夏目漱石のレビュー一覧
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国語のテストでよくある問に
「この時の主人公の気持ちを答えなさい」というのがある
いや、分かるわけないだろ!
といつも思っていた
要領のいい嫌なタイプの子どもだったので、難なく大人が喜びそうな「答え」を書いていた
でも本当はそんなん本人に聞いてみな分からんだろ!と思っていた
正解なんか分かるわけないだろ!と思っていた
正しい「答え」なんてないと今でも思う
だけど正しい「問い」ならある気がする
「あなたがこの物語を読んでどんな気持ちになったか答えなさい」
「答え」はひとつじゃないが、全てが正しい「答え」だ
「あなたが『夢十夜』を読んでどんな気持ちになったか答えなさい」
むむむ、やるな漱石!と感嘆する気持ちになりました(最終的になんだそりゃ!) -
Posted by ブクログ
「死は生よりも尊(たっ)とい」p23
晩年、漱石先生が辿り着いた死生観だそうです。
しかし、人に対しては
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」と助言ができない自分をもどかしくも思っている。そうして
「もし世の中に全知全能の神があるならば、(中略)私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る」ほど苦しんでいる。p97
これは本当にただの随想集なのでしょうか??
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読んでいる間ずっと『こころ』の続編?!という思いを禁じ得ませんでした。(本作は『こころ』の後に書かれたそうです)
「不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう」p98
漱石=〈先生〉が硝子戸の中から見つめていたのは、電信柱でも社会でも他者でもなく、紛れもない自分の「こころ」だったのかもしれません。
本書は『こころ』のアナザーストーリーとしても読めるでしょう。
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Posted by ブクログ
漱石の作品の中で、一番好きかもしれない。
日々を淡々と綴るだけ、という雰囲気はなんとなく谷崎の『細雪』と似ていると感じた。
ただ、『道草』は退屈で憂鬱な日常を過ごすことの重さがすごい伝わってくる本。
退屈で同じような日々の繰り返しといえども、そこにものすごーく濃密ないろいろが詰まっていて、粛々とページをめくってました。
それがとっても楽しかったしいい時間だった。
内容としては別にそんな大したことは書いてないんです。主人公の健三は大学教授で、奥さん(不仲)と子供のために毎日仕事に出てお金を得てる。
教授といえども生活は決して楽じゃないのに、腹違いの兄弟から義父、縁を切ったはずの養父母まで色んな人からお金を無心されて、ヒステリー気味の奥さんともうまくいってなくて………
いや重いし、なんかリアル…!
それもそのはず、これは漱石の半私小説とも言われている作品で健三の生い立ちや立場はかなり漱石とリンクするところがあります。
ていうか、お話の重さは置いといて、私が漱石の立場に立ったらこんなに綺麗に自分の作品に昇華できるんですかね…?(絶対できません)
これができることが漱石が文豪たる所以なんだなぁと偉そうに思ったり。
私の日常も漱石の手にかかれば魔法のように小説になるのかもしれない。健三≒漱石ということもあって、今までちょっと距離の遠かった彼をちょっと近くに感じられるようになった気がした。 -
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かつて犯した罪を背負い世間に背を向けて暮らす宗助と御米、その背徳の行為を作品は具体的に語らない。その静かさに友の女を取った罪の深さを知る。作品としては「それから」の続きという位置づけだ。だが、新しいテーマとして宗教(禅)が提示される。
漱石は書く「彼(宗助)は門を通る人ではなかった。又、門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」無論「門」は宗教的あるいは禅的なものへの比喩であろうが、宗教をもってしても助けられない宗助は、何を糧に生きたらよいのか?
