あらすじ
誠実だが行動力のない内向的性格の須永と、純粋な感情を持ち恐れるところなく行動する彼の従妹の千代子。愛しながらも彼女を恐れている須永と、彼の煮えきらなさにいらだち、時には嘲笑しながらも心の底では惹かれている千代子との恋愛問題を主軸に、自意識をもてあます内向的な近代知識人の苦悩を描く。須永に自分自身を重ねた漱石の自己との血みどろの闘いはこれから始まる。(解説・柄谷行人)
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Posted by ブクログ
人間が何故ここまで「物語」に魅了されるのかは、悉皆謎なので有りますが、しかしながら、不勉強ながら、漱石先生の才覚に驚嘆するばかりです⁉️
普段、思考に耽りがちな方は、この『彼岸過迄』という作品を読む前に、漱石先生の前期3部作を通読されると、尚世界観が深まるのではないでしょうか⁉️
私事ですが、残り2作がめちゃくちゃ楽しみです‼️
Posted by ブクログ
僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事の出来ずに愚図愚図しているのは、何より先に結果を考えて取越苦労をするからである。千代子が風の如く自由に振舞うのは、先の見えない程強い感情が一度に胸に湧き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、景も恐れない一心である。だから恐れる僕を軽蔑するのである
信念の欠乏
漱石の男ってみんなこんな、よく言えば思慮深く、悪く言えば理屈っぽい臆病。
愛してないのに嫉妬なんて卑怯って、ど正論。結局千代子はどうだったのか、明言されてないからこそ惜しいことをしたのか。惜しいことと思っているのか。そこらへんを永遠にもやらせる、これが知識人のやること。
前半いるか?と思ったけど、解説が秀逸。
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後期三部作の一つ目。主人公の敬太郎がいろんな人の話を聞いていく話。
もう面白かった‼︎ 最初のほうは「何じゃこりゃ…」といった感じで、なかなか読み進められず、夏目漱石のせっかくの作品なのに好きじゃないわと周りにも言っていたくらい、もう義務感でじりじり読み進めてたんだけど、須永くんとか千代子ちゃんとかの話が出てきたあたりで止まらなくなっちゃって、最終的には読んで大満足の作品になった。須永くんの、なんか内気な一人で考えて一人でうじうじして一人で怒って一人で完結しちゃうとこなんかは自分にもこういうとこあるよなあ…と自分を振り返らずにはいられなかったし、須永くんと千代ちゃんがまとまらないのには切なくなったし、松本のおじさんが捉えどころなさそうなのに須永くん思いですっごいいい人でかっこよかったし、須永くんの口を通して出てきた夫婦評にやられちゃって、もうどうしよう。
本ってこういう出会いがあるからいいよね。読めてほんとよかった。
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いわゆる「後期」の、最初の作品です。
以前の新潮文庫(だったかな?)の裏表紙の紹介に、「漱石の自己との血みどろの戦いは、ここから始まった」みたいに書かれていましたが…日本文学における「巨星」漱石の、絶対に揺るがない、その「美しさ」、「深さ」みたいなものに、打ちのめされたのを、記憶してます。若い頃の、幸せな、記憶です。
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【何気なき,由々しき事事】定職に就かず,何か心に面白きことはないかと日がな考えながら過ごす敬太郎。そんな男の元に現れては去っていく人々の語るところから,世の中を透かし見て得るに至った思いを著した小説作品です。著者は,日本近代を代表する作家の夏目漱石。
いくつかのエピソードと言っても良い話が収められているのですが,自分が特に興味深く読んだのは「須永の話」。煎じ詰めれば男女の恋仲の話なのですが,須永という人物が女性に叶わぬ恋をしているのではなく,叶わない恋に苛まれている自分を恋しく思っているのではないかと穿って(?)読み取ってしまいました。
〜要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情は悉く鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席からの長話は,最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如として已んだ。けれども彼は遂にその中に這入れなかったのである。其所が彼に物足らない所で,同時に彼の仕合せな所である。〜
