた。電車で読んでいる最中に、面白くて思わず吹き出してしまうことも。例えば、「ダムダム弾」をめぐる攻防。
あくびを「鯨の遠吠のよう」と書いているのも面白い。
日常を「猫」の目から見た物語ですが、人と人とのやりとりが面白かった。しかし、あのような結末になるとは思いもしませんでした。そういうことになるとの予想はつくものの、まさか本当にそうなるとは思わず、でも、その結末もユーモアがありました。 -
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「寝られないとどうかして寝よう寝ようと焦るだろう」と私が聞きました。「まったくそうだ、だからなお寝られなくなる」p423
****以下ネタばれ?アリマス
本書は『こころ/エピソード零』といえるのではないでしょうか。孤独な主人公、長文の手紙、そして死の予感…。「こころ前夜」感、満載です。
なにもそんなことで悩まなくても…。漱石先生のたくさんの主人公たちに言ってあげたくなりますが…
「心のほかの道具が彼の理智と歩調を一つにして前へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです」p452
ちょっと乱暴な言い方をすれば、日本はこのとき〈思春期〉だったのかもしれません。
近代自我確立といわれる明治時代、体(頭)の成熟に心がともなわないもどかしさ…。
その苦しみは、
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入(い)るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」p431
と思春期どころではない激しさなのですが…。(この三つの結末は『こころ』『それから』『門』でなんとなく描かれています)
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「そういう僕が既に僕の妻(さい)をどのくらい悪くしたか分からない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか」p466
結婚していても妻とわかりあえず孤独を感じる主人公の苦悩は現代の我々にも通じるものがあるように思います。
本書の帯には【『こころ』より先に現代人の孤独を予言した書】と是非書いてほしいものです。