この作品、ほとんど50年振りの再読だが、その当時感じた御米の可愛らしいは今も変わらない。救いの無い宗助の捨てて得た珠玉の宝はこの可愛らしさなのだろう。 -
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ネタバレこちらも『標本作家』の参考文献で名前が挙がっていたので気になっていた一冊。久しぶりの漱石。あまり漱石は読んだことがなく、漱石の文章に対して感じている感覚が久しぶりに想起され、あー漱石っぽい…となってました笑
とはいえ小説のようなエッセイのような小品たちは面白かったです。
特に「思い出す事など」が良かった。漱石もある意味一人の人間なのだなというのが、そう思うだろうな~~という共感もあって親近感。
七の宇宙の大きさと自分を見つめるところ、一番共感してしまった。「限りなき星霜を経て固まり掛った地球の皮熱を得て溶解し、なお膨張して瓦斯に変容すると同時に、他の天体もまたこれに等しき革命を受けて、今日まで分離して運航した軌道と軌道の間が隙間なく充たされた時、今の秩序ある太陽系は日月星辰の区別を失って、欄たる一大火雲のごとくに盤旋するだろう。…吾等人間の運命は、吾等が生くべく条件の備わる間の一瞬時ー永劫に展開すべき宇宙歴史の長きより身たる一瞬時ーを貪るにすぎないのだから、はかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。」(p185-186)
「…自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上には恐るべく残酷な父母である。人間の生死も人間を本位とする吾等から云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成行で、そこに喜びそこい悲しむ理窟は毫も存在していないだろう。こう考えた時、余は甚だ心細くなった。又甚だつまらくなった。…有る程の菊抛げ入れよ棺の中」(p.187-188)
この最後に自作の句やら詩やらを付けてしまうところ含めて身近に感じてしまう笑
お目当てだった「夢十夜」は漱石もこんなロマンティックなものを書いたんだという驚きと、一方で漱石が書いたという点は面白いが作品自体が傑作かといわれると、特に第一夜はてんこ盛りで逆に少々残念な感じがした笑
「こんな夢を見た。」で始まる10の物語、という建付けは好きでしたし、結局一番好きな物語は「第一夜」なのですが…。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。又逢いに来ますから」…「真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。」
あまりにロマンチックなのですが、やはり一番好きでした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ漱石の凄まじい教養と文章力に圧倒される。難解な表現は多いものの、軽快な会話劇も同時に展開されていくので思っていたよりスラスラと読み進めることが出来た。
にしても大バッドエンドである。
登場人物がそれぞれに背負っていた業は最後に全て藤尾に押し付けられ、藤尾は死んだ。彼女だけが自己中心的?小野も井上親子も甲野も宗近も糸子も濃淡あれどそれぞれ自己中心的ではないか。優柔不断な上に姑息な手段で縁談を断ろうとした小野、小野の気持ちなんぞ確認もせず東京へ出てきて世話になる気満々の井上親子、分かったようなことばかり並べ立てる宗近(彼がわざわざ時計を壊したのは自分を軽んじた藤尾への憎しみからではないか)……。
それぞれの欠点は問題にもされず、ただ藤尾だけが1人、裁きを下され死んでしまう。面子を潰してプライドも踏みにじるような酷い騙し討ちのような形で。「女の癖に生意気なんだよ」「身の程を弁えろ」という声が聞こえてくるようである。生き残った連中が不幸になりますように。
また、ラストの宗近から小野への説教も極めて凡庸であった。「真面目になれ」とは一体何なのか。そんな説教で人が変わるならこの世の中苦労はしないし、説教如きで変わることのない人間のどうしようもなさや複雑さ、ひねくれぶりを描くのが小説であり、あの程度の説教で小野がさっさと反省して物語が店じまいに入ってしまう辺りがなんとも拙速だった。
結末には大いに不満が残るものの、しかしこの先何度も読み返したい名作だと思う。
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津田の入院中に起こる事件や疑念の数々は読んでいてどきどきした。変に浮世離れしたことでなかっただけに余計どきどきした。
それが温泉宿に行ってお延から離れてしまい、世界がガラッと変ると妙な物足りなさを感じ、それがまた未完で終ったために、清子の人となりも充分に読み取れないまま終了。致し方ないとは言え欲求不満に近いものが残った。
最後の大江健三郎の解説は正直なにが言いたいのかわからなかった。漱石の研究者でもなし、作品が未完である以上『明暗』の終結を知っているわけでもなし、説得力が元々乏しいところに来て、何かよくわからない分析のし方で、読んでいると小説の余韻が打ち壊される気がしてとばした。
また、註釈も余計なのが多かった。それこそ解説で書けよと思うものが沢山。今の時代から推測の難しい時代背景とか文化風習とかそういうものにとどめておけば好いものを、自分の研究ノートみたいなスタンスで書かれた日には、自分の理解で物語読もうと思う読者の邪魔にしかならない。