久しく手にとっていなかった間に小説の読み方が自分の中でずいぶんと変化しているような☆5つ
Posted by ブクログ
語り手が変わっていく独特のスタイル。
語り手であり聞き手にもまわる主人公がいますが、ストーリーやテーマの中心になるのは、その友人だと思います。
夏目漱石好きなだなあ、と私が感じるポイントが存分に表れています。人間の内面が本当によく描かれています。そしてそのいちいちに、そういう気持ちわかるよ、と言ってしまいそうになるのです。
この時代は美しい。
個人の内面が、他者あるいは世間にいまほど影響されることはなかったでしょう。それだからこそ、内面を変容させることは困難で、彼らのように自分でどうにかするしかなかった。そこに苦しさと美しさがあるように、私には思えました。
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前半で一年前に詰まってしまい、色々と思うところあってまた読んでみた。
恋なのか情なのか、分からない。そんな人たちのお話し。
考え過ぎると人間ってのは前に進む勇気がなくなってしまうのかもしれない。
勿論それは一つの正解だと思う、人の道に正解も不正解もないんだろうけど。
でもどこにも行けなくなってしまったら人はどこに落ち着けばいいのだろう。落ち着く必要ってなんなんだろう。
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自分の読み方のせいかもしれませんが、自分と他人と社会と、夏目漱石の切り取り方は本当に面白いと思いました。結局こういう話!というあらすじがあるようで無いようで。結局は人生そんなもの。進んでるのか、止まっているのかわからないような、そんな時間の魔法
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なんだか、どこに向かってゆくのかわからないまま、着地せずにふわふわと話が進み、結局着地しないところで終わって、ある意味、それが余韻になるのか。主人公はあくまで観察者というところは、面白いところではある。
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行動力の無い須永と従妹の千代子の煮え切らない恋愛の話。漱石自身を重ねた須永という登場人物の内的な心理描写はすごいと思う。当時の恋愛観はあっさりしたものだったのだろうか。敬太郎、田口、高木、百代子との関係がよく分からなかった。
Posted by ブクログ
1912年 朝日新聞連載 後期三部作
個々の短編を重ねた末、その個々の短編が相合して一長編を構成するという試みー プロローグで漱石が語る。
主人公は、卒業後求職中の青年・田川。
彼に関わる、あるいは、聴いた、物語。
冒険談・サスペンス・友人の恋愛談・生い立ち 等、語部を替えながら、其々短編として独立する。
前期三作に比べれば、ストーリー豊かで、読み物として面白い。
「雨の降る日」は、雨の降る日、幼女を突然亡くした一家を描く。突然の悲しみを、淡々ととやり過ごすような家族の描写が、痛ましい。感情表現はされず、「雨の降る日に紹介状を持って会いにくる男が嫌になった。」とだけ主人に語らせる。
漱石が、この頃、娘を亡くしたことを反映しているとのこと。
結末という章で、主人公・田川を、世間を聴く一種の探訪者である、としている。ストーリーの主人公は、友人・須永である事が多い。
ストーリーは、主人公によっては動かないという状況は、読者を田川目線にする事ができたのではと思うのです。
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冒頭に、漱石から読者へのメッセージがある。
彼岸過迄という、なんだか気になるタイトルは実は、単に正月から書き始めた連載がそれぐらいに終わるだろうと付けられた名前らしい。
そうなの、という気持ちで読み始めた。
そこには、短編を連ねて、最終的に大きな一編になる試みをすると書いてある。
話の語り手は、うまく流れにまかせて生き抜いていくタイプの青年。
探偵に憧れたり、まめまめと占いを信じたり、職探しも縁故に甘えて気楽に成功させている。
一方、真の主人公ともいえる、彼の友人はといえば、考えてばかりで、行動ができない。
その理由が最初の方から匂わされているが、そればかりが理由ではない。
自分の心とばかり向き合い、いまだ何の現実的なチャンスもつかめていない。
考えてばかりの自分がもどかしくて、気楽になりたい。
これを読んだ方は、どちらが自分に近いと思うんだろうか。
ワールドカップの時だけ、昔からファンです顔で現れる自称サッカーファンに違和感を感じてお祭りに参加できない私は、明らかに後者だろう。
そんな自分に時々しんどい人の心に優しくかたりかける漱石。
そして、能天気な青年の話も半分あるので、重さが緩和されて、前者のお気楽タイプにも読みやすい。
また、続編?の行人より、気楽な終わりなのも救われる。
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この本は1910年に大病を患った夏目漱石が、復帰後に最初に書いた長編小説であり、後期三部作の一冊と言われています。
長編小説といっても、この物語は6つの短編から成っています。短編がひとつの話にまとめ上げられ、長編小説になったものなのです。夏目漱石は当時新聞でこの作品を新聞で連載していました。毎日少しずつしか進まない物語を短編として仕上げていきながら、その短編を さらにまとめ上げたときに、長編小説が現れる。夏目漱石がかねてより思い描いていたというこの構想は、なんとも素晴らしく粋で素敵なものに思われるでしょう。
この物語は、主人公、そして聞き手に田川敬太郎がおかれ、様々な登場人物から話を聞いていきます。オムニバス形式のような形で、田中敬太朗視点で物語は進められながら、しかし様々な立場の登場人物、それぞれが語る短編からひとつの長編の話が出来ています。
登場人物は多くはありません。しかし、それぞれの関係性が複雑で、さらには語られる時系列もバラバラな為、少し話を整理しにくいように思います。一度読むだけでは所々分からなくなってしまう部分もあるかもしれません。しかし、だからこそ読み応えも十二分にあるでしょう。特に、後半になればなるほど、ややこしかった前半の内容が伏線となっている部分や、こういうことかと得心する箇所が多く出てくると思います。前半でついて行くのが大変だと思っても、後半では気付かぬうちに彼岸過迄の世界に引き込まれて読む手が止まらなくなりました。
また、前述の通り、主に主人公が聞き手となっています。そのため、物語世界に存在していない私たち読者も、主人公と同じように、語り手となる登場人物の話をダイレクトに肌に感じ、のめり込んで聞くことが出来ます。ゆえに『こころ』のように、語り手となる登場人物の胸に秘めた葛藤や、苦しみが生々しく味わうことが出来るのです。
しかし、最終章に「敬太朗の冒険は物語に始まって物語に終わった。(中略)彼の役割は絶えず受話器を耳にして、「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった」という文があります。また、同じく最終章に、松本が「自分自身がひがんでいる理由がわからない」と涙するシーンがあります。
これらの文は、いずれも現代に生きる我々の胸の内に波紋を呼ぶものではないでしょうか。非現実な物語の中で、誰もが一度は思ったことのある問いに改めて立ち返ることもできる。そんな物語のように思います。
それらも踏まえ、夏目漱石の世界観を十分に感じられる作品でもあると思いました。
Posted by ブクログ
後期三部作の1作目。
短編が集まって長編の形式を取っているし、序盤は割とお気楽な感じだから読みやすい。
中盤からとても濃ゆい。前期三部作とは全然違う。
あれも恋愛の話には違いないが、こちらの方がズドンと迫ってくる。
男の嫉妬心と猜疑心がとても良く描かれている。
私個人としては、須永の気持ちも分からんでもないけれど、千代子とくっついた方が幸せになれると思う。
ただ、千代子の気持ちに応えられるか分かんないんだよね須永は。
何だか二人の関係がもどかしくてもどかしくて。
これは、現代人が読んでも十分に楽しめる。
印象的なシーンも多々。
楽しかったり、悲しかったり、物寂しかったりもするけれど、漱石の書く日本語は美しい。
Posted by ブクログ
高等遊民とか言ってみたい。
死と恋愛も非常に重い。
読むのにも非常に時間がかかった。
語り手が代わる代わるでてくるから感情移入するのに時間がかかるが、それだけに、斬新かつ新鮮。誰に対しても特別扱いではないんだなと知らしめてくれる感じが、非常に文豪の凄みを一層感じさせてくれる。誰にも媚びてないだなと。
Posted by ブクログ
(個人的)漱石再読月間の11。あと4!
短編をいくつか重ねてひとつの主題に迫るという手法。当時は新しいものだったらしいが、現代の小説で普通に慣れ親しんだ形なので、さすが。
主題は「嫉妬」
ひとつひとつがとてもクオリティが高く、特に幼児が突然亡くなる話しは緊迫感がすごい。
漱石は探偵という職業をとても卑しいものと考え、何度も作品中登場人物にそう語らせていたが、それを遂に形にした話しもとても良かった。ポンコツ見習い探偵ものとして、むりやりミステリーだと言ってみようか。
所々覚えてる箇所もあるが、ほとんど忘れている…というかこんなに面白かったっけ?
Posted by ブクログ
さすがに濃厚な内容でした。読むのに骨を折ってしまい、時間がかかりました。
が、さすが文豪、これぞ文学といった「構成」。
難解ではありながら、読んでいると腑に落ちる「文体」。
人物の細かな心情変化、とくに「男性の嫉妬心」「猜疑心」を絶妙に表現していました。
夏目漱石の文学的知識が多少なりともあるからこそ、読み進めていけるけれど、現代小説に慣れきってしまうと、漢文の素養をいかんなく発揮した回りくどい漱石の言い回しは読みにくく感じてしまうかもしれません。
が、夏目漱石の表現は、大げさに思える比喩の一つ一つを繋げていくことで「ああ、これしか表現のしようがない」と思えるようなもので、咀嚼して読んでいくことでスルメのように味わいが出てくる。
構成として、短編をつなぎ合わせて一つの長編をなすというもの。
夏目漱石の「後期三部作」のテーマである「自意識」が客観的に、主観的に、さまざまな視点を通して描かれていく。
やはり漱石はすごいなと思わせるのは、その構成の妙にあります。
一見主人公に見える「敬太郎」は全編通してその存在は感じとれるものの、後半になるにつれて徐々にその存在が希薄になっていきます。
最後にはたんなる「聞き手」として、脇役になってしまう。
敬太郎は刺激を求め、様々な人から話を聞くし、自分の足も使うのですが、彼の内面はなにか好奇心をくすぐるようなものはないかと、外の世界にばかり向いていて、自分の物語を形成することはしない。
ですが、敬太郎が話を聞きに行く人々は、それぞれがドラマを抱えていて、後半になると、中心人物は「須永」になっていきます。
須永は自意識の塊で、その性質のために刺激を受けないように過ごしているけれど、内面では劇的な感情の波がある。
聞き手に回り切ってしまった「敬太郎」には、あまりにも内面や環境そのものに何もなかった。
だからこそ、須永の感じる苦悩を、敬太郎は感じなくてもよいけれど、その分、ドラマチックな事からは遠ざかるしかない。
この対極的な二人から、近代人の苦悩についてあぶるように浮かび上がらせるという多重構成になっています。
後半になるに従い、心情のとらえ方が難しく感じましたが、須永の「嫉妬心」は、読みごたえがありました。
思えば、男性のドロドロとした感情の波を事細かに描写するような小説はこれまであまり読んだことがないかもしれません。
女性を愛しているわけではなく、自分を愛しているかもしれない立場にいる女性が、自分ではなく他の人を選ぶ可能性がある、と感じたときの激しい感情の描き方は、体験がなければ書けないと思います。
もう、夏目漱石すごいの一言。近代以降の物質的豊かさを手に入れた人たちの苦悩をいち早く描いて、しかも人物の心情の描写が細かくて生々しい。
「須永」の卑屈さとかたまらないくらいリアルでした。
「行人」では、「須永」タイプを主観にしたストーリーが繰り広げられるそうなので、そのうち「行人」にもチャレンジしてみようかと思います。
Posted by ブクログ
高校生の頃に読んだ。終いまで鉛筆で手書きのルビがふってあった。でも内容が全然頭に残っていない。今読み返すと、須永が千代子に対して抱く嫉妬も含めた思いと、行動には移せない態度が我がことのように感じられた。宵子の亡くなる場面を描いた場面は、漱石の実体験を基にしたものだけに切なさが伝わってくる。序盤の敬太郎のエピソード、須永の長い独り語り、松本の締めくくりの話というのは、推理小説の謎解きのようで構成そのものを楽しめた。
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ラッセル「幸福論」に「人間は、自分の情熱と興味が内ではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである」と書いてあったけど、そんな話として読んだ。
「行人」の後に読みましたが、あちらより構成が弱め、道に迷いながら書いている感じがある。それも悪くないけど。
ここの文章がすごく好きです。
「敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体(からだ)の具合や四辺(あたり)の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日(こんにち)に至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。」
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主人公敬太郎は、大学を出ても定職に就かず、ふらふらしている。
しかし人生にどこか浪漫を求めており、波乱万丈な生活を送る友人森本の昔話に憧れている。
いくつかの章に分かれているこの作品は、主に敬太郎の周りの人の語りによって進んでいる。
特に市蔵と千代子の幼なじみ同士の恋愛話はかなり現代っぽいのめり込める内容だった。
お互い素直になれない、少しひねくれた性格で、でもあえて素直になるのも今更何か違う…というもどかしい気持ちになる。
市蔵の、自分自身のことについて考えすぎてしまう性格はその出生の秘密からきている、という展開はかなり気の毒で苦しい気持ちになった。
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夏目漱石の前期三部作を読み終わったので、後期三部作へ。前期のモラトリアムな高等遊民の話から一歩進んでいる気がする(それでも臆病な自意識が邪魔をして、女の子と上手くいかないのですが)。
話も工夫していると漱石が言うだけあって、蛇のステッキの話から探偵まがいの話など興味を引く小話がうまくつなぎ合わされて千代子との話に流れていき、飽きずに読めた。
Posted by ブクログ
娶る気もないくせに嫉妬をする市蔵に千代子が卑怯だと伝えるシーンがやはり印象に残る。
でも彼の考え方は割と現代的で分からんくもないが…最後は希望と捉えたいところ。
しかしこの作品、夏目作品としては結構新鮮なつくりだった。
これで後期3部作も残り1つ‼︎
買っとこ。
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昔読んで「面白かったなー」という記憶があるけれど、どんな話だったかあまり思い出せない。蛸が出てくる?
ヘビのステッキが重要な小道具だった気がする。
もう一度読み返したい
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彼岸って言っても今どきいつ頃のことだか良く分からんし、むしろ島なのか?丸太は持ったのか?って感じになるし、彼岸島迄?って思う人もいるしいないしで、まぁでも吸血鬼は出てこない平和な話だった。
でもっていつもの昔の文学に出てくる、ぶつぶつと面倒くさい事ばっかり言って何もしないニートがぶつぶつ言ってるわけなんだけども、そんなぶつぶつ言ってるだけなのに、女の子がしっかりついてくるという、またこれか!って言わずにはいられない展開。そしてその展開がどうなったのか分からないまま終わってしまうという、このモヤモヤをどうしてくれようか。
あと鎌倉在住者として、鎌倉近辺がめっさ田舎というか、スラム漁師村的に語られてたのがなかなか良かった。調子に乗ってる住民に是非とも読ませるべき書ではないか。
Posted by ブクログ
印象に残っているのは宵子の死の場面。漂う線香の煙が見えるようだった。骨を拾う時の、もうこれは人じゃないという感じがリアルで、市蔵の言葉があまりに冷淡で少し気になる。
読み進めていくうちに市蔵に対するイメージが変わり、次第に共感を覚えるようになっていった。空虚な努力に疲れていた、という一文が刺さった。
Posted by ブクログ
読書のやる気が起きずにこれで相当の時間を費やしてしまった。
敬太郎を取り巻く人々の話が伝聞形式で進んでいく、一種のオムニバス形式のような小説。
気だるい空気がひたすら続く。
個人的には前期三部作の方が好きやなあ。
引き続き行人も読みたいけど、しんどかったのでちょっと休憩。
Posted by ブクログ
あらすじに出てくる登場人物がぜんぜん登場しないし、話に脈絡がなく、この場面になぜこんなに頁を割くのか、など色々思いましたが、聞き手としての敬太郎の人物造形と須永の自己心情に対する詳細すぎる分析、二人の性格の対比が面白かったです。私は敬太郎が主役だと思っています。漱石の表題作の要素が全て散りばめられたような作品です。
やっぱり、心情を考えすぎだろうというくらいだらだらと語る話は面白い。
Posted by ブクログ
この小説は恐らく約40年ぶり2度目。敬太郎の同宿者・森本が語る過去と失踪事件、敬太郎が謎の人物を追う探偵談は夢の中の懐かしい!出来事のようで、読み返しても面白かったが、むしろ敬太郎の友人・須永が実質的には主人公であって、主客が代わるところが不思議な小説構造だと感じる。須永の深い悩みはいかにも漱石の世界。幼い日から母が願う結婚を意識してきた従妹の千代子。高木なる魅力的な若い男性が登場し、千代子との言葉に出さない緊張感!結婚するかどうかを決めかねているのに、所有欲?から嫉妬する知識エリートの醜さ。そこに罪として自己認識するかどうかは別として須永の葛藤がある。敬太郎が謎の人物を待ち受ける小川町交差点、洋食店のある駿河台下はまさに、これを読んだ夜、宿泊した。(2月5日泊)思わぬ偶然に100年前の東京の街の情景を重ね、思い浮かべながら読書を楽しんだ。
Posted by ブクログ
戦前の小説は、「難しい」というよりも「まわりくどい」。なので読むのに時間がかかる。
本書は『こころ』のような悲壮感はあまりなく、呑気な雰囲気で読みやすかったが、終わり方は良くない。ついでに恐れ多くも文豪の小説に突っ込むのなら、最初の森本のくだりはいらないんじゃないかと感じた。
この話は須永夫人、田口夫人、松本の3姉弟を中心とした松本家の物語。日本の家庭制度は表向きは男系で男が嫁をもらい親の名前を継ぐ。しかし現実は女系。親戚付き合いは母親の親族と係りが深い。現代はそうだが、漱石の時代もそうだったのかと思わされた。
自分の子どもが生めないばかりに夫の愛人の子どもを育て、自分の妹の子どもを一緒にさせようとする。婚家の血筋ではなく実家の血筋、自分の血筋を残そうとする須永夫人がなんとも不憫に感じた。